11 / 39
第六話 語らいティータイム1
しおりを挟む
ポットの中のお茶をこぼさないようにそろりそろりと移動して、ミュリエルはようやくフィリの部屋にたどり着いた。
自分のふかふかな背中を枕にしてフィリは眠っていたが、ミュリエルの気配で目を覚ました。
ミュリエルはフィリの籠のすぐ下に腰を下ろし、お茶の用意を始めた。
「それ、あぶない?」
ポットからカップにお茶を注いだのを見て、フィリが不安そうに尋ねた。鳥の目にも、どうやら美味しくなさそうに見えるらしい。
カップに満たされたのは、薄く色づいたお湯だ。香りもなく、紅茶と呼ぶには色が薄い。水色(すいしょく)が濃くない茶葉もあるが、そういったものでも香りと味はするものだ。
「……危なくはないけど、美味しくないわ。ううん……これは、不味い」
頑張ってひと口ふた口と飲んでみて、ミュリエルはカップをソーサーの上にそっと戻した。
すっかりぬるくなってしまっているし、えぐみだけはしっかり残っているそのお湯を飲み干す気力はなかったのだ。
自分で淹れたお茶が美味しくないと思い知ると、またモヤモヤした気持ちがぶり返してきた。従僕に言われたことやうまく言い返せなかったことが、涙となってあふれてくる。
「どした? どっか痛い?」
シクシク泣くミュリエルをフィリが上から見下ろす。よほど心配なのか、首をかしげながら右に左にちょこちょこ落ち着かなく歩く。
そんな健気な姿を見て泣き止まなくてはと思うのに、なかなか涙は止まってくれなかった。ミュリエルを何とか元気づけようと思ったのか、やがてフィリはか細い声で歌い始めた。
フィリの歌声は、不思議で、優しい響きがした。聞いたことのない旋律だから、もしかしたら小鳥だけが知っている歌なのかもしれない。ピチュピチュという囀(さえず)りのような、柔らかな鼻歌のような、独特の音だ。言葉遣いの悪い鳥が歌っているとは思えないほど、慈愛に満ちている。
「フィリちゃん、歌ってる?」
「きゃっ」
涙を流れるままにしてフィリの歌に聞き入っていると、突然声がした。その方向を見れば、ドアが少し開いている。その隙間から頭だけ出ている獣を見て、ミュリエルは悲鳴をあげた。
「あ、ミュリエル嬢! ごめん。いるとは思わなくて……」
デレッと甘い表情でドアに挟まっている獣頭。それがクレーフェ侯爵だとわかっても、ミュリエルは落ち着かなかった。突然の獣頭は、刺激が強すぎる。
落ち着かないのは彼のほうも同じようだ。愛玩動物にだけ見せるデレデレな様子をミュリエルに見られて、動揺している。かといってドアを閉めるわけにはいかなかったのか、しばらく頭だけ覗かせたままにしていた。
「私も一緒にお茶にしてもいいかな? その……お邪魔だったら遠慮するけど」
「いえ、どうぞ……」
泣いているのに気づいたのだろう。ごまかすこともできず、ミュリエルはしぶしぶうなずいた。
ほっとしたような表情をして、それからいそいそとクレーフェ侯爵はいなくなる。
あの従僕か執事のハインツに命じてお茶を持ってこさせるのだろうかと思っていたが、次に戻ってきたとき彼はワゴンを押していた。
「ごめんね。遅くなってしまって。何か甘いものもあればと思って、いただきもののチョコレートなんかを探してたんだ」
言いながら、クレーフェ侯爵は手際よくお茶の準備を進めていく。ワゴンからティーセットやお菓子を床に並べていくと、まるでピクニックのようだ。
「ミルクもお砂糖もたっぷりどうぞ。少し香りが強い茶葉にしたから、うんと甘くしてもお菓子に合うし美味しいよ」
「いい香り。……クレーフェ卿が淹れてくださったんですか?」
お茶の注がれたカップとソーサーを受け取って、その香りの良さにミュリエルは感激した。自分が淹れたものとは、まるで違う。これこそがお茶なのだと、改めて思った。
「魔術学校時代に練習したんだよ。学校にいるときは、美味しいお茶を飲みたければ自分で淹れるしかなかったから。……難しかったでしょう?」
やわらかく目を細めて、クレーフェ侯爵はミュリエルの脇に追いやられているカップを見た。その中の飲みかけの液体を見れば、大体のことは察しがついたに違いない。
「すごく難しかったです。もっと簡単にできると思っていたのですけど……」
「慣れが必要だからね。お湯は沸かしたてのものがいいとか、ティーサーバーで淹れてからポットに移し替えたほうがいいとか、知らないとお茶の出来を左右するし」
「そうなんですね。……何も知りませんでした」
何とかこらえようとしていたのだが、話しているうちにまた泣けてきてしまった。泣けば気にさせるのはわかっているし、みっともない姿は見せたくないと思うのに。
だが、クレーフェ侯爵にも話してしまえばいいかと、そんな気もしてくる。小鳥のフィリには愚痴を言えたのだから、獣頭に話すのも変わらないだろうと。
自分のふかふかな背中を枕にしてフィリは眠っていたが、ミュリエルの気配で目を覚ました。
ミュリエルはフィリの籠のすぐ下に腰を下ろし、お茶の用意を始めた。
「それ、あぶない?」
ポットからカップにお茶を注いだのを見て、フィリが不安そうに尋ねた。鳥の目にも、どうやら美味しくなさそうに見えるらしい。
カップに満たされたのは、薄く色づいたお湯だ。香りもなく、紅茶と呼ぶには色が薄い。水色(すいしょく)が濃くない茶葉もあるが、そういったものでも香りと味はするものだ。
「……危なくはないけど、美味しくないわ。ううん……これは、不味い」
頑張ってひと口ふた口と飲んでみて、ミュリエルはカップをソーサーの上にそっと戻した。
すっかりぬるくなってしまっているし、えぐみだけはしっかり残っているそのお湯を飲み干す気力はなかったのだ。
自分で淹れたお茶が美味しくないと思い知ると、またモヤモヤした気持ちがぶり返してきた。従僕に言われたことやうまく言い返せなかったことが、涙となってあふれてくる。
「どした? どっか痛い?」
シクシク泣くミュリエルをフィリが上から見下ろす。よほど心配なのか、首をかしげながら右に左にちょこちょこ落ち着かなく歩く。
そんな健気な姿を見て泣き止まなくてはと思うのに、なかなか涙は止まってくれなかった。ミュリエルを何とか元気づけようと思ったのか、やがてフィリはか細い声で歌い始めた。
フィリの歌声は、不思議で、優しい響きがした。聞いたことのない旋律だから、もしかしたら小鳥だけが知っている歌なのかもしれない。ピチュピチュという囀(さえず)りのような、柔らかな鼻歌のような、独特の音だ。言葉遣いの悪い鳥が歌っているとは思えないほど、慈愛に満ちている。
「フィリちゃん、歌ってる?」
「きゃっ」
涙を流れるままにしてフィリの歌に聞き入っていると、突然声がした。その方向を見れば、ドアが少し開いている。その隙間から頭だけ出ている獣を見て、ミュリエルは悲鳴をあげた。
「あ、ミュリエル嬢! ごめん。いるとは思わなくて……」
デレッと甘い表情でドアに挟まっている獣頭。それがクレーフェ侯爵だとわかっても、ミュリエルは落ち着かなかった。突然の獣頭は、刺激が強すぎる。
落ち着かないのは彼のほうも同じようだ。愛玩動物にだけ見せるデレデレな様子をミュリエルに見られて、動揺している。かといってドアを閉めるわけにはいかなかったのか、しばらく頭だけ覗かせたままにしていた。
「私も一緒にお茶にしてもいいかな? その……お邪魔だったら遠慮するけど」
「いえ、どうぞ……」
泣いているのに気づいたのだろう。ごまかすこともできず、ミュリエルはしぶしぶうなずいた。
ほっとしたような表情をして、それからいそいそとクレーフェ侯爵はいなくなる。
あの従僕か執事のハインツに命じてお茶を持ってこさせるのだろうかと思っていたが、次に戻ってきたとき彼はワゴンを押していた。
「ごめんね。遅くなってしまって。何か甘いものもあればと思って、いただきもののチョコレートなんかを探してたんだ」
言いながら、クレーフェ侯爵は手際よくお茶の準備を進めていく。ワゴンからティーセットやお菓子を床に並べていくと、まるでピクニックのようだ。
「ミルクもお砂糖もたっぷりどうぞ。少し香りが強い茶葉にしたから、うんと甘くしてもお菓子に合うし美味しいよ」
「いい香り。……クレーフェ卿が淹れてくださったんですか?」
お茶の注がれたカップとソーサーを受け取って、その香りの良さにミュリエルは感激した。自分が淹れたものとは、まるで違う。これこそがお茶なのだと、改めて思った。
「魔術学校時代に練習したんだよ。学校にいるときは、美味しいお茶を飲みたければ自分で淹れるしかなかったから。……難しかったでしょう?」
やわらかく目を細めて、クレーフェ侯爵はミュリエルの脇に追いやられているカップを見た。その中の飲みかけの液体を見れば、大体のことは察しがついたに違いない。
「すごく難しかったです。もっと簡単にできると思っていたのですけど……」
「慣れが必要だからね。お湯は沸かしたてのものがいいとか、ティーサーバーで淹れてからポットに移し替えたほうがいいとか、知らないとお茶の出来を左右するし」
「そうなんですね。……何も知りませんでした」
何とかこらえようとしていたのだが、話しているうちにまた泣けてきてしまった。泣けば気にさせるのはわかっているし、みっともない姿は見せたくないと思うのに。
だが、クレーフェ侯爵にも話してしまえばいいかと、そんな気もしてくる。小鳥のフィリには愚痴を言えたのだから、獣頭に話すのも変わらないだろうと。
0
お気に入りに追加
134
あなたにおすすめの小説
傲慢令嬢は、猫かぶりをやめてみた。お好きなように呼んでくださいませ。愛しいひとが私のことをわかってくださるなら、それで十分ですもの。
石河 翠
恋愛
高飛車で傲慢な令嬢として有名だった侯爵令嬢のダイアナは、婚約者から婚約を破棄される直前、階段から落ちて頭を打ち、記憶喪失になった上、体が不自由になってしまう。
そのまま修道院に身を寄せることになったダイアナだが、彼女はその暮らしを嬉々として受け入れる。妾の子であり、貴族暮らしに馴染めなかったダイアナには、修道院での暮らしこそ理想だったのだ。
新しい婚約者とうまくいかない元婚約者がダイアナに接触してくるが、彼女は突き放す。身勝手な言い分の元婚約者に対し、彼女は怒りを露にし……。
初恋のひとのために貴族教育を頑張っていたヒロインと、健気なヒロインを見守ってきたヒーローの恋物語。
ハッピーエンドです。
この作品は、別サイトにも投稿しております。
表紙絵は写真ACよりチョコラテさまの作品をお借りしております。

【完結済】姿を偽った黒髪令嬢は、女嫌いな公爵様のお世話係をしているうちに溺愛されていたみたいです
鳴宮野々花@書籍2冊発売中
恋愛
王国の片田舎にある小さな町から、八歳の時に母方の縁戚であるエヴェリー伯爵家に引き取られたミシェル。彼女は伯爵一家に疎まれ、美しい髪を黒く染めて使用人として生活するよう強いられた。以来エヴェリー一家に虐げられて育つ。
十年後。ミシェルは同い年でエヴェリー伯爵家の一人娘であるパドマの婚約者に嵌められ、伯爵家を身一つで追い出されることに。ボロボロの格好で人気のない場所を彷徨っていたミシェルは、空腹のあまりふらつき倒れそうになる。
そこへ馬で通りがかった男性と、危うくぶつかりそうになり──────
※いつもの独自の世界のゆる設定なお話です。何もかもファンタジーです。よろしくお願いします。
※この作品はカクヨム、小説家になろう、ベリーズカフェにも投稿しています。

【完結】今世も裏切られるのはごめんなので、最愛のあなたはもう要らない
曽根原ツタ
恋愛
隣国との戦時中に国王が病死し、王位継承権を持つ男子がひとりもいなかったため、若い王女エトワールは女王となった。だが──
「俺は彼女を愛している。彼女は俺の子を身篭った」
戦場から帰還した愛する夫の隣には、別の女性が立っていた。さらに彼は、王座を奪うために女王暗殺を企てる。
そして。夫に剣で胸を貫かれて死んだエトワールが次に目が覚めたとき、彼と出会った日に戻っていて……?
──二度目の人生、私を裏切ったあなたを絶対に愛しません。
★小説家になろうさまでも公開中
愛すべきマリア
志波 連
恋愛
幼い頃に婚約し、定期的な交流は続けていたものの、互いにこの結婚の意味をよく理解していたため、つかず離れずの穏やかな関係を築いていた。
学園を卒業し、第一王子妃教育も終えたマリアが留学から戻った兄と一緒に参加した夜会で、令嬢たちに囲まれた。
家柄も美貌も優秀さも全て揃っているマリアに嫉妬したレイラに指示された女たちは、彼女に嫌味の礫を投げつける。
早めに帰ろうという兄が呼んでいると知らせを受けたマリアが発見されたのは、王族の居住区に近い階段の下だった。
頭から血を流し、意識を失っている状態のマリアはすぐさま医務室に運ばれるが、意識が戻ることは無かった。
その日から十日、やっと目を覚ましたマリアは精神年齢が大幅に退行し、言葉遣いも仕草も全て三歳児と同レベルになっていたのだ。
体は16歳で心は3歳となってしまったマリアのためにと、兄が婚約の辞退を申し出た。
しかし、初めから結婚に重きを置いていなかった皇太子が「面倒だからこのまま結婚する」と言いだし、予定通りマリアは婚姻式に臨むことになった。
他サイトでも掲載しています。
表紙は写真ACより転載しました。
旦那様には愛人がいますが気にしません。
りつ
恋愛
イレーナの夫には愛人がいた。名はマリアンヌ。子どものように可愛らしい彼女のお腹にはすでに子どもまでいた。けれどイレーナは別に気にしなかった。彼女は子どもが嫌いだったから。
※表紙は「かんたん表紙メーカー」様で作成しました。
【完結】私たち白い結婚だったので、離婚してください
楠結衣
恋愛
田舎の薬屋に生まれたエリサは、薬草が大好き。薬草を摘みに出掛けると、怪我をした一匹の子犬を助ける。子犬だと思っていたら、領主の息子の狼獣人ヒューゴだった。
ヒューゴとエリサは、一緒に薬草採取に出掛ける日々を送る。そんなある日、魔王復活の知らせが世界を駆け抜け、神託によりヒューゴが勇者に選ばれることに。
ヒューゴが出立の日、エリサは自身の恋心に気づいてヒューゴに告白したところ二人は即結婚することに……!
「エリサを泣かせるなんて、絶対許さない」
「エリサ、愛してる!」
ちょっぴり鈍感で薬草を愛するヒロインが、一途で愛が重たい変態風味な勇者に溺愛されるお話です。

【完結】殿下、自由にさせていただきます。
なか
恋愛
「出て行ってくれリルレット。王宮に君が住む必要はなくなった」
その言葉と同時に私の五年間に及ぶ初恋は終わりを告げた。
アルフレッド殿下の妃候補として選ばれ、心の底から喜んでいた私はもういない。
髪を綺麗だと言ってくれた口からは、私を貶める言葉しか出てこない。
見惚れてしまう程の笑みは、もう見せてもくれない。
私………貴方に嫌われた理由が分からないよ。
初夜を私一人だけにしたあの日から、貴方はどうして変わってしまったの?
恋心は砕かれた私は死さえ考えたが、過去に見知らぬ男性から渡された本をきっかけに騎士を目指す。
しかし、正騎士団は女人禁制。
故に私は男性と性別を偽って生きていく事を決めたのに……。
晴れて騎士となった私を待っていたのは、全てを見抜いて笑う副団長であった。
身分を明かせない私は、全てを知っている彼と秘密の恋をする事になる。
そして、騎士として王宮内で起きた変死事件やアルフレッドの奇行に大きく関わり、やがて王宮に蔓延る謎と対峙する。
これは、私の初恋が終わり。
僕として新たな人生を歩みだした話。

【完結】王太子殿下が幼馴染を溺愛するので、あえて応援することにしました。
かとるり
恋愛
王太子のオースティンが愛するのは婚約者のティファニーではなく、幼馴染のリアンだった。
ティファニーは何度も傷つき、一つの結論に達する。
二人が結ばれるよう、あえて応援する、と。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる