世界平和

吉野楢雄

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世界平和

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 訪れた児童養護施設で、子供たちが遊戯している様子を見ていたが、子供たちはこちらに頓着する様子がない。一人だけこっちを気にしている男の子がおり、じっと見ていると、恥ずかしそうに笑った。
「あの子どうかしら?」
「俺も気になった」
 かくしてその子は我が家の養子になり、一人息子として育てることになった。

 晩婚で、しかもずるずると仕事を続けたので、四十を越えてしまい、不妊治療を受けたが時すでに遅し、出産は絶望的だと医者に宣告された。子供は諦めようかと思ったが、児童養護施設での貰い子という手があると思いつき、さっそく施設に電話して見学に訪れたのだった。あまり選びたくはなく、夫婦の直感で、十分ほどの見学で子供を決めて、手続きを終えて帰宅した。
 その日の夕食で、普段はお酒を飲まない私だったが亭主の晩酌に付き合い、よかったわねあの子、なんだか気になったの私が話すと、俺もあの子なぜか気に入ったんだよと、亭主は返した。
 翌週施設を訪れて、その子がどうして施設に入ったかを尋ねると、母、そして父と、相次いで自殺しました、子供は他におりません、自殺の経緯は不明ですが、経済的にも困窮していたとのことですと答えた。
 なおさら不憫に思い、翌月一連の手続きを終えて、さっそく三歳になるその子を貰い受けて帰宅した。
 子供を他に育てた経験はないので、詳しくはわからなかったが、別段気になることはなかった。だけど施設見学の際に、この子だけがこっちを意識して照れていた通り、若干神経が過敏なのかなと思った。
 幼稚園には入れずに、小学校まで自宅で育てた。じゃんけんやおはじきや落書きなど、私が一日中つきっきりで遊びに付き合った。可愛さは言葉通り、目に入れても痛くないほどであった。
 やや神経症的なのは、両親を早くに失ったことに関係があるだろうか? 一人息子で兄弟もいなかった。わりあい恵まれて育った私が人生で味わってきた以上の苦痛を、この子は三歳で味わっているのかもしれないと考えると、できる限りの幸せを与えてやりたいと考えるのだった。

 六歳になり、小学校に上がった。最初の家庭訪問で、息子さんには特に問題はありません、多少神経が過敏かと思われる節がありますが、通常の範囲内でしょう。勉強もよくできて、手のかからない子です。このまま成長して立派な大人になるでしょうと、担任は話した。それを聞いて胸をなでおろし、亭主と祝杯を挙げた。
 実際この子は成績がいいのであった。小学校の一、二年生だから、どうでもいいと言ってはどうでもいいのだが、帰宅しても宿題をすぐに済ませ、求めに応じて買い与えた算数やら国語のドリルに、夕食まで向き合うのだった。
「大丈夫かしら?」
「友達はいるのか?」
「学校では普通だって聞いたけど」
「じゃあ様子を見よう」
 ドリルの成果か、高学年に上がってからも成績は一番上の方で、土日に外出に誘っても嫌がり、そうして塾に行かせてほしいとねだり始めた。
 子供が塾に行きたがるのを嫌がる親もいるまいと、ここいらでは有名な塾に通わせてやった。京大や阪大の学生や出身者が教えているといって、名高い塾であった。
 信一はそこでも勉強ができ、学校から帰っても熱心に塾の教材に取り組んで、夕食に呼ぶのがはばかられるほどであった。
「大丈夫かしら?」
「息子が塾で熱心に勉強するのを嫌がる親もいるまい」
「私は、息子は普通でいいんだけど」
「そんなこと言うな。受験させて有名私学に入れてやろう」
 信一は熱心な勉強の甲斐あって、近隣では有名な進学校に合格した。
「よかったわねえ」
 私は、掲示板の前で喜ぶ信一を見ていると涙がこぼれ、勉強とか進学とか、本当はどうでもいいと思っているのを忘れて泣いた。それは信一が生まれに臆せず運命に立ち向かった結果であった。
 この子はもういい、ここで人生が終われば私たち夫婦にとっても、信一にとってもそのほうがいいとさえ思った。

 中学に入っても信一は成績が良かった。
「中高一貫なんだから、中学校くらいゆっくりしたらいい」
 主人は時折信一に話したが、信一は横耳で聞くだけで、勉強をする手を休めなかった。
 部活動を勧めたが応じず、そのうち再び予備校へ行かせてくれと言い出した。
 小学生のころと同じく、都会の予備校のホームページやチラシを信一と眺め、ここがいいと信一が望んだ予備校に再び通わせるようになった。
 学校の成績は上々で、担任との面談では、この調子では東大か京大が確実でしょうと話すので、先生、まだ早すぎるでしょう中学生ですから、息切れしますよいずれと亭主が答えて、面談は終わった。
 
 亭主は学歴は悪くないが、高学歴志向というものは嫌っていた。
「子供は普通に育てるのがいいんだ」
「それは同感よ」
「俺は中学から私学に行かされたが、後悔している」
「そうなの?」
「普通に公立中学高校と進んで、普通に行くのが一番だ」
「私もそう思っているの」
 信一の勉強好きを、本当は私たち夫婦は好んでいないのだった。子供をいかに名門校に行かすかなど銘打った雑誌などを目にするたび、贅沢な悩みだと思うのだが、私たち夫婦は、決してそういうことは望んでいないのだった。信一が幼児時代に見せた、やや神経症的な側面が発達したのではないかと考えるたび、信一の今後について不安が募るのであった。
 
 ある時、近所の人に誘われて七夕の竹を採りに行った。採った竹で、家で三人で七夕パーティーをしようと話し、勉強の最中だった信一も短冊を作った。短冊には「世界平和」とあり、「ふざけて書いたのよね」と話すと、「僕は本気で願っている。何とか実現しようと思っている」と力説を始めた。やれやれこの子は末恐ろしいと思い、ただただ実直に育ってくれるのを期待するのだった。
 信一の成績は変わらず上々で、担任は、「この調子で東大か京大へ」と繰り返すのだった。
「先生、この子は人間的にはどうですか?」
「まじめで、ふざけたところがなく、私は気に入っています。ただし」
「ただし?」
「協調性がないというのではないのですが、人付き合いが苦手らしく、友人も限られています。ただ、うちの学校では珍しいほうではありません、そんな生徒はごろごろしています。信一君は理系教科が特に優れていますから、研究者でも目指せばいいのではないかと思います」
 “うちの学校では珍しくない”との担任の言葉を頼もしく思い、家に帰って亭主に話すと、
「高学歴の人の学生時代って、そういうものかもな」
「あなたもそうだったの?」
「俺はサッカーに打ち込んでいたから、そうでもなかったよ」
 なあんだと、自慢を聞かされたような気がした。
 その日の夜、風呂に入りながら、“うちの学校では珍しくありません”“高学歴の人の学生時代ってそういうものかもしれないな”という、担任と亭主の言葉をうれしく振り返りながら、大した人生なんて送らなくていいから、真っ当に育ってほしいと願った。

 信一は高校に進学すると、多少成績は降下した。心配して担任に尋ねると、
「スランプでしょう、信一君は中学入学以来、わが校のトップクラスにいます。すぐに元の成績に戻るでしょう」というようなことを繰り返した。
 成績などどうでもよく、むしろ悪いくらいのほうがいいと考えていたので、それはよかったが、本人に元気がなくなってきた。
 ある時、二人の夕食の席で通知簿を渡され、
「やっぱり僕は養子だからだめだ」
 思わず声を荒らげた。
「なんてことを言うの、お母さんは他のお母さん以上に、あなたのことを考えているわ。成績なんて、どうでもいいじゃないの。人として曲がったことなく成長して、そのうち一人立ちしてくれたら、それだけでお母さんは幸せよ」
 大略そういうことを信一にまくしたて、信一は聞き終わると肩を落として食卓を離れた。

 信一を貰ってきて以来、仕事にはついていない。亭主と信一が出発するのを見送ってから、家事を終わらせ、そのあとは習い事の習字をしたり、家庭菜園の手入れをする。
 テレビはもっぱら教育テレビで、せっかく時間ができたのだから、もっと趣味の手を広げようかと考えたりする。
 亭主は最近中型バイクを買い、購入先の近所のバイク屋のツーリング会に月に二回、参加するようになった。
「悪いわね、私ばっかり時間ができて」
「専業主婦ってそういうもんだろう」
「そうだわね」
「今まで通り、家事と、信一の育児さえちゃんとしてくれれば、不満はないよ」
「ありがとう」

 近くの公民館で開かれている編み物教室に通うことにした。毛糸を編みながら、つつと思いを巡らせる。
 夫の仕事は順調だ。並みの生活でも十分だが、夫はちょっとした高給取りで、今は部長として、上の下くらいになるだろうか、結構な給料をもらってくる。私が妊娠できないと分かった時には、夫婦で毎夜涙にくれたものだが、信一が家に来てくれてからは、夫婦に張りができた。
 信一は特に反抗期というものがなく、学校が終わってもすぐに予備校に行き、家にいるときは、ひたすら勉強をしているのであった。自分の高校時代を翻ると、大丈夫なのかと思うが、夫は喜んでいる。勉強なんかできなくていいと話すものの、信一の好成績にやはり内心喜んでいるのだろうか。
「おいお前、信一は大きくなるぞ」亭主が晩酌で少し酔って話した。
「そうかしら?」
「中学の担任は、東大か京大に行くだろうと言ってたろう」
「そこからだいぶ成績が下がったわ」
「なら一流私大か?」
 亭主は一橋の出であった。
「それで十分すぎるわ。第一あなた、子供にそんなに偉くなってほしくないって言ってたじゃない」
「そりゃあそうだ」
 次の面談では担任に、今の成績では東大や京大は難しく、けれども一流私大なら大丈夫でしょうと言われ、私はそれで本意ですと答え、内心喜びながら帰ってきた。

 書道と新しく始めた編み物の教室で、やや慌ただしくなった。
 信一は相変わらず勉強に専念している。「どうしてあなたはそんなに勉強ばかりするの?」と訊いてみたい気がしたが、やめた。性分というものなのだろう。
 痩せていて、運動も学校の体育だけだが、特に健康に問題はない様子だ。将来何になりたいのだろう? そんなことも訊かなかった。
 亭主は最近バイクに凝っていて、ツーリング会のない休みには、バイクを丹念に洗っている。
「次はハーレーなんてどう?」冷かしてみる。
「俺は国産派だ」
「やっぱりホンダが一番偉いの?」
「俺はスズキが好きだ」
 かくして亭主は月二回、ツーリング会に出かける。信一は最近、通信添削での勉強を始めた。平日は予備校の勉強に専念し、週末は通信添削に充てるとのことだった。
 子供のころ兄が、ラジオで受験勉強の講座を訊いていたのを思い出し、信一に尋ねると、あれは最近終わった、人気が衰えたみたいだと残念そうに話した。
 予備校代と通信添削代で、結構な出費ではあったが、亭主が働き盛りで、しかも子供が一人しかいないので、どうこう思わなかった。再び働きに出ようかと思ったこともあったが、亭主は反対し、家事と育児に専念してほしい、信一だって実子じゃないからいつどうなるかわからない、目を離すなと言われ、それもそうかと思ってやめておいた。
 信一がうちの子でなかったのは三歳までに過ぎなかったが、亭主はやはり気になるようであった。
 息子が一流私大に進んだらうれしいだろうか? 著名人がたくさん出ている。うれしくないと言ったら嘘になるが、そこまででもない。平凡な大学を出て平凡な生活を送ってくれるほうがよっぽどうれしいのではないか? 養子の出だから、東大か京大を出て、エリートの道を進むことには危うさを感じる。信一が、「僕は養子の出だから」と言い出した時、叱りつけたが、自分だってやっぱり気にならないわけではなかった。

 私のころはセンター試験と呼び、今は共通テストと呼ばれるようになったテストの日時が迫ってきた。息子はナーバスになり、私も食事には気を使った。
 息子は一時期より成績を回復させており、京大に行きたいんだと話すようになった。
 担任からは面談で、「一流私大を滑り止めにして、京大に挑戦しましょう。法学部や経済学部は微妙ですが、文学部なら安全でしょう。息子さんも文学の道を歩みたいとのことですので」
と言われた。
 息子が文学の道を志しているとは初耳で、なにやら変人ぽくて信一らしいと思い、そうして、法学部や経済学部ならエリート臭くて嫌だなと私自身は思っていたので、いい決断をしてくれたと喜んだ。
 その日の夜、信一に、
「信ちゃん、京大の文学部を受けるのね?」
「そのつもりさ。母さんには話してなくて悪かったけど」
「いいのよ。文学部、お母さん賛成よ」
「通ったら、家から通うか、寮に入るよ」
「お金のことなら、京都に下宿させてあげるわよ」
「そういうわけでもないんだ」
 都会でのマンションでの一人暮らしというものを、信一は嫌うのであった。
 京大にはぼろぼろの学生寮があり、私も聞き知っていたが、信一はそこで生活したいというのであった。
「まあ合格してからの話だよ」
「そうね」

 信一は共通テストで良好な成績を取ったが、私大には全滅した。試験のタイプが異なるのにてこずったと、信一は話した。ああいう金持ちの子弟が通う学校は、僕は嫌いだったと信一は話し、僕は京大にどうしても行きたい、それも文学部にだと力を込めた。
 そういえば中学生のころ、井上靖のしろばんばが教科書に載っていて面白かった、もっと読みたいと信一が話すので、三部作を買い与え、ひどく気に入っていたのを思い出す。信一が読み終わった後、私も借りて読んでみたが、面白かった。まだ井上さんが存命のころだ。
 井上さんも、どうしても京大に行きたくて、よその大学を辞めてまで入学したと聞いた。信一が作家になることを想像し、ちょっと変わったところのある信一なら成功するかもと思い巡らせて、幸せな気分になった。

 信一は京大の文学部に無事合格した。学歴なんてと考える私ではあったが、信一が大喜びする様子を見て、私も泣けてきた。亭主も昼頃電話をかけてきて、結果を知らせると涙ぐんでいた。帰ってきた亭主と三人で、出前を頼んだ寿司を囲み、亭主が、お前も旧帝大の学生の一員だ、お父さんはそれは叶わなかった、まあ少し付き合えとビールを飲ませ、てきめんに酔った信一は風呂にも入れず、そのまま寝てしまった。
 信一が寝入った後、奮発した日本酒を夫婦で飲み、亭主は、
「これでおおかた信一は安泰だろう、変なことにならない限り」
「私はそれが心配だわ」
 今日の合格発表の後から、時折胸を騒がせるのがそれであった。
「心配?」亭主が訊く。
「胸騒ぎがするのよ」
「信一はちょっとした変人だが、中学の担任が、うちの学校では珍しくありません、とか言ったんだろう」
「そうよね」
 普段飲まない酒を飲み、そうして幸福感と不安感に包まれながら、寝入った。

 信一は京都に旅立った。学生寮のパンフレットを見せ、ここに入るんだと嬉しそうに話して。
 ぼろぼろの木造の建物。昔でいうバンカラな姿格好の若者たち。こういったものにあの信一だから、惹かれるのはわからないではない。が、マンションに引っ越したいと根をあげたら、すぐに入れてやろうと思った。
 夏休みに入って、信一が帰省してきた。
「寮生活はどう?」
「楽しくてしょうがないよ。先輩たちにも恵まれて」
「アルバイトはしているの?」
「コンサートのステージ設営とか、工事現場とか、高速道路のパトロールとか」
 単発の仕事が多い様子だった。
「お金のことなら心配させないつもりよ」
「今の仕送りで多すぎるくらいだ」
「いつ京都に戻るの?」
「明後日。アルバイトが入っているんだ」
「お父さんとビールくらい付き合いなさい」
 その夜、三人で、やはり出前をしてもらった寿司をつまみながら、卓を囲んだ。
「やあ信一、学校はどうだい?」
「……あんまり通ってないんだ」
「授業は面白くないかい?」
「うん」
「大学の授業なんて面白いわけがない。それでも四年で卒業して無事就職するんだぞ」
「……うん」
 信一は歯切れが悪かった。
 明後日、昼食をとったあと、信一は京都へ旅立った。
 亭主と駅まで見送りに行き、信一の乗った電車が走り去ると、また泣けてきた。
「お前は一体、信一の何に対して泣いているんだ?」
「わからないのよ」
「あの調子じゃあ、留年は免れんぞ。普通、授業をさぼるようになるのは、もうちょっと後になってからのことだ」
「留年なんて構わないんだけど」
「俺も、最初の帰省であまり小言を言いたくなかったから、注意しなかった」
「それでよかったわよ」
 授業に出ずに、工事現場などでアルバイトをするのは、とりわけあの子の場合、好ましく思われた。
 その夜、編み物をしながら、寮に入ってよかった、いい先輩に恵まれているみたいだしと喜んだ。

 その年の冬も、信一は大晦日(おおみそか)に二泊で帰省してきて、
「悪いね、バイトが立て込んでいて」と話すので、
「バイトをするのはうれしいわよ」と答えた。
「どこで見つけるの? バイト?」
「先輩からの紹介が多いんだ。あと、大学の近くに公営の紹介所があるんだ」
「お母さんもちょっとはアルバイトしてたわよ」
「どんな?」
「ウエイトレスとか、美容院とかで」
「ふうん」
 食事は、寮の賄いに世話になっているとのことで、血色もよかった。何より、毎日が楽しくてしょうがない様子で、たぶん京大かつ学寮に進んだのがよかったのだろうと、想像した。
「留年してもいいけど、できたらしないでね」
「うん」
 昔読んだチェーホフの戯曲で、そういえば万年大学生なるものが出てきたのを思い出し、信一もそうなるかと考えるとおかしくなった。
 元旦に家族三人でお銚子を酌み交わし、二日に信一は帰っていった。
 亭主は、
「信一は、昔よりえらく明るくなったな」
「私、京大と、学寮の先輩のおかげだと思っているの」
「そうだろうな」
「勉強ばっかりする子だったのにね」
「お前は心配していたからな」
「一生、あの調子で大学生を続けられたらね」
「そうまでは言わないさ」
 亭主は帰省した信一の様子に満足した様子でおせちをつまみ、そうして銚子を二本ほど空にして、居間に入った。私は片づけを終わらせると、亭主のそばに腰かけて、編みかけのセーターに向かった。
 ――結婚して十年ほどの二人旅があり、信一を貰ってから二十年ほどの三人旅だ。婦人科医に子供はもう無理ですと宣告されてから、児童養護施設で信一を貰い受けるまで、つらい生活が続いたが、あの子が家に来てから、ずいぶん家の中が明るくなった。勉強好きで手がかからず、やや神経過敏を感じさせるくらいで、温厚な性格の子供だった。大学に入ってからは、亭主と酒を飲み交わし、よもやま話に付き合うくらいのことができるようになった。
 実際のところ、信一には何も期待しておらず、ただ一人前に所帯が持てればそれで満足なのだった。下手に栄華の道を進んでほしくなく、そうしてその心配も今の信一を見る限りでは、心配なさそうだった。――
「そろそろ風呂に入ったらどうだ」
 考えに気を取られて時間が過ぎていた。
「そうね」
 風呂場でも信一に感謝したい気持ちが湧いてきて、仕送りでも増やしてあげようかしら、いやあの子は嫌うんだっけと思い直して、風呂を出た。

 たまに信一に電話をかけたが、“授業にもぼちぼち出ている、出席していない授業についても、ノートが生協や自治会で売っているのでそれを買って、単位は間に合わせている、留年の心配はいらない”、とのことであった。
 亭主の両親が相次いで亡くなって亭主が落ち込み、私にも心労があったが、何とか乗り越えた。亭主は何とか部長職を持ちこたえ、最終的には執行役員くらいにはなれそうだと言い、信一についても亭主についても、身に余る幸せであった。

 信一は無事、三回生に進級し、教養学部から文学部の授業に移った。信一の第二外国語はドイツ語で、フランス語は軽薄だからというのがその理由であった。
 日本文学科に進み、本を相当読んでいるとのことであった。僕は京大を愛しているから、京大出身の作家を研究するんだと帰省時に話し、今は織田作之助に凝っているということであった。
「お母さん読んだわよ、夫婦善哉」
「ありゃ傑作だ」
「井上靖の歴史小説も」
「僕はそこまで手が回っていない」
 六白金星という小説が気に入っていると言うので、手元にあった文庫に入っていたので読んだが、なにやら信一らしい好みで、わけもなくまた涙がこみ上げるのであった。
 
 翌々年、信一は留年せず無事大学を卒業したが、職には就かなかった。作家になりたいということで、それならそれでいいから実家に戻っておいでと言ったが、寮が気に入っていて、空きがあることもあり、引き続き寮暮らしを続けることになった。信一曰く(いわく)、寮は高度の自治が認められており、大学はあまり口を出さず、信一のような人が他にもいるとのことだった。

 その夏、信一は帰省した。
「信ちゃん、小説書いてる?」
「ぼちぼち。ほとんどが一次選考で落とされるけど」
「小説なんて書けるだけですごいわよ。何枚くらい?」
「百枚とか百五十枚とか」
「思いもよらないわ」
 呑気な会話であった。夜中のアルバイトの後、寮に帰って小説を書き、それが終わると酒を飲んで、朝方眠りにつくという生活をしているのであった。
「寮で煙たがられてない?」
「そういやそういう気もするかな。いやそんなことはなくて、みんな後輩もいい奴らさ。同期の院生もいるし、さらに上には上がいる」
「そうなの」
 確かに院生がいるから、そう小さくなる必要もないと考えて安心した。
 ここでも私は、あまり大きい賞など取らず、業界の一角で平凡な小説を書いて、山を賑わす枯れ木のような作家に信一がなったらいいなと、願うのであった。

 翌年、翌々年と、信一は帰省しなかった。バイトと執筆で忙しいからとのことであった。
「信ちゃん、今年も帰れない?」
 亭主の求めもあり、長らくかけていなかった電話をかけた。
「生活を崩したくないんだ」
「どんな生活をしているの?」
「夜勤のアルバイトの後、朝方まで小説を書いて、夕方まで寝てる」
「体調は大丈夫?」
「大丈夫」
「賄いに間に合わないでしょう?」
「食堂に食事を残してもらってあるから大丈夫」
 あまり話をしたそうではなく、早々に電話を切った。
 亭主に、夜の不規則な生活をしているみたいだと伝えると、
「そろそろ打ち切らせよう」
「だめよ、今の生活が気に入っているみたいだし」
「だめだ、ここに帰らせよう、明日電話をしてくれ」
 結局亭主に押し切られて翌日信一に電話をし、すぐにここへ戻ってほしい、夜のアルバイトも辞めなさい、一刻も早く帰ってきなさいと強く迫ると、信一はしょげた様子で応じた。

 再び、三人の生活が始まり、そうして信一にはアルバイトをさせず、希望する小説の執筆に専念させた。苦労して書いた小説も、おおかたは一次審査を通るかどうかの出来栄えで、実を結ぶには程遠い出来なのであった。
「信ちゃん、もう三十でしょ、働きに出て、正式に」
「……わかった」
 信一はハローワークに出かけ、そうして塾の国語教師の仕事を見つけてきた。本当は予備校の講師がしたい様子だったが、経験がないので無理だとのことだった。
 さっそく翌週から研修に出かけることになり、私たち一家は三人で、スーツ店に信一のスーツを作りに行った。
「信ちゃん、お金の心配ならいらないから、立派なオーダースーツを作りなさい」
「うん」
 スーツ屋で、臆する信一を押し切って三着分、最上級の生地を選び、採寸を済ませて三人で料理屋に向かった。
 最上の昼食を注文して、私たち夫婦は信一に向き合った。
「信ちゃん、今までのことはどうでもいい」
「うん」
「私はずいぶん昔にあなたに言ったことがあるけど、人として曲がったことなく仕事をして生きて行ってくれたら、それで十分だと思ってる」
「うん」
「今度の塾講師の話、私たちはずいぶんうれしく思ってる。勤め上げてくれたら本望よ」
 信一はうなだれていた。

 信一は、私たちが作らせたスーツで翌週から研修に出かけた。三か月が経ち正教師となり、教壇に立って小中学生を相手に国語を教え始めた。
 初任給で信一は私たちに清酒を買って帰り、私は涙を抑えきれなかった。
「信ちゃん、まだ小説家になりたい?」
「もうそれはいい」
「それがいいわ、あんまりいい仕事じゃない」
「うん」
 多くの作家の作品で楽しんだ私だが、思わず口を突いた。
 その夜、その酒を三人で飲み、信一が寝たあと風呂に入り、再び訳もなく涙が出た。
 無事成長してくれた。信一の就職した塾は近所でも評判がよく、社長もよくできた人だと聞いていた。このまま勤め上げてくれればこれに勝る喜びはない。
 昔、信一が七夕の短冊に“世界平和”と書いた時のことを思い出した。この子は末恐ろしいと思ったのであった。だが平凡な市民として生きてくれそうだ。
“この子を貰ってきてよかった”
 そんなことを考えながら風呂を出た。

 数年して亭主が亡くなり、信一は同じころ教務課長になった。
「信ちゃん偉くなったわねえ」帰省の折、いたわった。
「誰でもなれるんだ続けていれば、あんなもの」
「そんなことないわよ。やっぱり見込まれたのよ」
「そうかなあ」
 二人の夕食の席であった。卓上にはいつもの出前の寿司。
「父さんほどにはなれないよ」
「そんなことないわよ。それよりお嫁さん見つけて」
 信一を励ました。そうして母子で盃を交わした。
(あなた、信一は教務課長になったわよ。偉くなったじゃない)
そんなことを亭主のことを思い出しながらつぶやいた。
 信一は杯を干し、
「もう一杯ちょうだい」
「はい」
夫婦して信一の養子の身を案じたことが、遠い過去のように思われた。そうして盃を干すと信一がすかさず銚子を傾けた。
「信ちゃん偉くなったわねえ」
と、もう一度つぶやいた。
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