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第十八話 それからの日々2

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 母に告白したことで、ひとつの区切りがついたミュリエルは、それからは社交界デビューに向けて力を入れることにした。
 未婚の令嬢にとって、夜会は戦場だ。そこで戦い、勝ち抜いていくには着飾ることだけではなく、ダンスや話術という技能も武器にしていかなければならない。だから、ミュリエルはせっせとステップを覚え、家庭教師を相手に世間話を学んだ。
 あまり運動神経がよくないため相手の足を踏まないこと、小生意気に思われないように相槌はほどほどに笑顔でいること、それだけを忘れなければ乗り切れるということを、そのうち言われるようになった。

「いいもの。ダンスは上達しなくても美しい姿勢を保つための筋肉が身につくし、家庭教師の先生とおしゃべりするのは楽しいし、ためになるから」

 戦闘準備中だというのに、そんなことを言ってミュリエルは気楽なものだ。
 なぜなら、ミュリエルには容姿というそこそこの武器があるし、家柄も悪くない。入り婿で伯爵家当主になれるという条件をぶら下げて、候補者が寄ってこないことは考えにくい。
 踊れることよりおしゃべりが上手なことよりミュリエルにとって大事なことは、自身が愚かではないことだ。釣書に寄ってきた者の中からきちんと条件に合う好感の持てる相手を、きちんと賢く選び取ることが肝要ということである。
 できたら美形であればいい、と考えてはいるが。

 技術(スキル)を身につけることを周囲に半ば諦められたミュリエルは、代わりにドレスに気合い入れることにした。
 張りきっているのは主に母なのだが、屋敷に仕立て屋を呼び、様々な生地を運び込み、色や細かな意匠まであれやこれやと相談した。
 デビューに相応しく初々しさを全面に押し出し、それでいて周囲に埋もれぬ華やかさを演出するのだと言って、母はとことんこだわり抜いていた。
 ドレス作りは何週間にも渡って続き、装うのが人並みに好きなミュリエルでも途中からは飽きるほどだった。
 おっとりした母がこれほどまでに何かに血道を上げる姿は初めて見たため、驚くような、新鮮な気分だ。
 そんな母を見ていると、ミュリエルもいくらか気が紛れた。

 ドレス作りに忙しい間、リケから手紙が来た。
 メルヒオル以外の近況と、リケとリカの母であるカミラの振る舞いに対する謝罪が書かれていた。「いろいろとごめんなさい」と書かれていたから、もしかしたら知っていることを黙っていた件についての謝罪も含まれているのかもしれない。
 それから、メルヒオルのことについても、少しだけ触れられていた。
『クレーフェ卿は弱虫です。とても弱い方で、それゆえあなたに言えなかったことがたくさんあるようです。そんな弱い彼を受け入れろとはとても言えませんが、どうか許して差し上げてください。彼ではなく、あなたのために』
 丁寧な、とても美しい文字でそう綴られている文面を読み、ミュリエルの心はほんの少しさざ波が立った。だが、それだけだ。
 そこに込められたリケなりの祈りのようなものを感じ取って、ただ静かに書かれたことを受け止めた。
 リケの手紙の追伸に、リカからは『何も心配するな。悪者は何とかやっつける』と書かれていた。彼の性格がよくわかる、荒々しく元気の良い文字を見てくすりとしたが、よくわからなかったからこれは忘れることにした。
 ふたりからの手紙の返事には、メルヒオルのことには一切触れず、元気でいることと、社交界デビューのドレスは淡い緑色にしたことなどを伝えた。
 彼らにはまた会いたいと思っているし、年の近い貴族の子息子女として、今後も交流できればと考えている。
 またリケから手紙が来たら、王城で開かれる舞踏会に参加するのか尋ねてみようと思っていたが、結局返事は来ないまま当日を迎えてしまった。

 
 襟ぐりが深く開いて大人っぽい意匠ながらも、袖や裾が薄布を幾重にも重ねてふんわりとしているため愛らしさも兼ね備えているというドレスを着たミュリエルは、扇子の下に不機嫌を押し隠して会場にいた。
 王城についてすぐは、父と母に連れられて挨拶をしていたからよかった。誰かが寄ってきたとしても、相手は父にどこそこ家の某かを名乗り、父がその相手にミュリエルを紹介してくれるから、そのあとに淑女らしい笑みを浮かべて淑女らしい礼をすればいい。女性に声をかけられれば、それと同じことを母がしてくれた。
 デビューの日は言ってみればお披露目のようなもので、顔と存在を知ってもらうのが目的だ。だから、積極的に誰かとおしゃべりをする必要はないらしい。
 ダンスも、父が見繕ってくれた相手何人かと踊れば、今日のミュリエルの任務は果たされたようなもののはずだった。

「まあ、そうなのですか」

 ミュリエルは本日何度目かになる、超絶適当な相槌を打った。ちらと横を見るが、母は少し離れたところで知り合いとのおしゃべりに夢中で、ミュリエルの視線には気づかない。
 ミュリエルに今話しかけているのは、子爵家の三男を名乗る男性だ。どうも魔術学校の卒業生とかで、少しだけ父の知り合いらしい。父が一緒のときに挨拶は済ませたのだが、父が顔見知りの誰かに呼ばれた隙に戻ってきて、それ以降ミュリエルの隣にベタ付きなのだ。
 どうも、ミュリエルの最初のダンスの相手を狙っているらしい。
 夜会において、一番最初に踊る相手はそれなりに重要な意味を持つ。特にデビューの日は。だから普通なら父母が選んだ信頼できる相手と踊るものなのだが、おそらくこの男性はこうして隙をついて近づき、音楽が始まるまでミュリエルのそばを離れないつもりなのだろう。そして、なし崩し的に踊る気だ。
(もーお母様ー! おっとりしすぎよ! 早くこの男性(むし)を追い払ってー!)
 心の中で必死に助けを求めるが、母は気づいてくれない。その間も、男性は楽しそうに自慢話を続ける。
 この男性は、ミュリエルが魔術師として名高いリトヴィッツ伯爵の娘でありながら非魔術師だと思っているらしく、いかに魔術学校が素晴らしいところで楽しいかを語ってくるのだ。それに頻繁に上から目線と自慢が加わる。
 自分の血とリトヴィッツ家の血が混ざれば生まれてくる子供が魔術の素質に困ることはないだろうとまで言われ、ミュリエルは怖気(おぞけ)立つ思いだった。
(別にわたくし、魔術の素質に困ったりなんてしてませんー! その証拠に今すぐその前髪、燃やしてやりましょうか!? 何を勝手に子作りの話にまで発展しているの? あなたみたいな臭い人、無理なんですけど!)
 心の中で思う存分悪態をつきながら、どうやって目の前の男性とその悪臭をやりすごそうかとミュリエルは悩んでいた。
 家柄も顔も経歴も及第点だが、自慢好きと体臭は耐えられそうになかった。特に右から左に聞き流せばいい自慢話とは違い、体臭は容赦なく鼻に攻撃を仕掛けてくるし逃げられないから許せなかった。

「お嬢さん、大丈夫ですか?」

 もうこれ以上は無理だ、父のところへ走って逃げようかと淑女らしからぬことを考えてうつむいたとき、そう声をかけてきた人がいた。
 ミュリエルが救いを求めて視線をあげると、そこには目元を仮面で覆った紳士が立っていた。
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