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花の微笑み
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※※安らぎの花※※
休日に何があろうと、朝は平等に訪れ、日常が始まる。人生を揺るがすような一日の後でさえ、カーテンのすき間から朝陽が差し込む。
「咲花は大丈夫かな。」
雫は壁にかかった制服を見る。昨日必要最小限の持ち物だけは持ってきていた。咲花は学校に行けるのだろうか。
「あ、顔を洗いにいかないと。」
ここは家ではない。手洗い場はもたもたしていると大混雑する。
「おはよう、雫。ちゃんと寝れた?」
手洗い場には咲花がすでにいた。もう制服に着替えていたけどなぜか少しドキっとする。自分はパジャマのままだった。
「おはよう。おれは、まぁ。咲花はよく休めた?」
「うん。」
「それならよかった。咲花が大丈夫なら、」
「それでいい。」と最後まで言い終わらないうちに舞花に横やりをいれられる。
「早くどいてくれない?後ろつかえてるんだけど。」
相変わらず手厳しい。
「今日からまた一緒に学校行こうな。」
咲花は少しびっくりしたみたいだが、
「うん。」
と笑って返事をしてくれた。
「雫!」
外で咲花を待っていると舞花の声がした。
「何?」
もしかして咲花に何かあったのだろうか。
「咲花のこと好きなら咲花のことちゃんと守ってよね。泣かせたら絶対絶対、許さないんだからら。」
まだ髪がボサボサの舞花。わざわざそれだけ言いにきたのだろうか。
「わかってるよ。」
「何笑ってるの!」
恰好と表情がちぐはぐだから笑ってしまったけど、十分わかっている。舞花にとっても大切で」唯一無二の咲花だから。
「ボサボサ頭に言われなくてもわかってるよ。絶対に泣かせるようなことも、傷つけるようなこともしないよ。幸せにする。」
「悔しいけど私だけじゃだめなの。雫も必要みたいだから。約束破ったら、ネット炎上させて精神的にも肉体的にも再起不能にしてやるんだからね。」
「こわ。」
言いながら笑ってしまった。大切な姉が傷ついて舞花も不安なんだろう。強気であまのじゃくな舞花が、それでもおれを認めてくれたってことなのかな。
「必ず幸せにするから。だから、よろしくな。義理の妹さん。」
「そこまで認めてない!」
顔を赤くして舞花が怒っていると、後ろから天使のような声がした。咲花だ。
「雫、お待たせ。舞花、ここにいたの?舞花、まだ時間割そろえてないでしょ?」
「やば!雫のせいで全然終わってない。咲花もう行くの?」
「うん、行ってきます。舞花も遅刻しないようにね。」
「はーい。」
咲花に話しかけられた舞花は蝶のようにひらひらとドアに入っていった。
「行こっか。」
柔らかい光が咲花の小さくて整った顔に降り注ぐ。
「うん。」
それだけでも幸せに感じながら、雫は咲花のカバンを手に取り一歩踏み出した。
「咲花、おれは咲花を守りたいんだ。」
少し離れて歩く咲花の手をつなぎ、雫は伝える。今のままじゃだめだ。今までのようになんとなく隣にいるだけでは、いつか離れてしまう。咲花が好き。言葉にして伝えないと、洪水のように流されて失ってしまう。
「好き。咲花が好きなんだ。咲花を幸せにしたい。咲花の背負っているもの全部、おれも一緒にもつよ。不安も責任も全部。だから、一生そばにいて。」
咲花の足がとまり、向かい合う。雫の顔を見る。ほほが赤くなり、瞳がうるんでいる。
「私で本当にいいの?頑固だし、体操だってうまくないよ。」
「咲花がいい。咲花がいるとおれは幸せなんだ。咲花が笑ってくれるから、おれは前に進めるんだ。咲花がいなきゃだめなんだ。」
二人の間に風が通り過ぎる。咲花の目にどんどん涙がたまる。零れ落ちてしまうんじゃないかと思うくらい。
「ありがとう。私も雫が好き。」
咲花が一歩雫に近づく。二人の距離は埋まる。うつむいて顔は見えなくなった変わりに、光の環ができた髪を優しく撫でた。
※※虹が架かる時※※
平手コーチ夫妻が養子として引き取ってくれることとなった。
「ちょうど翔馬が大学に行って家を出たから寂しかったの。だから気にしないでね。」
愛子コーチは笑ってそう言ってくれた。平手コーチはこうなる前から考えていたのだとも。咲花と舞花は姉妹だから二人そろって引き取るとなると中々難しいが、一人ならなんとかなる。「良かったじゃない!安心した。」
「平手コーチなら家でも体操教えてもらえるんじゃない?」
咲花も舞花も何も気にすることなく喜んでくれていた。
厄介そうな手続きはひだまり園の人を始め大人がテキパキとこなしてくれ、父親の家から残りの荷物を出すのもひだまり園のスタッフが手伝ってくれたおかげで、父親と顔を合わすことなく淡々と終わり、思いもかけないほどあっけなく新しい生活が始まった。
「雫くん、そろそろ荷物片づけないとね。」
部屋は元々トロフィーを飾っていた4帖半ほどの部屋を貸してくれた。勉強机は今年大学に行って今は一人暮らしをしている翔馬くんのを譲り受けた。最初は翔馬くんの部屋を使っていいと言われたが、さすがに、里帰りした時の翔馬くんの居場所がなくなると思って断った。
今はその部屋に、直に布団をひいて生活をしている。以前の家から持ってきた3箱の段ボールと荷物がパンパンに入ったカバン2つ、手つかずで床に放りだしている。
「このままじゃ落ち着かないだろう。」
平手コーチに再三せかされるが、なぜか開けることが億劫になる。コーチ達が注意するのもわかる。この家でこの部屋だけが違う。リビングには翔馬くんの赤ちゃんの時の写真が飾られていて、ソファーもカーテンの花柄は明らかに愛子コーチの趣味だ。キッチンにはいつも何か食べ物が置いてあって、夕食の匂いもする。コップやお皿は元々3人家族なのにどうしてって思うほど多いが、友達やお客さんが来た時ようなのだろう。自分達体操教室の生徒も招いてもらったことがあった。でも、コーチ達二人がいつも使うマグカップは二人お揃いで、「お父さんありがとう。」「お母さんありがとう」と書いてある。きっと翔馬くんがプレゼントしたものだ。
要するに温かくて幸せな「普通」の家なのだ。その家に迎えてくれていて、とても幸運で幸福なことのはずなのに、なぜかすぐに馴染めなかった。十年以上お世話になっている平手コーチなのに。
ピンポーン。
土曜日。練習はいいから、片付けをしなさいと言われて、一人家に残っていると、インターホンが鳴った。
「荷物の受け取りかな。」
それぐらいなら、自分もできると思ってモニターを覗くとそこには咲花がいた。
「咲花!どうしたの?」
慌てて玄関に出る。まだ部屋着のままだったことに気づくがもう遅かった。
「愛子コーチに雫がなかなか荷物を片付けないから手伝ってあげてって言われたの。」
しまった。遅いと手伝いに行くとは言っていたけど、まさか咲花が派遣されるとは思っていなかった。
「そ、そうなんだ。でもすぐ終わるからリビングで待っててよ。」
咲花はニコニコしながら雫の言葉をスルーする。
「雫の部屋は2階?前来た時より写真が増えてるね!」
結局雫は自分の部屋を案内することとなった。
「まだ、全然じゃない。こんなところに制服も!制服だってちゃんとハンガーにかけないと皺になっちゃうよ。」
ドアを開けるなり、咲花は片付けに取り掛かる。完全に咲花のペースだ。
「こっちの段ボールは自分でするから!」
雫は急いで見られたくない段ボールだけは死守する。見て見ぬふりしていた感情なんて気にしていられない。雫は自分の耳まで赤くなっているのに気づく。
「あ、世界史の教科書こんなところにあったよ!今までどうしてたの?」
「その箱にあったんだ。ないなぁとは思ってたんだ。」
開けることができなかった雫の記憶の箱を咲花は簡単に開けて呪縛をといていく。そして、借り物の他人だったこの部屋に血が巡り、雫の身体になじんでゆく。
「よし!できた。最後にこれ。」
荷物を全て片付けると、咲花は自分のカバンからごそごそと取り出した。写真フレームだった。
2枚飾られている。一枚は幼い時の写真。鉄棒の前に雫と咲花と舞花が並んでいる。もう一枚は去年の全日本選手権の後に咲花と二人で撮った写真だ。試合会場をバックに二人寄り添って笑っている。
「写真?持ってきたの?」
「そうよ。家族写真。部屋にはやっぱり必要でしょ。」
「家族?おれも家族でいいの?」
勉強机に写真を飾る咲花のすぐ後ろに雫は立つ。一瞬で触れられるくらい。
「もちろん。小さい時のは3人兄妹としての家族。そして、こっちは。」
そう言って咲花は振り向いた。二人の距離が驚くほど近くて、咲花の顔から目をそらすことができない。
「私たち、結婚するでしょ。だから未来の家族写真。」
雫は咲花を抱きしめる。腕の中いっぱいに咲花の華奢で柔らかい身体の感触が広がる。
「咲花には全部ばれている。」
どうしようもない孤独を感じていたことをどうして知っているのだろう。
「雫は前に私に言ってくれたでしょ。私が背負っているもの全部一緒に持つって。私も同じだよ。私も雫の寂しさも孤独も不安も全部一緒に持つよ。」
雫は言葉にならずにただ頷く。身体の中から感じたことがないあたたかなものが流れる。これが幸せというものなのだろう。背中に咲花の手のぬくもりを感じながら、雫は咲花に静かにキスをした。
初めてのキスの後、雫は一人で葛藤していた。
離したくないな。腕にどうしようもなく力が入ってしまう。それにどうしても敷きっぱなしの布団に目がいってしまう。それだけはだめだ。雫は煩悩を急いでかき消す。
そんな雫の様子を察したのか、咲花が少し身体を離した。
「なんか暑いね。ソフトクリーム食べに行かない?」
「行こう!」
雫は急いで財布を探す。咲花が何かを食べたいと言うのはいつぶりだろう。財布と咲花の手をにぎり、部屋を後にした。
「気持ちいいね。」
咲花と雫は公園のベンチに座り、空を見上げる。年中落ち葉に包まれているこの公園には、樹齢何年なんだろうと思うほど高い木々が優しく太陽の光をさえぎり、光のカーテンとして二人を照らしている。
咲花の手には白くつややかなソフトリームがある。スプーンですくい口の中にいれる。冷たくて甘いクリームが口全体に広がりのどを通る。すると手の先から足の先まで甘い幸せで満たされていく。
「おいしそうに食べるね。」
雫は幸せそうに食べる咲花を眺めていた。
「雫も食べて。」
咲花は雫の口にもスプーンをもっていく。雫の身体も幸せで満たされますように。咲花の身体も雫も身体も幸せで溶けてしまえばいい。
咲花は頭を雫に預けて目を閉じた。
「あー!こんなところでサボってる!」
舞花の声で甘い余韻が一気にやぶられる。
「もう午前の練習終わったの?」
咲花は慌てて雫から身体を離す。声が少しうわずってしまった。
「もうとっくに終わってお弁当も食べ終わったよ。」
「てことは今から買い食い?」
雫は平然とした顔だ。
「買い食いとは何よ。お弁当足りなかったから追加で買うだけよ。」
舞花は憤然として言う。
「あ、私は付き添いです。」
香蓮ちゃんがひょっこり顔を出して言う。
「舞花、コロッケはだめよ。」
咲花は急いで言う。
「なんで。」
舞花はほっぺを膨らます。
「昨日も食べたでしょ。良質なたんぱく質たっぷりのサラダチキンとかどう?」
「揚げ物の気分なのに。」
舞花はぶぅぶぅ言っているが、そこまで怒ってはいない。咲花との会話がうれしいようだ。
「それより雫、もう部屋の片づけ終わったの?」
「あぁ、終わったから午後からは練習参加するよ。」
「私たちもお弁当食べないとね。雫の分も作ってきたの。体育館に置いてきたら、一緒に食べよ。」
咲花と雫はベンチから立ち上がると、舞花は雫の腕を引っ張って内緒話を始めた。
「咲花にやらしい本とか見つかってないでしょうね。」
「見つかってないというよりもってないし。」
雫は胸を張って言う。
「良かった。咲花にやらしいことしてないでしょうね。二人きりだったんでしょ。」
「してないよ。」
しどろもどろになるのをこらえて返答する。してない。
「キスくらいはしたの?」
「く、くらいって。」
今度は明らかに目が泳いでしまった。
「わかりやすーい。」
舞花は勝ち誇った笑顔を浮かべる。
「じゃ、また午後の練習でね。」
雫はようやく舞花から解放された。さっきまでの甘い気分が一気にすっ飛んでいた。
「うん、よろしくね!」
咲花が笑顔で手をふった。
咲花は雫とともに、舞花は香蓮とともに歩き出した。
※※花の微笑み※※
「きれい。」
舞花は思わずつぶやいた。
咲花の体操。
ひねりを加えていない単なる後方伸身宙返り。なのに、見入ってしまう。気づけば他の選手もみんな。咲花の花に吸い寄せられ、その美しさにくぎ付けになるのだ。
その中で一番近くで眺めている人物がいる。雫だ。舞花に教えてくれていた時と表情が違う。目の温かさ、立ち方すべてちがった。
「痛いところない?」
「大丈夫。どうだった?」
「足先から指の先まで、すべてきれいだったよ。」
咲花と雫。二人が並んでいるだけでどきどきする。誰も入れない世界。
「妬いてるの?」
香蓮が心配そうに舞花の顔を覗き込む。
「私には香蓮がいるから大丈夫!」
舞花は香蓮にぎゅっと抱きつく。そしてこっそり涙をふいた。
「よしよし。なぐさめてあげるよ。」
「ありがとう。でも違うよ。」
舞花の雫への想いでは恋ではない。それでも少し心がチクっと痛む。
それは何か。咲花の美しい体操への嫉妬か、それともやはり雫のことを。
自分でもよくわからない。わからないけど、この痛む心を大切にしたかった。
この痛んでいる部分も自分であり、そのことを認めないと今の幸せも嘘になってしまう気がするのだ。
咲花の復帰。咲花と雫の笑顔。
戻らないと思っていた幸せがそこにはあった。
「さ、私も体操頑張ろうっと。」
「切り替え早っ!」
きっと大丈夫だ。これからどんな困難があってもきっと乗り越えられる。後方伸身二回宙返り一回ひねりも成功できる。そして、いつか自分だけの技を編み出そう。
だって私には家族がいる。親友がいる。洪水が襲ってきて、一時的に傷ついても、絶対壊れないのだから
涙が一粒落ちてきて
つぼみほほえみ
花が咲く
風に誘われ
蝶が舞い
雫きらりきらめいて
虹が大空弧をえがく
休日に何があろうと、朝は平等に訪れ、日常が始まる。人生を揺るがすような一日の後でさえ、カーテンのすき間から朝陽が差し込む。
「咲花は大丈夫かな。」
雫は壁にかかった制服を見る。昨日必要最小限の持ち物だけは持ってきていた。咲花は学校に行けるのだろうか。
「あ、顔を洗いにいかないと。」
ここは家ではない。手洗い場はもたもたしていると大混雑する。
「おはよう、雫。ちゃんと寝れた?」
手洗い場には咲花がすでにいた。もう制服に着替えていたけどなぜか少しドキっとする。自分はパジャマのままだった。
「おはよう。おれは、まぁ。咲花はよく休めた?」
「うん。」
「それならよかった。咲花が大丈夫なら、」
「それでいい。」と最後まで言い終わらないうちに舞花に横やりをいれられる。
「早くどいてくれない?後ろつかえてるんだけど。」
相変わらず手厳しい。
「今日からまた一緒に学校行こうな。」
咲花は少しびっくりしたみたいだが、
「うん。」
と笑って返事をしてくれた。
「雫!」
外で咲花を待っていると舞花の声がした。
「何?」
もしかして咲花に何かあったのだろうか。
「咲花のこと好きなら咲花のことちゃんと守ってよね。泣かせたら絶対絶対、許さないんだからら。」
まだ髪がボサボサの舞花。わざわざそれだけ言いにきたのだろうか。
「わかってるよ。」
「何笑ってるの!」
恰好と表情がちぐはぐだから笑ってしまったけど、十分わかっている。舞花にとっても大切で」唯一無二の咲花だから。
「ボサボサ頭に言われなくてもわかってるよ。絶対に泣かせるようなことも、傷つけるようなこともしないよ。幸せにする。」
「悔しいけど私だけじゃだめなの。雫も必要みたいだから。約束破ったら、ネット炎上させて精神的にも肉体的にも再起不能にしてやるんだからね。」
「こわ。」
言いながら笑ってしまった。大切な姉が傷ついて舞花も不安なんだろう。強気であまのじゃくな舞花が、それでもおれを認めてくれたってことなのかな。
「必ず幸せにするから。だから、よろしくな。義理の妹さん。」
「そこまで認めてない!」
顔を赤くして舞花が怒っていると、後ろから天使のような声がした。咲花だ。
「雫、お待たせ。舞花、ここにいたの?舞花、まだ時間割そろえてないでしょ?」
「やば!雫のせいで全然終わってない。咲花もう行くの?」
「うん、行ってきます。舞花も遅刻しないようにね。」
「はーい。」
咲花に話しかけられた舞花は蝶のようにひらひらとドアに入っていった。
「行こっか。」
柔らかい光が咲花の小さくて整った顔に降り注ぐ。
「うん。」
それだけでも幸せに感じながら、雫は咲花のカバンを手に取り一歩踏み出した。
「咲花、おれは咲花を守りたいんだ。」
少し離れて歩く咲花の手をつなぎ、雫は伝える。今のままじゃだめだ。今までのようになんとなく隣にいるだけでは、いつか離れてしまう。咲花が好き。言葉にして伝えないと、洪水のように流されて失ってしまう。
「好き。咲花が好きなんだ。咲花を幸せにしたい。咲花の背負っているもの全部、おれも一緒にもつよ。不安も責任も全部。だから、一生そばにいて。」
咲花の足がとまり、向かい合う。雫の顔を見る。ほほが赤くなり、瞳がうるんでいる。
「私で本当にいいの?頑固だし、体操だってうまくないよ。」
「咲花がいい。咲花がいるとおれは幸せなんだ。咲花が笑ってくれるから、おれは前に進めるんだ。咲花がいなきゃだめなんだ。」
二人の間に風が通り過ぎる。咲花の目にどんどん涙がたまる。零れ落ちてしまうんじゃないかと思うくらい。
「ありがとう。私も雫が好き。」
咲花が一歩雫に近づく。二人の距離は埋まる。うつむいて顔は見えなくなった変わりに、光の環ができた髪を優しく撫でた。
※※虹が架かる時※※
平手コーチ夫妻が養子として引き取ってくれることとなった。
「ちょうど翔馬が大学に行って家を出たから寂しかったの。だから気にしないでね。」
愛子コーチは笑ってそう言ってくれた。平手コーチはこうなる前から考えていたのだとも。咲花と舞花は姉妹だから二人そろって引き取るとなると中々難しいが、一人ならなんとかなる。「良かったじゃない!安心した。」
「平手コーチなら家でも体操教えてもらえるんじゃない?」
咲花も舞花も何も気にすることなく喜んでくれていた。
厄介そうな手続きはひだまり園の人を始め大人がテキパキとこなしてくれ、父親の家から残りの荷物を出すのもひだまり園のスタッフが手伝ってくれたおかげで、父親と顔を合わすことなく淡々と終わり、思いもかけないほどあっけなく新しい生活が始まった。
「雫くん、そろそろ荷物片づけないとね。」
部屋は元々トロフィーを飾っていた4帖半ほどの部屋を貸してくれた。勉強机は今年大学に行って今は一人暮らしをしている翔馬くんのを譲り受けた。最初は翔馬くんの部屋を使っていいと言われたが、さすがに、里帰りした時の翔馬くんの居場所がなくなると思って断った。
今はその部屋に、直に布団をひいて生活をしている。以前の家から持ってきた3箱の段ボールと荷物がパンパンに入ったカバン2つ、手つかずで床に放りだしている。
「このままじゃ落ち着かないだろう。」
平手コーチに再三せかされるが、なぜか開けることが億劫になる。コーチ達が注意するのもわかる。この家でこの部屋だけが違う。リビングには翔馬くんの赤ちゃんの時の写真が飾られていて、ソファーもカーテンの花柄は明らかに愛子コーチの趣味だ。キッチンにはいつも何か食べ物が置いてあって、夕食の匂いもする。コップやお皿は元々3人家族なのにどうしてって思うほど多いが、友達やお客さんが来た時ようなのだろう。自分達体操教室の生徒も招いてもらったことがあった。でも、コーチ達二人がいつも使うマグカップは二人お揃いで、「お父さんありがとう。」「お母さんありがとう」と書いてある。きっと翔馬くんがプレゼントしたものだ。
要するに温かくて幸せな「普通」の家なのだ。その家に迎えてくれていて、とても幸運で幸福なことのはずなのに、なぜかすぐに馴染めなかった。十年以上お世話になっている平手コーチなのに。
ピンポーン。
土曜日。練習はいいから、片付けをしなさいと言われて、一人家に残っていると、インターホンが鳴った。
「荷物の受け取りかな。」
それぐらいなら、自分もできると思ってモニターを覗くとそこには咲花がいた。
「咲花!どうしたの?」
慌てて玄関に出る。まだ部屋着のままだったことに気づくがもう遅かった。
「愛子コーチに雫がなかなか荷物を片付けないから手伝ってあげてって言われたの。」
しまった。遅いと手伝いに行くとは言っていたけど、まさか咲花が派遣されるとは思っていなかった。
「そ、そうなんだ。でもすぐ終わるからリビングで待っててよ。」
咲花はニコニコしながら雫の言葉をスルーする。
「雫の部屋は2階?前来た時より写真が増えてるね!」
結局雫は自分の部屋を案内することとなった。
「まだ、全然じゃない。こんなところに制服も!制服だってちゃんとハンガーにかけないと皺になっちゃうよ。」
ドアを開けるなり、咲花は片付けに取り掛かる。完全に咲花のペースだ。
「こっちの段ボールは自分でするから!」
雫は急いで見られたくない段ボールだけは死守する。見て見ぬふりしていた感情なんて気にしていられない。雫は自分の耳まで赤くなっているのに気づく。
「あ、世界史の教科書こんなところにあったよ!今までどうしてたの?」
「その箱にあったんだ。ないなぁとは思ってたんだ。」
開けることができなかった雫の記憶の箱を咲花は簡単に開けて呪縛をといていく。そして、借り物の他人だったこの部屋に血が巡り、雫の身体になじんでゆく。
「よし!できた。最後にこれ。」
荷物を全て片付けると、咲花は自分のカバンからごそごそと取り出した。写真フレームだった。
2枚飾られている。一枚は幼い時の写真。鉄棒の前に雫と咲花と舞花が並んでいる。もう一枚は去年の全日本選手権の後に咲花と二人で撮った写真だ。試合会場をバックに二人寄り添って笑っている。
「写真?持ってきたの?」
「そうよ。家族写真。部屋にはやっぱり必要でしょ。」
「家族?おれも家族でいいの?」
勉強机に写真を飾る咲花のすぐ後ろに雫は立つ。一瞬で触れられるくらい。
「もちろん。小さい時のは3人兄妹としての家族。そして、こっちは。」
そう言って咲花は振り向いた。二人の距離が驚くほど近くて、咲花の顔から目をそらすことができない。
「私たち、結婚するでしょ。だから未来の家族写真。」
雫は咲花を抱きしめる。腕の中いっぱいに咲花の華奢で柔らかい身体の感触が広がる。
「咲花には全部ばれている。」
どうしようもない孤独を感じていたことをどうして知っているのだろう。
「雫は前に私に言ってくれたでしょ。私が背負っているもの全部一緒に持つって。私も同じだよ。私も雫の寂しさも孤独も不安も全部一緒に持つよ。」
雫は言葉にならずにただ頷く。身体の中から感じたことがないあたたかなものが流れる。これが幸せというものなのだろう。背中に咲花の手のぬくもりを感じながら、雫は咲花に静かにキスをした。
初めてのキスの後、雫は一人で葛藤していた。
離したくないな。腕にどうしようもなく力が入ってしまう。それにどうしても敷きっぱなしの布団に目がいってしまう。それだけはだめだ。雫は煩悩を急いでかき消す。
そんな雫の様子を察したのか、咲花が少し身体を離した。
「なんか暑いね。ソフトクリーム食べに行かない?」
「行こう!」
雫は急いで財布を探す。咲花が何かを食べたいと言うのはいつぶりだろう。財布と咲花の手をにぎり、部屋を後にした。
「気持ちいいね。」
咲花と雫は公園のベンチに座り、空を見上げる。年中落ち葉に包まれているこの公園には、樹齢何年なんだろうと思うほど高い木々が優しく太陽の光をさえぎり、光のカーテンとして二人を照らしている。
咲花の手には白くつややかなソフトリームがある。スプーンですくい口の中にいれる。冷たくて甘いクリームが口全体に広がりのどを通る。すると手の先から足の先まで甘い幸せで満たされていく。
「おいしそうに食べるね。」
雫は幸せそうに食べる咲花を眺めていた。
「雫も食べて。」
咲花は雫の口にもスプーンをもっていく。雫の身体も幸せで満たされますように。咲花の身体も雫も身体も幸せで溶けてしまえばいい。
咲花は頭を雫に預けて目を閉じた。
「あー!こんなところでサボってる!」
舞花の声で甘い余韻が一気にやぶられる。
「もう午前の練習終わったの?」
咲花は慌てて雫から身体を離す。声が少しうわずってしまった。
「もうとっくに終わってお弁当も食べ終わったよ。」
「てことは今から買い食い?」
雫は平然とした顔だ。
「買い食いとは何よ。お弁当足りなかったから追加で買うだけよ。」
舞花は憤然として言う。
「あ、私は付き添いです。」
香蓮ちゃんがひょっこり顔を出して言う。
「舞花、コロッケはだめよ。」
咲花は急いで言う。
「なんで。」
舞花はほっぺを膨らます。
「昨日も食べたでしょ。良質なたんぱく質たっぷりのサラダチキンとかどう?」
「揚げ物の気分なのに。」
舞花はぶぅぶぅ言っているが、そこまで怒ってはいない。咲花との会話がうれしいようだ。
「それより雫、もう部屋の片づけ終わったの?」
「あぁ、終わったから午後からは練習参加するよ。」
「私たちもお弁当食べないとね。雫の分も作ってきたの。体育館に置いてきたら、一緒に食べよ。」
咲花と雫はベンチから立ち上がると、舞花は雫の腕を引っ張って内緒話を始めた。
「咲花にやらしい本とか見つかってないでしょうね。」
「見つかってないというよりもってないし。」
雫は胸を張って言う。
「良かった。咲花にやらしいことしてないでしょうね。二人きりだったんでしょ。」
「してないよ。」
しどろもどろになるのをこらえて返答する。してない。
「キスくらいはしたの?」
「く、くらいって。」
今度は明らかに目が泳いでしまった。
「わかりやすーい。」
舞花は勝ち誇った笑顔を浮かべる。
「じゃ、また午後の練習でね。」
雫はようやく舞花から解放された。さっきまでの甘い気分が一気にすっ飛んでいた。
「うん、よろしくね!」
咲花が笑顔で手をふった。
咲花は雫とともに、舞花は香蓮とともに歩き出した。
※※花の微笑み※※
「きれい。」
舞花は思わずつぶやいた。
咲花の体操。
ひねりを加えていない単なる後方伸身宙返り。なのに、見入ってしまう。気づけば他の選手もみんな。咲花の花に吸い寄せられ、その美しさにくぎ付けになるのだ。
その中で一番近くで眺めている人物がいる。雫だ。舞花に教えてくれていた時と表情が違う。目の温かさ、立ち方すべてちがった。
「痛いところない?」
「大丈夫。どうだった?」
「足先から指の先まで、すべてきれいだったよ。」
咲花と雫。二人が並んでいるだけでどきどきする。誰も入れない世界。
「妬いてるの?」
香蓮が心配そうに舞花の顔を覗き込む。
「私には香蓮がいるから大丈夫!」
舞花は香蓮にぎゅっと抱きつく。そしてこっそり涙をふいた。
「よしよし。なぐさめてあげるよ。」
「ありがとう。でも違うよ。」
舞花の雫への想いでは恋ではない。それでも少し心がチクっと痛む。
それは何か。咲花の美しい体操への嫉妬か、それともやはり雫のことを。
自分でもよくわからない。わからないけど、この痛む心を大切にしたかった。
この痛んでいる部分も自分であり、そのことを認めないと今の幸せも嘘になってしまう気がするのだ。
咲花の復帰。咲花と雫の笑顔。
戻らないと思っていた幸せがそこにはあった。
「さ、私も体操頑張ろうっと。」
「切り替え早っ!」
きっと大丈夫だ。これからどんな困難があってもきっと乗り越えられる。後方伸身二回宙返り一回ひねりも成功できる。そして、いつか自分だけの技を編み出そう。
だって私には家族がいる。親友がいる。洪水が襲ってきて、一時的に傷ついても、絶対壊れないのだから
涙が一粒落ちてきて
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ほっこり・じんわりと心を癒し、心を揺さぶる。そんな、感動を呼び起こす為のテーマは、色々あります。
動物やペットとの交流のお話。素敵な恋のお話。おじいちゃんおばあちゃん達とのエピソード。
今年はオリンピックイヤーなので、スポーツを題材にした作品もアリかもしれません。
そんな中で、人と同じ事を書いても埋もれるだけだと思いまして、敢えてダークなテーマを取り上げました。
ちょっとしたボタンの掛け違いが原因で、登校拒否になってしまった少年と、その出来事を通して家族の絆を深めて行き、最後には、希望の光に満ちた世界に導かれていく物語を描きました。
おれは農家の跡取りだ! 〜一度は捨てた夢だけど、新しい仲間とつかんでみせる〜
藍条森也
青春
藤岡耕一はしがない稲作農家の息子。代々伝えられてきた田んぼを継ぐつもりの耕一だったが、日本農業全体の衰退を理由に親に反対される。農業を継ぐことを諦めた耕一は『勝ち組人生』を送るべく、県下きっての進学校、若竹学園に入学。しかし、そこで校内ナンバー1珍獣の異名をもつSEED部部長・森崎陽芽と出会ったことで人生は一変する。
森崎陽芽は『世界中の貧しい人々に冨と希望を与える』ため、SEEDシステム――食料・エネルギー・イベント同時作を考案していた。農地に太陽電池を設置することで食料とエネルギーを同時に生産し、収入を増加させる。太陽電池のコストの高さを解消するために定期的にイベントを開催、入場料で設置代を賄うことで安価に提供できるようにするというシステムだった。その実証試験のために稲作農家である耕一の協力を求めたのだ。
必要な設備を購入するだけの資金がないことを理由に最初は断った耕一だが、SEEDシステムの発案者である雪森弥生の説得を受け、親に相談。親の答えはまさかの『やってみろ』。
その言葉に実家の危機――このまま何もせずにいれば破産するしかない――を知った耕一は起死回生のゴールを決めるべく、SEEDシステムの実証に邁進することになる。目指すはSEEDシステムを活用した夏祭り。実際に稼いでみせることでSEEDシステムの有用性を実証するのだ!
真性オタク男の金子雄二をイベント担当として新部員に迎えたところ、『男は邪魔だ!』との理由で耕一はメイドさんとして接客係を担当する羽目に。実家の危機を救うべく決死の覚悟で挑む耕一だが、そうたやすく男の娘になれるはずもなく悪戦苦闘。劇団の娘鈴沢鈴果を講師役として迎えることでどうにか様になっていく。
人手不足から夏祭りの準備は難航し、開催も危ぶまれる。そのとき、耕一たちの必死の姿に心を動かされた地元の仲間や同級生たちが駆けつける。みんなの協力の下、夏祭りは無事、開催される。祭りは大盛況のうちに終り、耕一は晴れて田んぼの跡継ぎとして認められる。
――SEEDシステムがおれの人生を救ってくれた。
そのことを実感する耕一。だったら、
――おれと同じように希望を失っている世界中の人たちだって救えるはずだ!
その思いを胸に耕一は『世界を救う』夢を見るのだった。
※『ノベリズム』から移転(旧題·SEED部が世界を救う!(by 森崎陽芽) 馬鹿なことをと思っていたけどやれる気になってきた(by 藤岡耕一))。
毎日更新。7月中に完結。
夏の始まり、大好きな君と叶えられない恋をする
矢田川いつき
青春
春見紫音は、“不幸の青い糸"が見える。その糸で繋がれた人同士が結ばれると、二人に不幸が訪れるのだ。
そして紫音にも"不幸の青い糸"で繋がれた人がいた。
同級生の高坂実。
最初は避けていたのに、紫音は彼に恋をしてしまった。
でも、好きな人を不幸にしたくない。結ばれてはいけない。これは実らない恋、のはずだったのに。
「春見、好きだ」
夕暮れの公園で彼に告白された日から、紫音の日常は変わり始めた。
私の隣は、心が見えない男の子
舟渡あさひ
青春
人の心を五感で感じ取れる少女、人見一透。
隣の席の男子は九十九くん。一透は彼の心が上手く読み取れない。
二人はこの春から、同じクラスの高校生。
一透は九十九くんの心の様子が気になって、彼の観察を始めることにしました。
きっと彼が、私の求める答えを持っている。そう信じて。
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