クリムゾン・ウィッチ

なつき

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第一章

二人の王子

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 それは、キャシーがいつものように小説を執筆している時の事だった。節目まで書き終え、一息入れようかと思っていたその時。 

 コンコン。

 控えめに響いたノック音に、思わず気配を探った。

 (この気配......シルヴィ?)

 メイド長である彼女が、執筆中のキャシーのもとを訪れる事はあまりない。何かあったのかとソワソワして様子を伺う。 

 『キャシー、あたしだけど』

 扉の向こう発っせられた声は、やはりシルヴィアのものであった。

 「シルヴィ。どうぞ。入って」

 遠慮がちに扉が開けられ、メイド服のシルヴィアが室内に足を踏み入れた。

 「仕事中ごめんね。エドワード様があなたにお話ししたい事があるらしくて」

 エドワードはシルヴィアの主、この国の第二王子である。

 「エドワード様が?分かった。今着替えるから、ちょっと待ってもらえる?」

 シルヴィアが頷くと、キャシーは謁見用の礼服であるドレスに着替え始めた。髪も整え、夜会に出ても恥ずかしくないような髪型に結わえる。最後に化粧を施して支度は終わりだ。

 「お待たせ」

 すっかり様子が変わったキャシーを前に、シルヴィアがほぅとため息をひとつ吐いた。

 「綺麗......」

 「シルヴィ!?」

 「いやだって!キャシーホントに綺麗なんだもん!そこいらの令嬢なんて目じゃないわよ?」

 「毎回毎回、その誉め殺しやめて?歯が浮くから」

 「なんでよー?ホントの事なんだから仕方ないじゃな~い」

 「も、いい。エドワード様がお呼びなんでしょ。さっさと行こう」

 「あ、うん。そうね。行きましょう」

 シルヴィアが、キャシーを先導して宮中を歩く。宮中勤めの貴族達が、すれ違いざまにほぅと感嘆の息を漏らす。いつものキャシーには目もくれないのに、えらい違いである。

 「エドワード様。キャシー=グリムワール、参上致しました」

 通されたエドワード王子の謁見室で、令嬢のように完璧な所作でお辞儀をしたキャシーに、呼び立てた本人であるエドワードがニッコリと微笑んだ。

 「忙しいところ呼び立ててすまない。悪いが、もう少し近くまで来てもらえるかい?シルヴィア、人払いを。部屋の外で見張りを頼む」

 「かしこまりました」

 人払いされた室内は、エドワードとキャシーの二人きり。エドワードは笑みを崩さない。巷では天使の微笑みと称されるエドワードの笑みは、実に美しい。王子様らしく清潔感と優雅さを併せ持つ長さに整えられた髪は、ふわりとした金色で、一本一本が上質な絹糸のように滑らか。その輝きはまさに天使のそれだ。顔はそれこそ彫像や絵画を思わせる造詣で、王子という肩書きに相応しい美しさだ。先月25になり、妃になりたがる令嬢が後を絶たない。人当たりも柔らかく、民からの人気も高い。まさに王子として完璧といえる王子なのだが......。

 「実はね、父上から君の事を聞いたんだ」

 「何のお話を?」

 「グリムワール。君の一族が持つ力の事だよ」

 「はて。何の事でしょう」

 心の乱れを知られてはいけない。エドワードはまだ王子。現在、"契約"は王に限定されている。王が自分から"権利"を譲渡しない限り、だが。見極めなければならない。王子が嘘をついて情報を引き出そうとしているのか、それとも"権利"が譲渡されたのか。自分からボロを出してはいけない。キャシーは極めて平静を装い、ニッコリと笑った。

 「お話しの意図が分かりかねます。この度のお呼びだしはどういったご用件でしたか?」

 「父上から聞いたと言ったろう。君は【女神の権能】の持ち主。そうだろう?」

 「さて。何の事でしょう」

 余裕の笑みを浮かべる。エドワードは何をどうやったのか、真実の一端を掴んでいる。が、どうやらそれだけのようだ。本当に知っている、つまり、王から"権利を譲渡"されたのなら、もっと踏み込んだ話をする筈である。そうでないという事は、違うのだ。

 「グリムワール。君はなかなかに肝が据わっているね。さすが父上のお気に入りだ」

 これ以上情報は引き出せないと判断したのか、エドワードは小さくため息を吐いた。

 「ご用がないようでしたら、私は下がらさて頂けますか。原稿の続きを書かなくてはなりませんので」

 「ああ。すまなかった。下がっていいよ」

 「ありがとうございます。では、失礼致します」

 貴族令嬢のように美しくお辞儀をし、その場を後にする。部屋の外で待機していたシルヴィアと目が合う。

 「終わったのね。エドワード様、何のご用だったの?」

 「大したことじゃないわ。もう戻るから、シルヴィアはエドワード様のお側に戻って差し上げたら?」

 「分かった。ごめんね、仕事の邪魔しちゃって」

 「気にしないで。また次の仕事終わりに飲みましょう」

 「うん!じゃあね」

 挨拶を交わし、シルヴィアはエドワード様のもとへ戻っていった。キャシーはそのまま宮中の廊下を一人歩きながら、ぼんやりと考える。

 (エドワード様、随分あたしの事調べてるのね)

 真相に行き着くまであと一歩といったところだ。もっとも、大方そうなるよう王が仕組んでいるのだろうが。
 今、国は次期国王が誰かで揺れている。既に成人を迎えて久しい二人の王子は、王になる時に備えて未だ妃を迎えていない。婚姻には利権が絡むからだ。そして、王は今のところ、エドワードを時期王にと考えている線が濃厚だ。第一王子のウェルヴィンは、王子としては第一位だが、王位継承権としては第二位にあたる。彼を産んだ母君が、エドワードの母君よりも格段に位の低い妾だったからだ。地位の高い貴族の生まれだったエドワードの母君は、半ば政略結婚のような形で王宮に嫁いだ。愛されていたのは妾であるウェルヴィンの母君と言われているものの、愛で王位継承権は決まらない。身分どおり、第一王位継承権を与えられているのはエドワードである。故に、王は今のところエドワードが王になるよう道を示している。今回エドワードにキャシーの情報が与えられたのも多分、その一貫だろう。
 キャシー=グリムワールは王と"契約"している。それも普通ではない特殊な契約を。その全容は王とキャシー本人しか知らない。そういう制約であり、その制約を破る時は、"契約の権利"を破棄、あるいは譲渡した時のみに限られる。恐らく王はエドワードを試しているのだ。どこまで真実に近付けるか。であれば、今回の急な呼び出しも納得がいく。王が故意にエドワードに情報の一端を掴ませ、彼自身がキャシーを籠絡出来るか否か試しているといったところだろう。

 (面倒な......)

 次の王を誰に据えるか。その判断材料として自分も利用されるなど面倒極まりない。"契約"は王以外には適用されないし、キャシー自ら適用範囲を王子まで広げる気もない。それこそ面倒極まりないし、人道的ではないとキャシーは思う。"契約"は世の理を覆す危険な代物なのだから。

 「おい」

 不意に声をかけられ、意識を深い思考の海から呼び戻す。目の前には、見事な漆黒の髪の麗人が立っていた。首筋でひと束に束ねられた、腰まである見事な長い黒髪。眉にかかる癖のある前髪。髪色と同じ漆黒の瞳を持つ切れ長の目は鋭く、見る者が思わず萎縮してしまうような威圧感を放っている。作り物のように造詣の整った目鼻立ち。抜き身の刃のような危うい美しさを持つ鋭い眼光。鍛え上げられた男らしい体躯を持ち、その背には常に大剣を下げている。一見すると剣士か騎士にしか見えないこの男の名はウェルヴィン=ロズ=ヴァレンチノ。正真正銘この国の第一王子である。

 「ウェルヴィン様。お久しぶりでございます」

 優雅にお辞儀をすれば、すぐに、頭をあげろと声がかかった。

 「お前、その姿で宮中を歩くのは珍しいな。父上にでも呼び出されたか」

 「いいえ。本日はエドワード様にお声がけ頂きました」

 「あいつが?お前、まさかあいつに何かされたのか?」

 元々しかめっ面だったのが、更に眉をしかめた。鬼のような形相で、殺気がだだ漏れである。

 「いいえ。ご心配頂くような事は何も」

 「本当か?お前が我慢する必要はないのだぞ。何かあれば、私が直々にあれを始末してやる」

 「過分なお言葉、痛み入ります」

 少しだけ困ったように微笑めば、ウェルヴィンは、うむ、と満足げに頷く。

 「お前は私の后になる身だ。手を出す輩は、たとえどんな奴でも許さん」

 「滅相もございません。わたくしのような物書き風情が、貴方様の后になど」

 「お前はいつもそれだな。まあいい。私が王になったなら、その時は断らずにいてくれれば」

 怪しく笑むウェルヴィンに、キャシーは困ったように微笑む。

 (ホンットしつっこいなぁ)

 この王子、ウェルヴィンは、キャシーを后にすると公言して憚らない。何がそんなに良いのか、キャシー自身には皆目検討がつかないのだが。権力を盾に無理矢理迫るような真似は絶対にしないから、この王子が誠実である事は疑いようもないのだけれど。だからといって、ほだされるほど馬鹿ではない。キャシーは"契約"の為に王城に身を寄せている特殊な立場だ。必要以上に親しくなれば、自分の秘密を知られるリスクも高くなる。婚姻などもっての他である。故に、この王子の求婚も面倒以外の何物でもないというのが本音だ。

 「ウェルヴィン様。わたくし、物語の続きを思い付きましたので、そろそろ御前を失礼しても宜しいでしょうか」

 「せっかくこうして会えたのだ。もう少しゆっくりする訳にはいかないか?」

 「申し訳ございません。アイディアはすぐに書き留めませんと忘れてしまいますので」

 「分かった。引き留めて悪かった。行け」

 「失礼致します」

 再び綺麗なお辞儀をし、キャシーはその場を後にした。ようやく自分の部屋に戻ってくるなり、大きなため息を漏らす。

 「憂鬱だわ」

 二人の王子。次期王の座を争う二人。民衆や貴族から抜群の人気を誇る王子然とした王子エドワードと、騎士さえ打ち負かす剣の腕を持ち、多くの者に尊敬と畏怖の念を抱かれているカリスマ王子ウェルヴィン。近い将来、この二人のどちらかに、キャシーは仕える事になる。"契約"に則って。年老いた王から"契約の権利"が譲渡される日が来るのはもう間近に迫っているのだ。
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