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ご挨拶の途中ではありますが。
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『ごめん、他に好きな子出来た』
よくあるパターンで元彼と別れたのは何ヶ月前だったかな。そろそろ半年くらいにはなるかしら。
会社の同僚だった私たちは、お互いがライバル的な部署にいたから必然的に秘密のお付き合いをするしかなかった。
社内ではケンカばかりしていながら、会社を出てコッソリ待ち合わせたり、その為に示し合わせて残業したり。それなりに楽しかったけれど、正直わたしの方が正直とても疲れていた。
だから元彼の方から別れを切り出してもらったことで、わたしが罪悪感を感じなくて済んで内心はホッとしていた。彼もわたしも親元から通勤していたし、逢瀬の場所は限られていた。そんなことにも疲れていたんだと思う。
………だけどね。
これまたありがちなんだけど、次に付き合う子が、まさか私たちの後輩だなんて思いもしなかったのよ。共通の友人たちは、後輩が初めから元彼のことを狙ってたんじゃないか、ってすごく怒ってくれたけど、わたしは「あぁ、そうか」って妙に納得してたんだ。
同期でもあった私たちは衝突することも多かった。けれど、立ち回りの上手い後輩の彼女ならそんなトゲトゲしさもなく、上手くやっていけるのかもしれないな、なんて。きっと可愛く甘えたり、できるんだろうなって。
だからって、わたしがこっちに引っ越してから、まだ一ヶ月も経っていないというのに、この連名の封筒は何なの?
でも、開けなくたってわかる。これって………。
「澤山さん?」
「………あ、東明、さん」
「どうしました?何だか顔色が悪いですよ」
「え、そうですか……?」
正直、自分がどんな顔をしているかなんてわからない。ただ頭がぼうっとしているのは確かなんだ。
郵便受けの前でぼんやりしていれば、さぞ不審だろう。そう思うのに足が動かない。
「ーーーおいで」
え、え、どうしてそうなるの?待って、お店まだ準備中でしょ?!東明さん、お掃除の途中とかじゃなかったのですか~?!
……というわたしの心のツッコミは当然彼に届く筈もなく、東明さんに軽く手を引かれ、わたしは本日二度目の『JazzBar 黒猫』に足を踏み入れた。
「あら?ユキちゃん、どうかした?」
「澤山さん、表で気分悪そうにしてたから……」
「あ、あの、先ほどはどうも………」
「どうぞ、座って」
東明さんの、優しくも少々強引な口調に戸惑いながら、カウンター席に腰掛けた。
「とりあえず、温かい飲み物でもいかが?」
「そんな、開店前なのに悪いです……!」
「ふふ。いいのいいの。少し待っててね」
東明さんは、わたしを座らせておきながら、自分はひとつ置いた席にわたしの方を向いて座り、黙ってこちらをじっと見ていた。
わたしはその視線を感じながら、さっき自分が郵便受けから出した封筒を手にしたままだったことに気付いて、梅酒の手提げ袋を脇に置き、封筒をそっと目の前に置いて小さくため息をついた。
「はい、ホットチョコレート」
コトリと封筒の向こうに置かれたカップから、優しいチョコレートの香り。
深呼吸をしてその香りを身体いっぱいに行き渡らせると、ポロリ、涙が零れ落ちた。
澄さんが「あらあら」とおしぼりを渡してくれる。
別に、悲しくもなんともないんだけどな。
おかしいなぁ。
わたしは慌てて瞬きをすると、おしぼりで目元を軽く押さえ、涙を高速で乾かそうとした。
二人はわたしに何も問わず、店内には静かに音楽が流れているだけ。
開店後の、人が沢山出入りしている時間帯でなくて良かった。こんなの恥ずかしすぎるもの。
「ありがとうございます。すみません、頂きます。これ、大好き」
元々猫舌なわたしだけれど、熱々のホットチョコレートで、ちょっとくらい火傷してしまえばいい。そうすれば涙目も、きっとごまかせるから。
「……この封筒、中身は開けてないから確実ではないんですけど、元彼と後輩が多分、結婚するっていうお知らせなんだと思います。一応納得した上で、円満に別れた相手なので未練も何もないんですよ?」
聞かれたわけでもないのに、わたしは知り合ったばかりのお二人に涙の理由(わけ)をポツリポツリと話し始めていた。
「そうなの……。でも、璃青ちゃん、ずっと硬い表情(かお)をしてたから、ちょっと緊張の糸が切れちゃったんじゃないかしら。悲しいっていうより、そういうのもあるかもしれないわよ?」
「そうなんでしょうか……」
「そんな男性、別れて良かったですよ」
「………え」
澄さんに下の名前で呼ばれたことに驚く間もなく、わたしは東明さんの言葉に耳を疑った。
少し怒ったような顔の東明さんは、わたしの視線に今度は少し困ったように笑った。
「ごめんなさい。生意気な事、言いました。……ただ、相手の男性デリカシーなさすぎですよ。最近まで付き合っていた人、結婚式に呼ぶのってどういう神経かと……仮にそれでも招いて祝ってもらいたいならば、招待状送り付けるだけとかでなくて、電話なりでその気持ちを伝えて、澤山さんの意志を確認してからすべきかと……申し訳ありません。余計なこと言いました」
東明さんは一気にそこまで言うと、ハッとした顔をして、頭を下げた。
わたしの気持ちを代弁してくれたかのような彼の言葉に、少しだけ心が軽くなる。わたしはホットチョコレートをちびちび飲みながら、彼に応えた。
「いえ、いいんですよ。謝って頂くことないです。ホント、デリカシーないですよねー。何考えてるんだか。意外とデキ婚かもしれないですよ。いくら何でも早過ぎですもん。別れてからまだ半年ほどで、ですよ?」
自虐的とも取れるわたしの言葉。
けれど二人は責めることなく、じっと耳を傾けてくれている。
「電話もね、あったかもしれないけど、アドレスから削除した上に着信拒否してるから。そんな報告、聞きたくもないですけど。招待状は多分、新婦のせい。その後輩、一応わたしに懐いてたので。それすら怪しいんですけどね。それにしたって“出す前に止めろよ、元彼!”って感じですよね」
そう、こんな事、もう何とも思ってないんだから。だって、知り合ったばかりのこの二人にここまで言えてしまうんだもの。ほら、大したことないじゃない。
手の中のカップは、いつの間にか空っぽになっていた。
けれどそこでふと我に返ると同時に、わたしは猛烈に恥ずかしくなっていた。
「ごめんなさい!こんな重い話しちゃって。しかも開店前なのに、わたし……」
「ここでスッキリしてくれたなら、それでいいのよ。そんな事より今日商店街回ってどうだった?璃青ちゃんにもここでの生活を楽しんで貰いたい、って心から思ってるのよ」
「……はい。皆さん暖かく接して下さって嬉しかったです。それに、まだやる事が盛りだくさんなんでした。しっかりしなくちゃ。これ、美味しかったです。ご馳走さまでした。東明さんも、連れてきて下さって、どうもありがとうございました」
わたしが頭を下げると、東明さんは「いえいえ」と首を振り、穏やかに微笑んでいた。
と、突然澄さんがぷっ、と吹き出した。
「ユキちゃんの方が年下なんだから、そんな『さん』なんてつけなくても。皆のように『ユキちゃん』でいいのでは?その方がいい感じじゃない?打ち解けた感じで」
えぇっ?!年上の方々ならいざ知らず、まだ出会ったばかりでそれはさすがにハードルが高すぎます……!
「えっと、………ユキ、さん?」
「うーん。それもなんか堅いわねぇ。じゃあ、“ユキくん”でいってみる?」
わたしが答えるより早く、澄さんの言葉に彼が「うん。………だね」なんて照れ臭そうに頷くから。
「………はい。それでは“ユキくん”で」
「それなら俺も、“璃青さん”で」
お互いに呼び合ったあとに何となく目を合わせると、心なしか赤くなっているユキくんを見て、わたしまで赤面してしまう。
それを見た澄さんは、ますます楽しそうに笑っていた。
これは………自分が相手の名前を呼ぶよりも、呼ばれる方が恥ずかしい気がする……のはわたしだけ?
自分の名前がこんなにくすぐったく感じたのは初めてかもしれない。元彼にさえ仕事の関係で苗字で呼び捨てされていたから。
そう、皆に秘密の恋だったから。
その後、とうとうお代を受け取って貰えないまま、お店を後にして自宅へ帰った。
元同僚に招待状の件をメールで知らせると、すぐに『あいつ後で〆ておく!』と返信があって、クスクスと笑いが零れた。
今日はもう挨拶どころじゃなくなってしまったけれど、気持ちを切り替えて午後の時間を品物の整理に費やした。
その夜。簡単に夕食を済ませてお風呂に入り、買ってきた梅酒を度数が低いからそのままロックで頂いた。
身体がすぐに暖まったから、ようやく訪れた久しぶりの睡魔に逆らわず、歯磨きしてベッドへ。
わたしは巾着袋に入れていつも持ち歩いている、わたしの名前の由来であるラピスラズリを握りしめ、夢も見ないくらいにぐっすりと眠ったのだった。
よくあるパターンで元彼と別れたのは何ヶ月前だったかな。そろそろ半年くらいにはなるかしら。
会社の同僚だった私たちは、お互いがライバル的な部署にいたから必然的に秘密のお付き合いをするしかなかった。
社内ではケンカばかりしていながら、会社を出てコッソリ待ち合わせたり、その為に示し合わせて残業したり。それなりに楽しかったけれど、正直わたしの方が正直とても疲れていた。
だから元彼の方から別れを切り出してもらったことで、わたしが罪悪感を感じなくて済んで内心はホッとしていた。彼もわたしも親元から通勤していたし、逢瀬の場所は限られていた。そんなことにも疲れていたんだと思う。
………だけどね。
これまたありがちなんだけど、次に付き合う子が、まさか私たちの後輩だなんて思いもしなかったのよ。共通の友人たちは、後輩が初めから元彼のことを狙ってたんじゃないか、ってすごく怒ってくれたけど、わたしは「あぁ、そうか」って妙に納得してたんだ。
同期でもあった私たちは衝突することも多かった。けれど、立ち回りの上手い後輩の彼女ならそんなトゲトゲしさもなく、上手くやっていけるのかもしれないな、なんて。きっと可愛く甘えたり、できるんだろうなって。
だからって、わたしがこっちに引っ越してから、まだ一ヶ月も経っていないというのに、この連名の封筒は何なの?
でも、開けなくたってわかる。これって………。
「澤山さん?」
「………あ、東明、さん」
「どうしました?何だか顔色が悪いですよ」
「え、そうですか……?」
正直、自分がどんな顔をしているかなんてわからない。ただ頭がぼうっとしているのは確かなんだ。
郵便受けの前でぼんやりしていれば、さぞ不審だろう。そう思うのに足が動かない。
「ーーーおいで」
え、え、どうしてそうなるの?待って、お店まだ準備中でしょ?!東明さん、お掃除の途中とかじゃなかったのですか~?!
……というわたしの心のツッコミは当然彼に届く筈もなく、東明さんに軽く手を引かれ、わたしは本日二度目の『JazzBar 黒猫』に足を踏み入れた。
「あら?ユキちゃん、どうかした?」
「澤山さん、表で気分悪そうにしてたから……」
「あ、あの、先ほどはどうも………」
「どうぞ、座って」
東明さんの、優しくも少々強引な口調に戸惑いながら、カウンター席に腰掛けた。
「とりあえず、温かい飲み物でもいかが?」
「そんな、開店前なのに悪いです……!」
「ふふ。いいのいいの。少し待っててね」
東明さんは、わたしを座らせておきながら、自分はひとつ置いた席にわたしの方を向いて座り、黙ってこちらをじっと見ていた。
わたしはその視線を感じながら、さっき自分が郵便受けから出した封筒を手にしたままだったことに気付いて、梅酒の手提げ袋を脇に置き、封筒をそっと目の前に置いて小さくため息をついた。
「はい、ホットチョコレート」
コトリと封筒の向こうに置かれたカップから、優しいチョコレートの香り。
深呼吸をしてその香りを身体いっぱいに行き渡らせると、ポロリ、涙が零れ落ちた。
澄さんが「あらあら」とおしぼりを渡してくれる。
別に、悲しくもなんともないんだけどな。
おかしいなぁ。
わたしは慌てて瞬きをすると、おしぼりで目元を軽く押さえ、涙を高速で乾かそうとした。
二人はわたしに何も問わず、店内には静かに音楽が流れているだけ。
開店後の、人が沢山出入りしている時間帯でなくて良かった。こんなの恥ずかしすぎるもの。
「ありがとうございます。すみません、頂きます。これ、大好き」
元々猫舌なわたしだけれど、熱々のホットチョコレートで、ちょっとくらい火傷してしまえばいい。そうすれば涙目も、きっとごまかせるから。
「……この封筒、中身は開けてないから確実ではないんですけど、元彼と後輩が多分、結婚するっていうお知らせなんだと思います。一応納得した上で、円満に別れた相手なので未練も何もないんですよ?」
聞かれたわけでもないのに、わたしは知り合ったばかりのお二人に涙の理由(わけ)をポツリポツリと話し始めていた。
「そうなの……。でも、璃青ちゃん、ずっと硬い表情(かお)をしてたから、ちょっと緊張の糸が切れちゃったんじゃないかしら。悲しいっていうより、そういうのもあるかもしれないわよ?」
「そうなんでしょうか……」
「そんな男性、別れて良かったですよ」
「………え」
澄さんに下の名前で呼ばれたことに驚く間もなく、わたしは東明さんの言葉に耳を疑った。
少し怒ったような顔の東明さんは、わたしの視線に今度は少し困ったように笑った。
「ごめんなさい。生意気な事、言いました。……ただ、相手の男性デリカシーなさすぎですよ。最近まで付き合っていた人、結婚式に呼ぶのってどういう神経かと……仮にそれでも招いて祝ってもらいたいならば、招待状送り付けるだけとかでなくて、電話なりでその気持ちを伝えて、澤山さんの意志を確認してからすべきかと……申し訳ありません。余計なこと言いました」
東明さんは一気にそこまで言うと、ハッとした顔をして、頭を下げた。
わたしの気持ちを代弁してくれたかのような彼の言葉に、少しだけ心が軽くなる。わたしはホットチョコレートをちびちび飲みながら、彼に応えた。
「いえ、いいんですよ。謝って頂くことないです。ホント、デリカシーないですよねー。何考えてるんだか。意外とデキ婚かもしれないですよ。いくら何でも早過ぎですもん。別れてからまだ半年ほどで、ですよ?」
自虐的とも取れるわたしの言葉。
けれど二人は責めることなく、じっと耳を傾けてくれている。
「電話もね、あったかもしれないけど、アドレスから削除した上に着信拒否してるから。そんな報告、聞きたくもないですけど。招待状は多分、新婦のせい。その後輩、一応わたしに懐いてたので。それすら怪しいんですけどね。それにしたって“出す前に止めろよ、元彼!”って感じですよね」
そう、こんな事、もう何とも思ってないんだから。だって、知り合ったばかりのこの二人にここまで言えてしまうんだもの。ほら、大したことないじゃない。
手の中のカップは、いつの間にか空っぽになっていた。
けれどそこでふと我に返ると同時に、わたしは猛烈に恥ずかしくなっていた。
「ごめんなさい!こんな重い話しちゃって。しかも開店前なのに、わたし……」
「ここでスッキリしてくれたなら、それでいいのよ。そんな事より今日商店街回ってどうだった?璃青ちゃんにもここでの生活を楽しんで貰いたい、って心から思ってるのよ」
「……はい。皆さん暖かく接して下さって嬉しかったです。それに、まだやる事が盛りだくさんなんでした。しっかりしなくちゃ。これ、美味しかったです。ご馳走さまでした。東明さんも、連れてきて下さって、どうもありがとうございました」
わたしが頭を下げると、東明さんは「いえいえ」と首を振り、穏やかに微笑んでいた。
と、突然澄さんがぷっ、と吹き出した。
「ユキちゃんの方が年下なんだから、そんな『さん』なんてつけなくても。皆のように『ユキちゃん』でいいのでは?その方がいい感じじゃない?打ち解けた感じで」
えぇっ?!年上の方々ならいざ知らず、まだ出会ったばかりでそれはさすがにハードルが高すぎます……!
「えっと、………ユキ、さん?」
「うーん。それもなんか堅いわねぇ。じゃあ、“ユキくん”でいってみる?」
わたしが答えるより早く、澄さんの言葉に彼が「うん。………だね」なんて照れ臭そうに頷くから。
「………はい。それでは“ユキくん”で」
「それなら俺も、“璃青さん”で」
お互いに呼び合ったあとに何となく目を合わせると、心なしか赤くなっているユキくんを見て、わたしまで赤面してしまう。
それを見た澄さんは、ますます楽しそうに笑っていた。
これは………自分が相手の名前を呼ぶよりも、呼ばれる方が恥ずかしい気がする……のはわたしだけ?
自分の名前がこんなにくすぐったく感じたのは初めてかもしれない。元彼にさえ仕事の関係で苗字で呼び捨てされていたから。
そう、皆に秘密の恋だったから。
その後、とうとうお代を受け取って貰えないまま、お店を後にして自宅へ帰った。
元同僚に招待状の件をメールで知らせると、すぐに『あいつ後で〆ておく!』と返信があって、クスクスと笑いが零れた。
今日はもう挨拶どころじゃなくなってしまったけれど、気持ちを切り替えて午後の時間を品物の整理に費やした。
その夜。簡単に夕食を済ませてお風呂に入り、買ってきた梅酒を度数が低いからそのままロックで頂いた。
身体がすぐに暖まったから、ようやく訪れた久しぶりの睡魔に逆らわず、歯磨きしてベッドへ。
わたしは巾着袋に入れていつも持ち歩いている、わたしの名前の由来であるラピスラズリを握りしめ、夢も見ないくらいにぐっすりと眠ったのだった。
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