リスの森

犬束

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 もうずいぶん永いあいだ、ぼくは独りぼっちでさまよい歩いていました。騒がしい都会にうんざりして、石と砂の荒地へ突きすすむと、灼けつく太陽は、北風にもまれる雪原へ向かわせました。明るくのびやかな海でさえ、ぼくの心をみたしてはくれません。
 いつもお腹を空かして疲れはて、夜はさびしく泣き寝入りましたが、放浪の生活をやめようとはおもいませんでした。




 あのひとに出逢ったのは、空がすっかり濃い青いろに染められ、星もまたたきはじめたころのこと。安全なねぐらを求めてうろついていた、森の中のことでした。
 はしばみのむこうで、そのひとは焚き火にかけた鍋を、木の玉杓子でかきまわしたり、香辛料をとりに行って、網焼きの肉にまぶしたり、いそがしく働いていました。
 たいそう古めかしい絹のドレスを着ており、純白ではありませんでしたが、ごくうすいクリームいろの布地だったので、ぼくはてっきり、かどわかされた花嫁にちがいないと、胸をときめかせました。けれども、そのひとのようすは、大柄なせいか、どこかしら違和感がありました。
 屋根と、壁と、床のない家に住んでいるらしく、つまり、すこしばかりひらけた草地に家具をならべているので、まるでお芝居の舞台を見るようでした。
 上手かみてには金箔のはがれた天蓋つきのベッド、化粧台も箪笥もワードローブも、みんな壊れかけた骨董品で、下手しもてには食器棚と石造りのかまど、中央の樅の木に立派な角をはやした鹿の頭の剥製を飾り、その下に置いたソファは、深緑いろの擦りきれたビロードが貼られていました。ややはなれた小川のむこう岸には、どこにも通じない、鉄製の黒いらせん階段がそびえていました。




 ぼくは、そのひとに声をかけようと歩みより、ようやく違和感の正体を知ったのです。驚くほどのことではないのですが、そのひとは引き締まったからだをした美しい男性で、ドレスを身につけているからといって、女みたいな所作などしませんでしたし、婦人用の古風な衣装はむしろ、いっそう魅力を際立たせていました。
 ぼくは、なるたけていねいな口調であいさつをしてから、じぶんは旅の途中で、この野兎と交換に(ぼくはパチンコで狩をするのが得意なのです)、あなたのスープと、迷惑でなければ、ひと晩だけでも泊めていただけませんかと、たのみました。

 するとあのひとは、うっとりするくらい素敵な微笑みをうかべ、おまえがいたいだけ留まればいい、というのです。すぐに焚き火のそばへぼくをすわらせ、アラベスク模様の黄いろい深皿にヒヨコ豆のスープをそそぐと、松毬まつぼっくりの彫刻をほどこした銀のスプンをそえてさしだし、おなじく銀の大皿に田舎風パテとジャガイモのピューレ、網のうえでカリカリに焼けたベーコンや臓物やニンニクを盛りつけました。足もとのバスケットには胡桃入りパンと、ふわふわのブリオッシュがたくさんはいっています。赤と白の葡萄酒もありました。




 あまりのごちそうにびっくりして、お礼のことばももつれてしまったのに、旅人をもてなすのは当然のことだといいながら、あのひとはナイフで兎の頸の血管を切り、若木の枝に逆さに吊りました。仕事を終えてぼくのとなりに腰をおろすと、よく肥えたいい兎だと褒め、腹に詰め物をして白葡萄酒で煮るか、丸焼きにするか、どんな料理が好きかをたずね、食事に手をつけずに大人しくまっていたぼくのことも、よく躾られたいい子だと褒めてくれました。

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