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溢れる涙

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「そんな金属の棒でこの私と戦おうというのか? それとも、その棒にも古代の超高等技術が使われているとでもいうのか? ならば面白い、見せてもらおう」

 完全に舐めきった態度だ。
 確かに現代の技術が使われてはいるが、それが通用するかどうか分からないし、なにより当てられる自信も無い。

 しかし、現状逃げることもできず、助けが来ることもなく、相手の提示する条件を飲むこともできない。
 戦うしかないのだ。

 それに、まだ切り札がないという訳ではない。まだ、すべて出し切ったわけではない。
 今まで、バッテリーの消耗を気にして落としていたウェアラブルカメラのライトを最大にし、さらに左手に持っていたフラッシュライトも最大出力にして、すべてヴェルサーガに向けて照射した。

「むう……くっ……なんという圧力だ……まさかこれほどの光量を発するとは……」

 闇の靄(もや)を纏い、目を閉じることによって光の照射をガードしていたヴェルサーガだったが、最大出力のこれらの光は、その防御を超えていたようだった。

 左手を開いて顔面を隠すようにし、片膝をついて苦しそうにしている。
 いける! と確信した俺は、少しずつ近づいていく。
 当然、その分、おそらく初めての事態に困惑しているその男に、なお強力な光の奔流となって照射され続ける。

「うぐっ……これは……身動きできぬ……」

 人間にとっては多少眩しいぐらいで目を閉じていれば全く害のない光だが、闇の王たるヴァンパイアロードにとっては相当な影響を与えるようだ。

「くっ……おまえ……俺をどうするつもりだ!? 殺すつもりか? 我は不死の王たる存在であるぞ……」

 正直、俺の攻撃で殺せるかといえば、それは難しいだろう。
 しかし、多少なりともダメージを与えて、その隙にミクとともにアイゼンたちの元に戻ることができればそれでいいのだ。

 意外な弱点をさらけ出し、苦しむヴェルサーガ……そこにわずかに違和感を感じる。
 ヴァンパイアロードたるこの男が苦しそうに放つ言葉に、焦りや緊迫感が感じられないのだ。

 それは種族が異なるのだからそういうものかもしれない……と無理矢理解釈し、違和感を一旦置いて、ある程度距離が縮まったところから、両ライトの最大出力での照射を継続しながら全力で突っ込んでいった。

 そして特殊警棒があとほんの1メートルで届く、というところで、ヴェルサーガがニヤリ、とほくそ笑んだ。

 ぞくん、と背中に冷たいものが走る。
 後ろ手になるように隠していたその男の右手に、細く、長く、そして非常に鋭い爪が5本、俺の身長よりも長く伸びていたのだ。

 嵌められた、と瞬時に察した。
 と同時に、この世界全体がスローモーションのように、時間の流れがゆっくりに感じられた。

 死を感じ取った人間が踏み込む世界……本当にあるんだな、と思った。

 ヴェルサーガが、バカめ、とでも言いたげな表情で、手を軽く振ることでその凶暴な刃が俺の胴体に迫った。
 圧縮された時間の中、それは比較的ゆっくりに見えるが、実際に俺の体に到達するまで、0.1秒もかからないだろう。

 そして俺は、自分の体を動かそうと思っても反応できないことを実感していた。
 意識だけが高速に回転しているが、体は全くついて行けない。
 為す術もなく、切り裂かれるのを待つだけの状況だ。

 詰んだ。
 光を当てて弱らせてその隙に、などという甘い考えは、闇の靄(もや)を纏ったこの不死の王には通用しなかった。

 苦しむフリをしたのは、俺を接近させて、ミクの目の前で確実に仕留めるための罠だったのだ。
 俺はここで死ぬ。
 あんな鋭い刃で切り刻まれるなんて、痛いんだろうなあ……。
 せめて、ヴェルサーガに一撃食らわせて相打ちに持ち込み、ミクだけでも逃げてくれれば……。

 そんな妄想に耽っている間に、ついにヴェルサーガの長い爪は俺の胴体を捉え、アイゼンから支給された青い衣を切り裂いた。

 ――しかし、その鋭い刃は俺の胴体を撫でるようにすり抜けただけで、痛みを感じない。
 意識が加速しているから、まだ自覚がないだけなのか。

 いや、違う。
 俺は青い衣の下に、何を身に付けていた!?

 それに気づいた瞬間、意識の加速は終了した。
 今度こそ驚愕の表情を浮かべたヴェルサーガの顔がすぐ側に見えていた。

「うおおおおおぉ!」

 俺は人生で初の雄叫びを上げながら、世界最強クラス、150万ボルトのスタンガンのスイッチを入れ、その先端をがら空きだったヴェルサーガの胴体に押し当てた。

「うぐおおおぅ!」

 今度こそ、苦痛を伴ったヴェルサーガの声が響いた。
 スタンガン機能付きのこの特殊警棒、まともに入ったときのその威力は、巨漢の男でも数十分間悶絶するほどの威力なのだ。

 しかしさすがは不死の王、一撃では倒れずまだ堪えていたが、その男が反撃を出すタイミングが一瞬遅れていた。

「う……うらああぁぁぁあ!」

 俺は訳の分からない言葉を叫びながら、何度もスパークするスタンガンの先端を押し当てた。
 ヴァンパイアロードの、その胴体、太もも、首、腕、頭。
 不死のはずのその男がついに倒れ込み、全く反応を示さなくなった後も、何度も、何度も。
 あっという間に電池がつきてしまうその限界点をオーバーするまで。

 目を瞑ったまま、完全に動かなくなったヴェルサーガ。
 スパークを発動することがなくなった特殊警棒を投げ捨て、ミクの方を見た。

 ……彼女は、嗚咽を漏らして泣いていた。
 感情をなくしたはずのミクだったが、さすがに刺激が強すぎたのかもしれない。
 そして、俺もまた、なぜか涙を溢れさせていたことに気づいた。

 何かを悲しんでいるわけではない。
 何かに喜んでいるわけでもない。
 ただ、理由がわからないまま、涙だけが溢れていた。

 しかし、感傷に浸っている場合ではない。
 いつ、ヴェルサーガが再び目を覚ますか分からない。

 俺は急いで、まずはミクの拘束を解くことを試みる。
 彼女は両手を金属の、太い手錠のようなもので拘束され、さらに太い鎖で壁につながれていた。
 鍵穴のようなものは見えないのに、どうやってこの手錠を掛けたというのか。

 構造がよく分からないので、フラッシュライトであちこち照らして確認していると、突然ガチャッという音ともに、彼女を拘束していた手錠が外れ、床に落ちた。
 この館に窓から侵入しようとして鍵を外したときと同様、闇の魔術が施されていて、それをLEDの白い光が打ち破ったのかもしれない。

 偶然とはいえ、ミクの自由を取り戻せたことに安堵のため息を吐く。

「……どうして……どうして、私を助けてくれたの……こんなに無茶して……」

 拘束が外れ、すこし感情が落ち着いたようなミクが、それでも泣きながら俺に尋ねてきた。

「何言っているんだ、大切な仲間じゃないか……ミクはもう、俺の中でかけがえのない大事な存在の一人なんだ……」

 思っていたことが、すっと言葉に出た。
 すると彼女は、さらに涙を溢れさせて、俺に抱きついてきた。

「……シルヴィが、救出されたときにアイゼン様やソフィアさんより先にショウに抱きついたって聞いたとき、なぜそうなったのか意味がわからなかった。でも今なら、その理由が分かる……」

「……そう思ってくれるなら嬉しいよ。でも俺は、本当にただ夢中だっただけなんだ……それより、早く逃げよう。ヴェルサーガがいつ復活するか分からない。普通の人間なら数十分は目を覚まさないと思うけど……」

 そこまで話したときに、再びぞくん、と背中に冷たいものが走った。
 ヴェルサーガが、起き上がっていた。

「ククク……なるほど、俺はおまえを甘く見ていた……まさか本当に『古代の超高等技術』のような攻撃手法を持っていたとはな……それに、世界でも二つと無いはずのそのミスリルの鎧を纏っていることにも驚かされたぞ……」

 まだ、体は十分に動ける状態ではないのかもしれないが、ヴェルサーガが意識を取り戻しているという事実だけで、俺は次に何をなすべきかも分からぬほど狼狽……というか、頭が真っ白になってしまった。
 ミクも、ただ目を見開いて呆然としている。

 そして、切り裂かれた青い衣の下に見える白銀の鎖帷子が、ミスリルというファンタジーでよく使われる最上級の素材、さらに最高級の性能のものであるという事実も知ったが、それがこの状況を打破できるほど有益な情報であるとは思えなかった。

 ミクは、キッと表情を引き締めて、右手に強力な雷撃を発動させた。
 しかしそれは、ヴェルサーガが軽く左手をかざすだけで吸い取られてしまった。

「……闇魔法以外は発動できぬはずだったが、ほんのわずかに意識を失った際に結界が弱まってしまったか……どのみち、その娘では私は倒せぬがな……」

 せっかくミクの拘束を解いたのに、彼女の魔法は通用する状況ではない。
 そして俺の特殊警棒もまた、電池が切れてしまっている。
 この切羽詰まった状況に、全身にぞわっと鳥肌が立った。

 アイゼンが「予言」と言った俺の小説の中では、時空間移動してきた青年が、親の敵に返り討ちになりそうだった少女を、今と同じように捨て身の突撃でなんとか助けるところまでは書いていた。
 しかしその敵は、捕縛されるまで目を覚ますことがないはずだったのだ。

 つまり今の展開は、全く予想がつかない……というか、今度こそ詰んでしまったように思われた――。
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