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第二章
3 sideローレンツ
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結局サーヤと昼過ぎまで物件を見て回り、遅めの昼食を摂って解散となった。
昼食は彼女が行きたがっていた流行りの店へ連れて行ったのだが、いまいちご機嫌斜めなのは感じていた。
入居の手続きに進めるのならばそうしたいと、見て回った候補の中でどこが一番気に入ったのかを聞いてみたが、どれも決め手に欠けている様子だった。とはいえ、早く引っ越し自体はしたいようで、サーヤは仕方なしにといった感じでアチソン夫人の管理する物件を選んだ。
「あれだけ不満そうだったのは、やっぱり男子禁制の部屋ばかり選んだからか……?」
大鷹亭のカウンターにつくと、ローレンツは溜め息とともに呟いた。
今日の別れ際、サーヤが暗い顔をしていたのが今になって気になってきたのだ。
機嫌が悪いのかと思ったが、よくよく考えてみればあれは、元気がなかったように思う。
気にいる物件がなかったことで元気がなくなっていったのだとしたら、やはり条件面についてだろう。立地も外観も部屋の間取りも、どれもそこまで悪くなかったはずなのだから。
「男子禁制で不満って、別にサーヤちゃんはそういう子ではないだろ? 男を連れ込むような子には見えないし、何よりそんな様子もないんじゃないか」
注文を聞かずともどうせ飲むだろうと、トッドはローレンツの前に果実酒の入ったゴブレットを置く。それに少し飲んでから、ローレンツは重々しく口を開いた。
「……サーヤ、この世界に残る理由が『離れたくない人がいる』かららしいんだ」
「え? そりゃ、好きな相手がいるってことか? どこのどいつだ?」
ローレンツは小声で言ったのに、トッドは大きな声で応じた。しかし、自分の声が大きすぎたと気づいたのか、慌てたように口を塞いだ。
「誰なのかはわからんが、どうやら好きな男がいるらしい。男……じゃないかもしれんが、まあ、好きな相手がいるみたいなんだ」
「サーヤちゃんにねぇ……だがまあ、年頃の娘さんだ。あの子の元の世界じゃどうかわからんが、この国では結婚していてもとかしくない歳だからな」
「結婚……クソッ、相手は誰なんだ」
冷静に事実を受け止めるトッドに対し、ローレンツは落ち着かない様子だった。
今日も何度かサーヤから打ち明けられないものかと、カマをかけたりそれとなく水を向けたりしてみたのだが、結局相手の名前は聞けずじまいだった。それどころか、そうやって聞き出そうとしたのをサーヤは察知したのか、その手の話題のあと露骨に不機嫌そうにされてしまった。
年頃の娘を持つ父はこんな気分なのかと、彼らに途端に親近感が湧く。
「別に干渉したいとか邪魔したいとかではないんだが、とにかく私は心配なんだ。五年しかここで暮らしていないんだぞ? それなのに、私の知らないところで恋人や伴侶を見つけようとしていると思うと、気が気ではない」
「おいおい、ローレンツ……」
落ち着かない気持ちを言葉にするローレンツを、トッドは呆れたような憐れむような目で見ていた。
どうやら、トッドはローレンツとは別のことを考えているようだ。だが、すぐにはそれを口にせず、適当につまめる軽食を作り始める。
薄焼きのパンに燻製肉のスライスや野菜の酢漬けを挟んだもの、塩を振って炙ったナッツ、ニンニクオイルを塗って焼いたパンにチーズを乗せたものなどを、食べやすい大きさと量でひと皿に盛ったものだ。
どれももともとこの国にあった食材ではあるが、この組み合わせで食べるのはサーヤが言い出したことだ。「お酒に合うらしいよ。何か、大人がおしゃれな店で食べるんだって」というぼんやりな情報からではあったが、それを聞いてトッドが楽しみながら作ったのである。
サーヤの発案で作られたからというのもあるが、単純に美味しいため、この店に来る常連たちはよくこのひと皿を頼む。サーヤは、ナッツに蜂蜜をかけた特別メニューがお気に入りだ。
サーヤがここでよく食事をするからか、酒を飲まない若い女性もやってくるようになったため、軽食のメニューは着実に数を増やしていた。たまに余裕のあるときに薄焼きパンに具材を挟んだものを昼食として店の表で売ると、あっという間に売り切れる。
「ほら、ロニー。とりあえず食べながら酒を楽しめよ」
「酒か……楽しめる気分じゃないな」
「ここは酒と食事を楽しむ店だ。楽しめないんなら帰っとくれ」
冗談だとはわかりつつも、追い出されてはかなわないとローレンツは出された食事に手をつける。こんがり焼けた薄焼きパンに齧りつき、目を閉じてしばらくその味を堪能していた。
「ロニーは、何がそんなに不満なんだ?」
「不満、ではないさ。ただ……好きなやつがいるのに、サーヤは私には何も相談してくれないのだなと思うと……」
言いながら、自分がなぜここまで落ち込んでいるのかを途端に理解できた気がした。
あれだけべったりで頼りにしてくれているはずの彼女が、好きな相手についてだけ話してくれないことが嫌だったのだ。
やはり、保護者という立場ならではの親心のようなものだと、納得すれば少しすっきりする。
だが、トッドはまた生温かい笑みを浮かべていた。
「ロニーは賢いが、時々アホだよな」
「なぜ突然侮辱するんだ?」
「いや、だってよ……嫉妬してるくせに、それを〝娘や妹に彼氏ができて面白くない〟みたいな感情と勘違いしてるみたいだからさ」
「嫉妬? 勘違い……?」
「ロニーはどう考えても、サーヤのことが好きだろうが」
突然のトッドからの指摘に、手にしていた食事を危うく取り落としそうだった。
ローレンツは落ち着くため、食べかけのパンを一度皿に戻すと、ゴブレットの中身を一気にあおった。
「考えてもみろ。お前、今後サーヤちゃんに恋人ができて、そいつとよろしくやる彼女を受け入れられるのか? 結婚や子育てを他の誰かとやるのを、祝福してやれるのか? 胸に手を当てて考えてみやがれ」
「……」
胸に手を当てるまでもなく、ローレンツの心臓は嫌な音を立てて早鐘を打っていた。考えるだけで動悸がしてくる。不吉で嫌な話題だ。
「確かに不愉快だと思う。はっきり言って、面白くないな。だが、得てして父親や兄なんてそのようなものではないのか? 娘や妹のように可愛い存在には、相応しい相手と添ってほしい。どこの馬の骨ともわからんやつには渡したくないと思うのは、当然じゃないか? トッド、君だってサーヤが変な男と付き合ったら嫌だろう? その男を許しておけるのか?」
うるさいほど鳴る心臓を押さえながら、ローレンツは早口で文句を言う。それを聞くにつれトッドがニヤニヤしているのには気がついていない。
「俺は別に、どうとも思わんな。幸せになってくれと思うし、もし相手があの子を泣かせるようなことがあれば、ぶん殴るまではいかんでも説教くらいはしてやるさ」
「そうだろう? 私のこの感情だって、それと一緒だ」
「いや、一緒なわけがないな。そもそも〝あの子に相応しい相手〟なんて発想が出てくんのがおかしいんだ。俺はあの子が好きなら、どんな相手でも構わない。そいつがサーヤちゃんを大事にするならな。だが、相応しいか相応しくないかって考えが出る時点で、ロニーは自分こそが彼女に相応しいって心の底では思ってんだよ」
認めようとしないローレンツに、トッドはまっすぐに指摘した。彼の言葉に一瞬反論したくなったが、これ以上何を言っても見苦しい言い訳にしかならないと悟り、代わりにゴブレットに果実酒のおかわりを要求した。
「……どうやら、私はサーヤが好きらしい。彼女の隣にどんな男が並んでもしっくり来なかったくせに、自分が隣に立つ姿は自然に想像できた。そしてそれを、当たり前だと思っている」
「そうだろうよ。思うにな、ロニーは五年前にやってきたあの子をひと目見たときから、ずっと骨抜きだったのさ」
ようやく認めたローレンツに、トッドはニヤニヤ笑う。だが、ローレンツ自身はまだ葛藤があった。
「しかし……私にとって渡り人は、サーヤは、信仰みたいなものだったんだ。大事に守りこそすれ、不可侵な存在だと思っている。何より、これまで父のように兄のようにあの子を守ってきたんだぞ? 自分だけがあの子には無害な男だと自負しながら接していたくせに、今さら恋心など……」
昼食は彼女が行きたがっていた流行りの店へ連れて行ったのだが、いまいちご機嫌斜めなのは感じていた。
入居の手続きに進めるのならばそうしたいと、見て回った候補の中でどこが一番気に入ったのかを聞いてみたが、どれも決め手に欠けている様子だった。とはいえ、早く引っ越し自体はしたいようで、サーヤは仕方なしにといった感じでアチソン夫人の管理する物件を選んだ。
「あれだけ不満そうだったのは、やっぱり男子禁制の部屋ばかり選んだからか……?」
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今日の別れ際、サーヤが暗い顔をしていたのが今になって気になってきたのだ。
機嫌が悪いのかと思ったが、よくよく考えてみればあれは、元気がなかったように思う。
気にいる物件がなかったことで元気がなくなっていったのだとしたら、やはり条件面についてだろう。立地も外観も部屋の間取りも、どれもそこまで悪くなかったはずなのだから。
「男子禁制で不満って、別にサーヤちゃんはそういう子ではないだろ? 男を連れ込むような子には見えないし、何よりそんな様子もないんじゃないか」
注文を聞かずともどうせ飲むだろうと、トッドはローレンツの前に果実酒の入ったゴブレットを置く。それに少し飲んでから、ローレンツは重々しく口を開いた。
「……サーヤ、この世界に残る理由が『離れたくない人がいる』かららしいんだ」
「え? そりゃ、好きな相手がいるってことか? どこのどいつだ?」
ローレンツは小声で言ったのに、トッドは大きな声で応じた。しかし、自分の声が大きすぎたと気づいたのか、慌てたように口を塞いだ。
「誰なのかはわからんが、どうやら好きな男がいるらしい。男……じゃないかもしれんが、まあ、好きな相手がいるみたいなんだ」
「サーヤちゃんにねぇ……だがまあ、年頃の娘さんだ。あの子の元の世界じゃどうかわからんが、この国では結婚していてもとかしくない歳だからな」
「結婚……クソッ、相手は誰なんだ」
冷静に事実を受け止めるトッドに対し、ローレンツは落ち着かない様子だった。
今日も何度かサーヤから打ち明けられないものかと、カマをかけたりそれとなく水を向けたりしてみたのだが、結局相手の名前は聞けずじまいだった。それどころか、そうやって聞き出そうとしたのをサーヤは察知したのか、その手の話題のあと露骨に不機嫌そうにされてしまった。
年頃の娘を持つ父はこんな気分なのかと、彼らに途端に親近感が湧く。
「別に干渉したいとか邪魔したいとかではないんだが、とにかく私は心配なんだ。五年しかここで暮らしていないんだぞ? それなのに、私の知らないところで恋人や伴侶を見つけようとしていると思うと、気が気ではない」
「おいおい、ローレンツ……」
落ち着かない気持ちを言葉にするローレンツを、トッドは呆れたような憐れむような目で見ていた。
どうやら、トッドはローレンツとは別のことを考えているようだ。だが、すぐにはそれを口にせず、適当につまめる軽食を作り始める。
薄焼きのパンに燻製肉のスライスや野菜の酢漬けを挟んだもの、塩を振って炙ったナッツ、ニンニクオイルを塗って焼いたパンにチーズを乗せたものなどを、食べやすい大きさと量でひと皿に盛ったものだ。
どれももともとこの国にあった食材ではあるが、この組み合わせで食べるのはサーヤが言い出したことだ。「お酒に合うらしいよ。何か、大人がおしゃれな店で食べるんだって」というぼんやりな情報からではあったが、それを聞いてトッドが楽しみながら作ったのである。
サーヤの発案で作られたからというのもあるが、単純に美味しいため、この店に来る常連たちはよくこのひと皿を頼む。サーヤは、ナッツに蜂蜜をかけた特別メニューがお気に入りだ。
サーヤがここでよく食事をするからか、酒を飲まない若い女性もやってくるようになったため、軽食のメニューは着実に数を増やしていた。たまに余裕のあるときに薄焼きパンに具材を挟んだものを昼食として店の表で売ると、あっという間に売り切れる。
「ほら、ロニー。とりあえず食べながら酒を楽しめよ」
「酒か……楽しめる気分じゃないな」
「ここは酒と食事を楽しむ店だ。楽しめないんなら帰っとくれ」
冗談だとはわかりつつも、追い出されてはかなわないとローレンツは出された食事に手をつける。こんがり焼けた薄焼きパンに齧りつき、目を閉じてしばらくその味を堪能していた。
「ロニーは、何がそんなに不満なんだ?」
「不満、ではないさ。ただ……好きなやつがいるのに、サーヤは私には何も相談してくれないのだなと思うと……」
言いながら、自分がなぜここまで落ち込んでいるのかを途端に理解できた気がした。
あれだけべったりで頼りにしてくれているはずの彼女が、好きな相手についてだけ話してくれないことが嫌だったのだ。
やはり、保護者という立場ならではの親心のようなものだと、納得すれば少しすっきりする。
だが、トッドはまた生温かい笑みを浮かべていた。
「ロニーは賢いが、時々アホだよな」
「なぜ突然侮辱するんだ?」
「いや、だってよ……嫉妬してるくせに、それを〝娘や妹に彼氏ができて面白くない〟みたいな感情と勘違いしてるみたいだからさ」
「嫉妬? 勘違い……?」
「ロニーはどう考えても、サーヤのことが好きだろうが」
突然のトッドからの指摘に、手にしていた食事を危うく取り落としそうだった。
ローレンツは落ち着くため、食べかけのパンを一度皿に戻すと、ゴブレットの中身を一気にあおった。
「考えてもみろ。お前、今後サーヤちゃんに恋人ができて、そいつとよろしくやる彼女を受け入れられるのか? 結婚や子育てを他の誰かとやるのを、祝福してやれるのか? 胸に手を当てて考えてみやがれ」
「……」
胸に手を当てるまでもなく、ローレンツの心臓は嫌な音を立てて早鐘を打っていた。考えるだけで動悸がしてくる。不吉で嫌な話題だ。
「確かに不愉快だと思う。はっきり言って、面白くないな。だが、得てして父親や兄なんてそのようなものではないのか? 娘や妹のように可愛い存在には、相応しい相手と添ってほしい。どこの馬の骨ともわからんやつには渡したくないと思うのは、当然じゃないか? トッド、君だってサーヤが変な男と付き合ったら嫌だろう? その男を許しておけるのか?」
うるさいほど鳴る心臓を押さえながら、ローレンツは早口で文句を言う。それを聞くにつれトッドがニヤニヤしているのには気がついていない。
「俺は別に、どうとも思わんな。幸せになってくれと思うし、もし相手があの子を泣かせるようなことがあれば、ぶん殴るまではいかんでも説教くらいはしてやるさ」
「そうだろう? 私のこの感情だって、それと一緒だ」
「いや、一緒なわけがないな。そもそも〝あの子に相応しい相手〟なんて発想が出てくんのがおかしいんだ。俺はあの子が好きなら、どんな相手でも構わない。そいつがサーヤちゃんを大事にするならな。だが、相応しいか相応しくないかって考えが出る時点で、ロニーは自分こそが彼女に相応しいって心の底では思ってんだよ」
認めようとしないローレンツに、トッドはまっすぐに指摘した。彼の言葉に一瞬反論したくなったが、これ以上何を言っても見苦しい言い訳にしかならないと悟り、代わりにゴブレットに果実酒のおかわりを要求した。
「……どうやら、私はサーヤが好きらしい。彼女の隣にどんな男が並んでもしっくり来なかったくせに、自分が隣に立つ姿は自然に想像できた。そしてそれを、当たり前だと思っている」
「そうだろうよ。思うにな、ロニーは五年前にやってきたあの子をひと目見たときから、ずっと骨抜きだったのさ」
ようやく認めたローレンツに、トッドはニヤニヤ笑う。だが、ローレンツ自身はまだ葛藤があった。
「しかし……私にとって渡り人は、サーヤは、信仰みたいなものだったんだ。大事に守りこそすれ、不可侵な存在だと思っている。何より、これまで父のように兄のようにあの子を守ってきたんだぞ? 自分だけがあの子には無害な男だと自負しながら接していたくせに、今さら恋心など……」
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