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第六章 袋小路 L’amour est avenge
8.
しおりを挟む気持を落ち着かせるために、近所を半時間ほど散歩した。昔はこんなに住宅が建っていなかったから、邸の前の小径の両脇は、鬱蒼とした樹々が繁って、独りで歩いているときなど、木下闇に怯えたものだ。
そぞろ歩きの観光客に紛れていると、垢じみた現実が認識されて来て、拍子抜けしたようになった。
僕が神経質になっているのは、単純に、今夜の夜遊びに浮き足立っているからだ。今すぐにも遊びに行きたいのに、彼が仕事で拘束されているから、癇癪を起こしてしまったのだ。
それにしても、ニコラは……。ニコラは、田坂さんを甘えたと指摘した。彼女は、彼が恋人とそんなふうに過ごしているのを知っているのだろうか。束縛しすぎて、別れる原因になったとか?
いや、少し違うかも。だって、それだと、まるで、ニコラが僕たちが恋人同士だと認めているみたいだもの。
いずれにしても、彼の方からニコラに恋人を紹介して、デートに付き合わせそうだ。
帰り道、この夏に開店したジェラテリアに寄って、栗とシナモンのジェラートを食べた。香りも風味も濃厚で、とても美味しかったから、桃音ちゃんと花へのお詫びのつもりで、お土産に同じものを買った。
しかし、邸に帰っても、二人と顔を合わせたくはなかった。僕はすっかり落ち込み、誰にも会わず、部屋の隅に独りでうずくまっていたかった。今夜、彼と出掛けることも、すっかり億劫に感じていた。
人目を避けて、こっそりと台所に忍び込んだ。音を立てないよう、冷蔵庫を開けてジェラートを仕舞っていたら、桃音ちゃんに名前を呼ばれ、あんまり驚いて、肩がぴくりと弾んでしまった。
「好いもの、買って来たんだ?」と桃音ちゃんは、小さく笑いながら言った。
「うん、新しく出来たお店のジェラート」僕は間誤つきながら、振り向かないまま答えた。
「ニコちゃん、葉くんが佳思くんに遠慮して、我慢してないか、心配してたよ」と彼女は深刻にならない口調で言い、「ニコちゃんを悩ませるほど、二人してつるんでるの?」
「桃音ちゃんには、どんな風に見えていた?」と僕が訊いた。そのことについて、僕がどれほど強く興味を持っているか、彼女は知らないからこそ、知りたかった。
「葉くんの方が、はしゃいでる印象だったかなあ。佳思くんは、ほら、誰にでも丁寧に接するから」
「だって、芸能人だもの。そりゃあ、はしゃぐでしょう。せっかくの機会だし」と僕は言い訳がましく抗議した。が、『佳思くんは誰にでも丁寧に接する』と言われたことに傷ついたのは、伝えるべくもなかった。
「ところで、葉くん」と桃音ちゃんが優しく言った。「朝ご飯も食べずに出て行ったけど、ポタージュと、何か用意しようか」
「ごめんなさい、食べて来た」
「かまわないのよ、食べたのなら。これから、たまった夏の疲れでバテてくるから、栄養を摂らせようと思っただけ」
「……ごめんなさい」と僕は繰り返した。
田坂さんとずっと一緒にいられないからと、ふてくされるだけでも充分大人げないのに、八つ当たりみたいなことまでしてしまった。時間を戻したかった。
「じゃあ、僕、探し物があるから」
申し訳なく思ってはいるのに、僕は彼女から離れ、田坂さんの部屋に避難した、そこに誰も居ないことを願いながら。彼がいれば最高だけれど、他の誰か、例えば彼に付きまとっている女の子なら最悪だ。
田坂さんの使っている二階の小さな部屋は、扉が開け放されていた。西側の端にある階段から上がり、西廊下の角を曲がって、広間に出た時点で、東廊下の突き当たりに位置する部屋の扉が開かれているのが確認できた。
田坂さんが、何か用事があって、戻っているのだろうか、あるいは、もしかしてナオキ先生が来ているとか。中途半端な拍子に、桃音ちゃんに、栗のジェラートを試すよう伝え忘れたのを思い出した。
急いで向かったけれど、そこにはひと気がなかった。いつの間に運び出したのか、積み重ねていた大量の祖父の本が、すべて無くなっている。
『どこに、持って行ったんだろう。大好きな絵本もあったのに、教えてくれないなんてズルいよ』
戸惑いながら部屋に入ったとたん、すぐに何かに躓いた。眼を落とすと、二足そろった藍色の下駄だったので、僕は驚き、同時にひどく不愉快になった。
それには、名刺大のベイジュのカードが添えられていた。女の子の可愛らしい手蹟で(藍色のインク!)、『想像を絶する意外な場所にありました』と、署名とともに書かれていた。
桃音ちゃんが指摘する通り、彼は分け隔てなく丁寧に接するので、僕が自惚れるほどには、彼から特別扱いされていないのではないかと、疑惑の染みが広がってゆく。
『僕以外にも、例の捜索を頼んでいたんだ!』と、僕は俄かに憤然とした気持に襲われた。そんなくらいのことなど、彼は気にも留めていないのだ。
かっとなるのに委せ、気がついたら僕は、拾い上げた下駄を——一応、力加減はしながら——壁に向かって投げつけていた。
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