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それでも、僕はその部屋から出ることができない。

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 月光のように淡い色を輝かせた彼女の瞳は、対峙している機械を見つめている。その機械にはモニターがついており、黒髪の青年が映しだされていた。

「このロボットと言うゴーレムを通じて、あなたの顔が見えるのは嬉しいのですが……。やっぱり少し寂しいです」
 モニターの映像に向かって、彼女は語りかけた。
 僕は地下の自室にいて、彼女は地上の応接室にいる。なぜ直接会って話をしないのかというと、それには深いわけがある。

 僕は地下にあるこの部屋を出れば、おそらく五分も生きられない。
 この星の大気は酸素が無いに等しい。そして、上空に紫外線を防ぐオゾンの層も無い。もしも生身で外に出たら、たちまち酸欠になり、被曝して死んでしまうだろう。
 一方で、彼女が生身で地下へ降りて来たら、確実に死ぬことになる。
 僕のいる地下は窒素と酸素と、ほんの少しの二酸化炭素で構成されている。地球人には快適だが、この星の生命には辛いどころか、危険な空気だ。彼女が部屋に立ち入ったのならば、窒素中毒か酸素中毒になり死んでしまうだろう。

「近くで話したいのなら……アレを身にまとえば君の隣に行くことができるけれど」
 僕は外に出るための宇宙服のようなものを作っていた。これがあれば危険な外へ出ることも可能となるのだ。しかし、機械のアシストにより彼女を軽々と抱えることができても、目の前にいる彼女のぬくもりを感じようとするなど、夢のまた夢だ。

「でも、あの不思議な外皮をした魔具よろいでは、あなたの表情が見えないので楽しくありません」
 彼女のわがままな言葉に、僕は苦笑いを浮かべるしかなかった。紫外線や宇宙線を防止するために、気密性を保持するために、光でさえ内部に接しない作りになっているのだ。
「いつかこんな魔具越しではなくて、本当のあなたに会ってみたいものです。こんな味のない映像や、あの不思議な魔具超しではなく、あなたのその黒の瞳に映りたい」
 モニターの縁を人差し指でなぞりながら、彼女は青い目を伏せる。

「そんなに好いてくれるのはうれしいけれど……。このロボットを通じ、君と意思の疎通ができるだけでもありがたく思わなきゃ」
 そのおかげで、僕は長い間抱えていた孤独から解放されたのだ。

 僕はただ一人、この研究施設と共にこの場所に来てしまった。どうしてこのような事態になったのか、僕には検討もつかなかった。本当に、突然に、気が付いたらこうなっていたのだ。



 ――あの日、当直だった僕はすべての業務を終え、仮眠室へ行くところであった。廊下へ出る厚い扉を開こうとセンサーに触れようとしたその時、立っていられないほどの激しい揺れが、施設を襲ったのだ。
 一分ほど揺れていただろうか、揺れが収まったところで僕はすぐさま管理室へ引き返した。先ほどの揺れで施設に不具合が出たのであれば、対処しなくてはならないからだ。こういう不測の事態に対処するために当直はいるのだ。

 管理室の計器を見る限り施設内部に異常は見当たらず僕はホッと息をついた。そして、ふと見上げた施設の外を映す監視カメラ。それが異常を映し出していた。カメラが映し出した世界、それは一言でいえば森であった。
 この研究施設は郊外の広い平野に建設されている。そのはずであった。周囲は平野だった。そう平野のはずなのだ。それが鬱蒼と茂る森になっていたのだ。
 その森も普通ではなかった。葉の無い蔦が樹木のように茂り、森を形成していたのである。蔦の木々は研究施設を避けるように上に伸びて、施設の遙か上空に大きな穴を作っていた。そして、その穴から覗く開けた空には、大きな大きな青い月が輝いていたのだ。

 この地球外の景色を見せられて、僕は困惑した。外部と連絡を取ろうと電話を手に取るも繋がらない。無線を使った通信も圏外を示している。完全に孤立してしまった。
 助けを求めに外へ出ることも検討したが、外は夜であり、しかも見たこともない森である。森のどのあたりにいるかもわからない、さらに言えば危険な生物がいるかもしれない。そう思い、僕は外へ出るよりも先に、辺りの偵察に努めた。
 この時、闇雲に外へ出なかったことは、偶然とは言え幸運であったと、当時を振り返ってそう思う。

 周囲の環境、生息している生物、とにかく外の情報が欲しかった僕は施設内の虫型の機械に指令を出し、排気口から外へ向かわせた。研究所内には、生物に模して研究対象の動物を近くで観察するための機械があったので、すぐに流用することができたのは幸いだった。
 このような異常事態の中にあっても、状況を把握しようと努められたのは、研究者としての好奇心が働いた結果なのかもしれない。

 調査の結果、蔦の森には大型の危険な生物は生息していないことはわかった。そして、最も重要で絶望的なことが判明した。大気中の酸素が非常に低く、生身で外に出ると危険であるということだった。

 調査の範囲は森の外にも及んだ。奇妙な蔦の茂る森の中だけが酸素が薄く危険である可能性も捨てきれなかったからだ。しかし、森を抜けても変わらず酸素は皆無に近く、僕に厳しい現実を突きつける。
 この星の環境は生活に適さない。この事実に僕は恐怖した。たった一人で、しかもこの研究施設の中でしか人間らしい生活できないという事実に。

 それでも、この絶望の中でも、発見したものもあった。
 森を抜けた先に街を見つけたのだ。厳しい環境にも関わらず、僕と何ら変わりがない姿をした知的な生命体が存在することには驚いたものだ。

 会うことは無いだろうと思っていても、やはり人が恋しかったのだろう。僕はその現地人と思わしき人々の言葉を集め解析した。この研究施設には複雑な暗号の類を数日で解読できてしまうスペックの機械がこある。情報がだだ漏れの日常会話など訳すのはたやすかった。
 僕は街の往来をざわめきを偵察機越しに眺め、人恋しさを少しだけ紛らわせていた。


 ――そして、この地域で使える翻訳機が使い物になる程度に完成したころ、僕は彼女に出会った。この森にある崖から滑り落ちて怪我をして弱っていた彼女と――


「そういえば、君と出会ってからもうすぐ一年か」
「もうそんなに経つのかというべきか、まだ一年というべきかですね」
 遠い昔のようでいて、最近の話である。
 出会いの時こそは、僕が彼女を助けたのだが、それ以降は彼女には色々と世話になりっぱなしである。

 今、僕がこの土地で平穏でいられるのは、彼女の力が大きい。
 彼女が僕のいる森、特に僕の家周辺を、人を惑わし森の入り口へ戻すという迷いの魔法で包んだのだ。
 この魔法は非常に助かっている。この家が何者かに壊され外界に侵されること、それは僕にとって死を意味するからだ。
 彼女と同等以上の魔力の持ち主か、僕のように全く魔力のない者でなければ、これを抜けることはできないらしい。この国で彼女と肩を並べる実力者は数えるほどしかいないし、この星で生まれ育った生命ならば魔力を持たないなどあり得ない。巨大な体を持つ魔物でさえ、この魔法を抜けるのは不可能だろう。実質、この森を自由に歩けるのは、僕と彼女だけなのだ。
 僕は彼女には本当に感謝してもしつくせないほどの恩を感じている。僕の提供できるものなら、それこそ命だって差し出しても良いほどに。

「本当に君には世話になってばかりだ」
 僕はマイクに拾われない声量で呟いた。
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