unfair lover

東間ゆき

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proof

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 6. 
 計画は万事うまくいった。美樹は机に並んだ豪華な朝食を食べながらにこやかに笑う。
 高木咲を利用して紅の連絡先一覧から蒼を消し、番になると約束させた。それは美樹の中で大きな一歩である。約束通り、高校を卒業したらすぐにその項を噛むつもりだ。
 本当は今すぐにだって番にしたかったが、紅の気持ちを考えて、心の整理をつける猶予を与えた。もう今年も六月になる。高校二年から三年の終わりまでという残された短い時間の中で、自分の番になるための心構えをするとは、なんて官能的なんだろう。わざわざ慈悲深く期間を設けた自分を褒めちぎりたいほど、素晴らしい案だったと思う。
 美樹が堪えきれず、くすっと笑い声を零すと、専属の執事である長田おさだが小首を傾げた。
「美樹様なにかいいことでも?」
 六十半ばの背筋がピシッと伸びた男の質問に、まあねと軽く答えると、長田は目を細めて、それはよいことですとにこやかに笑った。

 カップに入った飴色の温かい飲み物を、銀色のティースプーンでくるくるとかき混ぜる。程よくミルクの入ったそれを一口飲んで美樹は頬に浮かべた笑みをさらに深めた。
 だだっ広いリビングには自分と長田と、名前も知らないメイドが一人。いつもの朝の風景だ。代り映えしないそれにひどく気分がいいのは、雲一つない晴天であるのに加えて、すべてが上手くいっているからだろう。
「長田、そろそろ学校行くから鞄ちょーだい」
「こちらに」
「さんきゅー」
 席を立って玄関に向かいながら長田に声を掛ける。財布や筆記用具といった必要最小限の物しか入っていない美樹の、学生にしては軽すぎる鞄を腕に抱えた長田が斜め後ろをそっと歩く。広すぎる自宅の門の前に着くとその鞄を受け取って、美樹は使用人にばいばいと手を振った。
「んじゃ、また迎え要る時連絡すっから~」
 丁寧にお辞儀をする使用人を背中に、ご機嫌な鼻歌を口遊んで美樹は歩き出す。中学までは運転手の速水に送り迎えをさせていたが、高校に入ってからは通学路を一人で歩いて登校している。そうすれば、たまにだが紅と登校時間が被るのだ。
「おーはよ、紅チャン」
「ぅ、お、おは、よう……右京」
 学校近くの曲がり角で目の前に金色交じりの黒髪を見つけて声を掛ける。明るい美樹の声にびくりと肩を跳ねさせた紅は、蚊の鳴くような声で答えた。怯えたような目が一瞬美樹を捉えて、ゆっくりと外される。
「怯えないでよ、俺らもうそういう仲なんだし」
 小さい肩に腕を回してぎゅっと抱き寄せると、美樹は耳元で色気たっぷりに囁いた。俯いてしまった紅の顔はよく見えないが、きっとまた唇を噛んでいるだろう。美樹は小さく「来て」と言って細すぎる手首を引いた。
 さっさと学校の敷地に入って人の来ない、何の教科だかわからない準備室に紅を押し込むと、噛みつくようにその唇にキスを落とす。不意を突かれた紅は驚いて小さく口を開いており、その隙間を塗って美樹は舌を滑り込ませた。
「ん、ふっ……」
 角度を変えてその小さな口を貪る。眉を顰めて目を閉じる紅が息を荒げて、段々熱のこもった声が混じってきた辺りで開放する。最後に、歯を立てすぎて少し荒れた紅の唇をぺろりと舐め上げると、紅はぐいっと手の甲でそれを拭った。
「一時間目出るのだるくない? このままさぼっちゃおうか」
 美樹がそう笑うと紅は少し考え込んでゆっくりと首を縦に振った。逆らうのが怖いのだろうなと考えて、美樹は自分が紅に与えた毒がゆっくりとその心を蝕んでいることに喜びを覚えた。

 ***

「ん、あ、あっ、うきょう……も、むり、むり……」
「まだ一回だよ? へばるの、はやくない?」
「ちが、じゅぎょうある……からあ、あ、ああ、あっ~~~~」
「一時間目サボるって、言ったじゃん!」
 ふるふると首を振る紅の細い腰を捕まえて美樹は自身を奥へと押し進めた。ずちゅっと濡れた音と一緒に肉のぶつかる音が部屋を満たす。ごりゅ、と紅の弱いところをわざわざ狙って穿る様に動く美樹の陰茎が何度も後孔を出入りすると、紅はみっともなく涎を垂らして喘いだ。
 登校時の予鈴が鳴ってもうどれくらいが経ったのかは分からない。今日は本当にツイていない。朝から美樹に会ってしまうなんて最低だ。
 咲に手を出されて、紅は考えた。どうしたら美樹は満足するのだろう。従順にしていたのにも関わらず咲に被害が及んだことを考えると、右京美樹という男は自分が思っている以上にもっと歪んでいるのかもしれない。それこそ、紅を手に入れるためなら罪すら犯せるほどに。
 そう考えると、頭が馬鹿になりそうなこの行為も、拒絶するのが恐ろしくなった。次は誰が、何を犠牲にさせられるのだろうか。自分のために。自分のこの、くだらない感情のために。

「ッ……」
 美樹が紅の体内でゴム越しに射精をした。ずるりとその陰茎が引き抜かれると、紅はくたりと力を抜いて肩で息を繰り返す。じんわりと掻いた汗が気持ち悪くて、不快感に顔を歪める。
 紅の額に張り付いた前髪を手で払って、美樹はその綺麗な人形のような顔を覗き込んで微笑んだ。
「気持ちよかった?」
「…………」
「照れ屋さんだな~。ま、いいや。早く教室いかなきゃね。俺あちーしTシャツでいいから紅ちゃん俺のシャツ着なよ」
 問われた言葉に無言でいると美樹がカラカラと笑ってバサッと自分のカッターシャツを放り投げた。頭にかぶさったそれを掴んでじっと見る。自分のがあるけど、と問えば美樹がにたりと笑った。
「そんなセックスしてきましたよって顔で、精液で汚れたシャツ着てくの? 紅ちゃんがそれでもいいなら俺は別にいーけど?」
「あ……ごめん…………借してください」
「いいよ~。未来のパートナーだもんねぇ~」
 指差された精液に汚れたシャツを見てため息を吐きたくなる気持ちを抑えて、美樹に頼むと、機嫌のよさそうな美樹が笑う。パートナーと言われて、一瞬紅はピクリと身体が跳ねた。
 ――どうせ、飽きたら捨てる癖に?
 ぽちゃんと自分の中に落ちた言葉が頭の中に反芻する。緩く頭を振ってそれを振り払うと、美樹から渡されたサイズの大きすぎるシャツに袖を通した。


「遅いじゃん。何してたの?」
 八木が教室の扉を開けた美樹に気が付いて声を掛ける。なんでもいいでしょと軽く返事を返して自分の席に座るとちらりと紅の方を見た。一緒に教室に入ってきた紅も、サイズの合わないシャツを着ていつも通り自分の席に腰を下ろした。
「佐渡も一緒だったのなー…………上だけ私服って、お前……」
 スマホを触る美樹の元にやってきた河合が、紅の方をチラッと見て、美樹の方をみるとあからさまに眉を顰めた。流石というべきか、美樹とうまく付き合えて、古川と八木の仲良しコンビの間にも自然と溶け込んで、グループ入りを果たせるくらい空気を読める男は察するのが早い。というか、美樹と紅が二人そろって遅刻した上に紅の服のサイズがどう見ても大きすぎるところを見れば馬鹿でもわかることだ。鈍感を地で行く八木だけは気が付いていないようだが、古川は分かっているらしくにやにやと笑みを浮かべている。
「お盛んだな……」
「うっせーな。俺、黒夜と話あるからちょっと行ってくんね。紅ちゃんに手を出したら殺すからよろしく」
「出さねえよ」
 ぽつりと呟くように言うと美樹が唇を尖らせて席を立った。スマホをズボンのポケットにしまってひらひらと手を振る。河合の言葉に対して返答がないが、それが答えということだろう。
 河合は紅の後ろ姿をちらりと見た。小さすぎるその肩は触れたら壊れてしまいそうだ。
 俯くその首筋にいくつかの赤い痕が見えて、美樹の独占欲を表現しているかのようなそれに、河合はげっと顔を蒼くした。高木咲の件もそうだが、右京美樹が佐渡紅という人間に見せる執着は異常に思える。
 ――ご愁傷様、って感じだな。佐渡も可哀想な奴。
 河合は小さく息を吐いて古川と八木の会話に混ざった。

 ***

 趣味が悪い。幼馴染とはいえ、この男は本当に趣味が悪いと三村黒夜は思った。隣でしゃがんでスマホを弄る男はどうやら以前から片思いをしていた佐渡紅に番になることを約束してもらえたらしい。利用された高木咲にはご愁傷様としか言えない。
「漸く紅ちゃんと番になれるんだあ。早く学校卒業したいなぁ……あ、ってかさあ、天才だと思わね? 番になる気持ちの準備期間だよ? まじ天才じゃん!」
「趣味がわりぃよ……」
「そんなことねーし! わかってねーな、黒夜は」
 唇を尖らせる美樹はいじけたふりをしながらスマホをポチポチと弄る。ラインを送っているらしい。相手はどうせ佐渡紅だろう。
「四堂はいいとして、高木はどうなんだよ。あいつも邪魔なんじゃねーの?」
「あ? ああ、教師の方ね。邪魔は邪魔なんだけどさあ」
 美樹が大きく伸びをする。立ち上がって屋上の手すりに腕を乗せて笑うと、黒夜を見て言った。
「今のところは大丈夫でしょ。最近紅ちゃんの方から避けてるし」
 にたりと蛇のように笑う男にぞくりと背筋が冷える。黒夜の手にじんわりと汗がにじむ。すべてこの男の思い通りなんだということを理解して、息を飲んだ。
「でも、もし高木せんせーが紅ちゃんに何かを吹き込むようなことがあったら、そうだなあ……その時はどうなるかわかんないかもね」
 くすくす、くすくすと何が面白いのか美樹は笑った。ただただ楽しそうに愉悦に浸るその顔は子供の様にも見える。黒夜は美樹のその笑みに恐怖を覚えて、ただ黙って空を見上げた。朝には雲一つなかった晴れ空は、いつの間にかどんよりと曇っていて、重たい空気をもたらしている。今にも泣きだしそうなそれに、深くため息を吐いて、黒夜はまた視線を美樹に戻した。
「美樹は、なんでそんなに佐渡が好きなわけ?」
 前々から思っていた疑問をぶつける。黒夜の記憶している美樹の中でも、今はとびきり異常だった。ここまで一人に固執することがなかったと思う。一晩だけの奴は結構いたけど、美樹自身がこうも執着する相手は一人としていなかった。
 佐渡紅と出会って狂ったように思う。ひとめぼれだよと前に聞いた時から段々と悪化していくその執着心には終わりが見えない。手に入れるためなら何でもするというその言葉通り手段を選ばない男はにこやかに微笑むと口元に人差し指を立てて言う。
「ナイショ」
 ぽつりと雨が雲から零れ落ちてくる。美樹に促されるまま校舎に入ると、途端に雨脚は強くなって、ザアザアと音を立てて屋上を濡らした。
 結局聞けずじまいの問いの答えを黒夜は自分なりに考える。だけれど、ベータの男にはアルファとオメガの間にある繊細な問題なんてわかるわけないし、美樹が秘密にしたいことを憶測で考えたところで、答えなんて出ないということに気が付いて、やれやれと息を吐いた。窓を叩く雨は、次第に酷くなっていく。今朝見た天気予報では雷雨と言われていたが、どうやらそれは大当たりのようだった。

 ***

 佐渡紅はぽつんと自販機の前で立ち尽くしていた。考え事が沢山あって、ついついボタンを押す手が止まる。傍から見れば買うものを悩んでいるように見えるだろうが、この場には人っ子一人いやしない。学校の自販機にさえも、人気のある方とない方があるようで、こっちにはほとんど人が来ないのである。だからこそ、欲しいものがちゃんと買えるという利点もあるのだが。
 ボタンを押そうとした指先を下ろして少し悩む。考えているのは、蒼と咲と、それから美樹のことだ。ぐっと拳を握る。咲はあの後どうなったのだろう。美樹曰く、すぐに解放されたらしいが、心に負った傷は深いように思う。
 震える指先で缶コーヒーのボタンを押す。ガコンと音を立てて落ちたそれを手に取ってじっと見つめる。窓を叩く段々と雨音が激しさを増して外は本降りとなってきた。
 黒いパッケージのそれを見つめながらため息を吐く。美樹が咲を人質にしたあの日、蒼の電話番号から何度も着信があった。スマホの画面を見た紅は泣きそうになりながら着信拒否のボタンを押し、以降蒼からの連絡はない。
 咲からもなにかメッセージが来ていたが、怖くて見ていない。彼女が自分を責めるような人ではないと分かっているけれど、責められないということが余計に苦しいと分かっているので、紅は怖くてそれを開くことができなかった。なにをされたのかもわからない。ただ、彼女が脱がされて写真や動画を撮られていたということを知っているくらい。
 知っているということは罪だ。ましてや、自分のせいで彼女はそんな目に遭ってしまった。紅は贖罪をしなくてはならないと強く思う。と同時に、自分が犠牲になることで、美樹の行動に対する犠牲者をこれ以上出させないようにと考えた。
 蒼には申し訳ないことをしている。理由もなにも言わずに連絡を絶ったのだから。なぜ自分がそんなことをされているのか分からないと混乱しているだろう。彼は、紅と美樹の間にあったやり取りなんて知らないのだから。
 深くため息を吐く。冷たい缶コーヒーが手のひらから温度を奪って、生温くなっていた。
 いっそすべてを捨てて逃げ出せたら楽なのかも知れない。紅は缶コーヒーに向けていた視線を外にやって、窓を叩く雨をじっと眺めた。
 蒼と、咲と、母を連れてどこか世界の果てまで逃げられたら、なんて、そんな夢物語、抱くだけ虚しくなるか。窓に手を置いてどんよりとした空を眺める。重苦しいそれはまるで自分の心の中のようだ。
 そんなことを考えていると、背後から聞きなれた声が自分を呼んだので、紅はゆっくりと振り返る。落ち着いた柔らかな雰囲気を纏って微笑む養護教諭が、にっこりと笑みを浮かべる。温かなそれに、紅は挨拶だけしてその場を去ろうとしたが、高木葵はそれをさせまいと、幼馴染の名前を口に出した。
「蒼くんのことと、妹の咲の事。あと君自身のことで話があるのだけれど」
 付いてきてくれる? と問う男はもう背中を向けていて、その足が向かう先は保健室だろう。紅の答えは決まっていると言いたげなそれに反論もしないで、紅は黙って頷き、その背中を追った。



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