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第二話 野獣侯爵の懇願2

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「その……貴族社会において、このくらいの年齢差なんてよくあるじゃないか。大人になってみれば、ちょうどいいと感じるかもしれないよ」
「大人になったときのことなんて、今は考えられません。わたくしは、今のためにこの婚約を破棄しに来たんですもの。わたくしは魔術学校に行って、そこで年の近い方々と恋と友情を育むハッピーマジカルライフを送るんです」
「ハッピーマジカルライフ……」

 ツンとした口調でありながら言っていることは夢見がちという何とも言えないミュリエルに、クレーフェ侯爵はめまいを覚えた。
 たしかにこの年齢差は大きいぞと、思わずにはいられない。だが、そのくらいのことで引き下がるわけにはいかないのだ。
 婚約者という存在は必要だし、リュトヴィッツ伯爵は理解のある良い人だ。これを逃せば、事情を飲み込んだ上で娘との婚約を勧めてくれる人など現れないのはわかっている。

「私も精一杯、年の差を感じさせないように頑張るよ。ピチピチ、フレッシュな感じを前面に出していくからさ」
「無理していただかなくても結構です。いくらピチピチに振る舞っても、おじさんはおじさんですもの」
「……おお」

 取り付く島もないとはこのことだ。
 おじさんという言葉の持つ力に圧倒され、ついにクレーフェ侯爵は膝から崩れ落ちた。うら若きご令嬢の口から発せられる“おじさん”という言葉は、まるで遅効性の毒のように心を蝕んでいく。しばらく、立ち直れそうになかった。
 そんなふうに落ち込むクレーフェ侯爵の姿を、ミュリエルは冷めた目で見つめていた。
 言いすぎたかなと思うが、後悔はしていない。むしろ、これでもまだ婚約破棄に応じないのはどうしてだろうという感じだ。

「クレーフェ侯爵は、どうしてわたくしとの婚約にこだわるんですか?」

 気になったから、率直にミュリエルは尋ねてみた。
 毒にやられて弱りきっているクルーフェ侯爵は、しおしおとミュリエルのほうを見る。

「さっきも言ったけれど、私は今、少々困った状況にあって、それをうまくやり過ごすには婚約するのが一番都合がよかったんだ」
「そうなんですか」
「私を助けると思って、どうかこの話に応じてくれないだろうか……」

 切々と訴えかけるようにクレーフェ侯爵は言う。膝をついているから、ちょうどミュリエルを見上げる体勢になっている。少しでも憐れを誘えるようにと、クレーフェ侯爵は両手を組んでみせた。

「そんなの、あなたの都合じゃありませんか……」

 ツンツンとしてわがままに見えるミリュエルも、人の好いリュトヴィッツ伯爵の娘だ。やはり、良心に訴えかける作戦は有効だったらしい。気持ちが揺らぎはじめたのが見てとれた。

「だが、君が私を助けてくれるというのなら、私は自分の持ちうるすべての魔術を君に伝授しよう。見てごらん? これは上級の魔術で、入学してすぐには教わらないものだよ?」

 何とか興味を惹かねばと、クレーフェ侯爵はとっておきの魔術を繰り出した。
 手のひらの中で花びらを作り出し、風の魔術で舞わせるのだ。光の演出をそれに加えれば、あっという間に女性が喜ぶロマンティックな光景になる。
 狙い通り、ミリュエルは目を輝かせて見入っている。生意気さもわがままさも鳴りを潜め、ただの愛らしい女の子になっている。

「どうかな? すごい? 気に入った? 私は、こう見えてもわりと優秀なんだ。だから、そんな私に魔術を教わるというのは、なかなか名誉なことなんじゃないかな」

 目がキラキラしているうちに売り込もうと、クレーフェ侯爵は必死にアピールする。ネコ科の獣頭が、懸命に愛想を振りまいている。
 こう見えてってどう見えているつもりだろうと内心ツッコミながらも、ミュリエルの気持ちはぐらついていた。
 魔術学校で学ぶのもやはり魅力的だが、優秀な魔術師から直接手ほどきを受けるのも心惹かれる。

「でも……婚約するってことは、いずれ結婚するってことですよね……?」

 心惹かれて気持ちがかたむきかけたミュリエルだったが、すんでのところで乙女心が顔をのぞかせてきた。
 仮に魔術学校に行くのをあきらめてクレーフェ侯爵から魔術を教わることは納得できても、結婚するのは無理だ。いやだ。
 生涯の伴侶が獣頭なのはちょっと……というのが、どこまでいってもミュリエルの本音だった。
 女心と秋の空。つかみかけたと思ったミュリエルの心がふわふわと飛び立つのを感じ取って、クレーフェ侯爵は焦った。
 婚約者が必要だというのももちろんあるが、このままミュリエルの心が飛び立ってしまったらリュトヴィッツ伯爵との約束が果たせない。
 伯爵には、「娘を魔術学校に行かせないでくれ」と頼まれている。どうも、在学中の生徒か教師の中に女子生徒と浮名を流すプレイボーイがいるらしい。ミュリエルは魔術と同じくらい美男子に弱いから、父である伯爵は心配でたまらないのだ。
 というわけでリュトヴィッツ伯爵との間では利害が一致している上、若干恩を感じているため、クレーフェ侯爵はこの約束を反故にはできないのだ。

「普通の婚約ではたしかにそうだが! これは……そういう契約だと思ってくれたらいい……」

 どうにかせねばと困り果てたクレーフェ侯爵は、ついに十六歳の少女に拝み倒していた。
 
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