渡りの乙女は王弟の愛に囚われる

猫屋ちゃき

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第二章

4 sideローレンツ

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***



 この国でもはるか大昔、近親婚はあったという。主に王族などの貴き血筋を守るため、父王が姫を娶ることも、兄王子や弟王子と姉姫や妹姫が連れ添うこともあったと記録されている。だが、それらの記録を目にしてうっすら嫌悪感を抱くほどには、ローレンツの中で近親婚は禁忌と感じられるものだ。
 サーヤとは血縁関係ではないものの、心情としては親子のような兄妹のような感覚でいた。そのくせ恋情を——もっと言うならば劣情を抱くなど、あってはならないことのように感じる。
「何より、あの子はまだ二十歳で、こっちは三十だぞ?」
「貴族ならそのくらいの年の差、珍しくないだろうが。ロニーは自由にしてても王族だしな」
「そうだ……私は王弟だ。私と一緒になることで、彼女を面倒くさいことに巻き込みたくはない」
「あの子に相手にしてもらえる前提なのがおもしれぇが、別にそんな面倒事もないだろうが。立場とか何だとかよりも、ロニーがどうしたいかだろ」
「……そうだよな。私がこの気持ちを認めたところで、あの子には好きな相手がいるのだった」
 葛藤の末に自身の恋心と向き合った途端、別の厄介事とも向き合わなければいけなくなった。
 サーヤには、元の世界に戻るよりも大事な相手がいるのだ。
 これまでずっと一緒にいたのに、ローレンツは相手が誰なのか知らない。教えてももらえない。
 つまり、ローレンツは選ばれなかったのだ。彼女の隣に立つ存在としても、相談相手としても。
 こんなふうに傷ついたのはきっと、無意識下で自分が選ばれて当然と思っていたからだろう。何と傲慢なのだろうと思うものの、これまで抱えてきたモヤモヤが霧散した。
「……醜い感情だと承知で言うが、私のことを選んでくれないのなら、いっそ元の世界に帰ってくれたらよかったのにと思ってしまうよ」
 ローレンツは、眦を下げて何とも情けない顔で言った。王弟で、しかもいい年した男が、年下の女性に片思いして言う台詞がこれなのかと、自分で情けなくなっていた。
 だが、トッドはそれを笑わない。
 ただ黙ってゴブレットにおかわりを注いでやり、彼が好きな塩豚のスープの調理に取りかかる。
「特別な日にしか出さないスープだが、今夜はいいだろう」
 塩豚の他には刻んだ薬味を入れただけのシンプルなスープだ。だが、塩とスパイスと共に漬けんだ豚肉から出る出汁が、体の奥にじんわりしみて元気が出ると評判の一品だった。
「何も失恋するって決まったわけじゃないさ。何より、あの子がこの国に残ってくれると決めたんだから、むしろまだまだチャンスはあるんだ。あがいてみろよ。恋なんて、認めたところからのスタートなんだからさ」
 できあがったスープを並々注いだ深皿をローレンツの前に置き、トッドは言う。それをありがたく受け取りながら、ローレンツは困ったみたいに笑った。
「さすが、百回フラレても諦めなかった男の言うことは違うな」
「そうさ。俺はクラウディアを諦めなかった。諦められなかった。今じゃすっかり尻に敷かれているし、結局は夫婦らしい生活なんざできてないが、彼女の夫になれたんだから満足だ」
 傭兵上がりのトッドは、王妃付きの騎士であるクラウディアと結婚している。彼女は主に王城で生活しているためトッドと同居はしていないが、年に数回の休暇の折には彼のもとへやってくるところを見ると、夫婦仲は良好なのだろう。「気安く声をかけるな。叩き斬るぞ」と言われていた頃から考えると、かなりの進展だろう。
 彼女の強さに惚れ込み、何度拒絶されても引き下がらなかったトッドに言わせれば、ローレンツの恋はまだ始まってもいないということのようだ。
 そんなふうになれたらいいと思いつつも、難しいのはわかっていた。
「とりあえずは、あの子への気持ちを認めた上で静観したいな。それこそ、私の立場でこの想いをぶつけることは、脅しにもなりかねない。さらに言えば、恩や義理で私を選ばせることはしたくないんだ」
 悩みながら、ローレンツは自分の考えを口にした。
 ここにきても、王弟という立場が邪魔をする。もしもローレンツがサーヤを思っていると周囲に知られれば、周りはこぞって二人を結びつけようとするだろう。
 もうずっと研究にばかりかまけて結婚になど興味がなさそうだったこの国の王族のひとりが、ようやく相手を見つけたというのだ。そしてその相手が尊き渡り人だというのだ。
 その事実は喜びとともに受け入れられ、そしてサーヤの意思や自由は無視される——たやすく想像できる未来に、ローレンツは悲しい気持ちで首を振った。
「好きだからこそ、見守るしかできないな。せめて彼女を守れるやつが出てくるまで、せいぜい保護者を務めようじゃないか」
 ローレンツの言葉にトッドは眉根を寄せたが、それ以上は何も言わなかった。
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