眩暈のころ

犬束

文字の大きさ
上 下
26 / 36
眩暈のころ

25. 高校生のころ(秋) 5

しおりを挟む

「訴えるなら、弁護士を紹介する」近海は私に凭れかかるようにして、依然離れようとはしなかった。「俺がついててやるから、青木は心配するな……」

 執拗にこだわるところを見ると、近海は私について云っているのではなく、彼自身について、つまり例えば、目前で乱暴される女の子を助けられなかった、その罪悪感がわだかまり、いつまでも悩ましく、強迫観念となって、言動に現れているのではないだろうか。
 私は、そのように決めつけた。

「近海、とりあえず、どけ。あたしは何もされてないし」

「知ってる。教室だった。何人もいた」

 妄想に憑かれた患者と接する場合、患者に話を合わせるべきか、現実を説明するべきか、対処法がまるで分からない。

 もみ合っている内に、近海が両手で輪をつくって、私の首をしめようとした。しかし、意識が働いているのか、いないのか、力がとても弱いうえ、首のつけ根の窪みを親指の腹で押せば良いのに、寸法でも測るみたいに漠然と触っているだけなので、彼の要領の悪さに私はいらいらした。そして、今の近海なら、私でも倒せる、と確信した。
 途端に、優位に立った私は、すっかり怖くはなくなって、近海のしたいようにさせることにした。

 しばらくすると、近海は手をゆるめ、私を抱きしめると、唐突に我に帰ったような、はっきりした口調で、

「お前は、薔薇のにおいがする」と云った。

 あんまり気取っていて、あっけに取られた。胸が苦しくもあった。

 私は柑橘系のオーデコロンしか使わないし、病院へお見舞いに来るのにつけはしないから、近海がかいだのは、私のにおいではない。
 近海の迷い込んだ秘密の花園は、薔薇の花が芳しく、艶やかに咲き乱れているんだろう。美しくて、だけど茨の棘にからまれて傷つけられ、悲しく血を流しているんだろう。
 運動の得意な、あの優等生が、と思うと、痛々しく、近海が哀れでならなかった。

 彼は私を解放すると、元のゆらゆらで悄然としたようすに戻り、私から距離をおいた。

「また来るわ」私が云った。不自然に明るい声が出た。「これ食べてね」

 そばにあった自転車の荷台にメロンの箱を置き、私は病院を後にした。指が震えていた。近海は寒そうに、淋しそうに佇み、視線を虚空に泳がせていた。
 何が起こっているのか、冷静に把握していたつもりだったが、自分の腕の位置だとか、第一どこを見ていたのだか、記憶に残っていなかった。

「薔薇のにおいがする」と云った近海の声だけは、いつまでも耳に留まり、渦巻いて消えなかった。


しおりを挟む
感想 14

あなたにおすすめの小説

吊るされた少年は惨めな絶頂を繰り返す

五月雨時雨
BL
ブログに掲載した短編です。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

友達の母親が俺の目の前で下着姿に…

じゅ〜ん
エッセイ・ノンフィクション
とあるオッサンの青春実話です

体育座りでスカートを汚してしまったあの日々

yoshieeesan
現代文学
学生時代にやたらとさせられた体育座りですが、女性からすると服が汚れた嫌な思い出が多いです。そういった短編小説を書いていきます。

アルバイトで実験台

夏向りん
BL
給料いいバイトあるよ、と教えてもらったバイト先は大人用玩具実験台だった! ローター、オナホ、フェラ、玩具責め、放置、等々の要素有り

将棋部の眼鏡美少女を抱いた

junk
青春
将棋部の青春恋愛ストーリーです

隣人の女性がDVされてたから助けてみたら、なぜかその人(年下の女子大生)と同棲することになった(なんで?)

チドリ正明@不労所得発売中!!
青春
マンションの隣の部屋から女性の悲鳴と男性の怒鳴り声が聞こえた。 主人公 時田宗利(ときたむねとし)の判断は早かった。迷わず訪問し時間を稼ぎ、確証が取れた段階で警察に通報。DV男を現行犯でとっちめることに成功した。 ちっぽけな勇気と小心者が持つ単なる親切心でやった宗利は日常に戻る。 しかし、しばらくして宗時は見覚えのある女性が部屋の前にしゃがみ込んでいる姿を発見した。 その女性はDVを受けていたあの時の隣人だった。 「頼れる人がいないんです……私と一緒に暮らしてくれませんか?」 これはDVから女性を守ったことで始まる新たな恋物語。

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

処理中です...