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第2章 幼少期~現在と過去編~
35 わたしと悪魔とまじない
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「あああああぁぁぁぁぁぁーーーーー!!」
叫び声と共にティファニアは目を覚まし、ガバリと布団から起き上がった。
急にあふれ出た記憶にティファニアは飲まれるようだった。
クーツェが笑った記憶、エルドが頬をつつく記憶、コルトが抱き上げて呉れた記憶、ヴィレットが自分の料理を自慢し、それを横からつまみ食いするサファニアの記憶、年上ぶって手を伸ばすマイカとブロンの記憶。
せめぎあうように押し寄せる記憶は嬉しくて、そして、酷く寂しくなった。
そして、思う。みんな、いなくなってしまった、と。
みんないなくなってしまったのだ。クーツェもエルドもヴィレットもコルトもサファニアもマイカもブロンも、みんな。もう、誰も、いない。
突然思い出した愛しい記憶と辛い記憶に流されるようにティファニアはさめざめと涙を流した。布団に滴るその涙は大きなシミを作っていった。
ティファニアはグッとこぶしを握り、涙をこらえる。悲しくても、こんな姿は誰にも見られたくないと思ったのだ。
先ほどの叫び声のせいでおそらく誰かがティファニアが起きたことに気付いただろう。それならば、大丈夫と笑って返せるように。そう思って、下唇を軽くかみ、目をぎゅっと瞑って涙を必死に止める。
すると、ふいに誰かにふわりと抱きしめられる。
それは歌のような、詩のようなもので、温かくて、そして、懐かしかった。
「泣いていいんだよ、俺のティア」
心地よい声が響いた。
「ここは俺の結界の中だから、誰も聞いていないよ。それに、俺は、全部知っている。君がティファニアであることも、ルゥルゥであったことも、そして、――だったことも」
だから、泣いていいんだよ、とその声は小さな子供を宥めるように言った。
ティファニアは、その言葉がで悟った。彼は本当に全て知っているのだ、と。
それが分かった瞬間、ティファニアの涙は堰を切ったかのようにあふれ出てきた。この涙は、今までずっと、ずっと、誰にも見せられなくて、我慢して、耐えてきて、堪えていたものだったものだった。
誰にも言えっこないことをずっと抱えてきた。前世のこと、スラム時代のこと、そして、今のこと。
言えばよかったのかもしれない。しかし、ティファニアにはそれは出来なかった。大好きな人たちにつらいことを伝えたくなかった。心配かけたくなかった。だから、ひたすら隠してきた。
でも、彼は知っているのだ。知っていて、ティファニアに泣いていいと言ってくれるのだ。
そう思うと、ティファニアは彼に抱き着き、大声を出してワンワンと泣いた。
「みんな、しんじゃったよぉぉ! クーツェもみんな、みんな! 優しかったのに、みんないっぱい遊んでくれたのに、いなくなっちゃったぁぁぁ!!」
ティファニアがいうことをすべて受け止めるかのように、彼はずっと頷いて、背中をさすってくれた。何もしないで、泣きつく自分のはなしをただ聞いてくれるだけで、嬉しかった。
半刻ほどティファニアはずっと泣き縋っていたが、段々と落ち着いてきた。
すると、彼はティファニアの頭を自分の胸に優しく抱き寄せ、落ち着いた声で聞いた。
「落ち着いた?」
ティファニアは小さく鼻をすすると、うん、と頷き、ゆっくりと顔をあげる。そこには、端正な顔があった。彼は深い紺の髪と美しい金の瞳をしていた。眼がパチリと合うと、彼は相好を崩した。
その細められた眼はまるで三日月のようで、彼の夜の様な髪も相まって、そこに二つの月があるようだとティファニアは思った。
「綺麗……」
ぽつりと本音が零れ、目を反らさないようにその瞳を見つめ続けた。すると、彼は嬉しそうに口角をあげ、チュッとティファニアの額にキスを落とした。
「ありがとう、ティア。将来はティアの方が絶対に綺麗になるけどね」
今はティアは可愛いだから、と彼はティファニアの頬を軽くつついた。
しかし、ティファニアは首を傾げる。
「あ、あの、ティアって?」
先ほどから聞きなれない呼び名が気になっていたのだ。彼の瞳を見つめて問いかけた。
「ん? ああ、ティファニアだから、ティア。他の奴らはティーとか、ティファって呼ぶだろう? ティアは俺のだから、俺だけの愛称を考えたんだよ。中々いいだろう?」
彼はふふん、と自慢するように鼻で少し笑った。
「だって、ティアのいた世界では『涙』って意味もあるんだろう? だから、綺麗で、儚い君にはぴったりだ」
彼はティファニアの頬にある涙のすじをつーっとなぞると、満足げに言った。そして、また、額にキスを落とす。
ティファニアはごくりと息を呑んだ。そして、彼の胸元に当てていた手をぎゅっと握る。自分の涙のせいか、彼の服は少し湿っていた。
「やっぱり、知っていたの?」
ティファニアが恐る恐る尋ねると、彼・は何ということもないように笑った。
「ああ、だって、ティアは俺のだからね。全部知ってるよ」
「じゃあ、やっぱりあなたは……?」
ティファニアにはわかっていた。彼が誰であるかを。しかし、確かめずにはいられなかった。彼の口から、彼が誰かと言う確証が欲しかったのだ。
ティファニアの握る手に力が入る。
「うん、そうだよ。俺はこの国の人たちが契約者と呼ぶものだ。他のところでは神、とも呼ばれる」
「神、さま、なの?」
「うーん、そう呼ばれてるだけだよ。俺はこう名乗ってる。悪魔、ってね」
「あく、ま……?」
「うん、そう。俺は悪魔。だから、俺のものになっちゃったティアは悪魔に魂を売っちゃったんだよ」
悪魔はにやりと笑ったが、ティファニアはそっかぁと少し悲しそうに笑っただけだった。
「あれ? もう少し落ち込んだりしないの?」
悪魔が少し不満そうに聞いたが、ティファニアはまた、悲しそうに笑い、そして、悪魔の目を真っすぐ見つめた。
「わたしはあの時、お父様に助けられた時、死ぬはずだった。馬車の中で息絶えるはずだった。でも、あなたが私を助けてくれた。死の淵から救い出してくれた。そのお陰でこんな幸せな日々があるの。だからね、それくらいのためだったら悪魔に魂を売るなんてどうってこともないの。それに、わたしにとって今の幸せをくれたあなたは悪魔っていうよりは、やっぱり、神様だと思うから」
ティファニアがそう言って笑うと、悪魔も二つの月を細めた。
「ああ、やっぱり。……君を選んでよかったよ、俺のティア」
悪魔はティファニアを優しく抱きしめると、首筋に顔を埋め、何度何度もよかったと小さく呟いた。
しかし、突然悪魔は思い出したかのように叫んだ。
「ああっ!? よくないよ!! くっそ、ユエのやつ!!」
悪魔はガバリと身体を持ち上げると、悪態をついた。ティファニアは突然の豹変に驚く。
「ど、どうしたの? それに、ユエさんを知ってるの??」
「うん、ユエのことも知ってるけど、正確にはユエのそばにいる同僚を知ってるんだよ」
同僚、と聞いて、ティファニアは首を傾げる。悪魔の同僚と言うことは、ユエの近くにも契約者がいたということだろうか。しかし、思い当たることがないわけではなかった。
ユエは確か、紋様のことや魔力について零していたはずだ。それに大分小さいときの記憶だが、ユエのそばに誰かがいた気がするのだ。
「じゃあ、ユエさんも契約してるの…?」
「ああ、ユエはティアたちとは少し契約が違うけどね」
「違うって…?」
「ユエは不老不死なんだ。自称調停者のせいでね」
「そう、なの? それに、調停者って…?」
「俺の同僚だよ。あいつはこの自分はこの世界の調停者だって名乗って、ユエにいろいろと行動させているんだ。まあ、今のところあいつの娯楽の範疇だけどな」
「どういうこと?」
「あいつは自分の欲望に忠実なんだ。俺たちは得意不得意は大きいけれど、魔法、と言うものが使える。俺は回復系が得意だし、この国の王の契約者は結界系が得意だ。だが、得意な魔法しか使えないわけではない。俺がアドリエンヌに制約系の魔法を施したのでわかる通りだ。魔力の負担が多いが、俺たちは基本的に何の魔法でも使える。だから、あいつは魔法を使って好き勝手やってやがるんだ。予知系の魔法で自分の好きな結果を得たり、自分の好みだからと言って得意な静止系の魔法でユエの時を止めたり。まあ、まだ規則の範囲内だけどな……」
「そう、なんだ……。じゃあ、ユエさんは無理やり不老不死になったの?」
そうだったら悲しいな、と思い、ティファニアは小さく震える声で聞いた。
ユエは後悔してばかりだったと言っていた。きっと、長い生の中でたくさん後悔してきたのだろう。それは、とても悲しいことだ。その気持ちは前世を後悔で終わらせたティファニアにも痛いほどわかるのだ。だから、もしユエが後悔ばかりの人生を無理やり長らえさせられているのならば、どうにかしてあげたいと思ったのだ。ユエには恩がたくさんある。
「俺のティアは優しいね。でも、ユエのことなんて心配しなくていいよ。ユエはティアを見捨てたんだ。大方あいつがこのままでも死なないと言ったんだと思う。予知系の魔法を使ってね。ユエはそれを信じてティアをあそこに置き去りにした。……ユエは結局、自分のことだけなんだ。だから、ティアが心配する必要なんてない。ユエがティアをどこかに預けるだけで、ティアは辛い目に合うことはなかったんだから」
それに面倒くさい魔法までティアにかけやがって、と悪魔は冷たい瞳で一層声を荒立てた。
「面倒くさい魔法…? わたし、ユエさんに魔法をかけられてたの?」
ティファニアは身に覚えのないことに首を傾げる。ルゥルゥはユエが魔法を使うところなど見たことがないはずなのだ。
「ああ、記憶封じの魔法だよ。ティアが今までルゥルゥであったことを思い出せなかったのはそのせいだ。ユエは人に紋様がつけられない。紋様は人体と魔法を媒介するものだ。だけど、ティアには俺が紋様を付けていた。悔しいことにそれを通じてユエはティアの記憶を封じたんだ」
「でも、ユエさんがお父様みたいに呪文みたいなのを唱えて魔法を使うのを見たことないよ」
「それは、ユエが『契約者の愛し子』だからだ。ユエは未来永劫呪文なんて唱えずにあいつに頼めば魔法を使える」
なるほど、とティファニアは納得した。それならば、自分がユエにいつの間にか魔法をかけられたのも納得できるのだ。
それよりも、とティファニアが『契約者の愛し子』のことを聞こうすると、また、悪魔が語調を強めた。
「そのせいで、俺はティアとの対面が遅くなったんだっ! ユエの野郎、どうしてくれるんだ!!」
悪魔はユエの名前を吐き捨てるように呼んだ。
どういうことだとティファニアが首を傾げると、悪魔は説明してくれた。
ティファニアに掛けられていた記憶封じの魔法は悪魔の同僚の不得意の魔法であったため、そんな強力なものではなかった。しかし、記憶封じの魔法を解く前に悪魔はティファニアを回復させるための魔法を施した。あの時、時は一刻を争ったのだ。悪魔も急いでティファニアに魔法をかけた。
しかし、そのせいで重ね掛けされた悪魔の魔法が記憶封じの魔法の上にのり、記憶封じの魔法は解きにくくなってしまったのだ。薄いカーペットに重いテーブルをのせ、そのカーペットを引き抜くかのような作業だったらしい。下手に魔法を解いてしまうと、ティファニアに影響が出てしまう。その為、悪魔は慎重に事を運び、3年をかけて、やっと記憶封じの魔法を解くことができたのだ。
「全く、ユエとあいつが何もしなければこんなことにはならなかったんだ!!」
悪魔はもう一度悪態をつくと、でも、と言った。
「まあ、でも、今はもう、俺のティアと会えたからいいかな。ティアは俺の愛し子だから」
自分を納得させるかのように、悪魔はうんうんとうなずいた。
「わたしが『契約者の愛し子』なの…?」
『契約者の愛し子』と言うのには聞き覚えがあった。ウルタリアの図書室で何度か見かけたのだ。契約者が時たま作る、お気に入り、だったと記憶している。しかし、自分がそうである実感はなかった。
「そうだよ。ティアは俺の『愛し子』。だから、俺が見える。それに、まじないがかかったものが光って見えたりするようになっただろう? それは俺の影響だよ」
最近、物が淡く光って見えることがあった。それは、ウルタリア領での鐘楼であったり、ラティスがくれた指輪であったりした。それらはみな悪魔の影響によって光って見えていたのか、とティファニアは驚く。よく考えてみれば、ルゥルゥとしての記憶が戻り始めたのと同時期に起きたことだった。それは、全て悪魔が記憶封じの魔法を解ききる前触れだったのか、と納得した。
「じゃあ、わたしも魔法が使えるの…?」
「うん。ティアが望むなら。なんなら、ティアを虐めた男たちに報復をしてもいいし、ユエには嫌がらせ程度しかできないけど何かしてもいいよ。さあ、ティアの望みは?」
悪魔は妖艶に笑うと、ティファニアに問いかけた。すると、ティファニアは嬉しそうに笑い返した。
「じゃあ、あなたの名前を教えて」
先ほどから、悪魔は名乗ることをしなかった。ティファニアはずっと『あなた』と呼んでいたのだ。それでは不便だ。それに、ティファニアはこの優しい悪魔の名前を知りたかった。
しかし、悪魔は悲し気に首を振った。
「俺らには名前はないよ。正確にはあるけれど、こちらでは名乗れないんだ」
「そうなの? じゃあ、ウルタリアはあなたの名前じゃないの?」
「うん。ウルタリアは俺が最初に契約したティアの先祖の名前。だから、俺の名前はない。まあ、今までの『愛し子』たちは俺をウルって呼んでたけれどね」
その言葉が寂しそうで、ティファニアはぎゅっと胸が締め付けられた。そして、この悪魔にこんな顔をさせたくないと思った。
そう思うと、いつの間にか言葉が出ていた。
「じゃあ、わたしは、違う呼び名にする」
「えっ?」
悪魔が驚きに目を見開くと、ティファニアはにっこり笑った。
「あなたもわたしの名前を、愛称だけれど、つけてくれたでしょ? だから、わたしもあなたに名前を送る。いいかな?」
「う、うん」
遠慮がちに返事をする悪魔にティファニアはまた、笑った。そして、悪魔の顔を覗く。そこには先ほどと変わらず、綺麗な二つの月があった。
「じゃあ、…………月読。ツクヨミはどうかな? わたしのいた国の月の神様だよ。あなたの夜の様な髪と月のような瞳にぴったりだと思うの。それに、あなたはわたしの一度は暗くなってしまった人生を照らしてくれた人だから」
ティファニアが問いかけると、悪魔はツクヨミか、と何度も何度も味わうかのように繰り返しその名前をつぶやいた。
そして、何かを考えると、うん、と納得したようだった。
「うん、それがいい。とっても嬉しいよ、俺のティア」
「よかった。これからよろしくね、ツクヨミ」
ティファニアが笑いかけると、ツクヨミは表情を崩してティファニアをまた、抱きしめた。
*
作者がずっと出したかったキャラ筆頭のツクヨミさんです。
やっと出せました…!
ツクヨミのお陰でいろいろと少しは謎が解けたのではないでしょうか?
説明できてることを願いますw
定期更新に戻したいとは思っているのですが、週2投稿できない日もあると思います。
前と同じように、水曜日または木曜日と日曜日に投稿します。
書ききれなくて週1になるときもあると思いますので、ご了承を。
次からはやっと、ヒロインです…!
長かった…!
叫び声と共にティファニアは目を覚まし、ガバリと布団から起き上がった。
急にあふれ出た記憶にティファニアは飲まれるようだった。
クーツェが笑った記憶、エルドが頬をつつく記憶、コルトが抱き上げて呉れた記憶、ヴィレットが自分の料理を自慢し、それを横からつまみ食いするサファニアの記憶、年上ぶって手を伸ばすマイカとブロンの記憶。
せめぎあうように押し寄せる記憶は嬉しくて、そして、酷く寂しくなった。
そして、思う。みんな、いなくなってしまった、と。
みんないなくなってしまったのだ。クーツェもエルドもヴィレットもコルトもサファニアもマイカもブロンも、みんな。もう、誰も、いない。
突然思い出した愛しい記憶と辛い記憶に流されるようにティファニアはさめざめと涙を流した。布団に滴るその涙は大きなシミを作っていった。
ティファニアはグッとこぶしを握り、涙をこらえる。悲しくても、こんな姿は誰にも見られたくないと思ったのだ。
先ほどの叫び声のせいでおそらく誰かがティファニアが起きたことに気付いただろう。それならば、大丈夫と笑って返せるように。そう思って、下唇を軽くかみ、目をぎゅっと瞑って涙を必死に止める。
すると、ふいに誰かにふわりと抱きしめられる。
それは歌のような、詩のようなもので、温かくて、そして、懐かしかった。
「泣いていいんだよ、俺のティア」
心地よい声が響いた。
「ここは俺の結界の中だから、誰も聞いていないよ。それに、俺は、全部知っている。君がティファニアであることも、ルゥルゥであったことも、そして、――だったことも」
だから、泣いていいんだよ、とその声は小さな子供を宥めるように言った。
ティファニアは、その言葉がで悟った。彼は本当に全て知っているのだ、と。
それが分かった瞬間、ティファニアの涙は堰を切ったかのようにあふれ出てきた。この涙は、今までずっと、ずっと、誰にも見せられなくて、我慢して、耐えてきて、堪えていたものだったものだった。
誰にも言えっこないことをずっと抱えてきた。前世のこと、スラム時代のこと、そして、今のこと。
言えばよかったのかもしれない。しかし、ティファニアにはそれは出来なかった。大好きな人たちにつらいことを伝えたくなかった。心配かけたくなかった。だから、ひたすら隠してきた。
でも、彼は知っているのだ。知っていて、ティファニアに泣いていいと言ってくれるのだ。
そう思うと、ティファニアは彼に抱き着き、大声を出してワンワンと泣いた。
「みんな、しんじゃったよぉぉ! クーツェもみんな、みんな! 優しかったのに、みんないっぱい遊んでくれたのに、いなくなっちゃったぁぁぁ!!」
ティファニアがいうことをすべて受け止めるかのように、彼はずっと頷いて、背中をさすってくれた。何もしないで、泣きつく自分のはなしをただ聞いてくれるだけで、嬉しかった。
半刻ほどティファニアはずっと泣き縋っていたが、段々と落ち着いてきた。
すると、彼はティファニアの頭を自分の胸に優しく抱き寄せ、落ち着いた声で聞いた。
「落ち着いた?」
ティファニアは小さく鼻をすすると、うん、と頷き、ゆっくりと顔をあげる。そこには、端正な顔があった。彼は深い紺の髪と美しい金の瞳をしていた。眼がパチリと合うと、彼は相好を崩した。
その細められた眼はまるで三日月のようで、彼の夜の様な髪も相まって、そこに二つの月があるようだとティファニアは思った。
「綺麗……」
ぽつりと本音が零れ、目を反らさないようにその瞳を見つめ続けた。すると、彼は嬉しそうに口角をあげ、チュッとティファニアの額にキスを落とした。
「ありがとう、ティア。将来はティアの方が絶対に綺麗になるけどね」
今はティアは可愛いだから、と彼はティファニアの頬を軽くつついた。
しかし、ティファニアは首を傾げる。
「あ、あの、ティアって?」
先ほどから聞きなれない呼び名が気になっていたのだ。彼の瞳を見つめて問いかけた。
「ん? ああ、ティファニアだから、ティア。他の奴らはティーとか、ティファって呼ぶだろう? ティアは俺のだから、俺だけの愛称を考えたんだよ。中々いいだろう?」
彼はふふん、と自慢するように鼻で少し笑った。
「だって、ティアのいた世界では『涙』って意味もあるんだろう? だから、綺麗で、儚い君にはぴったりだ」
彼はティファニアの頬にある涙のすじをつーっとなぞると、満足げに言った。そして、また、額にキスを落とす。
ティファニアはごくりと息を呑んだ。そして、彼の胸元に当てていた手をぎゅっと握る。自分の涙のせいか、彼の服は少し湿っていた。
「やっぱり、知っていたの?」
ティファニアが恐る恐る尋ねると、彼・は何ということもないように笑った。
「ああ、だって、ティアは俺のだからね。全部知ってるよ」
「じゃあ、やっぱりあなたは……?」
ティファニアにはわかっていた。彼が誰であるかを。しかし、確かめずにはいられなかった。彼の口から、彼が誰かと言う確証が欲しかったのだ。
ティファニアの握る手に力が入る。
「うん、そうだよ。俺はこの国の人たちが契約者と呼ぶものだ。他のところでは神、とも呼ばれる」
「神、さま、なの?」
「うーん、そう呼ばれてるだけだよ。俺はこう名乗ってる。悪魔、ってね」
「あく、ま……?」
「うん、そう。俺は悪魔。だから、俺のものになっちゃったティアは悪魔に魂を売っちゃったんだよ」
悪魔はにやりと笑ったが、ティファニアはそっかぁと少し悲しそうに笑っただけだった。
「あれ? もう少し落ち込んだりしないの?」
悪魔が少し不満そうに聞いたが、ティファニアはまた、悲しそうに笑い、そして、悪魔の目を真っすぐ見つめた。
「わたしはあの時、お父様に助けられた時、死ぬはずだった。馬車の中で息絶えるはずだった。でも、あなたが私を助けてくれた。死の淵から救い出してくれた。そのお陰でこんな幸せな日々があるの。だからね、それくらいのためだったら悪魔に魂を売るなんてどうってこともないの。それに、わたしにとって今の幸せをくれたあなたは悪魔っていうよりは、やっぱり、神様だと思うから」
ティファニアがそう言って笑うと、悪魔も二つの月を細めた。
「ああ、やっぱり。……君を選んでよかったよ、俺のティア」
悪魔はティファニアを優しく抱きしめると、首筋に顔を埋め、何度何度もよかったと小さく呟いた。
しかし、突然悪魔は思い出したかのように叫んだ。
「ああっ!? よくないよ!! くっそ、ユエのやつ!!」
悪魔はガバリと身体を持ち上げると、悪態をついた。ティファニアは突然の豹変に驚く。
「ど、どうしたの? それに、ユエさんを知ってるの??」
「うん、ユエのことも知ってるけど、正確にはユエのそばにいる同僚を知ってるんだよ」
同僚、と聞いて、ティファニアは首を傾げる。悪魔の同僚と言うことは、ユエの近くにも契約者がいたということだろうか。しかし、思い当たることがないわけではなかった。
ユエは確か、紋様のことや魔力について零していたはずだ。それに大分小さいときの記憶だが、ユエのそばに誰かがいた気がするのだ。
「じゃあ、ユエさんも契約してるの…?」
「ああ、ユエはティアたちとは少し契約が違うけどね」
「違うって…?」
「ユエは不老不死なんだ。自称調停者のせいでね」
「そう、なの? それに、調停者って…?」
「俺の同僚だよ。あいつはこの自分はこの世界の調停者だって名乗って、ユエにいろいろと行動させているんだ。まあ、今のところあいつの娯楽の範疇だけどな」
「どういうこと?」
「あいつは自分の欲望に忠実なんだ。俺たちは得意不得意は大きいけれど、魔法、と言うものが使える。俺は回復系が得意だし、この国の王の契約者は結界系が得意だ。だが、得意な魔法しか使えないわけではない。俺がアドリエンヌに制約系の魔法を施したのでわかる通りだ。魔力の負担が多いが、俺たちは基本的に何の魔法でも使える。だから、あいつは魔法を使って好き勝手やってやがるんだ。予知系の魔法で自分の好きな結果を得たり、自分の好みだからと言って得意な静止系の魔法でユエの時を止めたり。まあ、まだ規則の範囲内だけどな……」
「そう、なんだ……。じゃあ、ユエさんは無理やり不老不死になったの?」
そうだったら悲しいな、と思い、ティファニアは小さく震える声で聞いた。
ユエは後悔してばかりだったと言っていた。きっと、長い生の中でたくさん後悔してきたのだろう。それは、とても悲しいことだ。その気持ちは前世を後悔で終わらせたティファニアにも痛いほどわかるのだ。だから、もしユエが後悔ばかりの人生を無理やり長らえさせられているのならば、どうにかしてあげたいと思ったのだ。ユエには恩がたくさんある。
「俺のティアは優しいね。でも、ユエのことなんて心配しなくていいよ。ユエはティアを見捨てたんだ。大方あいつがこのままでも死なないと言ったんだと思う。予知系の魔法を使ってね。ユエはそれを信じてティアをあそこに置き去りにした。……ユエは結局、自分のことだけなんだ。だから、ティアが心配する必要なんてない。ユエがティアをどこかに預けるだけで、ティアは辛い目に合うことはなかったんだから」
それに面倒くさい魔法までティアにかけやがって、と悪魔は冷たい瞳で一層声を荒立てた。
「面倒くさい魔法…? わたし、ユエさんに魔法をかけられてたの?」
ティファニアは身に覚えのないことに首を傾げる。ルゥルゥはユエが魔法を使うところなど見たことがないはずなのだ。
「ああ、記憶封じの魔法だよ。ティアが今までルゥルゥであったことを思い出せなかったのはそのせいだ。ユエは人に紋様がつけられない。紋様は人体と魔法を媒介するものだ。だけど、ティアには俺が紋様を付けていた。悔しいことにそれを通じてユエはティアの記憶を封じたんだ」
「でも、ユエさんがお父様みたいに呪文みたいなのを唱えて魔法を使うのを見たことないよ」
「それは、ユエが『契約者の愛し子』だからだ。ユエは未来永劫呪文なんて唱えずにあいつに頼めば魔法を使える」
なるほど、とティファニアは納得した。それならば、自分がユエにいつの間にか魔法をかけられたのも納得できるのだ。
それよりも、とティファニアが『契約者の愛し子』のことを聞こうすると、また、悪魔が語調を強めた。
「そのせいで、俺はティアとの対面が遅くなったんだっ! ユエの野郎、どうしてくれるんだ!!」
悪魔はユエの名前を吐き捨てるように呼んだ。
どういうことだとティファニアが首を傾げると、悪魔は説明してくれた。
ティファニアに掛けられていた記憶封じの魔法は悪魔の同僚の不得意の魔法であったため、そんな強力なものではなかった。しかし、記憶封じの魔法を解く前に悪魔はティファニアを回復させるための魔法を施した。あの時、時は一刻を争ったのだ。悪魔も急いでティファニアに魔法をかけた。
しかし、そのせいで重ね掛けされた悪魔の魔法が記憶封じの魔法の上にのり、記憶封じの魔法は解きにくくなってしまったのだ。薄いカーペットに重いテーブルをのせ、そのカーペットを引き抜くかのような作業だったらしい。下手に魔法を解いてしまうと、ティファニアに影響が出てしまう。その為、悪魔は慎重に事を運び、3年をかけて、やっと記憶封じの魔法を解くことができたのだ。
「全く、ユエとあいつが何もしなければこんなことにはならなかったんだ!!」
悪魔はもう一度悪態をつくと、でも、と言った。
「まあ、でも、今はもう、俺のティアと会えたからいいかな。ティアは俺の愛し子だから」
自分を納得させるかのように、悪魔はうんうんとうなずいた。
「わたしが『契約者の愛し子』なの…?」
『契約者の愛し子』と言うのには聞き覚えがあった。ウルタリアの図書室で何度か見かけたのだ。契約者が時たま作る、お気に入り、だったと記憶している。しかし、自分がそうである実感はなかった。
「そうだよ。ティアは俺の『愛し子』。だから、俺が見える。それに、まじないがかかったものが光って見えたりするようになっただろう? それは俺の影響だよ」
最近、物が淡く光って見えることがあった。それは、ウルタリア領での鐘楼であったり、ラティスがくれた指輪であったりした。それらはみな悪魔の影響によって光って見えていたのか、とティファニアは驚く。よく考えてみれば、ルゥルゥとしての記憶が戻り始めたのと同時期に起きたことだった。それは、全て悪魔が記憶封じの魔法を解ききる前触れだったのか、と納得した。
「じゃあ、わたしも魔法が使えるの…?」
「うん。ティアが望むなら。なんなら、ティアを虐めた男たちに報復をしてもいいし、ユエには嫌がらせ程度しかできないけど何かしてもいいよ。さあ、ティアの望みは?」
悪魔は妖艶に笑うと、ティファニアに問いかけた。すると、ティファニアは嬉しそうに笑い返した。
「じゃあ、あなたの名前を教えて」
先ほどから、悪魔は名乗ることをしなかった。ティファニアはずっと『あなた』と呼んでいたのだ。それでは不便だ。それに、ティファニアはこの優しい悪魔の名前を知りたかった。
しかし、悪魔は悲し気に首を振った。
「俺らには名前はないよ。正確にはあるけれど、こちらでは名乗れないんだ」
「そうなの? じゃあ、ウルタリアはあなたの名前じゃないの?」
「うん。ウルタリアは俺が最初に契約したティアの先祖の名前。だから、俺の名前はない。まあ、今までの『愛し子』たちは俺をウルって呼んでたけれどね」
その言葉が寂しそうで、ティファニアはぎゅっと胸が締め付けられた。そして、この悪魔にこんな顔をさせたくないと思った。
そう思うと、いつの間にか言葉が出ていた。
「じゃあ、わたしは、違う呼び名にする」
「えっ?」
悪魔が驚きに目を見開くと、ティファニアはにっこり笑った。
「あなたもわたしの名前を、愛称だけれど、つけてくれたでしょ? だから、わたしもあなたに名前を送る。いいかな?」
「う、うん」
遠慮がちに返事をする悪魔にティファニアはまた、笑った。そして、悪魔の顔を覗く。そこには先ほどと変わらず、綺麗な二つの月があった。
「じゃあ、…………月読。ツクヨミはどうかな? わたしのいた国の月の神様だよ。あなたの夜の様な髪と月のような瞳にぴったりだと思うの。それに、あなたはわたしの一度は暗くなってしまった人生を照らしてくれた人だから」
ティファニアが問いかけると、悪魔はツクヨミか、と何度も何度も味わうかのように繰り返しその名前をつぶやいた。
そして、何かを考えると、うん、と納得したようだった。
「うん、それがいい。とっても嬉しいよ、俺のティア」
「よかった。これからよろしくね、ツクヨミ」
ティファニアが笑いかけると、ツクヨミは表情を崩してティファニアをまた、抱きしめた。
*
作者がずっと出したかったキャラ筆頭のツクヨミさんです。
やっと出せました…!
ツクヨミのお陰でいろいろと少しは謎が解けたのではないでしょうか?
説明できてることを願いますw
定期更新に戻したいとは思っているのですが、週2投稿できない日もあると思います。
前と同じように、水曜日または木曜日と日曜日に投稿します。
書ききれなくて週1になるときもあると思いますので、ご了承を。
次からはやっと、ヒロインです…!
長かった…!
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15才になり学園に入学すると、編入してきた男爵令嬢が第1王子と有力貴族令息を複数侍らかせることとなり、ユリア以外の婚約者候補と男爵令嬢の揉める事が日常茶飯事に。ユリアは遠くからボーッとそれを眺めながら〘 いつになったら婚約者候補から外してくれるのかな? 〙と思っていた。そんなユリアが失敗する話。
※王子は曾祖母コンです。
※ユリアは悪役令嬢ではありません。
※タグを少し修正しました。
初めての投稿なのでゆる〜く読んでください。ご都合主義はご愛嬌ということで見逃してください( *・ω・)*_ _))ペコリン
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