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第七章 無分別ざかり Vie de rêve

10.

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 打ち上げ場所に選ばれたレストランは、意外にも、大衆食堂みたいな年季の入った天麩羅屋だった。ファストフード店だってRestaurantに含まれるから、間違いではないんだけど。
 さほど広くはない、貸切にした店内には、すでに数名の姿があり、小上がりから名前を呼ばれてそちらに眼をやると、ニコラとそのママの姿が見えた。

 僕は彼女のママに挨拶をし、ニコラに「さっき会わなかったけど、クラブにいたの?」と訊ねた。

「アリーナシートにいたじゃんか」とニコラは、低くかすれた声で答えた、当然だと言わんばかりの口調で。

「ニコちゃんが手を振ったら、葉くんだって振り返してたのに」と佳思くんがすかさず言った。「誰だか分かってなかったの?」

「だって、まさか自分の知ってるひとが来てるなんて、思わなかったから」と僕は言い訳がましく言った。

 ニコラとママは、キアラと申し合わせたようにINGEBORGで、ニコラは胸元に小さな香水瓶の刺繍をほどこした白いTシャツティシュルトブルージーンズブルジーン、ママの方は黒地に白く小さなカメリア柄を散らしたワンピースローブに黒いジレを重ね、ジレの衿元には白いカメリアのブローチ、二人とも(あるいは三人とも)、真珠ペルルの長いネックレスコリエを二重、三重にかけている。

 僕がそれを指摘すると、ニコラは、「最初は、きいろちゃんとママだけで行こうとしてたんだ。あのクラブ、ご飯が美味しいでしょう? だから、ニコもついて来た」

「きいろちゃん、って……」と僕は唖然とした。

「親戚うちは、みんな、きいろちゃんって呼んでるよ」ニコラは日常的な口調で言った。「キアラとニコラって、ラがかぶってるし、別にかまわないんだけど、でもニコは、ニコルが良かったな」

「親類なんだ?」と僕は感嘆して言った。

「そうだよ、ママの従姉妹」

 大衆食堂に押しかけたNonchalantな集団と、配膳するエプロン掛けの小母さんたちとで、店の中は忙しなくざわめいていた。ニコラのママが指示をしているようだ、それで先にここへ来たのかも知れない。

「佳思、そこのコンビニでアイス買って」とニコラが立ち上がりかけた。「席割りとか、乾杯の挨拶とか、まだ時間がかかって、ご飯を食べるどころじゃなさそうだ」

「じゃあ、出かけようか」と佳思くんは答え、僕に向かって、「葉くんもアイスにする? お菓子にする? 両方とも?」

「さっき、ピーカンナッツチョコレートをもらったからアイスがいいかも」と僕は佳思くんに言い、ニコラのママは娘に、「あんまり薄着だから、上着を着ていらっしゃい」と言った。

 まだ暑いくらいだから、と口答えしたものの空色ブルシエルが水際立ったadidasのトラックトップ(袖のラインリーニュは、くっきりしたレモンシトロン色)を着せられ、その鮮やかな空色が、僕に、かつて見た夢を思い出させた。

 トレーニングウェアスュルヴェトモンではなくて、着ていたのは水色のスーツコスチュームだったけれど、背の高い男の子の腰に、白いスーツ姿(今みたいに)の佳思くんが腕を回して、二人して僕に背中を向けて去って行ったのだ、男の子は、可哀想だと、僕を憐みながら。
 蔑まれる方がまだ耐えられる、と身に染みた、反発し、憎めるから。

 白いスーツの佳思くんと、空色の上着のニコラの、後姿。夢が(微妙な差異はあっても)現実となった。もしもニコラが佳思くんに恋をしたなら、関係性の変化に怯えることなく、躊躇なく告白するのではないか、そんな考えが浮かび、怖気づいた僕は立ちすくんでしまった。

 色違いではあっても、実際にスーツを着ている(正確には、佳思くんの意向で着せられている)のは、僕なのだから、卑屈になるべきではないのだ。些細なことにこだわりつづけて、自分が厭になる。

 不意にニコラが振り返った。

「葉くん、遅い」と苛立って言う。僕に手を差し伸べながら、「ぐずぐずしてたら、葉っぱちゃんって呼ぶよ」

「ニコラはラッコちゃん」と佳思くんもこちらを向いて、歌うように言った。

「ごめんね、ラッコちゃん」と僕は彼女への嫉妬を打ち消し、荷物を小上がりの壁に持たせかけた。「この近くに、MINISTOPあるかな。ソフトクリームが食べたくない?」

「絶対、食べたい! さすが葉くん」ニコラが僕の手を掴んで引き寄せる。「でも、ラッコちゃんは禁止」

「遠征しちゃ駄目よ」と、ニコラのママが聞き咎めて言った。「佳思くん、最寄りのコンビニに引率しなさい」

 ニコラを真ん中に腕を組み、コンサートの感想を忙しなく喋りながら夜の街をうろついて、最初に見つけたコンビニデパンネーロに駆け込んだ。アイスクリームグラースショーケースヴィトリヌを取り囲み、新商品はないか物色する。
 高校生の頃、予備校の帰りに、友達たちといつもコンビニに寄っていた記憶が蘇った。当時、講師の大学生に片思いしていて、彼もここにいてくれたら、なんて切なく願ったものだったけれど、佳思くんが一緒にいると、今になって夢が叶えられたような気がした。

 佳思くんにおごってもらったHäagen-Dazsのクリスピーサンドは、食べながら帰ったので、お店に戻ったときにはほとんど残っていなかった。

 引戸を開けて店内に入ると、佳思くんはカウンターコントワールのオルガン奏者に召集され、ニコラは僕の手を引いて、彼女のママやキアラのいる小上がりの座卓に落ち着いた。
 すぐ正面に、キアラが坐っていた。幼い僕に、有無を言わせず異世界をさまよわせた、魔法使いの映像作家だ。あんまり当たり前に、キアラがそこに存在していて、現実味がないほどだった。

「佳思は、あなたたちとセットじゃないの?」とキアラがニコラに訊ねた。

「あのひとがいたら、葉っぱちゃんが遠慮して、食べれないでしょう?」とニコラが言った。「食事じゃなくって、栄養補給のひとなんだから」

「畳が苦手だからじゃない?」とニコラのママが言った。「脚が曲がるから、正座はさせられたことがないって。あの子は乗馬で、お姉ちゃんがバレエを習っていたからかしらね」

「お茶室で、正座してなかったっけ」とニコラが言い、声をひそめて、「ニコも畳は苦手。掘り炬燵なら良かったのに」

「ニコちゃん、お茶室があるの?」と僕は、なるべくさりげなく訊ねた。

 彼について教えてもらえるのは、些細な事柄でも、とても嬉しかった、と同時に、それよりも彼と二人きりで寄り添っていたかった、僕には持ち時間が少ないから、ここに揃っているひとたちとは違って。

 そう思った途端、涙がこぼれた。







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