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第四章 7時から5時まで De 7 à 5
3.
しおりを挟む台所の卓子で夕食を摂った後は、翌日のための下ごしらえや、応接室の片づけ、洗い物なども手伝った。
お皿を拭きながら、ママのすぐ上の姉の芽以子伯母ちゃんに尋ねた。
「どうして、今になって門限が出来たの?」
「別にうちが、コンプライアンス的にどうこうって訳じゃないんだけどさ」と、彼女はいつものさっぱりした口調で言った。「問題が起こる前に、制作側に抜かりはない、ってアリバイが欲しいんだって。門限ていどで解決しないと思うけどね。それに、あと何日もないじゃんか」
「関係者にとっては、邸での撮影が終わっても、まだ終わりじゃないからかな」
そう、田坂さんが邸に居るのは、あと何日もない。彼と親しく会える時間は、しごく限られているのだ。切なくて、叫びたい気分だ。
「今夜のうちに、門と玄関の暗証番号は変更するんだけどね」と芽以子伯母ちゃんが言った。
「僕、教えてもらわない方がいいのかも。だって、もし流出したら、僕も疑われるし」
「そうか、じゃ、そうしよっか」
遠慮しないで、家に泊まりにおいで、犬と遊んでやってよ、と伯母ちゃんが言い出したので——小型犬は苦手だ!——、僕は適当にごまかし、屋根裏部屋に避難した。
田坂さんにうんざりされるとしても、ちょっとでも長くそばにいたい。せめて彼の姿を眺めていられれば。
正面の大きい階段に坐って待っていたら、入って来るなりびっくりするだろうし、廊下を歩き回るのも不審な感じがする。驚かせず、不自然でなく待っていられる場所はどこか考えた。
それで結局、堤燈を点けて、バルコニーで天体観測をしている振りをすることに決めたのだった。
台所と応接室を往復して、食器などを運んだこともあり、汗をかいたのでシャワーを浴びる。
髪を乾かしながら、鏡の中の不恰好な自分と正面から対峙すると、本当に嫌気がさす。二重の幅は広いし、鼻は短いし、脣が厚くて目立ちすぎる。もちろん、中身も優柔不断で特技もなくて、なんの自信もない。絶望する。
田坂さんに会いたくない。
ネットで検索すると、一駅隣の街に午後十一時まで営業している美容室があったので、花の実家で自転車を借り、最寄駅まで行って、電車で向かった。髪を切ったくらいで、どうにかなるものでもないけれど、せめて身ぎれいにしておきたい。
目立たないほどに毛先を整えて、ブローしてもらう。
「とっても可愛い」とアシスタントの女の子が嬉しげに言った。
店員の子たちが口を揃えていう、「可愛い」「よく似合う」「顔が小さい」「細い」などなど、およそ信憑性がない! どんな返答が正解なのか教えてもらいたいものだ。
僕は苛立ち、美容室を出るなり、両手で髪をぐしゃぐしゃに掻き回した。もう諦めよう。僕は僕でしかないのだから。
それなのに、邸に帰る頃には、憂鬱は待望に打ち払われていた。待ち遠しくてたまらない。望遠鏡の鏡筒と三脚を持つ指が、興奮に痺れたようになっている。望遠鏡を探していたら、照明と虫除け機能のついた提燈も見つけた。
当然ながら、バルコニーで僕は、星を見上げることはなく、邸の前の細い道路ばかり見下ろしていた。
とうとう、自動車のヘッドライトが近づいて来た。タクシーが門の前で停まった。後部座席から降りたのは二人。顔立ちははっきりしないけれど、すらりとした長身の一人は、田坂さんに違いない。インターフォンで呼ばれた警備員が、門を開錠する。
僕が合図するより先に、田坂さんが僕を認めて手を振った。
「バルコニーで天体観測?」と彼ははしゃいだ様子で言った。「いつも優雅だ。何座が見える?」
「えっと、色々と…」
彼を待っていただけで、空なんか全く眼中になかったから、返答に困ってしまった。
「あの、本を……ちょっとだけ、本を見せてもらいに、部屋へ行ってもかまわない?」と僕は勇気を出して言った。もう一つの人影は、既に玄関へ入ったようなので。
「お酒くさいのが、嫌じゃなかったら」田坂さんの口調は、迷惑そうではなかった。
「嫌じゃないよ。望遠鏡を仕舞ったら、すぐ行くから」と僕は手摺から身を乗り出して言った。
「危ないよ、落ちないようにね」と田坂さんが両腕を差し伸べて言った。
彼に係わることだと、僕はいつだって大騒ぎせずにいられないらしい。
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