3 / 39
第二話 野獣侯爵の懇願1
しおりを挟む
どのくらいそうしていただろうか。
ミュリエルはぱちりと目を開けた。
目を開けて、まず最初に視界に入ったものに、ミュリエルはまた絶叫した。
「野獣ー!? 獣人ー!? そんなの無理ー!! 破棄よ破棄! 婚約破棄よー!!」
「び、びっくりした……」
抱きとめてくれていたクレーフェ侯爵を押しのけて、ミュリエルは飛び退った。またまた、レディにあるまじき振る舞いだ。幼い頃から淑女らしくと教育されたものの数々は、忘却の彼方へいってしまったのだろう。ここにミュリエルの母がいたら、「あらあらミュリエルったら、お行儀が悪いわ」と嘆いたに違いない。
「あの、はじめまして、ミュリエル嬢。そんなに急に動いてはいけないよ。気を失ったばかりなんだからね」
どうどう、と暴れ馬か何かでもなだめるようにクレーフェ侯爵は言う。自身が野獣頭なのに、だ。
その野獣頭という見た目と聞こえてくる爽やかな声とのギャップに、ミュリエルは頭がクラクラしてきた。そういえば、朝もろくに食べていないし、ここに来るまでに何も飲んでいない。よく考えれば、倒れるのも無理はない。
「椅子、お借りしますわね……」
「どうぞどうぞ」
とりあえずまた倒れるわけにはいかないと、ミュリエルは長椅子に腰を下ろした。そして、落ち着くためにゆっくりと部屋を見回す。
その部屋は、様々な道具が並べられた雑多な雰囲気だった。壁には何か紙があちこち貼られているし、床にもかすれた文様が書かれている。昼間なのにカーテンが締め切られ、やや数の多い燭台が室内を明るくしていた。
その異様な雰囲気に、ここは魔術を行うための部屋なのかとミュリエルは思い至った。
「……父とは、どういったお話をしてわたくしと婚約することになったんですか?」
少し冷静になったミュリエルは、この問題の起こりについて尋ねてみる気になった。婚約破棄するにしても、責任の所在についてはっきりさせておきたいと思ったのだ。
もしかしたら、クレーフェ侯爵も父に押しつけられたのかもしれない。
「困っていることがあって、婚約でも何でもすればどうにかなるんじゃないかと思っていたら、君の父上から『うちの娘をどうか』と言われて、それでトントン拍子に決まったんだ」
「…………」
予想に反してふたりの間で利害が一致していたことに、ミュリエルは言葉を失った。クレーフェ侯爵も巻き込まれた被害者だったのなら、怒りの矛先を父だけにしぼればよかったのだが。
「ミュリエル嬢……その、婚約についてだけれど、破棄というのは思い留まってもらえないだろうか……?」
こめかみに手を当てて目を伏せるミュリエルに、クレーフェ侯爵はおそるおそる声をかけた。また叫ばれないかとか、そういうことを危惧しているのだろう。
そんな彼を、ミュリエルは不機嫌を隠すことなく見つめ返す。
「嫌です。わたくし、婚約破棄するために今日は来たんですもの。勝手に婚約された上、相手が獣頭だなんて……聞かされてませんし」
ミュリエルはツンツンと鋭く言い放つ。できれば、この生意気な物言いに嫌気がさして、侯爵もこの婚約をやめたくなるようにと願いながら。
だが、クレーフェ侯爵はしおしおと弱った様子を見せるだけだ。
「それは、その……たしかに君の父上にも話していなかったけれど、こうなってしまったのは最近のことで、隠そうとかごまかそうとかは考えていなかったんだ」
「まあ! うちの父にも話してらっしゃらなかったんですの? 不誠実ですわ! ひどいですわ!」
期を逃してなるものかと、ここぞとばかりにミュリエルは騒いだ。不誠実だ、ひどいと繰り返す声に、今度はクレーフェ侯爵がこめかみをおさえる。
「私もまさか、この姿で君に会うことになるとは思わなかったんだ。だが、これはちょっと魔術を失敗してしまっただけで、元に戻ることはできるはずなんだ。……獣頭でなくなれば、婚約を思いとどまってくれるんだよね?」
「嫌です。獣頭が論外なだけで、そもそも婚約自体が無理ですわ」
「そんな……」
「二十八歳だなんて、おじさんじゃありませんか!」
「お、お、おじさん……」
ミュリエルは包み隠すことなく、言葉の暴力を浴びせつづける。切れ味抜群のその言葉は、容赦なくクルーフェ侯爵の心をえぐった。
「……たしかに、今は年の差を大きく感じるかもしれないね。でも、ミュリエル嬢が二十歳になったときに私は三十二歳だし、二十八歳のときは四十歳だ。ほら、だんだん気にならなくなってくる気がするだろう?」
「全然。まったく。むしろ、百年経っても百五十年経っても、わたくしとクレーフェ卿の年の差は十二歳なんだなーと実感いたしました」
「…………」
何とかミュリエルをなだめられないかと、クルーフェ侯爵は獣の顔に友好的な表情を浮かべていた。だが、またしても一刀両断され、その顔を引きつらせるしかない。
ミュリエルはぱちりと目を開けた。
目を開けて、まず最初に視界に入ったものに、ミュリエルはまた絶叫した。
「野獣ー!? 獣人ー!? そんなの無理ー!! 破棄よ破棄! 婚約破棄よー!!」
「び、びっくりした……」
抱きとめてくれていたクレーフェ侯爵を押しのけて、ミュリエルは飛び退った。またまた、レディにあるまじき振る舞いだ。幼い頃から淑女らしくと教育されたものの数々は、忘却の彼方へいってしまったのだろう。ここにミュリエルの母がいたら、「あらあらミュリエルったら、お行儀が悪いわ」と嘆いたに違いない。
「あの、はじめまして、ミュリエル嬢。そんなに急に動いてはいけないよ。気を失ったばかりなんだからね」
どうどう、と暴れ馬か何かでもなだめるようにクレーフェ侯爵は言う。自身が野獣頭なのに、だ。
その野獣頭という見た目と聞こえてくる爽やかな声とのギャップに、ミュリエルは頭がクラクラしてきた。そういえば、朝もろくに食べていないし、ここに来るまでに何も飲んでいない。よく考えれば、倒れるのも無理はない。
「椅子、お借りしますわね……」
「どうぞどうぞ」
とりあえずまた倒れるわけにはいかないと、ミュリエルは長椅子に腰を下ろした。そして、落ち着くためにゆっくりと部屋を見回す。
その部屋は、様々な道具が並べられた雑多な雰囲気だった。壁には何か紙があちこち貼られているし、床にもかすれた文様が書かれている。昼間なのにカーテンが締め切られ、やや数の多い燭台が室内を明るくしていた。
その異様な雰囲気に、ここは魔術を行うための部屋なのかとミュリエルは思い至った。
「……父とは、どういったお話をしてわたくしと婚約することになったんですか?」
少し冷静になったミュリエルは、この問題の起こりについて尋ねてみる気になった。婚約破棄するにしても、責任の所在についてはっきりさせておきたいと思ったのだ。
もしかしたら、クレーフェ侯爵も父に押しつけられたのかもしれない。
「困っていることがあって、婚約でも何でもすればどうにかなるんじゃないかと思っていたら、君の父上から『うちの娘をどうか』と言われて、それでトントン拍子に決まったんだ」
「…………」
予想に反してふたりの間で利害が一致していたことに、ミュリエルは言葉を失った。クレーフェ侯爵も巻き込まれた被害者だったのなら、怒りの矛先を父だけにしぼればよかったのだが。
「ミュリエル嬢……その、婚約についてだけれど、破棄というのは思い留まってもらえないだろうか……?」
こめかみに手を当てて目を伏せるミュリエルに、クレーフェ侯爵はおそるおそる声をかけた。また叫ばれないかとか、そういうことを危惧しているのだろう。
そんな彼を、ミュリエルは不機嫌を隠すことなく見つめ返す。
「嫌です。わたくし、婚約破棄するために今日は来たんですもの。勝手に婚約された上、相手が獣頭だなんて……聞かされてませんし」
ミュリエルはツンツンと鋭く言い放つ。できれば、この生意気な物言いに嫌気がさして、侯爵もこの婚約をやめたくなるようにと願いながら。
だが、クレーフェ侯爵はしおしおと弱った様子を見せるだけだ。
「それは、その……たしかに君の父上にも話していなかったけれど、こうなってしまったのは最近のことで、隠そうとかごまかそうとかは考えていなかったんだ」
「まあ! うちの父にも話してらっしゃらなかったんですの? 不誠実ですわ! ひどいですわ!」
期を逃してなるものかと、ここぞとばかりにミュリエルは騒いだ。不誠実だ、ひどいと繰り返す声に、今度はクレーフェ侯爵がこめかみをおさえる。
「私もまさか、この姿で君に会うことになるとは思わなかったんだ。だが、これはちょっと魔術を失敗してしまっただけで、元に戻ることはできるはずなんだ。……獣頭でなくなれば、婚約を思いとどまってくれるんだよね?」
「嫌です。獣頭が論外なだけで、そもそも婚約自体が無理ですわ」
「そんな……」
「二十八歳だなんて、おじさんじゃありませんか!」
「お、お、おじさん……」
ミュリエルは包み隠すことなく、言葉の暴力を浴びせつづける。切れ味抜群のその言葉は、容赦なくクルーフェ侯爵の心をえぐった。
「……たしかに、今は年の差を大きく感じるかもしれないね。でも、ミュリエル嬢が二十歳になったときに私は三十二歳だし、二十八歳のときは四十歳だ。ほら、だんだん気にならなくなってくる気がするだろう?」
「全然。まったく。むしろ、百年経っても百五十年経っても、わたくしとクレーフェ卿の年の差は十二歳なんだなーと実感いたしました」
「…………」
何とかミュリエルをなだめられないかと、クルーフェ侯爵は獣の顔に友好的な表情を浮かべていた。だが、またしても一刀両断され、その顔を引きつらせるしかない。
0
お気に入りに追加
129
あなたにおすすめの小説
【完結】美しい人。
❄️冬は つとめて
恋愛
「あなたが、ウイリアム兄様の婚約者? 」
「わたくし、カミーユと言いますの。ねえ、あなたがウイリアム兄様の婚約者で、間違いないかしら。」
「ねえ、返事は。」
「はい。私、ウイリアム様と婚約しています ナンシー。ナンシー・ヘルシンキ伯爵令嬢です。」
彼女の前に現れたのは、とても美しい人でした。
【取り下げ予定】愛されない妃ですので。
ごろごろみかん。
恋愛
王妃になんて、望んでなったわけではない。
国王夫妻のリュシアンとミレーゼの関係は冷えきっていた。
「僕はきみを愛していない」
はっきりそう告げた彼は、ミレーゼ以外の女性を抱き、愛を囁いた。
『お飾り王妃』の名を戴くミレーゼだが、ある日彼女は側妃たちの諍いに巻き込まれ、命を落としてしまう。
(ああ、私の人生ってなんだったんだろう──?)
そう思って人生に終止符を打ったミレーゼだったが、気がつくと結婚前に戻っていた。
しかも、別の人間になっている?
なぜか見知らぬ伯爵令嬢になってしまったミレーゼだが、彼女は決意する。新たな人生、今度はリュシアンに関わることなく、平凡で優しい幸せを掴もう、と。
*年齢制限を18→15に変更しました。
身代わりの公爵家の花嫁は翌日から溺愛される。~初日を挽回し、溺愛させてくれ!~
湯川仁美
恋愛
姉の身代わりに公爵夫人になった。
「貴様と寝食を共にする気はない!俺に呼ばれるまでは、俺の前に姿を見せるな。声を聞かせるな」
夫と初対面の日、家族から男癖の悪い醜悪女と流され。
公爵である夫とから啖呵を切られたが。
翌日には誤解だと気づいた公爵は花嫁に好意を持ち、挽回活動を開始。
地獄の番人こと閻魔大王(善悪を判断する審判)と異名をもつ公爵は、影でプレゼントを贈り。話しかけるが、謝れない。
「愛しの妻。大切な妻。可愛い妻」とは言えない。
一度、言った言葉を撤回するのは難しい。
そして妻は普通の令嬢とは違い、媚びず、ビクビク怯えもせず普通に接してくれる。
徐々に距離を詰めていきましょう。
全力で真摯に接し、謝罪を行い、ラブラブに到着するコメディ。
第二章から口説きまくり。
第四章で完結です。
第五章に番外編を追加しました。
どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします
文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。
夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。
エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。
「ゲルハルトさま、愛しています」
ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。
「エレーヌ、俺はあなたが憎い」
エレーヌは凍り付いた。
この度、青帝陛下の番になりまして
四馬㋟
恋愛
蓬莱国(ほうらいこく)を治める青帝(せいてい)は人ならざるもの、人の形をした神獣――青龍である。ゆえに不老不死で、お世継ぎを作る必要もない。それなのに私は青帝の妻にされ、后となった。望まれない后だった私は、民の反乱に乗して後宮から逃げ出そうとしたものの、夫に捕まり、殺されてしまう。と思ったら時が遡り、夫に出会う前の、四年前の自分に戻っていた。今度は間違えない、と決意した矢先、再び番(つがい)として宮城に連れ戻されてしまう。けれど状況は以前と変わっていて……。
麗しの王子殿下は今日も私を睨みつける。
スズキアカネ
恋愛
「王子殿下の運命の相手を占いで決めるそうだから、レオーネ、あなたが選ばれるかもしれないわよ」
伯母の一声で連れて行かれた王宮広場にはたくさんの若い女の子たちで溢れかえっていた。
そしてバルコニーに立つのは麗しい王子様。
──あの、王子様……何故睨むんですか?
人違いに決まってるからそんなに怒らないでよぉ!
◇◆◇
無断転載・転用禁止。
Do not repost.
断る――――前にもそう言ったはずだ
鈴宮(すずみや)
恋愛
「寝室を分けませんか?」
結婚して三年。王太子エルネストと妃モニカの間にはまだ子供が居ない。
周囲からは『そろそろ側妃を』という声が上がっているものの、彼はモニカと寝室を分けることを拒んでいる。
けれど、エルネストはいつだって、モニカにだけ冷たかった。
他の人々に向けられる優しい言葉、笑顔が彼女に向けられることない。
(わたくし以外の女性が妃ならば、エルネスト様はもっと幸せだろうに……)
そんな時、侍女のコゼットが『エルネストから想いを寄せられている』ことをモニカに打ち明ける。
ようやく側妃を娶る気になったのか――――エルネストがコゼットと過ごせるよう、私室で休むことにしたモニカ。
そんな彼女の元に、護衛騎士であるヴィクトルがやってきて――――?
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる