仏像教室

吉野楢雄

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仏像教室

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 仏像は作るものではない、元から木の中に埋まっているものを彫り出すまでだ、という謂(い)いがあるが、仏像教室に通い始めてから丸一年、まったくその境地には達しない。後から入門した人たちに次々追い越されてばかりで、初級者クラスの末席を飾り続けている。何しろ最初の課題の地蔵が全く完成しない。
 美人の奥さんが一人いて、この人も後から入門した人だが、今は中級クラスに昇格した。
 年は四十代初めだろうか、若いころはさぞかし美しかっただろうと思わせ、今もその名残は失われていない。そう人数の多くはない教室のことで、ほとんどの生徒とは顔なじみだが、奥さんと話すときは年甲斐もなく赤面する。
「今は何をお彫りに?」と奥さん。
「僕は相変わらず地蔵さんです」
「時間をかけて丁寧に彫られたら、いいものができますよ」
「ありがとうございます」
 何度も失敗してずいぶん小さくなった木を見せて、これはミニチュアですと笑って見せるが、学校の学科では後れを取ったことはあまりなかっただけに、初めて経験する劣等生の立場に甘んじていたくはない。
「奥さんは今何を?」
「観音菩薩です」
「そうですか。中級ですもんね」
「もう二か月ほどで完成させるつもりです」
「そうしたら上級も近いですね」
 奥さんは中高年の多い生徒の中ではずいぶん若いほうで、どうして仏像を彫ろうなどと考えたのかはわからない。おおかた美術に興味があって、活動的な性格なのだろう。
「お地蔵さんの完成、楽しみにしています」
「がんばります」
 奥さんは中級クラスの教室へ、私は初級クラスの教室へ向かった。
 ――講師を務める仏師は雲(うん)着(ちゃく)と号し、以前は奈良の仏師に長らく師事していたという。
 五十代だろうか、長髪に和服姿がそれらしさを感じさせる。
 今日の講座が始まり、各自がそれぞれの作品に取り掛かった。
 私は肝心の地蔵さんの顔がさっぱり進まず、そこから下が全く手つかずのままだった。
「今日はとりあえず顔をそのままで、台座から始めたらいかがでしょう?」
 雲着先生がアドバイスした。
「そうしましょうか」
 一番難しい顔で手間取っていたので、比較的簡単な台座の作成を勧められ、気分も変わるだろうと応じた。
 ところが台座は台座で曲線が多く、もともと手先の器用ではない私はここでも手間取り、そうこうするうちに今日の講座が終了した。
 生徒たちはロッカーに作りかけの作品を納め、散り散りに帰途に就いた。

 近くの百貨店の文化教室に仏像教室、正しくは仏像彫刻教室があることは、亡妻の口から生前にずいぶん前から聞いていたが、関心を持ったことはなかった。近所の人にも参加している人は聞いたことがなく、妻も、興味半分で開いた百貨店のホームページで、見かけただけだった。
「行ってみようかな」と妻。
「やめとけ」
「お寺で見るだけで十分かしら?」
「そうだろう」
 妻も結局、それ以降口にすることはなかった。
 しばらくして妻は病で亡くなり、定年退職後の生活を妻と満喫する予定だった私は、大いに嘆いたものだった。
 その後定年を迎えた私は、年金生活の無聊(ぶりょう)に苦しみ、一人では旅行を楽しむ気にもならず、趣味を持とうと思って、百貨店の文化教室のホームページを開いた。そこで数年前に妻の話していた仏像教室が現れて、記憶がよみがえった。
 ――初級クラスでは地蔵さんから始めるらしい。地蔵さんは特別好きなわけでもないが、嫌いなものでもない。生まれ育った田舎では、ところどころにあったものだ。
 人は死んだら、地蔵さんになるんだっけ。観音菩薩とか阿弥陀如来までいかなくても、地蔵さんができたら卒業すればいい、妻の仏壇の端に飾っておこう――。

 嫁に行った長女から電話が鳴った。
「仏像教室、順調?」
「最初の課題の地蔵さんがまだ終わらないんだ」
「前もそんなこと言ってなかったっけ」
「前からほとんど進まない」
「学校変えたら?」
「学校のせいじゃなくて俺のせいだよ」
「あんまり受講料無駄にしないで、切りをつけてよね」
「そのつもりだ」
 長女はそう言って電話を切った。
 地蔵一体が終わらない。予定ではそうではなかった。だが学校のせいではない。他の人は早々に完成させて、中級クラスに進んでいる。ひとえに自分の責任だ。もともと手先は器用ではない。だがこう人様より劣る結果に陥ったのは、初めてだ。打開策はないか? 頭を抱えた。
 ――運慶は仏像彫刻界のスーパースターだ。奈良の東大寺の金剛力士像を、修学旅行で目にする人も多かろう。関東では神奈川の浄楽寺にいくつかの作品があるが、中心的な作品はやはり奈良に多く、そうして伊豆にも若干の作品がある。美術雑誌の運慶特集をいくつか手に入れて眺めたが、天才だなと思う以外感想というものもない。自分のお地蔵さんとは、かけ離れすぎているのである。雲着先生も奈良で修業したんだっけ。一度実物を見学してみるか。

 仏像教室で知り合った男に、江頭というのがいる。私と同様、定年退職をした年金生活者だ。こいつとはやや親しくしていて、講座がはねた後、たまに二人で飲みに行く。講座終了後、中級クラスを訪れて、居酒屋に誘った。
「今は何を?」と私。
「観音菩薩だ」
 美人の奥さんと同じだった。
「僕は地蔵さんが終わらなくてね、初級クラスの長老だよ」
 江頭は笑い、
「仏像をうまく彫れても、仏師にならない限り金にはならないよ。時間をかけてもらうだけ地蔵さんも喜ぶ」
「地蔵さんに喜んでもらうために、せっせと教室に通っているわけじゃない」
 そう切り返して本題に移った。
「どうしたらいいものかね」
「……歴史上の名作を見学してみるとか」
「運慶の作品なら美術雑誌で眺めている」
「彫刻だからね。立体で見ないと」
「実物ということか」
「なんでもそうだよ」
 私も考えていたことを江頭は言った。
「ほとんどが奈良だよ」
「お互い年金生活者じゃないか」暇だという意味だろう。
 伊豆にも若干の作品はあるが、やはり奈良。修学旅行以来の関西行きは、縁遠く感じる。
「伊豆じゃあだめか」
「両方行くべきだろうね」
 やっぱり奈良へ行くか。修学旅行以来。東大寺には金剛力士像、興福寺にいくつかの国宝。聞いたことのない円成寺。行きか帰りに伊豆の願成就院。
「奈良にうまいものあるかい?」と私。
「奈良にうまいものなしといったのは、志賀直哉だっけ、正岡子規だっけ?」
「志賀直哉だよ」
「魚はないだろうね。柿でも食えばいいんじゃ?」
「そりゃデザートだ」
 呑気な会話を交わし、それじゃあ必ず見学に行くんだぞ、土産話を楽しみにしているからと、江頭は別れ際に言った。
 大彫刻家の彫刻を実物で見れば、彫刻が上達するとは限らないとは思うが、この上達の遅さにはしびれが切れた。
 家に帰ってパソコンで地図を開き、おおよその地理を調べたところで、長女からの電話が鳴った。
「おい俺奈良行くぞ」
「あら観光?」
「運慶の彫刻を見にだ」
「あらまだ習ってたの?」
「彫刻仲間も、実物を見たほうがいいと言う」
「金剛力士像なら覚えてるわ私」
「あと興福寺にも円成寺というところにもある」
「おいしいもの食べてきてね」
「奈良にうまいものなしだ」
 電話を切り本格的に交通を調べ始めた。東京から新幹線で二時間で京都。近鉄で三十分南下して奈良。帰りは奈良から京都まで三十分、京都からひかりで三島まで二時間。それからタクシーで三十分で伊豆。おおかたそんなところだ。奈良に二泊、伊豆に一泊で、計三泊四日の旅。妻が存命なら方々に旅行していただろうが、妻の死後は旅行の経験がない。身に余る贅沢とも言えぬだろう。
 奈良では奈良国際ホテルに泊まることにした。皇室御用達との触れ込みだ。伊豆では伊豆観光ホテル。ここも負けず劣らず。たまの旅行を奮発することにした。
 
 ネット予約というのも気が進まず、近くの旅行代理店に出かけた。
 うら若い女性店員が受け付ける。
「彫刻を習っていてね」
「あら何のですか?」
「仏像だよ」
 店員は私を見て年配者にふさわしい趣味だとでも思ったか、
「それで奈良にいらっしゃるわけですね」
「著名な仏像があるんだ」
「帰りに伊豆に寄られるのは?」
「ここにも国宝の仏像があるらしい」
「伊豆にですか?」
 店員は意外そうだ。
「伊豆にうまいものあるかい?」
「うなぎでも召し上がられたら。浜名湖の」
そうだ、浜名湖のうなぎを忘れていた。
「奈良は?」
 店員は困ったような顔をして、
「名物というものがありませんからね。海もありませんし。でも柿とイチゴならおいしいですよ」
 江頭と同じことを言う。
「そうそう、柿の葉寿司というものがあります。お土産によろしいかと」
「なんで奈良の寿司が名物なんだ?」
「……どうしてかはわかりかねます。大方保存食なんでしょう」
 そのへんで打ち切って、手配を頼んだ。
 帰ってもう一度雑誌の運慶特集を眺め、そのあと仏壇に向かい、お前と行けなかった旅行に一人で出かけ、彫刻上達の願をかけて運慶を見学に行くと、妻に伝えた。むろん妻は何も言わないが、自分がモデルの地蔵さんを作るためなら歓迎するだろうと思い、チーンとお鈴を鳴らして、また運慶特集を手にした。

 学生時代の友人と、久しぶりに食事に出かけた。
「天下りはしなかったのか?」と友人。
「ありゃ昔の話だ」
 嘘をついた。
「バイクはまだ乗ってるの?」と友人。
「たまにだけど」
「高齢者の事故増えてるけど、大丈夫か?」
「ありゃ車の話だ」
 確かに高齢者のバイク事故の報道は聞いたことがない。
 友人は銀行の副頭取まで務めたが、褒めると、頭取になれなかったのは不覚だったと嘆くのが常だ。まあ衒(てら)いだ。
「奥さん、早かったよな」と友人。
「六十二だったからかなり早かった。嫁さんが健在なのはうらやましいよ」と私。
「いないほうがいいと思うこともあるが」
「そんなことはないよ」
 もちろん謙遜だろう。老夫婦というのはいいものだ。
「仕事はどうなんだ?」と私。
「建設不況でね。あんまり儲からないし、給料も大したことないが、公共事業でなんとか現状維持している」
「減益じゃないなら、大きな顔をしていりゃいい」
「そりゃそうだ」
 他愛のない会話を交わし、友人は、
「また会おう。土日じゃないとだめだが」
 友人は今、融資先の建設会社の役員を務めている。
「仕事があるのは何よりだ」と私。
「謙遜するな」
 天下り先ならいくつもあったがやめておいた。世間の目もあるが、潔く引退して同世代の一員として、年金生活を過ごそうと考えたからだ。
 後悔したことはないではないが、こうして仏像教室とたまのバイクのツーリングクラブに参加することを快く受け入れている。それでいいではないか。

 旅行前最後の教室のあと、雲着先生に、運慶を見学に奈良と伊豆に旅行に行きますと話すと、先生は、
「よろしいでしょう。きっと役立ちます」
「先生は奈良に長かったんですよね」
「十年ほどおりました」
「もちろん仏像も見学された?」
「運慶以外もいいのがたくさんありますよ」
「観光客が多くて、じっくり見れないのが心配で」
「この時期はそうでもありませんよ。修学旅行生も、京都に取られる一方だと聞いています」
 先生はそう言って頷き、旅行が充実したものになりますようにと言い残して、去っていった。
 江頭に、とうとう実行することになったと話すと、
「ナイトライフも楽しまないと」
「若者じゃあるまいし」
 苦笑して、
「すべてはお地蔵さん完成のためだ」
「次の観音菩薩や阿弥陀如来もあるじゃないか」
「そこまでやるかは決めてないんだ」
「そう言わずに」
 そうして別れてそれぞれの帰途に就いた。

 出発当日は家に呼んだタクシーで東京駅に向かった。
「お客さん、ご旅行ですか?」
 キャリーバッグを見て運転手が尋ねた。
「奈良、あと伊豆へ」
「いいところへご旅行ですね。今頃紅葉がきれいでしょう」
「そうだったらいいんだけど」
 そうだ紅葉の時期だった、忘れていた。
「私、静岡の出身なんですよ。伊豆へはあんまり行ったことがないですけど、人気らしいですね」
「……寺に仏像を見に行くだけだからあんまりわからないんだ」
 私も伊豆にはあまり行ったことがない。
「仏像?」
 運転手に事情を説明し、運転手はもうひとつ飲み込めない様子だったが、辛抱強く説明した。
「仏像をうまく彫れるように、奈良と伊豆にある、運慶の作品がある寺を見学に?」
「要するにそういうことだ」
 幸い車は東京駅のタクシー降り場について、話を終わらせた。
 話好きの運転手は昔から苦手だ。役人時代もそれが嫌で、終電に間に合うように帰り、上司に嫌味を言われたものだ。
 駅のホームでサンドイッチとコーヒーのセットを買い、無事、予定ののぞみに乗れた。
 役人時代以来、初めての新幹線だ。天気は良好、定時の出発。品川、新横浜と順調に来て富士山を鑑賞。日本の美、これも彫刻の肥やしになるかもしれない。
 名古屋で多くの人が降り、京都で私も降客の一人となる。JR京都駅から近鉄京都駅へ。平日昼間だからさして人はいない。近鉄特急に乗り込み窓から左右をうかがう。
 京都も役人時代からずいぶん変わったという。京都駅ビルができ南北が分断されたと嘆いていた新聞の記事を髣髴した。駅近くにラーメンの名店が二軒並んでいるらしくて、亡妻が学生時代、サークルの同級生に足しげく連れて行ってもらったとか話していたのを思い出し、憮然とする。ラーメンは嫌いでないが、五回のラーメンを辛抱して焼肉を食べに行くほうが好きだった。そう話すと妻は高級志向なのねと言って笑ったことがあった。
 特急が出発する。京都を離れ奈良に向かう。再び京都駅で買ったコーヒーに口をつけ、京都奈良間の風景を楽しむ。近畿の中央だから、さして田園風景が美しいわけではないが、新幹線からの眺めよりは若干風情がある。途中二度ほど停車して近鉄奈良駅で降車。駅前のタクシー乗り場でタクシーに乗り込み奈良国際ホテルを依頼した。
 奈良はちっとも変っていない。くだんの大学の友人が奈良出身で、学生時代に遊びに来たことがある。行基像の噴水を懐かしく眺めた。
 友人は所属していたテニスサークルの花形プレーヤーで、中学から国立の一貫校で、硬式テニス部に所属していたという。背も高くて前衛でも後衛でも頼りになった。私はただ背が高いというだけで前衛を任されボレーとスマッシュの練習に明け暮れた。一番いい成績を上げたのは、彼と組んだ校内サークル対抗テニス大会での、ベスト8だった。彼はのちにもっとうまいペアと組んだ大会で、学内準優勝という成績を上げた。
 私は大学卒業後、役人になり、彼は銀行に入行し、たまに彼の連れてくる女の子たちとテニスを楽しんだが、お互い仕事が忙しくなるにつれ疎遠になり、現在に至った。彼は今も忙しくしているが。
 タクシーはすぐに奈良国際ホテルに着き、私は運転手に礼を言いチップをはずんだ。ボーイがすぐに駆け付けてキャリーバッグを受け取り、私はチェックインを済ませるとすぐに部屋に入り、そのままベッドに寝そべった。
 年だろうか、数時間の電車移動が体に堪えた。一寝入りして窓から風景を眺めると、池でボートをこぐ観光客が目に入った。夕食まで時間があったので、さっそくボート乗り場に向かった。奈良公園の景色を楽しみながらボートを漕ぎ、妻とのデートを思い出した。かつてボート部の試乗会で教えてもらったことがあって、漕ぐのは得意だ。30分の予定だったが、結局一時間池を周遊して、ボート付き場に戻った。会計で差額を支払うとすぐにホテルの部屋に戻り、すぐにまた一寝入りした。時計を見ると4時半で、5時半からの食事まで多少の時間があった。テレビをつけて奈良の放送局にチャンネルを合わせ、そうしてつつと思いを巡らせた。
――運慶を見たら彫刻が上達するというのも荒唐無稽だが、江頭も真顔で勧めていた。はるばる三時間かけて、東京から奈良にやってきた。ボートからは奈良公園が見え、観光客が鹿にせんべいをやっていた。
 奈良県の知事は大学の同窓だが面識はなく、最近三選を飾ったとニュースで耳にした。駅からホテルあたりまでは、タクシーで見た限りでは高層ビルもなく、景観は無事保全されているように思われる。
 目についたのは外国人観光客の多さで、中国人や韓国人らしい人が多いように思われた。看板にも中国語や韓国語が躍る。最近は観光公害などといわれて、観光客を嫌う動きがあるというが、観光客はマナー正しく鹿にせんべいをやり、そうしてそういった写真や、鹿を含めた風景写真をカメラに収めていた。
 ふと観光庁を定年退官した同期を思い出し、あいつにもまた会ってみるか、しばらく連絡を取っていないしと思い出した。
 同期には役人が多い。観光庁に出向になった彼も最初は嫌がっていたが、そのうち慣れて結局定年まで勤めあげた。
 東京にも外国人が増えてきた。最初は嫌な気がしたものだが、そのうちやはり慣れて、いろんな国の出身者が明るく楽しくこの日本で暮らすことを、ほほえましく思えてきた。戦前の日本だって、軍国主義と言いながら満州での五族協和を唱えていたではないか。偏狭はよくない。みんな仲良く楽しく。お地蔵さんに恥ずかしくないよう。
 時計を見ると5時20分だった。予約を入れてある日本料理店に向かった。
 さすがに皇室御用達ホテル、食い物はうまい。退官後は質素倹約の気持ちが強まり、さすがに自炊の気力まではなかったので、妻の死後は、一食500円程度の宅食を頼むようにしていたが、久しぶりの豪食に、粗食の決心が揺らぐほどであった。食後のデザートとカプチーノを飲んで、贅沢は旅行中限りにしよう、旅行から帰ったらまた宅食を始めよう、地蔵さんに笑われる、第一普通の人の暮らしを始めようと、天下りを断った意味がないではないか。
 贅沢を一方でしつつ、カルチャースクールに通ったり、市井人からなるツーリングクラブに通うのは、道理がないではないか、そんなことを考えた。
 食事が終わるとバーに向かった。カウンターに座りオールドパーをダブルで頼む。質素を標榜しながら削れないのは、酒の趣向であった。オールドパーかマッカランくらいしか、飲むことができないのである。要するに高級洋酒しか好まないのであった。
 つまみも頼み、半分ほど飲み干して一息ついた。
 ――旅行はあまり好きではなかった。そのうえ妻も同様で、いつもの生活から離れることを嫌がったのである。そのため家族旅行にはあまり行かなかった。長男や長女は結婚してから、旅行があんなに楽しいものだと知らなかった、今は家族旅行を満喫している、親父や母親にはお恨み申し上げると言ってくるが、知ったことではない、日々の生活を守る大切さを知ってほしい。
 ウイスキーの二杯目を頼み、なおも考える。明日はいよいよ奈良の運慶巡りだ、今回の旅行のメインイベントで、粗相は許されない。運慶を目に焼き付け、東京に帰ったら必ずや地蔵さんを仕上げる。カルチャーセンターの月謝のことなどむろんどうでもいいが、長女が気にしているし、気にするべきところなのだろう。雲着先生にも、奈良は変わっていませんでしたと、伝えてあげよう、鹿は相変わらずおだやかに草を食んでおりました、外国人観光客の増加があっても、特に変わったことはありませんでしたと。
 三杯目のウイスキーを飲み干すと勘定を済ませ、部屋に戻った。
 部屋のバスで風呂を済ませると、長女の携帯に電話をかけた。
「俺だ、今奈良だ」
「あらどうしているの?」
「今日の昼過ぎに着いて、ボートに乗って夕食を取って、バーでウイスキーを飲んで風呂に入った」
「あら奈良のお酒はおいしかった?」
「いつものウイスキーだから、どこで飲んでも一緒だ」
「せっかくだから、地酒をいただけばよかったのに」
「それもそうだ」
 たしかバーのメニューにも日本酒のメニューがあったが、思いつかなかった。
「しっかり運慶見てきてね」
「ああ」
 電話を切って、部屋の冷蔵庫からビールを取り出して飲んだ。
 旅行情緒が急に出てきて、おまけに死んだ女房との旅行を思い出して、涙が出そうになった。長女は淡々としていたが、早世した母親のことを思い出したろうか。
 旅行というものはいけない、だから俺は旅行は避けていた、普段と違う感情が首をもたげる。妻も旅行が嫌いだった。淡々と送る日常を大切に思っていた。
 そろそろ寝ようかと思ったが、結局冷蔵庫にあったウイスキーを取り出して、夜のニュースを見ながら飲んで寝た。
 
 翌日、早くに目が覚めた。慣れない旅行のせいだろう。ベッドについていたラジオで7時のNHKニュースを聞き、それが終わるとようやくベッドから出た。
 朝食は8時からで、洋風のバイキングスタイルでクロワッサンを三つほど、オレンジジュースと平らげ、コーヒーを二杯飲んで部屋に戻った。
 メインイベントの、奈良の運慶詣での開始だった。仕事を辞めてからも、あまり服装は崩していない。ウールのジャケットとスラックスで、地図を片手に出発した。
 まずホテルからほど近い、東大寺と興福寺を徒歩で訪れた。その後タクシーで二十分ほどかけて、円成寺を訪れた。さすが奈良と言おうか、修学旅行以来の奈良の寺社巡りは、なかなか壮観であった。
 夕方、宿に戻りベッドに横になってニュースをつけると、京都の観光地が、観光客でごった返している映像が流れた。奈良はそこまでではなかった。雲着先生の言った通りだな、観光客が京都一辺倒となっている、奈良経済には悪いが俺には都合がよかった、円成寺への道のりも空いていたしと、いい気分になった。その夜も昨夕の日本料理屋で夕食を取り、やはりバーに寄って、迷ったが地酒ではなくオールドパーを頼んだ。
 ――運慶は今から千年も前の仏師だが、今も色あせることはなかった。修学旅行生と混ざっての金剛力士像見物から興福寺、円成寺で終わった奈良の運慶見学は無事終わった。江頭も、仏像は実物で見るのが肝要だと話していたが、無事済ませることができた。二杯目のウイスキーを注文し、今日の運慶巡りを反芻した。そうして今後の仏像教室に無事還元できることを祈り、ウイスキーを干すとバーを出て、風呂を済ませると二日目の奈良の夜を終えた。
 
 翌日は近鉄で京都に出た後、ひかりで三島駅に出て、タクシーに乗った。伊豆の風光明媚な景色を窓から眺め、運転手に、
「伊豆はいいところですね」
「ありがとうございます」
「奈良からの帰りなんだけど負けず劣らず」
「奈良には負けます」
 運転手は恐縮した。
 ホテルにチェックインすると、すぐにタクシーで願成就院に向かった。「運転手さん、紅葉が見ごろだね」
「願成就院も今が盛りで」と運転手。
「忙しいでしょう」
「おかげさまで」
 支払いを済ませて寺に入った。ここでは国宝の運慶の仏像五体が安置されており、奈良のものとはやや趣も異なっていた。創建者の北条時政の像なども眺めたあと再びタクシーに乗り、ホテルに戻って日本料理店で金目鯛の刺身がメインの夕食を終えると、ホテルのバーで、今度はアイリッシュウイスキーを飲んだ。
 ――鯛はうまかった。旅行代理店でうなぎを勧められたのを今になって思い出し、まあいいや東京のうなぎ屋で食おうと思った。二杯目を飲み干し、早いのでもう少し飲もうかと思ったが、年のせいか、旅も三日目となると疲れが出てきて諦めて部屋に戻り、部屋付きの露天風呂に入ったあと、ベッドに入った。が、眠れない。
 ――旅は無事終わった。運慶の仏像は堪能した。東京に帰って疲れを取ったら、また講座が始まる。これで上達しなければ、地蔵の完成も諦めねばなるまい。妻との約束も反故(ほご)になる。旅行に十万かけて、結局地蔵を諦めたとなると、長女は何というだろう。
 ――今は嫁に行った長女が多少妻の代わりになっている。婿は気を害しているだろうか、そんな狭量なことはないだろう。長女の助言があって今の生活が成り立っている。
 長男は長男で、俺の背中を見て役人になった。年末年始には家族を連れて帰ってくる。天下りを断ったことには残念がって見せたが、そうでもなかろう。俺の今の生活ぶりを見ても、思うところがあるのではないか。
 そんなことを考えながらうとうととし、そのままニュースが流れるテレビを消し忘れたまま寝入った。
 翌朝チェックアウトを済ませると、タクシーで三島駅に出てからひかりで帰京して、自宅のガレージに向かい、疲れていたがバイクを気になっていた定期点検に出し、オイル交換の依頼をしてからまた家に帰って、深い眠りに落ちた。

 帰京の翌々日、点検を終わらせたばかりの愛機のVT750に、久々に火を入れた。ホンダの絶版車で、今は多少のプレミアがついて中古車が販売されていると聞くが、手放す気はない。これは三台目の愛車で、かつては250㏄と400㏄のバイクを乗り継いだが、物足りなくなり、大型免許を取って乗り換えた。
 亡妻は最初心配したが、愛着が本物だと感じ始めて、応援してくれるようになった。かつてはツーリングクラブにも所属していたが、仏像教室に入会して以来、ご無沙汰している。
 荏原出入口から首都二号目黒線に入った。
 ――私は長野の平凡なサラリーマン家庭に、次男として生まれた。郡部ののどかな田園風景の広がる一帯に育ち、豊かな自然に囲まれて、幸せな少年時代を過ごした。学校ではよくできて、勉強のことで困ったことはない。市内の公立進学校に学び、東京の国立大学に進んだ。卒業後は役所に就職し、つつがない役人人生を送った。唯一で最大の失敗が最初の妻との離婚で、後々まで神経を悩ますことになった。
 十年以上も後に入省した美しい女で、三十を過ぎても所帯の定まらなかった私は一も二もなく飛びつき、役人としてはやや華美な結婚式と新婚旅行に出かけて、新婚家庭を始めた。
 だが妻は派手好きで家事を好まず、家の中がガタガタとし始めた。女というものはすべからく、家庭を守り育児を喜ぶものだと考えていた私は、まず落ち込み、その後は怒りに変わった。三下り半を突きつけ、多少の手切れ金と共に、家から追い出した。
 しばらくはせいせいとしたが、その後彼女のその後を考えて、悩み落ち込んだ。物ではないのだから、いったん娶(めと)った上は、欠点があっても受け入れるべきではなかったかという考えに悩まされ、生活が荒んだ。
 そこに現れたのが同い年の次の妻で、ささやかな式を終え、初めてつつましいあるべき新婚生活が始まった。仕事も安定し、上司も安心し、崩れかけた役人人生が立ち直った。再び出世レースを歩み始め、その後事務次官の任を授かり三年前に退官した――。
 一ノ橋ICから首都都心環状線へ。
 ――大方は順風満帆な人生で、不満を言ったら叱られるだろう。一男一女に恵まれ、それぞれ結婚して子供を持っている。バイクに関しては、上司や同僚からかなり反対されたものだが、幸い無事故で現在に至っている。そろそろ大型バイクのVTの重さが身に染みる年になった。次の買い替えではまた250㏄に戻そう。
 レインボーブリッジを渡った。
 ――最初の妻は再婚したが再び離婚し、再再婚ののち、今は幸せにしているという。それを聞いたときは、胸のつっかえがとれた。人それぞれ幸せになればいい。私自身もそうだし、かつての同僚もみなそうだ。みんなみんな幸せになりますように。そんなことを少年時代お地蔵さんにお祈りしたことがあったっけ。
 大井パーキングエリアでバイクを停め休憩をとり、回想を切り上げ帰途に就いた。
 
 次の講座がやってきた。運慶は彫刻の足しになったろうか? 作品たちは壮大かつ繊細で、さすがに今でも伝説の彫刻家だった。ロッカーから彫りかけの地蔵を取り出し彫刻刀を進めると、以前よりスムーズなものを感じた。これはいける。
 刀が進んだ。台座をうまく切り抜け仏像本体へ。手本を眺めながらなおも刀を進める。頭、目、鼻、耳、口、首、そうして体。すべてうまくいった。
 結局その回で地蔵を完成させ、先生にも美人の奥さんにも褒められた。江頭は、さすが元官僚、やるときはやるなと変な褒め方をした。
 中級クラスに進もうかとも考えたが、結局そこまでにして教室は退会することにした。
 今は地蔵を仏壇の隅に飾り、妻を拝むときは一緒に拝むことにしている。

 ――仏像教室とはなんであったか。カルチャーセンターの一室で仏像を刻む。人によって優劣がある。早い人は一年もせず上級クラスを終え、中にはプロの道に挑む人がいる。中には私のように一年かけて、初級クラスの地蔵さんを、何とか仕上げるか仕上げないかの人がいる。そんな人々が交流を温めながら、それぞれの仏像を完成させる。
 私自身は亡妻に地蔵の完成を約束し、一度は挫折しかけたが、結局亡妻の仏壇に飾る地蔵を完成することができた。江頭とは結局それっきりになったが、今頃上級クラスで阿弥陀如来でも彫っていることだろう。人それぞれ。一期一会。雲着先生、美人の奥さん、またしかり。
 最近はツーリングクラブの参加を増やしている。いつまでバイクに乗れるかはわからないが、乗れる間は頑張ろうと思っている。

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