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第五話 腹の立つ日々2

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「泣いてる? ポンコツ高慢ちき、泣いてる?」

 部屋に入るや否や、そんなふうに問いかけられた。さすが賢い子だなと、ミュリエルは苦笑した。

「ポンコツ高慢ちきじゃなくて、ミュリエルよ」
「みゅー、泣いてる?」
「ええ。泣いてるわよ」
「泣き虫、泣き虫」

 鳥籠の近くまで行くと、小鳥のフィリも止まり木からぴょんと格子に掴まった。ミュリエルの泣き顔をよく見てやろうという考えだろうか。キャッキャと笑いながら繰り返し「泣き虫泣き虫」とフィリは言う。
 これが何でもないときなら、ミュリエルはひどく腹を立てただろう。だが、従僕にあんなことを言われたあとだから、フィリの悪口なんてどうということはない。

「あのね、クレーフェ卿は教えてくださらないかもしれないけど、泣いている人を笑ってはだめなのよ。わかる?」
「なんで?」

 虫が木にとまるかのように器用に格子に張り付いたまま、フィリは小首をかしげる。くりくりとしたその黒目を見ると、意地の悪さや邪悪さとは無縁だ。悪意があって言っているわけではないとわかる。

「泣いてるってことは、悲しかったり痛かったりしたってことなの。フィリ、あなたが止まり木からもし落ちてしまって、それを見て私が笑ったら嫌でしょ?」
「いじわる! だめ!」
「それと同じことよ。私のこと、笑うのは意地悪よ」
「ごめんね」

 鳥籠越しにフィリがじっと見てくるのが可愛くて、ミュリエルは手の甲で涙をぬぐった。

「なんで泣いてた? 痛かった?」

 怒りや悔しかった思いがぬぐえなくて、まだじんわりとミュリエルの目から涙はあふれる。
 何から口にすればいいのだろうと、まずそこから考えなくてはいけない。

「……お茶が飲みたくてお願いしたら、嫌だって意地悪なことを言われたのよ。『お嬢様生活をしたいなら実家に帰れば』とか『自分の世話もできないで、どうやって学校生活を送るつもりだったんだ』とか」

 まずひとつめの怒りを吐き出してみた。だが、口にしてみると何だかこれに腹が立っていたのではない気がしてくる。

「のどかわいた?」
「そう。だから、お茶がほしかったの」
「のんでいいよ」
「……ありがとう」

 賢いといっても、おそらくフィリの言語能力は人間の子供でいうと二、三歳くらいなのだろう。伝わったのは、ミュリエルがお茶を飲みたいことだけのようだ。
 お茶の用意を拒まれたことも、意地悪を言われたことも、フィリにはわかっていない。それでも、喉が渇いたと言うミュリエルに「のんでいいよ」と言えるということは、フィリは優しい子なのかもしれない。

「……そうね。お茶くらい、自分で用意できたほうがいいわね」
「できる?」
「やってみるわ。お茶を淹れたら、この部屋で一緒に飲んでもいい?」
「いいよ」

 フィリと話しているうちに、ミュリエルの気持ちは少し落ち着いていた。うまくできるかどうかわからないが、自分でお茶を淹れてみればもっと落ち着くかもしれない。
 従僕の言葉に傷ついたのは、言われたのが気にしていたことだったからだ。
 実家を離れ、こまごまと世話を焼いてくれる人がいないとこんなにも生活しづらいのかと、しみじみと感じている。もし魔術学校に行っていたらそこでは寮生活で、自分で何もかもしなければならなかったのに。
 だから、自分の考え方や姿勢が甘かったことも理解できている。
 それに、貴族に生まれれば家のための結婚が当たり前ということも、わかっていたつもりだ。ミュリエルと同じくらいの歳で嫁ぎ先が決まっている子も珍しくないし、いずれ自分もしかるべき相手を見つけなければならないという自覚もあった。
 だから、こうして魔術を学んでいられることが他の令嬢たちにない猶予期間だということも、どこかではわかっていたのだ。そのことを我が儘と言われても、たしかに仕方がない。
 だが、従僕のあの物言いや態度を認めるわけにはいかない。彼女は、ミュリエルの世話をすることも仕事なのだから。


「いいわよ。お茶くらい、自分で淹れられるようになってやるんだから」

 気持ちは落ち着いたが完全に怒りが冷めたわけではなく、ぷりぷりしながらミュリエルは厨房へとやってきた。

「茶葉にお湯を注いだら……お茶は淹れられるはずよね」

 まずは食器をしまってある棚を物色して、カップとソーサー、それからティーポットを取り出した。あとは茶葉さえ手に入れられればお茶が淹れられると思ったのだが、なかなか見つからない。
 はしたないと思いつつも、ひとつひとつめぼしい戸棚を開けていくしかなかった。
 本来なら入ってはいけない場所で、無断で戸棚を開けて回るというのは非常にドキドキする。厨房に料理人の姿はなく、もし見られても事情を説明すれば怒られないだろうと怒られないだろうと頭でわかっていても、内なるミュリエルの良心がこの振る舞いを咎めていた。

「茶葉を入れて、お湯を注いで、あとは待つだけよね……」

 開けていった戸棚の中から茶葉の缶を、コンロに置きっぱなしにされていたケトルの中にお湯を見つけ、何とか形だけはお茶を淹れる用意を整えることができた。
 だが、お湯はぬるい気がするし、茶葉の適量がわからない。
 
「……私って、本当に何も自分でできないんだわ」

 茶葉をポットに放り込み、その上から湯気さえ出ていないぬるま湯を注ぎながら、ミュリエルは悲しくなってきた。
 落ち葉の浮かぶ水たまりになったようなありさまのポットを見れば、これが正解ではないとわかるから。
(お茶ひとつ満足に淹れられないなんて、あの従僕に言い返すこともできないわ。これを飲み干すのが、せめてもの意地ね)
 げんなりしつつも、ティーセット一式をトレーに載せ、フィリの部屋へと歩きだした。
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