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3、ケダモノとわたし

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 ようやく解放され、与えられた部屋へ引き上げてソファに腰掛けた。
 本当ならホッと息を吐きたいのだけれど、そんなことしたら一緒に何か出てしまいそうだ。疲れたけれど、まだ横になれない。
 せいぜい足を投げ出して楽な姿勢をとるのが精一杯だ。
 今着ているのは細身のワンピースだけれど、そのワンピースよりさらに自分の体が貧相でよかったなと思った。もしぴったりサイズだったら大変なことになっていただろう。

 エッフェンベルグ家の夕食は豪華だった。
 綺麗に飾り付けられた野菜。何をどうしたらこんなに美味しくなるのだというスープ。食べたことがないような肉、肉、肉。
 とにかく、わたしの貧困な語彙と経験では表現できないほどの素晴らしい食事だった。
 寮母さんの作ってくれるザ・豪勢な料理とは違って、山盛りの料理がどーんと出てくるわけではなくて、一皿一皿丁寧に作られた料理が少しずつ出されるから、いつの間にかたくさん食べていた。
 それに、わたしが食べるたびに夫人がそれはそれは嬉しそうにするから、つい頑張ってしまったのだ。
 何となく、優しくしてくれる女性を無下にできないのだ。



 しばらく休んでいるとようやくお腹が落ち着いてきて、まったりと食後特有のまどろみを楽しんでいたら、ドアがノックされた。

「マティウスだ。お茶を用意させたから、一緒にどうだろうか」
「あ、はい。どうぞ」

 誰だよと思ったら坊ちゃんだった。
 慌てて構え直したときにはトレイ片手に奴は部屋へ入って来ていた。下僕に運ばせるのが嫌で自分で運んできたのだろうか。その積極性を全力で学校で発揮して友達作って親を安心させろよと言ってやりたい。というより、いつか言ってやろう。

「さっきは話す隙がなかったから、こうして来てみたんだが……健胃作用のあるハーブティーを淹れさせた」
「どうも……」

 マティウスはテーブルにトレイを置くと、微笑んでわたしの隣に腰を下ろした。食事中の態度と違う。何というか……これが本性を表したという感じだろうか。

「カティが、可愛くて優しそうな子で安心した」
「はぁ、そりゃどうも(ありがとうございます)」

 食事の席でのすました顔は何だったの⁉︎   と言いたくなるくらいにこやかだ。しかも距離が近い。
 出会ってすぐの異性に可愛いだの優しそうだの言うなんて、まぁーどんな育て方をしたらこんなになりますかと聞きたい。

「カティは歳はいくつだ?」
「十六です」
「なら、私のほうが一歳上だな。小柄だから、もっと小さいのかと思った」
「そうですね」

 同じ年頃の子より体が小さいのを気にしているのに、この男はそれをニコニコして言う。何てデリカシーのない奴だ。
 顔も体も、美しかった母には似なかったのだ。

「小さくて可愛いのに、すごく頭が良いそうだな」
「まぁ、それほどでもないよ(そんなことありません)」
「賢い上に謙虚なんだな。カティは良い子だ」
「……ありがとうございます」

 マティウスはずっと笑顔のまま、今度はしきりにわたしを褒め始めた。
 異性に言われるのは初めてだけれど、可愛いも賢いも良い子も、寮母さんから言われ慣れていてよかった。
 きっと褒められ慣れていないような子が、この男の甘いマスクと言葉にやられるのだ。
 栗色の髪に深い青の瞳は、女の子からの受けがさぞ良いだろうと思う。
 この容姿で迫られて関係を持って女性使用人が逃げ出すって、一体どんなマニアックもしくはハードなプレイを要求するのだろう。……いや、マニアックとかハードとはわたしにはよくわからないけれど。

「カティは、どうして魔術の勉強を頑張っているんだ?」

 いきなり色っぽい話はせず、共通の話題から攻めるつもりだろうか。……いや、色っぽい話がどんなものなのかわからないけれど。
 それにしても、勉強を頑張る理由か。
 そんなの、将来良い職についてお金に困らず生きていけるようになるためだ。でも、きっと金持ちにそんなことを言っても理解されないだろう。明日のパンの心配をしたことがない人に将来の仕事の話なんてわかるはずがない。

「亡くなった母が、『これからの時代は女も賢くなくちゃ』と言っていたので、勉強を頑張ると喜ぶかな……と」

 質問責めしてくるような人でも黙らせることができる、鉄板の返答をしてみた。目を伏せて、少し悲しそうにするのがポイントだ。嘘は言っていないから罪悪感もない。
 死んだお母さんのことをこうして話すのはちょっといけないことかもしれないけれど、これでうるさい口を塞げるなら構わない。
 そう思っていたのに……

「カティも、母を亡くしたのか……そうか、私たちは似ているのだな」
「え?」

 マティウスは黙るどころか、目にうっすらと涙を浮かべて、わたしの手を握ってきた。

「私も、母を亡くしているんだ。……カティはそれでも、強く生きているんだな」
「は、はぁ……」

 マティウスの目には熱がこもっていて、ナンパな気持ちでこの手を握っているのではない様子だ。
 これも女を落とす手口なのか?   なんて思わなくはないけれど、そこからポツリポツリと母のことを語るマティウスの言葉に耳を傾けたり、尋ねられたことに答えたりしていたら、いつの間にか夜が更けていた。



「何だったのかしら……?」

 マティウスが帰ったあと、ようやくお風呂に入ることができた。
 長旅の疲れと汚れを落とし楽な服装になって、ため息のように言葉が漏れてしまった。
 何というか、マティウスが思っていた男と違って拍子抜けしたのだ。
 学友をぶん殴って停学中だという凶暴性も、使用人に手をつけるという野獣性も先ほどのやりとりの中には見られなかった。
 歳の割りに中身の幼い、繊細な少年といった印象だ。
 手が早いというのは、何かの間違いなのではないかという気がしてきた。
 現に、わたしはこうして自分の部屋で無事に過ごしているわけだし。

(これなら、案外楽々にお金をもらえるかな)
 そんなことを思っていると、唐突にドアがノックされた。

「マティウスだ。……カティ、起きているだろうか?」

 来た来た来た来たっ!
 調子に乗っていた数秒前の自分を殴ってやりたい。
 完全に気を抜いていたから、マティウスの来訪は恐怖以外の何ものでもなかった。

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