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本編、アスターティ・フォーチュンの物語
FORTUNA IMPERATRIX MUNDI
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例の舞台、当日。私はミヨンママとモンマス母娘と一緒に劇場に来ていた。ミヨンママは何とか運良く当日券を買えた。ただ、席順の都合上、ママは私とモンマス母娘とは離れた席に座った。
『The Lords of Shalott』、それが劇団〈シャーウッド・フォレスト〉の演目だ。タイトルだけを見ると、アーサー王伝説をモチーフにしているようだが、実際には古代中国の戦争をモチーフにしている。楚の項羽と漢の劉邦という二人の王たちの対決が縦糸ならば、横糸となるのが斉の田横と漢の韓信という二人の将軍たちだった。そして、劇のタイトルの「Lords」とは、この二人を意味していた。どうやらこのタイトルは、日本の文豪夏目漱石のアーサー王小説『薤露行』を意識したものらしい。
韓信は劉邦に仕える将軍だが、彼は策士の蒯通という男にそそのかされ、先に田横が属する軍に降伏勧告をした酈食其という老説客を見殺しにしてしまった。劉邦が項羽を破ってからは、韓信はファウスト博士のように破滅し、田横はアーサー王のようにこの世を去った。つまりは、この劇は楚漢戦争を通じて、間接的にアーサー王とファウスト博士の対比を描いている。言うまでもなく、酈食其はフィレモンで、蒯通はメフィストフェレスだ。
この劇団は地球史の中でも特に知る人ぞ知る題材を好んで取り上げるようだ。この劇のヒーローである田横や韓信といった人たちは、学校の地球史の教科書に載るには知名度が低い。フォースタスの小説の題材もまた、同じようにマニアックなものが多い。
「スコット・ガルヴァーニって人、すごいね」
「すごい、役になりきっているよ」
ホールを出た私たちは、興奮気味で感想をまくし立てた。私たちは、この舞台にノックアウトされていた。
この劇団の主宰の役者さん、スコット・ガルヴァーニは、悲劇の大将軍韓信を演じていた。韓信は謀反人として処刑されたが、スコット・ガルヴァーニ演じる韓信は、史実の本人が乗り移っているかのような鬼気迫る演技だった。
この劇、マツナガ博士も観たかっただろうな。そう思った。
「よう! どうだ、アスターティ。あいつらはすごい奴らだろ?」
「あ、ドクター!?」
何と、他ならぬマツナガ博士も来ていた。
「お前ら、スコットに会いたいか? いや、むしろあいつ自身がお前に会いたいんだ」
「え?」
「あいつはお前に頼みたい事があるんだが、とりあえず、話だけでも聞いてくれないか?」
頼みって何だろう? 私たちはマツナガ博士に案内され、楽屋に向かった。ガルヴァーニさん、なぜ私に会いたいのだろうか? あの人はフォースタスの大学時代からの友達だというけど、一体何の用があるのか?
「それじゃあ、あたしたち帰るね」
ベリンダが言う。モンマス母娘は先に帰り、私はミヨンママと一緒にマツナガ博士について行った。博士は「関係者以外立入禁止」の区域にいる警備員に声をかけ、私たちはその先を通された。
マツナガ博士は楽屋のドアの前に立ち、インターフォンに声をかけた。
「スコット、俺だ。ヒサだ。アスターティを連れてきたぞ。ミヨンもいる」
「は~い、どうぞ」
ドアが開き、私たちは部屋に入った。
「初めまして、こんばんは。ミズ・フォーチュン(Ms.Fortune)。いや、この呼び方は不運の意味の『misfortune』と紛らわしいし、縁起が悪いから、アスターティと呼んでいいかな?」
スコット・ガルヴァーニ。たくましい長身と精悍な顔つきの男性だ。この人は、屈託ない笑顔が感じが良い。この楽屋には、他にも何人かの役者さんたちがいたが、この人と私たちは、その人たちからちょっと離れたテーブルの席に座っていた。
ガルヴァーニさんは、私たちにコーラなどの飲み物を勧めつつ尋ねた。
「君については、ヒサやミヨンから色々と聞いている。もちろん、俺の友達からも色々と聞いているけど、会いたいかい? 今、うちの裏方として働いているんだけど」
「よせ、スコット。まだ時期尚早だ」
マツナガ博士がガルヴァーニさんに注意する。この人の友達…フォースタスの事だ。
確かに私も、あの人に会うのが不安だ。あの人がどういう心境か色々と不安だし、私もあの人に対してどういう態度を取ればいいのか分からないから。
私は意を決して訊いてみた。
「あの、すみません、ガルヴァーニさん」
「ん? スコットでいいよ」
「私に頼みがあるとドクターから聞いたのですけど、一体何ですか?」
ガルヴァーニさん…スコットは言う。
「次の演目に使いたい音楽があるのだけど、君に作曲を頼みたいんだ。あいつは原作小説を書いている最中だけど、プロットは大体教えてもらっている。それを元に曲を作ってほしいんだ」
私はテレビ番組のテーマ曲を提供した事が何回かある。しかし、演劇のために楽曲提供した事はない。なんて荷が重いオファーなんだろう。なるほど、ミヨンママはこの依頼があったからこそついて来たのだ。
「あの…なぜ私にですか? 他にいくらでもふさわしいミュージシャンの方はいると思います」
スコットは言う。
「実は、頼みはそれだけじゃないんだ。ヒロイン役も君に頼みたいんだけど、うちの看板女優と君のどちらが適任か悩んでいるんだ。せめて、楽曲提供だけでも頼みたいんだ」
スコットは私に、問題の劇のプロットを書き込んだメモリースティックをくれた。
私は悩んだ。楽曲提供だけならまだしも、女優として舞台に立つというのは、あまりにも想定外だ。
しかも、劇の原作を書いているのはあの人、フォースタスだ。
私はタブレット端末で、問題のデータの中身を読んだ。これには『ファウストの聖杯』というタイトルがついているけど、今日観た劇とは直接関係ない内容だ。これは日本の戦国時代が舞台で、一人の武将と一人の妖術使いと一人の美女の三角関係を描いている。
フォースタスは今、この小説版を書いているというが、スコットが預かっているこのプロットとはだいぶ変わっている可能性がある。それとも、シャーウッド・フォレストはあえてフォースタスの小説とは別の作品として舞台化するのだろうか?
私は、今まで書き溜めていた未発表曲を聴き直している。これらの中からふさわしい楽曲をいくつかピックアップしてアレンジしよう。もちろん、書き下ろし曲もいくつか必要だ。
物語の主人公である妖術使いの男のテーマ。
その親友である武将のテーマ。
そして、彼らに愛されるヒロインのテーマ。
私は勉学の合間に作業をしている。これでまた、友達と遊ぶ暇がない。しかし、この仕事の依頼は邯鄲ドリームの命運がかかっていると言っても過言ではない。この劇はミュージカルではないという事だが、場合によっては出演者が歌う展開もあり得るそうだ。
✰
私は次のアルバムの曲のみならず、『ファウストの聖杯』に使う楽曲も作っていた。私のセカンドアルバムは、来年発売する予定だが、『ファウストの聖杯』も来年開演する予定だ。
「お疲れ様。このチェリーパイはおいしいね」
私はプロデューサーのリンジーからの差し入れを食べつつ、タブレット端末でニュースを見ていた。どこぞやの州知事がまたヒンシュク発言で世間を騒がせている。ロクシーのような芸能人のゴシップは単なる「娯楽」以上の何物でもないけど、政治家の暴言失言はシャレにならない。
スコットから聞いたのだけど、フォースタスの原作小説もまた、完成に近づきつつあるそうだ。スコットはフォースタスと連絡を取りつつ、台本を書いているという。小説には少なからぬ濡れ場があるらしいが、さすがに舞台では出来ないので、台本ではストーリー展開に支障がないように削っているそうだ。
「ごめんね、アスターティ。どうしても君に頼みたいんだ」
スコットは言う。私はついに、舞台の出演依頼を引き受けた。
フォースタスの小説『ファウストの聖杯』はついに出版された。スコットは本を片手に脚本の手直しをしていた。
「実は、主人公の果心はあいつに演じてもらうんだ」
「あいつ?」
「そう、作者自身にね」
私はスコットの話を聞いて驚いた。作者、すなわちフォースタスが私と共演するというのだ。
「君とあいつの関係には複雑な事情があるようだけど、俺ら劇団には君らが必要なんだ。どうか、あいつを許してやってくれ」
私は悩んだ。あの人、フォースタスにどう接すれば良いのか?
「私、むしろあの人が私をどう思っているかが心配なんです。私はあの人を許しています。でも、どう接すれば良いのか分からないです」
スコットはうなずく。
「君の正直な気持ちをあいつにぶつければいい。あいつは決して、君を嫌ってなんかいないんだ」
私は部屋を出た。廊下では、一人のアジア系の女性と一人の黒人女性が待っていた。一人はミヨンママだが、もう一人はこの劇団の看板女優さんではないのか?
「ごめんなさい、アスターティ。私、どうしてもあなたに今回のヒロインを演じてもらいたいの。今回は私、裏方に徹するわ」
シャーウッド・フォレスト所属女優で演出家、ナターシャ・パーシヴァル。この人はヒロインを演じる事が多いが、今回は違う。
「私自身よりも、あなたの方がこの演目のヒロインにふさわしいの」
「ナターシャ、やっぱり最初からこの子を指名すべきだったのよ。他にふさわしい人材がいるの?」
「本当にごめんね、アスターティ」
私は決めた。
「分かりました。私、頑張ります!」
「久しぶりね、フォースタス!」
私はミヨンママと一緒に稽古場に入った。ママがフォースタスに声をかける。私はじっとうつむいている。
「よ、よろしく」
フォースタスはぎこちなく返事をした。劇団員たちが集まり、これから先の展開についての議論が始まった。
劇『ファウストの聖杯』の主人公、果心居士を演じるのはフォースタス・チャオ。果心の親友、松永久秀を演じるのは劇団主宰のスコット・ガルヴァーニ。そして、二人と奇妙な三角関係になるヒロイン、緋奈を演じるのは私、アスターティ・フォーチュン。演出はスコットの右腕、ナターシャ・パーシヴァルだ。
ナターシャは私を起用した理由を説明し、それから打ち合わせを始めた。みんな真剣だ。しばらく打ち合わせは続いたが、昼食休憩の時間になり、劇団のみんなは次々と部屋を出ていった。私は部屋を出ていこうとするミヨンママの顔を見たが、ママは無言で思わせぶりな笑顔を見せて出ていった。ママだけではない。スコットやナターシャもだ。最後に出ていった人も、ニンマリと微笑みながらドアを閉めた。私たちは、部屋を出ていくタイミングを外した。
私とフォースタスは、二人きりになった。他の人たちは私たちを置いて、別の部屋に移った。中には、近所のコンビニやファストフード店に行った人もいるだろう。
何だか時間が止まったみたい。
しばらく沈黙が続いてから、フォースタスはいかにも思いつめた真剣な表情で私に訊いた。
「俺の事、許してくれないんだろう?」
フォースタスは心底から悔やんでいる。今まで罪の意識に悩まされていたのだろう。私は首を振り、答えた。
「私、ずっとあなたの事が好きだし、信じている」
私はまっすぐこの人の目を見つめ、続ける。
「確かに、あの事件で私は傷ついたし、あなたを責めた。だけど、それでも私は、あなたが好きなのには変わりない。『計画』なんて関係ない!」
私は涙を流しながら、フォースタスを見つめた。そして、衝動的にこの人の胸に飛び込み、この人は私を抱きしめた。温かい。
「フォースタス…好き!」
私はすでにこの人を許していたけど、フォースタスも私を許してくれた。
「ごめん。本当に済まなかった。ありがとう、アスターティ」
「ありがとう、フォースタス」
この時の私たちは、確かに果心と緋奈だった。
✰
年が明けて、稽古は地道に進んでいった。進級した私は一時的に音楽活動を休み、稽古と学業の両立を果たしていた。すでに、アルバムと劇双方の楽曲は完成している。スコットは、私の演技をほめてくれた。
「いやぁ~、アスターティ! 君も飲み込みが早いよ。フォースタスよりも素質があるね」
「ありがとう」
「そういえば、君。もうすぐ誕生日だよね。7月7日」
そうだ。もうすぐ私の誕生日、アガルタの人工子宮から私が生まれた日。私たちバールは、十分発育してから、人工子宮から取り出される。そのために、アガルタには産婦人科医がいる。フォースタスのお姉さんルシール(私の友人ルシール・ランスロットとの区別のため、私は彼女を「ルー」という愛称で呼んでいる)もその一人だ。
バールたちを育てる人工子宮には、かつての地球で崇拝されていた大地母神の名前がつけられている。そして私は〈アシェラ〉という名の人工子宮で育てられた。私と同じ人工子宮から生まれた弟アスタロスは、遺伝子上でも私と血のつながりのある「実の弟」だ。
フォースタスは私に誕生日プレゼントを買ってくれていた。私の名前「Astarte」に引っかけた、星形の飾りのついたネックレス。精一杯の誠意。私はますますこの人が愛おしくなった。
〈FORTUNA IMPERATRIX MUNDI〉
運命の女神、世界の支配者。星形のペンダントトップの裏面には、そう刻印されている。
「ありがとう、フォースタス」
『The Lords of Shalott』、それが劇団〈シャーウッド・フォレスト〉の演目だ。タイトルだけを見ると、アーサー王伝説をモチーフにしているようだが、実際には古代中国の戦争をモチーフにしている。楚の項羽と漢の劉邦という二人の王たちの対決が縦糸ならば、横糸となるのが斉の田横と漢の韓信という二人の将軍たちだった。そして、劇のタイトルの「Lords」とは、この二人を意味していた。どうやらこのタイトルは、日本の文豪夏目漱石のアーサー王小説『薤露行』を意識したものらしい。
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「スコット・ガルヴァーニって人、すごいね」
「すごい、役になりきっているよ」
ホールを出た私たちは、興奮気味で感想をまくし立てた。私たちは、この舞台にノックアウトされていた。
この劇団の主宰の役者さん、スコット・ガルヴァーニは、悲劇の大将軍韓信を演じていた。韓信は謀反人として処刑されたが、スコット・ガルヴァーニ演じる韓信は、史実の本人が乗り移っているかのような鬼気迫る演技だった。
この劇、マツナガ博士も観たかっただろうな。そう思った。
「よう! どうだ、アスターティ。あいつらはすごい奴らだろ?」
「あ、ドクター!?」
何と、他ならぬマツナガ博士も来ていた。
「お前ら、スコットに会いたいか? いや、むしろあいつ自身がお前に会いたいんだ」
「え?」
「あいつはお前に頼みたい事があるんだが、とりあえず、話だけでも聞いてくれないか?」
頼みって何だろう? 私たちはマツナガ博士に案内され、楽屋に向かった。ガルヴァーニさん、なぜ私に会いたいのだろうか? あの人はフォースタスの大学時代からの友達だというけど、一体何の用があるのか?
「それじゃあ、あたしたち帰るね」
ベリンダが言う。モンマス母娘は先に帰り、私はミヨンママと一緒にマツナガ博士について行った。博士は「関係者以外立入禁止」の区域にいる警備員に声をかけ、私たちはその先を通された。
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「スコット、俺だ。ヒサだ。アスターティを連れてきたぞ。ミヨンもいる」
「は~い、どうぞ」
ドアが開き、私たちは部屋に入った。
「初めまして、こんばんは。ミズ・フォーチュン(Ms.Fortune)。いや、この呼び方は不運の意味の『misfortune』と紛らわしいし、縁起が悪いから、アスターティと呼んでいいかな?」
スコット・ガルヴァーニ。たくましい長身と精悍な顔つきの男性だ。この人は、屈託ない笑顔が感じが良い。この楽屋には、他にも何人かの役者さんたちがいたが、この人と私たちは、その人たちからちょっと離れたテーブルの席に座っていた。
ガルヴァーニさんは、私たちにコーラなどの飲み物を勧めつつ尋ねた。
「君については、ヒサやミヨンから色々と聞いている。もちろん、俺の友達からも色々と聞いているけど、会いたいかい? 今、うちの裏方として働いているんだけど」
「よせ、スコット。まだ時期尚早だ」
マツナガ博士がガルヴァーニさんに注意する。この人の友達…フォースタスの事だ。
確かに私も、あの人に会うのが不安だ。あの人がどういう心境か色々と不安だし、私もあの人に対してどういう態度を取ればいいのか分からないから。
私は意を決して訊いてみた。
「あの、すみません、ガルヴァーニさん」
「ん? スコットでいいよ」
「私に頼みがあるとドクターから聞いたのですけど、一体何ですか?」
ガルヴァーニさん…スコットは言う。
「次の演目に使いたい音楽があるのだけど、君に作曲を頼みたいんだ。あいつは原作小説を書いている最中だけど、プロットは大体教えてもらっている。それを元に曲を作ってほしいんだ」
私はテレビ番組のテーマ曲を提供した事が何回かある。しかし、演劇のために楽曲提供した事はない。なんて荷が重いオファーなんだろう。なるほど、ミヨンママはこの依頼があったからこそついて来たのだ。
「あの…なぜ私にですか? 他にいくらでもふさわしいミュージシャンの方はいると思います」
スコットは言う。
「実は、頼みはそれだけじゃないんだ。ヒロイン役も君に頼みたいんだけど、うちの看板女優と君のどちらが適任か悩んでいるんだ。せめて、楽曲提供だけでも頼みたいんだ」
スコットは私に、問題の劇のプロットを書き込んだメモリースティックをくれた。
私は悩んだ。楽曲提供だけならまだしも、女優として舞台に立つというのは、あまりにも想定外だ。
しかも、劇の原作を書いているのはあの人、フォースタスだ。
私はタブレット端末で、問題のデータの中身を読んだ。これには『ファウストの聖杯』というタイトルがついているけど、今日観た劇とは直接関係ない内容だ。これは日本の戦国時代が舞台で、一人の武将と一人の妖術使いと一人の美女の三角関係を描いている。
フォースタスは今、この小説版を書いているというが、スコットが預かっているこのプロットとはだいぶ変わっている可能性がある。それとも、シャーウッド・フォレストはあえてフォースタスの小説とは別の作品として舞台化するのだろうか?
私は、今まで書き溜めていた未発表曲を聴き直している。これらの中からふさわしい楽曲をいくつかピックアップしてアレンジしよう。もちろん、書き下ろし曲もいくつか必要だ。
物語の主人公である妖術使いの男のテーマ。
その親友である武将のテーマ。
そして、彼らに愛されるヒロインのテーマ。
私は勉学の合間に作業をしている。これでまた、友達と遊ぶ暇がない。しかし、この仕事の依頼は邯鄲ドリームの命運がかかっていると言っても過言ではない。この劇はミュージカルではないという事だが、場合によっては出演者が歌う展開もあり得るそうだ。
✰
私は次のアルバムの曲のみならず、『ファウストの聖杯』に使う楽曲も作っていた。私のセカンドアルバムは、来年発売する予定だが、『ファウストの聖杯』も来年開演する予定だ。
「お疲れ様。このチェリーパイはおいしいね」
私はプロデューサーのリンジーからの差し入れを食べつつ、タブレット端末でニュースを見ていた。どこぞやの州知事がまたヒンシュク発言で世間を騒がせている。ロクシーのような芸能人のゴシップは単なる「娯楽」以上の何物でもないけど、政治家の暴言失言はシャレにならない。
スコットから聞いたのだけど、フォースタスの原作小説もまた、完成に近づきつつあるそうだ。スコットはフォースタスと連絡を取りつつ、台本を書いているという。小説には少なからぬ濡れ場があるらしいが、さすがに舞台では出来ないので、台本ではストーリー展開に支障がないように削っているそうだ。
「ごめんね、アスターティ。どうしても君に頼みたいんだ」
スコットは言う。私はついに、舞台の出演依頼を引き受けた。
フォースタスの小説『ファウストの聖杯』はついに出版された。スコットは本を片手に脚本の手直しをしていた。
「実は、主人公の果心はあいつに演じてもらうんだ」
「あいつ?」
「そう、作者自身にね」
私はスコットの話を聞いて驚いた。作者、すなわちフォースタスが私と共演するというのだ。
「君とあいつの関係には複雑な事情があるようだけど、俺ら劇団には君らが必要なんだ。どうか、あいつを許してやってくれ」
私は悩んだ。あの人、フォースタスにどう接すれば良いのか?
「私、むしろあの人が私をどう思っているかが心配なんです。私はあの人を許しています。でも、どう接すれば良いのか分からないです」
スコットはうなずく。
「君の正直な気持ちをあいつにぶつければいい。あいつは決して、君を嫌ってなんかいないんだ」
私は部屋を出た。廊下では、一人のアジア系の女性と一人の黒人女性が待っていた。一人はミヨンママだが、もう一人はこの劇団の看板女優さんではないのか?
「ごめんなさい、アスターティ。私、どうしてもあなたに今回のヒロインを演じてもらいたいの。今回は私、裏方に徹するわ」
シャーウッド・フォレスト所属女優で演出家、ナターシャ・パーシヴァル。この人はヒロインを演じる事が多いが、今回は違う。
「私自身よりも、あなたの方がこの演目のヒロインにふさわしいの」
「ナターシャ、やっぱり最初からこの子を指名すべきだったのよ。他にふさわしい人材がいるの?」
「本当にごめんね、アスターティ」
私は決めた。
「分かりました。私、頑張ります!」
「久しぶりね、フォースタス!」
私はミヨンママと一緒に稽古場に入った。ママがフォースタスに声をかける。私はじっとうつむいている。
「よ、よろしく」
フォースタスはぎこちなく返事をした。劇団員たちが集まり、これから先の展開についての議論が始まった。
劇『ファウストの聖杯』の主人公、果心居士を演じるのはフォースタス・チャオ。果心の親友、松永久秀を演じるのは劇団主宰のスコット・ガルヴァーニ。そして、二人と奇妙な三角関係になるヒロイン、緋奈を演じるのは私、アスターティ・フォーチュン。演出はスコットの右腕、ナターシャ・パーシヴァルだ。
ナターシャは私を起用した理由を説明し、それから打ち合わせを始めた。みんな真剣だ。しばらく打ち合わせは続いたが、昼食休憩の時間になり、劇団のみんなは次々と部屋を出ていった。私は部屋を出ていこうとするミヨンママの顔を見たが、ママは無言で思わせぶりな笑顔を見せて出ていった。ママだけではない。スコットやナターシャもだ。最後に出ていった人も、ニンマリと微笑みながらドアを閉めた。私たちは、部屋を出ていくタイミングを外した。
私とフォースタスは、二人きりになった。他の人たちは私たちを置いて、別の部屋に移った。中には、近所のコンビニやファストフード店に行った人もいるだろう。
何だか時間が止まったみたい。
しばらく沈黙が続いてから、フォースタスはいかにも思いつめた真剣な表情で私に訊いた。
「俺の事、許してくれないんだろう?」
フォースタスは心底から悔やんでいる。今まで罪の意識に悩まされていたのだろう。私は首を振り、答えた。
「私、ずっとあなたの事が好きだし、信じている」
私はまっすぐこの人の目を見つめ、続ける。
「確かに、あの事件で私は傷ついたし、あなたを責めた。だけど、それでも私は、あなたが好きなのには変わりない。『計画』なんて関係ない!」
私は涙を流しながら、フォースタスを見つめた。そして、衝動的にこの人の胸に飛び込み、この人は私を抱きしめた。温かい。
「フォースタス…好き!」
私はすでにこの人を許していたけど、フォースタスも私を許してくれた。
「ごめん。本当に済まなかった。ありがとう、アスターティ」
「ありがとう、フォースタス」
この時の私たちは、確かに果心と緋奈だった。
✰
年が明けて、稽古は地道に進んでいった。進級した私は一時的に音楽活動を休み、稽古と学業の両立を果たしていた。すでに、アルバムと劇双方の楽曲は完成している。スコットは、私の演技をほめてくれた。
「いやぁ~、アスターティ! 君も飲み込みが早いよ。フォースタスよりも素質があるね」
「ありがとう」
「そういえば、君。もうすぐ誕生日だよね。7月7日」
そうだ。もうすぐ私の誕生日、アガルタの人工子宮から私が生まれた日。私たちバールは、十分発育してから、人工子宮から取り出される。そのために、アガルタには産婦人科医がいる。フォースタスのお姉さんルシール(私の友人ルシール・ランスロットとの区別のため、私は彼女を「ルー」という愛称で呼んでいる)もその一人だ。
バールたちを育てる人工子宮には、かつての地球で崇拝されていた大地母神の名前がつけられている。そして私は〈アシェラ〉という名の人工子宮で育てられた。私と同じ人工子宮から生まれた弟アスタロスは、遺伝子上でも私と血のつながりのある「実の弟」だ。
フォースタスは私に誕生日プレゼントを買ってくれていた。私の名前「Astarte」に引っかけた、星形の飾りのついたネックレス。精一杯の誠意。私はますますこの人が愛おしくなった。
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「ありがとう、フォースタス」
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