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第四章

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 先生に嫌われてなんかなかった——たったそれだけの事実で、サーヤは天にも昇りそうな気持ちになっていた。
 疎まれているかもしれないと思うだけでつらくなって、そうではなかったとわかるだけで嬉しくてたまらなくなる。単純すぎて自分でも笑ってしまいそうだなんて思いながら、サーヤはしばらくずっとご機嫌でいた。
「でもさ、それって結局、先生がサーヤの保護者枠ってことには変わりないよね?」
「あ……」
 ある日の夕方、仕事終わりのターニャと待ち合わせしてこれから食事に行こうとしていたとき、ふと彼女に指摘されてしまった。
 アチソン夫人の管理する集合住宅で暮らし始めてから、基本的に彼女が作ってくれる食事を食べるようになっていた。
 外食を禁止されたわけではないとはいえ、何となく作って待ってくれているのに食べて帰るのは気兼ねしていたのだが、やはりランチでは話し足りなくて今日は夕食を楽しみに行くのだ。
 話題はもっぱら恋の話で、ローレンツに嫌われているのではないとわかったサーヤはもうずっとそのことばかり言っていたのだが、ターニャに冷静なツッコミを入れられて気づいてしまった。
「……本当だ! 全然、関係が進展したわけじゃない!」
「そうだよ。嫌われてるわけじゃないとは元々わかってたけど、やっぱりまだ妹扱いだよねっていう」
「下手をすれば娘感覚なのかも……」
「男子禁制の物件ばっか見繕ってくるのから考えると、父親気分に近いのかもね」
 ターニャからしてみれば当たり前のことを指摘したまでなのだが、サーヤはひどくショックを受けていた。
「嫌われてはないわけだから、ここからどう恋人候補になり得るか意識してもらうしかないんじゃない?」
 落ち込むサーヤに、ターニャは余裕の表情で言う。彼女がこんなに参考になる意見を口にできるのは、それだけ経験があるからなのだ。そういえば、ライマーもターニャ狙いだと言っていたのを思い出す。
「えー? ターニャはどういうとき、相手と恋愛に発展しそうって意識するの?」
「一緒の時間を過ごして、〝これだ!〟って時間があるかどうかは大きいよね。だから、デートに誘ってみるとか?」
「デート……」
 一緒に過ごす時間も、出かけた経験も、むしろ他の誰よりも多いと言えるだろう。もしローレンツに恋人がいたとしたらその人に嫉妬されるのは間違いないといえるくらい、この五年間サーヤは彼と一緒にいる。
 それでむしろ恋人を通り越して家族のような結びつきになってしまっているのではないかと、自分たちの根本的な関係性に頭を抱える。
「トッドさんの店に行くとかはなしなのよ。トッドさん、実家のような安心感じゃん」
「そうだよね。大鷲亭はデートじゃないね……」
「だから、普段行かない店とか、むしろカップル御用達の店にはっきり誘うとか、そういうことまでしないと」
「……カップル御用達の店って何?」
 五年間この国で暮らしても、まだまだ知らないことは多い。そういえば、この国の人がどんなところでデートをして愛を育むのか、サーヤは全く知らずに生きてきた。
「えっとね……宿がついてるの。食事のあと、いい雰囲気になったらそのまま泊まれるようにって」
「……なるほど」
 歩きながらの会話だったから、ターニャはあたりを見回して声を落とした。この世界にもラブホテルみたいなものがあるんだなと感心すると同時に、恋愛はこういう生々しい内容とセットだなと思い知らされた。
 サーヤも二十歳の立派な大人だ。いずれ好きな人ができたら、そういう行為に及ぶものとは漠然と思っていた。
 だが、そういう話を人から聞いたり、自ら体験したかもしれない五年間を、この世界で大事にされながら過ごした。そのせいで、サーヤのそういった知識は十五歳で止まったままなのだ。
「先生をそういうお店に誘うかどうかは抜きにして、下見はしておきたいかも」
「だよね。食事するところだから別に女の子二人で入るのもおかしくはないし、あたしもサーヤがいきなり行くのは心配だから、一緒に行っとこうか」
「うん、お願い」
 そうと決まれば行動するしかなかった。サーヤとターニャは連れ立って、繁華街を一本それた道へと入っていく。
 こちらの世界でも少し大人の界隈はメイン通りの奥にあるのだなと、サーヤは感心しながらターニャに連れられていった。
 日頃よく歩く道から少しそれるだけで、こんなにもアンダーグラウンドな雰囲気になるのかと、不思議な気持ちになる。
 やはり人通りが減るし、何より漂う空気が異なっている。ここにローレンツと来たらどんな気分だろうと考えてドキドキしていると、不意に背後から誰かに抱きしめられた。
「んむっ」
 それは抱きしめられるというより、羽交い締めにされていた。声が出せないように口も塞がれ、サーヤはパニックになる。
「え、なに……サーヤ!」
 すぐに異変に気がついてターニャが振り返ったが、その直後にはサーヤを捕まえた人物の足元は光り始めていた。
(やだ、私拐われるの? 怖い! なんで? 先生、助けて!)
 羽交い締めにされた状態で、サーヤはパニックになりながらも祈っていた。
「なんだこれ……魔力を感じる!」
 だが、足元の光に包まれる直前、背後の人物が何かに気づいた様子で、慌ててサーヤの胸元に手を伸ばしてきた。あっと気づいたときには、ローレンツからもらったペンダントがもぎ取られ、投げ捨てられていた。
(あれ、お守りだって言われたのに……どうしよう)
 絶望に包まれながら、サーヤはどこかへ拐われていった。
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