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第7話 三つの質問
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とりあえず、立ち話程度では終わりそうになかったので、俺はユナを部屋の中に入れた。
椅子は一つしかなかったので、俺はそれに座り、彼女はベッドに腰掛けた。
夜の宿で、同じ部屋に、薄い寝衣を着た十六歳の女の子と二人っきり。
それも、かなりの美少女……。
今まではこんな状況あり得なかったので、かなり鼓動が高まっている。
俺はともかく、他の、肉食系の男子ならば、そのまま彼女を押し倒してもおかしくないのではないだろうか……と余計な心配をしたが、彼女が魔法の使える上級冒険者であることを思い出し、杞憂であると悟った。
「……それで、話したい事って?」
「うん、あの……タクヤのこと、タクって呼んでいい?」
「……は?」
「タクヤって、ちょっと長いから、呼びにくくって」
「……そんなに長いか? 別に、タクでも構わないよ、前に友人にそう呼ばれていたことあるし……って、話って、それ?」
俺はちょっと呆れて、そう口にした。
「ううん、今のはおまけ。本当は、その……私には『運命の糸』、出ていないのか見てもらおうと思って」
「……ああ、そういうことか……ごめん、残念ながら……」
「……やっぱり、出ていないよね……」
「ああ、『君のパートナーのイメージが湧かない』としか言っていなかったけど、それは『運命の糸』が見えないことも意味するんだ」
俺がちょっと気まずそうにそう言うと、彼女は
「はあ……」
とため息をついて、下を向いた。
「……でも、間違いかもしれないって思っているんだろう?」
「……ううん、正確には、間違いであって欲しいって願ってるの。でも、ジルさんとアイシスさん見てると、お似合いだし、二人の間に問題があることも言い当てたし……やっぱり本物なのかなって思って……」
「なんだ、ずいぶんと弱気だな……」
灰色熊を一撃で追い払ったハンターとは思えない。
「そう。私は気弱な女の子よ……だから、支えてくれる人、見つかると思ったのに……」
「……ユナにとって理想の相手って、どんな人?」
ちょっと、いや、かなり興味がある。
「理想? 今言ったでしょう? 支えてくれる人って」
「……上級冒険者である君を、守るぐらい強い人って事か?」
「……うーん、そういう強さじゃなくって……なんていうかな、支えてくれる人」
「ぜんぜん話が進んでいないな……」
「そうね」
ちょっと笑い合う。
「私、本当は凄く弱いの……いろんな事から逃げ出して……」
「逃げ出した? 君が?」
「そう。家からも、試練からも……逃げて逃げて、誰も頼れる人がいなくなって……ハンターの仕事を始めて、何人か仲間はできたけど、それも長続きしなくて……」
……なんか、急に話が重くなった。
っていうか、ユナ、家出っ娘だったのか?
よく考えたら、俺、ユナの身の上、何にも知らなかった。
十六歳の女の子が、たった一人で上級冒険者として旅をしてきたこと自体が相当レアな事だし、何か事情があったのだと、すぐに気がつきそうなものだったが。
「……だから、幸せになれる結婚相手が誰もいないって聞かされたの、凄くショックだったのよ。やっぱり私、一人でしか生きられないのかなって」
「ご、ごめん……」
「……ううん、タクが悪い訳じゃないし……それに、まだ間違いじゃないって決まったわけでもないし」
「……そういや、どうしてここまで、俺の占いの事、手伝ってくれているんだ? 本来、ジルさん達のことは君には関係無いはずなのに」
「それは、まあ、あの二人に幸せになってもらいたいっていうのもあるけど、もう一つ、タクに言い訳をさせないため、っていうのもあるの」
「……言い訳?」
「うん。だって、今そのまま放って帰ったら、『病気じゃなかったら幸せになれたのに』とか、『竜がいなければ、占い通りの結婚相手になっていたのに』っていう言い訳されちゃうでしょ?」
「……なるほど、つまり、出来る事を全部やって、なおかつ二人が幸せになれなかったら、俺の占いが外れた、つまりアテにならない……」
「そう、そういうこと。でもまあ、外れないんでしょうけどね」
「……ずいぶん回りくどいんだな……」
「いーの。それに、何人かで一つのこと、成し遂げるっていうの、久しぶりで楽しいし。ましてや、二人の幸せの事だしね」
そう言って笑顔を見せるユナ。
ほっ、元気になったか。
「……まあ、俺だって絶対に完璧に当たるっていう確信はないし。たまたま今までが全部当たったっていうだけで」
「全然フォローになってないよ……まあ、いいけどね。人生、結婚だけが全てじゃないし、それに……」
「……それに?」
と、ここでユナの表情が、急に真剣な物に変化した。
「……忘れてたけど、これからが、話したかったこと」
「……へっ? 今までのは?」
「今までのは、おまけ、かな?」
「……結構いろいろ話したけど、おまけか……」
糸が見えていないことの確認は、おまけじゃなかったと思うが。
「……いまから、三つ、タクに質問したいことがあるの。『はい』か、『いいえ』で答えて。答えにくいことだったら、何も言わなくていいから」
「……あらたまってそんなこと言われると、ちょっと怖いな。でもまあ、そのぐらいなら全然平気だよ」
「……これ、使うよ」
と、ユナは左手の人差し指にはめられている指輪を見せてきた。
ウソを見分ける、レア・マジックアイテムだ。
「……それ、ちょっとずるいなあ……」
「そのかわり、後で私も、タクの質問に答えるわ」
「……でも、俺はその真偽、分からないじゃないか」
「ううん、後でタクに、この指輪貸してあげる。そうでないとフェアじゃないからね」
思わぬ譲歩を受けて、俺はちょっと戸惑った。
「……それ、その指輪……俺にも使えるのか?」
「タクに、少しでも魔力があるならば。って、あんな占いできるんだから、問題無いでしょう?」
いや、正確にはあれ、魔法じゃなくて、自称『神』から与えられた能力なんだけど……。
「ま、まあ……貸してくれるっていうなら、使ってみるよ」
「うん、じゃあ……一つ目の質問」
ユナはそう言って、指輪を俺にも見えるように、差し出してきた。
「タク……貴方は、私の事、騙そうとしていますか?」
「……騙すって、どういう意味で……」
「『はい』か『いいえ』か、『沈黙』で答えて」
「……じゃあ、『いいえ』」
……指輪は光らなかった。
この質問……シンプルではあるが、結構、重い。
「二つ目の質問。貴方は、普通の人間ですか?」
……この質問には、ちょっと迷った。
俺は、神から特殊能力を与えられている。
そう言う意味では普通の人間ではないが、あからさまに『いいえ』と答えられるほどでもないような気がする。
かといって、『はい』っていって、指輪が光ったらイヤだな……。
「次、三つ目の質問」
あ……二つ目の質問、『沈黙』と受け取られたようだ。
まあ、それで良かったのかもしれないが。
「……貴方は、私の事、嫌いですか?」
「……いいえ」
……指輪は光らなかった。
それを見て、ユナの表情は明るくなった。
「ありがとう。ちょっと嬉しいかも」
「……あ、二つ目の質問……」
「いいのいいの。タクの場合、何か一つぐらい秘密があった方が面白そうだから」
うーん……それって褒め言葉だろうか。
「じゃあ、約束通り、交代。指輪貸してあげるね」
そう言って、ユナは自分の人差し指から外して、俺に渡してきた。
同じように装着しようとしたが、サイズが合わないから、指先しか入らない。
ユナによれば、それでも効果は変わらないのだという。
「……あんまり変な質問、しないでね。私、答えないから」
「大丈夫だよ、君と同じ質問しかしないから」
「えっ……そうなの?」
「ああ。じゃあ、早速。ユナ……君は俺の事、騙そうとしている?」
「……いいえ」
……指輪は光らなかった。
「じゃあ、次、……ユナ、君は普通の人間?」
「はい」
今度も、指輪は光らなかった。
本当に俺でもこの指輪、有効なのかな……。
「じゃあ、最後の質問……君は、俺の事、嫌いか?」
「……はい」
……指輪は、赤く光った。
ちょっと驚いて、思わず、ユナの顔を見る。
すると、彼女も俺の事を見ていて……一瞬の間を置いて、二人とも吹き出して笑ってしまった。
「おかしいわね……正直に嫌いって言ったのに……指輪、壊れたのかな?」
「ひどいなあ……俺はこんなに誠実なのに」
笑いながら憎まれ口を叩く彼女に、俺も笑いながらその指輪を返した。
「まあ、本当はもう、それほど嫌ってないから」
「じゃあ、最初は嫌ってたんだな」
「……かもね」
「やっぱり、ひどいなあ……」
……その後、三十分ほど、たわいもない雑談をして、それがなぜか無性に楽しかった。
この時間がずっと続けば、と本気で思った。
「……良かった。いろいろ話できて、ちょっとすっきりした。じゃあ、明日は大仕事だし、もう戻って寝るね」
「……ああ、そうだな。あの二人のためにも、頑張ろう」
「うん。おやすみ」
「おやすみ」
そう挨拶して、ユナは自分の部屋に帰っていった。
この部屋の中には、彼女の残り香が漂っていて、それだけで、俺は幸せな気分になった。
ただ一つ、話題に出せなかったことを、ほんの少し後悔していた。
『彼女にとって最高の結婚相手を、俺はイメージすることができない。それは、そんな相手がいない可能性の他に、俺自身がその相手である可能性がある』
このことは、既にユナに伝えてある。
しかし、さっきの会話の中で、それが話題になることはなかった。
忘れているのか、あるいは、意識してそれを話題にしなかったのか。
言ってみれば良かったと、ちょっとだけ考える。
でもまあ、明日も朝から会うし、帰りの馬車も、また二人並んで座ることになるだろうから、そのときにでも話題にしてみるか……。
そんなふうに、軽く考えていた。
その機会は、安寧な時の中で、すぐにやってくるのだろうと、たかをくくっていた。
椅子は一つしかなかったので、俺はそれに座り、彼女はベッドに腰掛けた。
夜の宿で、同じ部屋に、薄い寝衣を着た十六歳の女の子と二人っきり。
それも、かなりの美少女……。
今まではこんな状況あり得なかったので、かなり鼓動が高まっている。
俺はともかく、他の、肉食系の男子ならば、そのまま彼女を押し倒してもおかしくないのではないだろうか……と余計な心配をしたが、彼女が魔法の使える上級冒険者であることを思い出し、杞憂であると悟った。
「……それで、話したい事って?」
「うん、あの……タクヤのこと、タクって呼んでいい?」
「……は?」
「タクヤって、ちょっと長いから、呼びにくくって」
「……そんなに長いか? 別に、タクでも構わないよ、前に友人にそう呼ばれていたことあるし……って、話って、それ?」
俺はちょっと呆れて、そう口にした。
「ううん、今のはおまけ。本当は、その……私には『運命の糸』、出ていないのか見てもらおうと思って」
「……ああ、そういうことか……ごめん、残念ながら……」
「……やっぱり、出ていないよね……」
「ああ、『君のパートナーのイメージが湧かない』としか言っていなかったけど、それは『運命の糸』が見えないことも意味するんだ」
俺がちょっと気まずそうにそう言うと、彼女は
「はあ……」
とため息をついて、下を向いた。
「……でも、間違いかもしれないって思っているんだろう?」
「……ううん、正確には、間違いであって欲しいって願ってるの。でも、ジルさんとアイシスさん見てると、お似合いだし、二人の間に問題があることも言い当てたし……やっぱり本物なのかなって思って……」
「なんだ、ずいぶんと弱気だな……」
灰色熊を一撃で追い払ったハンターとは思えない。
「そう。私は気弱な女の子よ……だから、支えてくれる人、見つかると思ったのに……」
「……ユナにとって理想の相手って、どんな人?」
ちょっと、いや、かなり興味がある。
「理想? 今言ったでしょう? 支えてくれる人って」
「……上級冒険者である君を、守るぐらい強い人って事か?」
「……うーん、そういう強さじゃなくって……なんていうかな、支えてくれる人」
「ぜんぜん話が進んでいないな……」
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ちょっと笑い合う。
「私、本当は凄く弱いの……いろんな事から逃げ出して……」
「逃げ出した? 君が?」
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……なんか、急に話が重くなった。
っていうか、ユナ、家出っ娘だったのか?
よく考えたら、俺、ユナの身の上、何にも知らなかった。
十六歳の女の子が、たった一人で上級冒険者として旅をしてきたこと自体が相当レアな事だし、何か事情があったのだと、すぐに気がつきそうなものだったが。
「……だから、幸せになれる結婚相手が誰もいないって聞かされたの、凄くショックだったのよ。やっぱり私、一人でしか生きられないのかなって」
「ご、ごめん……」
「……ううん、タクが悪い訳じゃないし……それに、まだ間違いじゃないって決まったわけでもないし」
「……そういや、どうしてここまで、俺の占いの事、手伝ってくれているんだ? 本来、ジルさん達のことは君には関係無いはずなのに」
「それは、まあ、あの二人に幸せになってもらいたいっていうのもあるけど、もう一つ、タクに言い訳をさせないため、っていうのもあるの」
「……言い訳?」
「うん。だって、今そのまま放って帰ったら、『病気じゃなかったら幸せになれたのに』とか、『竜がいなければ、占い通りの結婚相手になっていたのに』っていう言い訳されちゃうでしょ?」
「……なるほど、つまり、出来る事を全部やって、なおかつ二人が幸せになれなかったら、俺の占いが外れた、つまりアテにならない……」
「そう、そういうこと。でもまあ、外れないんでしょうけどね」
「……ずいぶん回りくどいんだな……」
「いーの。それに、何人かで一つのこと、成し遂げるっていうの、久しぶりで楽しいし。ましてや、二人の幸せの事だしね」
そう言って笑顔を見せるユナ。
ほっ、元気になったか。
「……まあ、俺だって絶対に完璧に当たるっていう確信はないし。たまたま今までが全部当たったっていうだけで」
「全然フォローになってないよ……まあ、いいけどね。人生、結婚だけが全てじゃないし、それに……」
「……それに?」
と、ここでユナの表情が、急に真剣な物に変化した。
「……忘れてたけど、これからが、話したかったこと」
「……へっ? 今までのは?」
「今までのは、おまけ、かな?」
「……結構いろいろ話したけど、おまけか……」
糸が見えていないことの確認は、おまけじゃなかったと思うが。
「……いまから、三つ、タクに質問したいことがあるの。『はい』か、『いいえ』で答えて。答えにくいことだったら、何も言わなくていいから」
「……あらたまってそんなこと言われると、ちょっと怖いな。でもまあ、そのぐらいなら全然平気だよ」
「……これ、使うよ」
と、ユナは左手の人差し指にはめられている指輪を見せてきた。
ウソを見分ける、レア・マジックアイテムだ。
「……それ、ちょっとずるいなあ……」
「そのかわり、後で私も、タクの質問に答えるわ」
「……でも、俺はその真偽、分からないじゃないか」
「ううん、後でタクに、この指輪貸してあげる。そうでないとフェアじゃないからね」
思わぬ譲歩を受けて、俺はちょっと戸惑った。
「……それ、その指輪……俺にも使えるのか?」
「タクに、少しでも魔力があるならば。って、あんな占いできるんだから、問題無いでしょう?」
いや、正確にはあれ、魔法じゃなくて、自称『神』から与えられた能力なんだけど……。
「ま、まあ……貸してくれるっていうなら、使ってみるよ」
「うん、じゃあ……一つ目の質問」
ユナはそう言って、指輪を俺にも見えるように、差し出してきた。
「タク……貴方は、私の事、騙そうとしていますか?」
「……騙すって、どういう意味で……」
「『はい』か『いいえ』か、『沈黙』で答えて」
「……じゃあ、『いいえ』」
……指輪は光らなかった。
この質問……シンプルではあるが、結構、重い。
「二つ目の質問。貴方は、普通の人間ですか?」
……この質問には、ちょっと迷った。
俺は、神から特殊能力を与えられている。
そう言う意味では普通の人間ではないが、あからさまに『いいえ』と答えられるほどでもないような気がする。
かといって、『はい』っていって、指輪が光ったらイヤだな……。
「次、三つ目の質問」
あ……二つ目の質問、『沈黙』と受け取られたようだ。
まあ、それで良かったのかもしれないが。
「……貴方は、私の事、嫌いですか?」
「……いいえ」
……指輪は光らなかった。
それを見て、ユナの表情は明るくなった。
「ありがとう。ちょっと嬉しいかも」
「……あ、二つ目の質問……」
「いいのいいの。タクの場合、何か一つぐらい秘密があった方が面白そうだから」
うーん……それって褒め言葉だろうか。
「じゃあ、約束通り、交代。指輪貸してあげるね」
そう言って、ユナは自分の人差し指から外して、俺に渡してきた。
同じように装着しようとしたが、サイズが合わないから、指先しか入らない。
ユナによれば、それでも効果は変わらないのだという。
「……あんまり変な質問、しないでね。私、答えないから」
「大丈夫だよ、君と同じ質問しかしないから」
「えっ……そうなの?」
「ああ。じゃあ、早速。ユナ……君は俺の事、騙そうとしている?」
「……いいえ」
……指輪は光らなかった。
「じゃあ、次、……ユナ、君は普通の人間?」
「はい」
今度も、指輪は光らなかった。
本当に俺でもこの指輪、有効なのかな……。
「じゃあ、最後の質問……君は、俺の事、嫌いか?」
「……はい」
……指輪は、赤く光った。
ちょっと驚いて、思わず、ユナの顔を見る。
すると、彼女も俺の事を見ていて……一瞬の間を置いて、二人とも吹き出して笑ってしまった。
「おかしいわね……正直に嫌いって言ったのに……指輪、壊れたのかな?」
「ひどいなあ……俺はこんなに誠実なのに」
笑いながら憎まれ口を叩く彼女に、俺も笑いながらその指輪を返した。
「まあ、本当はもう、それほど嫌ってないから」
「じゃあ、最初は嫌ってたんだな」
「……かもね」
「やっぱり、ひどいなあ……」
……その後、三十分ほど、たわいもない雑談をして、それがなぜか無性に楽しかった。
この時間がずっと続けば、と本気で思った。
「……良かった。いろいろ話できて、ちょっとすっきりした。じゃあ、明日は大仕事だし、もう戻って寝るね」
「……ああ、そうだな。あの二人のためにも、頑張ろう」
「うん。おやすみ」
「おやすみ」
そう挨拶して、ユナは自分の部屋に帰っていった。
この部屋の中には、彼女の残り香が漂っていて、それだけで、俺は幸せな気分になった。
ただ一つ、話題に出せなかったことを、ほんの少し後悔していた。
『彼女にとって最高の結婚相手を、俺はイメージすることができない。それは、そんな相手がいない可能性の他に、俺自身がその相手である可能性がある』
このことは、既にユナに伝えてある。
しかし、さっきの会話の中で、それが話題になることはなかった。
忘れているのか、あるいは、意識してそれを話題にしなかったのか。
言ってみれば良かったと、ちょっとだけ考える。
でもまあ、明日も朝から会うし、帰りの馬車も、また二人並んで座ることになるだろうから、そのときにでも話題にしてみるか……。
そんなふうに、軽く考えていた。
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