空の下、生き抜いてみせると宣言した。

ハナノミナト

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乾いた土の上で

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 うそだ。信じたくない。
 日菜がまた手術をするかもしれない。
その言葉をふりはらうように、ランニングをし、バッドを振って、ボールを投げた。
「今日の里宮は少しちがうな。」
コーチや仲間も口々に言っていた。危機せまる迫力だったらしい。
「もうすぐ試合だからかな。」
何も考えたくないんだ。今の日々がずっと続いてほしいんだ。せっかく日菜が目標を見つけてがんばっているのに。
 練習がピッチング練習に入った時、コーチに注意された。
「力みすぎだぞ、里宮。」
「身体がバラバラになってるぞ。」
それでも力いっぱい投げたかった。投げて現実が変わればいい。こんな現実なんか壊れてしまえばいい。そう思っていたら、キャッチャーの廣野にも怒られた。
「力まかせに投げるなよ。」
「おれのミットをちゃんと見ろよ。おれは単なる的じゃないんだぞ。」
 わかってたんだ。ずっとこのままじゃいられないってこと。体が大きくなれば、心臓に負担もかかるし、心臓も大きくなる。そのことが手術した部分にどんな影響をおよぼすのか。いろんな可能性について説明を何度もきいていた。
 見かけほど順調じゃないことはわかっている。でも、薬でなんとかなっているじゃないか。今はあまりにかわいそうすぎる。
 和葉は投げる。キャッチャーの廣野の声は聞こえていなかった。
 せっかく今、日菜が目標を見つけてがんばっているところなのに。
 せっかく今、うまくいき始めていたのに。
 「投球練習は終わりだ。和葉!お前、今日ちょっと残れよ。」
廣野の有無を言わせない声で和葉は我に返った。
 しまった。廣野はずっと何か言っててくれてたな。ずっと聞いてなかったからさすがに怒ったよな。
「ごめん、廣野。」
和葉はつぶやいてみたものの、どうしていいかわからなかった。廣野は他のみんなと一緒にグランドの整備を始めたので、和葉も片づけを始めてみることにした。
「さ、思いっきり投げていいよ。」
改めて防具をつけた廣野が
「え?」
二人だけになったグラウンドで廣野は予想外のことを言った。
「投げなよ。なんか知らないけどストレスたまってるんでしょ?」
「いや、そのことで怒らしてしまったと思ったんだけど。」
和葉は困惑した。練習中、力まかせに投げる和葉に対して注意していたのかと思ったからだ。
「そりゃさ、力まかせにあんな投げ方したらだめだよ。全然おれ見てなかったでしょ。何の練習にもならないし、おれは壁でも的でもないんだからな。捕る方の身にもなってみろよ。」
「ごめん。」
和葉は言い返す言葉がなかった。
「野球はチームプレーだ。仲間がいないとできない。投げる時も打つ時も一人だけど、チームを代表して投げて、打って捕っているんだ。だから雑念だらけのやつには任せられない。練習からきちんと自分のプレーと向き合う、野球と向き合わないと。」
今日はちがうことばかり考えていた。練習も一人ではできない。ボールを投げてもらったり捕ってもらったりしてるのに、その人たちのことを何も考えず、心がここになかった。
「本当にごめん。ボールを捕ってくれてるお前のこと全然考えてなかったよ。」
そういうと廣野はニヤっと笑った。
「わかればいいんだよ。でもさ、おれたち人間だろ?しかも悩み多き中学生だろ?」
「え?」
「むしゃくしゃする時があるのはわかるよ。だから、そんな時は練習以外の時に付き合ってやるよ。思いっきり投げたいんだったら、おれが受け止めてやるよ。その代わりおれがむしゃくしゃしてる時はよろしく頼むぞ。」
そう言って笑う廣野の顔は人懐っこいあの笑顔だ。幼くも見えるその笑顔だけど、和葉は自分よりずっと大人に思えた。
 やっぱこいつには叶わない。おれよりずっとずっと前にいる。
「でもケガはいやだからな。おれがケガするのもお前がケガするのも。そこのところだけはよろしく頼むよ。」
そう言って廣野はボールを和葉に渡して離れていった。
 和葉は腹をくくった。逃げていたんだ。日菜の病気に対しても。野球は逃げ道じゃない。今日のおれは野球を冒涜していた。野球は夢なんだ。ぼくにとっても日菜にとっても、廣野にとっても。
「ありがとう、廣野。真剣に投げる。逃げないよ。」
そうだ。逃げない。廣野のミットを見る。大きくふりかぶって、左足をあげて右足に体重をのせる。左足を前に出し、下半身をひねらせ、しなるように腕をふる。体全体を使って、最後は指先にまで気持ちをこめて、ボールをはなす。
 ボールは廣野のミットに気持ちよい音をたてておさまった。
「あれ、ストレス発散でもいいって言ったとたん、気持ちの入った球がきた。あまのじゃくだな。」
あのミットに向かって投げる。おれにできることはこれしかない。日菜の変わりに苦しむことも、心臓をあげることもできない。だったら全力でやりきろう。全身を使い、最高の球を。この球で前に進む。例え日菜が絶望に陥る時があったとしても、その時おれが光で照らしてあげれるように。
 夕焼け空に二人のミットの音がしみこんでいった。

 お前はこんなところでふてくされる器じゃないだろ。
 実は廣野が初めて和葉を見たのは中学のグラウンドではなかった。
 廣野の弟が通院している病院近くのグラウンドだった。
 廣野には3歳年下の弟がいた。知的能力障害があった。弟は廣野にとっても可愛いかった。初めて抱っこした時、こんなに小さいのかとおどろいた。絶対守ってやるからなって思った。
それから少しずつ笑うようになると、笑ってくれるのがうれしくて一生懸命話しかけた。弟の面倒をみようとすると両親も喜んでくれた。
 でも、廣野もまだ子どもだ。自分もまだ甘えたい。遊んでほしい。自分にかまってほしい。
  でも、両親の注目はどうしても疾患をもつ弟に向けられた。
廣野が注目されるのは、ものすごく頑張って結果がでた時か、さぼった時、ケンカをした時、つまり怒られる時のどちらかだった。
 廣野も怒られるのはいやだからがんばろうと思った。でもがんばっても結果がでない時はたくさんある。勉強も野球も。レベルが上がれば上がるほど、がんばってもすぐには結果がでない。がんばってもかまってもらえない。それどころか、がんばろうと思っても弟の事情で野球に行けない日もあった。
「ごめんね、智樹。今日通院があるから野球の送り迎えができないの。悪いけど今日お休みにしてくれる?」
ちぇっ。どうしておれだけ。
 小学生の廣野の胸は不満でいっぱいだった。
 どうしておれだけ。
 そう繰り返しつぶやきながら病院をうろうろしていると、一人ボールを投げる子どもがいた。
 かっこいー。
 同い年くらいのはずだけど、そう思わずにはいられなかった。一人で投げるその様は、周りの空気も変えてしまうくらい真剣だった。
 どこのチームのやつだろう。
 それから病院に付き添うたびにそいつの姿を探して、少しわかってきた。
  たぶん、どこのチームにも入っていない。妹が入院か通院していて、その付き添いで来ている。
おれと似た境遇だった。でも、あいつは全然ふてくされてなかった。あいつは全部受け入れてるんだ。そのうえで、今できることをしてるんだ。
 胸の不満はいつの間にか消えていた。あたたかいエネルギーで満ちあふれ、廣野は走り出していた。
 おれもがんばろう。そして、いつかあいつとバッテリーを組みたいな。
 小学生の時、ふてくされていた廣野を前に進めてくれたのは和葉だったのだ。
 今日のあいつは、らしくなかった。きっと何かあったんだ。それならおれにできるやり方で、今度はおれが救えないかな。
 それで練習後誘ってみた。そして見事にあの時みたいに、いや今までで一番気持ちのこもった球を投げてきた。
 お前、やっぱりすごいな。
 ミット越しに伝わる振動が廣野を前に進ませてくれていた。

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