ミュリエルとメルヒ先生〜魔術師を志す令嬢は野獣侯爵と婚約破棄したい〜

猫屋ちゃき

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第二十話 ミュリエルとメルヒ先生2

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「うー、寒いね。今日は暖炉に火を入れるところからやってもらおうと思って、一旦火を消していたんだ」
「じゃあ、早くつけちゃいますね」

 自分の身体を自分で抱くメルヒオルの姿が何だか可愛くて、ミュリエルはいそいそと暖炉に向かった。

「あれ……灰も全部かき出されてる……」

 薪に火の魔術を放てばいいと思っていたため、何もなくなっている暖炉を見て戸惑った。暖炉には火が灯されているのが当たり前の生活をしていたから、どうしたらいいかさっぱり見当がつかない。

「暖炉に火を起こすにはね、薪と小枝と、藁とか紙とか火種になるものがいるんだ。これらをどう使うのか、今からやってみるよ」

 暖炉を前に固まっているミュリエルの頭を撫で、メルヒオルは手早く薪を組んでいった。

「まず、薪で土台を作る。箱のような形を作るのが一番簡単だね。そしたら、その中に火種になるものを入れる……今日は新聞を千切って丸めたものにしよう。その上に小枝を重ねて、さらに薪を重ねたらできあがり」
「……すごい。先生、無駄がないですね」
「慣れてますから」

 感心するミュリエルに、メルヒオルは少し格好つけて言う。それから、「さあどうぞ」というようにミュリエルを促した。
 これで暖炉としての格好はついたはずだ。あとは火の魔術さえ使えば部屋を暖かくできるだろうと、杖を振った。
 だが、炎は新聞紙や小枝を舐めるだけで、そこから薪へと燃え移ってはいかない。

「あれ……火力が足りないのでしょうか? もっと大きめの火の魔術にしたほうがいいですか?」
「その必要はないよ。だって魔術を使わない人は、マッチ一本でこの暖炉に火を入れるのだから。それより、足りないものを補うことを考えてみて」
「足りないもの?」

 土台は作ってくれたが、どうやらこれがすべてではないらしい。ということは何か目に見えないもの――魔術的な要素で足りていないものがあるのだろうと考え、思考をめぐらせた。
(火を起こすのに水は関係ないわね。だったら土も。部屋を明るくするのだったら光が関わってくるかもしれないけれど、たぶん今は関係ないし、闇でもないだろうから……風?)
 
「もしかして、風……空気ですか? そっか! 火が大きく燃え上がるために、空気を送り込む必要があったんですね!」
「そうだよ」

 ひらめいたミュリエルはもう一度杖を振り、炎を出現させた。その小さな炎の舌が消えないうちに、そっと息を吹き込む。

「やった! つきました!」

 ふぅふぅと何度か吹くうちに、炎は薪へと移り、赤々と燃え盛り始めた。無事に、火を起こすことができたのだ。
 手を叩いて喜ばんばかりのミュリエルを、メルヒオルはクスクス笑って見守っていた。

「風の魔術を使うのでもよかったのに……一生懸命息を吹く姿は、可愛かったよ」
「……!」

 笑われていた理由がわかり、ミュリエルは即座に真っ赤になる。だが、嫌な気分ではない。
 ミュリエルを見つめる仮面越しのメルヒオルの視線は優しくて、柔らかくて、大事にされているのがわかるから。
 それに、こうして暖炉のあたたかな光に照らされていると、メルヒオルの美貌を前にしているのに、それほど緊張していないことに気がついた。

「どうやら、少しは緊張がほぐれたみたいだね。君は何かに取り組ませたらそれに集中する子だから、こうやってちょっと難しい作業をさせたら、私への緊張を和らげられるかと思ったのだけれど、正解だったかな」

 言いながら、メルヒオルは暖炉の近くに椅子を二つ運んでくる。

「これでようやく、ミュリエルとゆっくり話ができる」

 おもむろに仮面を外すのがわかって、ミュリエルは身構えた。そして、素顔が晒されても少し心臓が跳ねただけだったことに安堵する。鼻血が出なかったことにも。
 どうやら暖炉の明かりは輪郭をぼんやりと優しく見せてくれるため、美形の眩しさをいくらか緩和してくれるらしい。
 ほっと息を吐いて、改めてメルヒオルを見つめた。

「いろいろ、考えてくださってるんですね」
「それはそうだよ。だって、好きな女性と見つめあえないなんてつらいからね。ちゃんと顔を見ておしゃべりできないことも」
「好きな女性……」

 改めてその言葉の響きを噛みしめて、ミュリエルは嬉しくて、それでいて不思議な気分になる。

「私はミュリエルが好きだよ。私の心に寄り添ってくれた女性は、君が初めてだから」
「わ、わたくしも、メルヒ先生のことが好きです」

 羞恥に顔を真っ赤にさせながらも、ミュリエルは言った。好きな人からの好意には、素直に応えたいと思ったのだ。
 そんなミュリエルを前に、メルヒオルは優美な笑みを浮かべる。

「獣の頭でも好きになってくれるなんて、ミュリエルは物好きだね。……でも、それは君がきちんと私の中身を見てくれたということだ。だから、できたらこの本来の姿も、早く慣れて好きになってくれるといいな」
「そうですよね……せっかく、元の姿に戻れたんですものね」
「君に会うために、必死だったんだ。獣のままでは外に出られない。外に出られなければ、君に会えない。その思いが、何より元に戻るための薬だったと思う」
 
 メルヒオルはそっと手を伸ばして、ミュリエルの頬に触れた。その感触を楽しむように指先をすべらせて撫でられ、ミュリエルの身体はかすかに震えた。緊張と、期待に。

「もっと、触れてみてもいいかな?」

 メルヒオルの指先は、頬から唇へと移動している。その意味がわかって、ミュリエルは目を閉じた。

「……はい」

 期待が緊張を上回り、一気に鼓動を速めていく。そのせいで自分の身体が揺れているのでないかと不安になってくるが、そんなことは唐突にどうでもよくなる。
 柔らかなものが、唇に触れたのだ。
 口づけられたのだ、とわかると途端に顔が熱くなる。だが、いつもの鼻の奥がつんと痛くなる感覚はなかった。
 数秒の後、メルヒオルの唇は離れていく。
 鼻血が出なかったことにばかり気を取られているうちに接吻が終わっていて、ミュリエルは何だか物足りない気分になる。まだドキドキしているくせに。

「これ以上は、だめだよ。……私が、我慢できなくなってしまうから」
「……は、はいっ」

 この口づけより先がある――そのことを強く思い知らされて、ミュリエルの心臓は持ちそうになかった。

「ミュリエル!? ミュリエル!」

 椅子から滑り落ちるようにして倒れてしまったミュリエルの身体を、メルヒオルがあわてて助け起こす。顔を覗き込んでみても、鼻血は出ていない。だが、意識は失っているようだった。
(この美しすぎる顔に、いつか慣れる日がくるのかしら……? 鼻の血管と心臓を強くしないと、近いうちにわたくし、死んでしまうわ……)
 夢うつつの意識の中、そんなことをミュリエルは考える。


 魔術師を志す令嬢と獣の頭だった侯爵の恋は、前途多難だ。



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