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起[転]承乱結Λ

6話 大事な忘れ物。

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 イリアム宮、天武の間――。

 軍事的勲功をする際に使用される大広間である。
 立食形式となっており、酒類が欲しければ給仕に頼むか、バーカウンターに行けば良い。

 ステージも敷設されており、楽団が流行の曲などを適宜演奏している。

 かように、さほど格式張った宴では無かった。
 辺境領邦であるベルニクを軽視しているのか、単に女帝ウルドの好みであるのかは分からない。

 トールとしては格式張った催しよりは、落ち着けると感じていた。
 ただ、そのせいであろうか――。

「浮いてる」
 
 メイドのマリまで、招待客となっている。

 帝都を訪れる前から分かっていた事であるので、彼女用の礼服――つまりドレスは用意してあった。

「そんな事ないわ、マリ。とっても素敵。あなたの髪色――バイオレットが映えるドレスよ」

 そう言うロベニカもまた、普段のスーツ姿とは異なる艶やかな装いとなっている。

 なお、先ほどの車中では、またもトールとひと悶着があったものの、覚悟を決めたのか落ち着いた様子であった。

 ――いざとなればジャンヌもいるし、私だって体当たりぐらい……。

 と、些か向こう見ずな手段で解決する目論見もあるようだ。
 この辺り、徐々にトール・ベルニクの影響を受け始めているのかもしれない。

「しっかし、骨の髄までバカヤロウだな、アイツは。剣闘士相手に剣技を競おうなんてホントにイカレてやがる」

 軍の礼服姿となったテルミナが、少しばかり嬉しそうに悪態をついた。

「失礼な事を言ってはいけませんわ。トール様にはお考えがあるのです」

 一方のジャンヌも軍の礼服姿であるが、凛々しい令嬢といった風情があった。
 戦場における鬼神ぶりを知る者が見れば、同一人物とは思えなかったかもしれない。

 そして、お考えのあるはずのトールといえば、

「あ、これはこれは、ご丁寧に――」
「いやなに」

 オソロセア領邦領主ロスチスラフ侯に捕まっていた。

 ――ふむん。連れ歩いておる女を見れば、男の価値が分かると言うが……。
 ――これはまた、見事なまでに胸のデカいのを揃えおったな。ん?

 ロスチスラフの視線が、ふと一か所で止まる。

 ――稚児ちごまでいるではないか。乱倫ぶりは変わっておらんな。
 ――だが、そうなると、いったい誰を薦めるのが良いのやら……。

 胸の豊かさを言うならば、彼の娘達は凡庸であり、当然ながら稚児ちごなどではなく妙齢の女である。

「ところでな、トール殿」

 通り一遍の挨拶を終えると、すぐにロスチスラフは本題に入った。

「今宵、オソロセアの至宝を紹介しようと思っておる」
「は、はあ――」
「恥ずかしがらずに近くに来ぬか」

 少しばかり離れた場所に立っていた三人の娘を手招いた。

 ロスチスラフの意図を察したロベニカは、またおかしな事態にならぬようトールの脇でそつのない笑みを浮かべつつ警戒態勢にある。

 ――まったく、最低な男ね。
 ――謀略に失敗したら、次は政略結婚なんて、節操が無いにもほどがあるわ。

 未だ政治に対する初心うぶさを持った彼女らしい所感であろう。
 実際のところ、領主としてのロスチスラフの動きは、合理的で有りこそすれ、責められるいわれなど無かった。

「ほれ、ご挨拶を」

 気乗りのしない風情で歩み寄って来た娘達は、儀礼的に屈膝礼カテーシーをしてみせた。

「トール子爵閣下、お目に掛かれて光栄ですわ。わたくしめは、オソロセア領邦のフ――」

 長女の口上は、大広間に上がった歓声と拍手に遮られる。

 女帝ウルドの入場であった。

 ◇

 大広間の向こう正面に雛壇があり、二人の枢機卿すうきけいを従え登壇した。
 レオ枢機卿すうきけいと、アレクサンデル枢機卿すうきけいである。

 一方は巷間こうかんで聖人と称賛され、他方は希代の俗物などと陰口を叩かれていた。
 真に対照的な二人の枢機卿すうきけいであったが、教会内での勢力争いにおいては拮抗しており、何れも次期教皇に近い立場にいる。

 ウルドが絢爛たる椅子に座するのを確認した後、二人の枢機卿すうきけいは、ひと回り小さな椅子に掛けた。
 アレクサンデルなどは、その巨漢ゆえに椅子の方が破損しそうであったが――。

「今宵――」

 楚々とした彼女の声が、音響システムによって大広間の隅々にまで伝わる。
 耳元で囁かれているかのような錯覚に陥るほどだ。

「――帝国の新たな英雄を称える。英雄に」

 そう言いながら、ウルドは銀の杯を捧げた。

「英雄に」「英雄に」「英雄に」

 大広間の人々が唱和し、各々がグラスをトールに向けて掲げた。
 本人としては戸惑い、尚且つ苦手な状況ではあったが――、

 ――トール様は、グラスを掲げてから少し口に含むんです。
 ――え、そうなんですか。ボク、何も持って――あ、どうも。

 ロベニカから渡されたグラスを掲げ少し口に含むと、衆目の拍手と笑顔で迎えられた。

 ――ふぅ、どうにか粗相をせずに済んだのかな。
 ――それにしても、ロベニカさんて、結構、強めのお酒を飲むんだなぁ。

「また、余の児戯じぎに、付き合ってくれる事にも感謝したい」

 ウルドの視線が、遠く離れた場所に立つトールをした。

「付き合ってくれるのであろう?」

 確認する必要も無いはずであるが、公衆の面前で本人同意の元であるとの意を強調したかったのかもしれない。

 ――断ったらもっと怖いよね。きっと……。
 ――巨乳戦記の通りに進むなら、何とかなるはずだけど……ん……いや、待てよ。

 トールの背中を嫌な汗が流れた。

 ――不味いな。ボクは大事なことを忘れていたぞ。

 何も答えぬままでいるトールを、大広間の人々は逡巡していると考えたのかもしれない。
 そこかしこで、ひそひそとした囁き声が漏れ聞こえてきた。

 ――グノーシス異端船団国との国交正常化の話しを、まだ陛下に通せてないじゃないか。

 彼の記憶によれば、オソロセア領邦とオリヴァーが蛮族を退けた場合、謁見にて彼らとの国交正常化の話しを持ち出しているのである。

 ただし、それが出来たのは、アレクサンデル枢機卿すうきけいの助力と、グノーシス異端船団国側への根回しが済んでいたからであった。

 トールとて、国交正常化を進めるつもりであるが、ロスチスラフとは異なり、まだ下準備が整っていない。
 全ては、これからの事なのである。

 ――となると、祝賀会のタイミングで、教皇は死んでくれないのかも……。

 人の死を願うなど不謹慎であろうが、トールがある程度は泰然としていられたのもこれが理由であった。

 すでに病床に臥していた教皇は、ロスチスラフとアレクサンデルの動きを伝え聞き、怒りの発作が収まらず、あえなく死亡するのだ。
 その報が、祝賀会の途中にもたらされ、宴は中止となり喪に服する事になるのである。

 ゆえに、剣技を競うなどという馬鹿騒ぎも取り止めであろうと高を括っていたのだ。

 ――失敗したなぁ。

「よもや、断るつもりか?」

 焦れた様子で、女帝ウルドが言い重ねる。

「あ、いえいえ、すみません。少し考えごとをしておりましたので」
「な――」

 女帝の問いを差し置き物思いなどと、さらにウルドの怒りに油が注がれた。

 が、癇気かんきを堪える。
 もう少しで、瀕死の状態になる無礼者を目の当たりに出来るのだ。
 いや、いっそ殺してしまえば良いとも思っていた。

「はい。勿論、お付き合いさせて頂きます」

 事がここに及んでは、受ける他あるまいと腹を括ったのか、悲壮感の欠片も無い声音であった。
 聞く者によっては、腕に自信ありと感じられたかもしれない。

「よう申した」

 ウルドは、満足気に頷いた。

「とはいえ、所詮は児戯じぎじゃ。よって、誰ぞを助っ人として加えても良い。コロッセウムでも、似たような試合があると聞く」

 いわゆるハンデ戦という事である。
 圧倒的な強者と、複数人の弱者が闘う試合も存在した。

「これも興が乗ろう」
「なるほど――」

 ――どうして、道化さんは、こうなる事を知っていたんだろう。

 昨日の段階で、助っ人には自分を指名しろと言われていた。

 ――それとも、この類の余興はいつも助っ人有りなのかな。

 どうにも、何か企みが有りそうな気配はしている。

 ――まさか、もう女帝を殺しちゃうとか?
 ――でも、教皇が先に死ぬはずだし――いや、ボクのせいで変わってしまったのか。

「では、助っ人は――」
「そ、それがしにぃ、それがしで、お願いしまするうぅぅッ!!」

 何処からともなく、道化が転がるように現れ叫んだ。

「絶対に、お役に立って見せますぞおっ!!あひゃ、あ、そおれ、あひゃ、それそれそれぇ」

 風変りな踊りを見せながら、トールを射貫く瞳の中には昏い炎が宿っている。

「滑稽、真に滑稽よの」

 それを見た女帝ウルドは薄く笑う。

「だが、その意気や良し。助っ人は、道化で決まりであろうな」

 こうして、本人の意思とは関係なく、トールと道化が剣闘士トジバトルに挑む事になったのである。
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