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犬束

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美術館でマリアと

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 公立美術館の別館はかつて、**伯爵が姉娘にあたえた邸宅だった。瀟酒な白い館の扉は、いまや誰にでもひらかれている。前庭に薔薇色の薔薇が咲きほこり、玄関先の石の台坐の上にはギリシア風のスフィンクス。酸性雨にうたれて融けだした頬の水跡が、泣いているように見える。
 六月の月曜日の夜明けまえ。雨につつまれた空っぽのサニーサイド・アベニュー。ひくく垂れこめる雲はペールグレイ。道路を横ぎって、モッズコートの少年がはしって来る。フードをかぶり、背中をまるめて、なにかを抱えているらしい。黒い鉄門をおして美術館へはいって行き、なれたようすでカギ穴に針金を刺す。
 ドアをあけたとたん、少年のふところから大柄のサビ猫がとびだした。あたりは冷たくしめった薄闇。シャンデリアがほのかに瞬く。猫は伸びをしてネズミ狩の用意。聞こえるのは降りそそぐ雨の音ばかり。



 
 侵入者は濡れたコートを手摺にかけ、赤いじゅうたんを敷いた階段をのぼって、踊り場で足をとめた。壁にマッチをこすりつける。まばゆい炎にてらされ、金箔地の小さな聖母画がうかびあがった。息をこらして凝視める少年は金髪で、クリストファー・ロビンみたいなおかっぱ頭。袖口の擦りきれたチェックのシャツ。肩からななめに茶色い皮のバッグをかけている。
 彼のマドンナは甘やかされた可愛らしい少女のよう。みずみずしい肌。やわらかな脣。けれども救世主の母たるひとにふさわしく、眼差しは深く、かぎりなく浄らかだ。少年はすっかり心をうばわれ、永遠を求める憧憬に、胸がひき裂かれてしまいそう。しかし、地上では決してかなわぬ夢だとおもい識らなければならない。彼は涙ぐむ。じっと立ちつくす。絶望に耐えながら、全宇宙の不幸が救済されるよう、けんめいに祈りつづけているのだろうか。彼は指をくみあわせて跪いたりなんかせず、マッチが燃えつきないうちに投げすてると、壁から聖像画イコンをはずしてバッグにしまいこんだ。



 丘のうえの屋敷にマリアと呼ばれた老婆がひとりで住んでいて、晴れの日にはテラスのソファに腰かけてすごし、曇りの日はミンスパイを焼き、雨の日には時代おくれのドレスで着飾り、裳裾をひきつつ庭をあるきまわりながら、扇のかげでほほえむ。


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