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第四章 7時から5時まで De 7 à 5
8.
しおりを挟むクルーたちを集めて、弁護士を伴い、監督は話をはじめた。彼の隣にはもう一人、現場の主任である年嵩の女性が並んでいたが、田坂さんはいなかった。まず監督が、怪文書がばら撒かれている現状、現在取られている対応について話をした。それから弁護士が引き継いで、異例のことながら、警察が動いていることなんかも。
警察に被害を相談したのは、怪文書を送った当人の厳罰化を求めたからではない。望みは速やかな沈静化である。スタッフ全員が元通りの平静な心持で、撮影の再開に臨むことを最優先としたい。
組織に不満があり、改善の要求を訴えたいのであれば、話し合いに応じる用意は、なくはない。
二人が述べたのは、概ねそんなような内容だった。
ウディ・アレン似の監督が途中、文脈を無視して、『映画を撮れなかったら、俺は犯罪者か自殺者にしかなれないんだよ』と絞り出すような低声で呟いた。決して撮影を頓挫させたくないという情熱が、制作現場の仲間ではない僕にも伝わった。
「警察や弁護士が出しゃばるなら、あたしら素人探偵の出番はないね」と花が投げやりに言った。「つまんないの」
台所へ戻り、ナオキ先生のために、お茶を淹れなおした。催促するので、花の茶碗にも注いでやる。
「俺が犯人を取り押さえたら、百叩きのうえ、市中引き回しにしてやる。俺の作品の邪魔をしやがって」とナオキ先生は珍しく早口で、罵るように言った。「あと、田坂佳思も呼び出ししなあかん」
「ここに、田坂さんを?」と僕は、彼に会える喜びを抑えきれずに尋ねた。
「ホテルを断って、お邸に泊まってるでしょう?」とナオキ先生は携帯電話に入力しながら。「大家さんである、お邸のひとに最も係わっているのに、説明せずに却って不安を煽るとは」
ナオキ先生には、僕がよほど哀れな情態に見えたに違いない。
「だけど、警察や弁護士さんの、無闇に喋るなって指導を守ってただけで」
「フェーズが変わったのに、見誤ったらいけません。大勢に知られたら、大っぴらにするのが得策なんです。では、僕はお祖父ちゃんの書斎で別件の用事を片付けてますので、一旦失礼します」
「キーツ先生、DVDありがとう」と花がのんきに言った。
田坂さんが台所にやって来たのは、それからしばらく経ってからだった。花は退屈して卓子を離れ、桃音ちゃんとパン生地を捏ねたり、叩きつけたりしていた。
駆け込んで来た田坂さんは、取り乱した表情を隠しもしなかった。彼は赦しをこうように跪き、僕の手を取り力をこめて握りしめた。
「もしかして葉くんも、中傷の手紙を送りつけられてたの?」
田坂さんの態度は何か映画かテレビドラマのように大仰で、気恥ずかしいと同時に、少なからず僕を感動させもした。
「話してくれればよかったのに。僕には相談しづらかった? まさか、夜に独りで三階の部屋にいる時に、怖い思いをしたとか? 力になれなくてごめんね、ほんとごめん」
あまりに真っ直ぐ凝視られて、僕はたじろいだ。おおきな黒眼に吸い込まれそうだった。
「田坂さん、待って」と僕は彼を遮って言った。「僕は大丈夫。ナオキ先生が、どんな風に伝えたか分からないけど。田坂さんこそ、平気?」
僕は、自分の眼つきが、うっとりと夢みるようになっているだろうことに気が付いた。
「うん。僕はヒアリングする側じゃなくて、される側だから。付き添いを頼む子が居ても、ほんの数人だし」
「そうじゃなくて」と僕はためらいながら言った。「詮索して申し訳ないけど、田坂さんには手紙が届いたんじゃない? 書斎に掛けてあった上衣のポケットに入っていた、あの封筒、見つけてしまって」
田坂さんは、訳が分からないと言うような表情を浮かべた。子どもっぽくて、可愛らしかった。
「違うの?」と僕は慌ててつぶやいた。
「僕が思ってる封筒と同じのだったら、違うかも」と彼は横眼になって、考えるように言った。「あれは招待状。この、下駄を教えてくれた子が個展を開くから、花を贈るのを忘れないようにポケットに入れてただけ。納得した?」
「紛らわしいです」と僕は憤った口調で言うと、吹き出してしまった。
田坂さんが立ち上がったので、もう撮影に戻るかと思ったら、屈んだ姿勢で僕を抱きしめた。いつものトワレの香りに、柔らかく包まれる。
「約束して」と田坂さんが小さく言った。「思い詰める前に、打ち明けてくれるって。頼りにならないのかもしれないけど。いい?」
「アイ、アイ、キャプテン!」と僕は彼に抱きしめられたまま、控えめに肘を曲げて敬礼の真似をした。「もう皆んなの処に行って。ごめんね、ありがとう」
「ピクニック、忘れないでね」
去り際に田坂さんが言ったので、花たちに聞かれるのを心配して、僕は顔をしかめ、黙るよう口に人差し指をあてた。
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