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第一話
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しおりを挟む「よろしくね、エイジ」
エイジと二人で残された部屋で、星奈は言った。
よくよく見るとエイジは本当によくできていて、こうして対峙してみるとまるで男性と二人きりでいるみたいで、星奈はどぎまぎしてしまう。
その感覚は、初めて彼氏を家に呼んだときのドキドキに似ている。そんな星奈を、エイジはじっと見ていた。
「何て、呼べばいい? マキムラさん?」
「……星奈でいい。星奈って呼んで」
「わかった。セナ」
初対面の、ごくありふれたやりとり。それなのに、姿が似ているから、出会ったばかりの頃の瑛一とのやりとりを思い出させられた。こんなことで泣いてはいけないと、星奈はお腹に力を入れてぐっとこらえる。
「じゃあ、とりあえず、“やりたいことリスト”の中から、消化できそうなことをやってみようね」
星奈は笑顔を作って、小さなテーブルの上に残されたリストに目を向けた。
「お好み焼きを食べてみたい」から始まるリストは、全部で十項目。そのどれもささやかなものだけれど、中には「お花見で宴会をしてみたい」や「釣りに行ってみたい」など、まだ時期でなかったり準備が必要だったりするものもあった。そう考えると、やはりひとつめの項目が最も手頃で、現実的かもしれない。
「……そっか。冷蔵庫、空だったんだ」
お好み焼きならすぐ作れると思っていたのに、冷蔵庫を開けて星奈は愕然とした。そこには、ほとんど何も入っていなかった。
かろうじてそこにあったのはマヨネーズやドレッシングといった調味料類と、残り少なくなった小麦粉、実家から送られてきてそのままになっている缶詰類だけだ。これでは、何も作れない。
「ちょっと食材を切らしちゃってるから、買い物に行ってくるね!」
冷蔵庫の状況を見ることで、ろくに眠らず、何も食べず、自らの命を削るようにして過ごしてきたここ最近の生活をようやく客観視することができた。客観視して怖くなって、星奈は財布だけ持って家を飛び出した。
きっとひどい顔をしているだろう。服だって、パジャマとそう変わらない部屋着だ。それでも、そんなことに構うよりも食材を確保するほうが先だと、あまり力の入らない足を動かす。
夕方のスーパーは、それなりに混み合っていた。久々に感じる、生きた人間たちの活気。その活気にあてられ、かつてここにも瑛一と来たことがあったのだと思いだしてしまって、星奈はまた泣きそうになる。
ギリギリのところで涙を零さないようにしながら、星奈は必要なものをカゴに放り込んでいく。朝食のためのパンや飲み物も必要だろうかと思って、六枚切りの食パンや牛乳、オレンジジュースもカゴに入れた。
そのあと、星奈は自分が本当に久しぶりに“明日”のことを考えられたのに気がついた。
思いだしたのだ。どんなに悲しくても、何をなくしても、不幸なその日が続いていくのではなく、必ず明日が来ることを。
自分が食べるためのパンではなく、エイジが食べるだろうかと考えただけだったけれど、それでも星奈は明日のことを考えられたのだ。
それは、星奈にとって大きな一歩だった。
涙がこぼれてしまう前に帰り着こうと、会計を済ませると星奈はできる限り足早に家へと戻った。
よろよろだった。思うように身体は動いてくれなかった。それでも、何とか倒れずに帰り着くことができた。
「ただいま。すぐに、作るからね」
玄関のドアを開けると、そこには出かける前とまったく変わらない姿勢でエイジがいた。グレーのフードつきのトレーナーに、いい具合にくたびれたインディゴブルーのジーンズ。どこにでもいる大学生っぽい服装をしたエイジは、薄暗い部屋の中で見るとやはり瑛一に見えた。
それは幻だと、わかっている。だからその幻を振り払うために、星奈は本当に久しぶりに部屋の電気をつけた。
台所に立って、まずキャベツの外葉を剥がしてからジャブジャブ洗った。それから、必要なぶんだけ剥がしてキャベツを細かく刻んで、ベーコンを刻んで、それらをボールに入れて小麦粉をまぶして、卵を混ぜて、顆粒のカツオ出汁を溶かした水を注いで混ぜていく。
さほど料理は得意ではなくてレパートリーが少ないぶん、お好み焼きはよく作った。それに星奈のバイト先はお好み焼き屋だ。だから、瑛一にも得意料理だと言ってよく振る舞った。
エビ玉や豚玉よりも、瑛一はこのベーコンが入ったものを喜んでくれた。そのため、いつしか星奈が家でお好み焼きを作るといえば、このベーコン入りのものになっていた。
そんなことを思いだして、また涙が溢れてきた。
けれども、星奈は涙を拭うために手を止めたりせず、溢れるままにしてお好み焼きを焼き始めた。
フライパンに油をひき、その上にスプーンで生地を丸く広げる。厚さは二センチほど。それから中火で三分ほど焼き、ひっくり返して蓋をして五分ほど蒸し焼きにする。そしてまたひっくり返して、二分ほど焼く。
ソースと青のりとかつお節をかけたら、完成だ。
「できたよ」
お好み焼きの乗った皿と箸をエイジの前に置くと、興味深そうにかすかに目を見開いた。
(表情が変わった!)
星奈が喜んだのも束の間。エイジに食べ始める様子はない。ただじっと、皿を見ている。
「どうしたの? フォークのほうがよかった?」
もしかして箸が使えないのだろうかと思って尋ねたけれど、エイジは首を振る。
「俺は食べられない。だから、セナが食べる所を見せて欲しい」
「え……そっか」
淡々と言われ、それもそうかと星奈は思い至る。
エイジはよくできていて口もかすかに動くけれど、その口を大きく開けて何かを食べるのは無理そうだ。それに何より、エイジはロボットだ。
どれだけ精巧に作られていても、ロボットは人間と同じ食事は摂れないだろう。
そんな当たり前のことに気づいて、星奈は力が抜けた。エイジに食べさせてあげたい、食べさせなければという一心で買い物へ行って、作ったのに。
「人間には、食べ物が必要だ。でも、俺はロボットだからいらない。食べられない。だから、セナに食べて欲しい」
星奈をじっと見つめて、エイジは言う。彼は人工知能だから、おそらくこれまで蓄積した情報をもとに言葉を発しているだけなのだろう。それでも、それらの言葉は星奈に対して発せられている意味のあるもののように思えて、胸が詰まった。
「そっか。私が食べるんだね。そうだね。人間には、食べ物が必要だもんね。でも、食べられるかな……」
「どうして? セナは、お好み焼きが嫌い?」
「ううん。そうじゃなくて、食事を摂るのが久しぶりだから、食べられるかなって」
「どうして? 人間は毎日食事を摂る必要があるのに」
「……食べられなかったの。つらくて、悲しくて」
「どうして?」
星奈の今の状況はエイジの興味を引いたらしく、立て続けに疑問をぶつけられた。これが人間にされたとしたら、責められているように感じただろう。
でも、相手はロボットだ。亡くなった恋人の瑛一にどことなく似ているエイジに尋ねられると、責められているは感じず、ただただ言葉が胸に刺さった。
「……恋人がね、死んだの。二週間前に。バイク事故だった。雨の日で、道路の状況があまりよくなくて……。それで悲しくて、苦しくて、気がついたらご飯が食べられなくなったの……」
涙を流し、言葉に詰りながら星奈は言った。
まだ悲しみの只中(ただなか)にいる。簡単には抜け出せない。それなら、ロボット相手とはいえ、話しておくべきだと思ったのだ。むしろ、ロボット相手だからこそ、きちんと話しておくべきなのかもしれない。
「恋人が死んだ。それで、悲しくて食事が摂れない。……でも、セナは生きてる。それなら、食事は摂らなくちゃ」
しばらく考え込んでいた様子のエイジが、顔を上げて星奈を見る。その言葉に、まっすぐな視線に、星奈はハッとした。
「……そう、だね。生きていくなら、食べなくちゃね」
「そうだ。恋人が死んでも、セナの命は続いていく。明日も、明後日も、それからも。それなら、毎日食べる必要がある」
「うん」
星奈は、箸を手にお好み焼きをひと切れつまんでみた。焼きたてのお好み焼きは、ソースとかつお節の香りが芳ばしくて、空腹の身体は素直な反応を示した。
本当はスープやお粥などの消化にいいものから身体を慣らしたほうがいいのだろう。でも、星奈は箸でつまんだそのひと切れを口に運んだ。
瑛一に、生きろと言われた気がしたから。
「おいしい」
ひと口食べて、星奈は嗚咽と共に呟いた。
恋人が死んでも、それがどれだけつらくても苦しくても、お好み焼きはおいしかった。
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