13 / 14
一筋縄ではいかない彼
しおりを挟む正直に言えば、初めてイアン・クルスという人間の存在を知った時、私は彼のことがあまり好きではなかった。
だって、それまでずっと首席をキープしていたのに、突然やってきた彼にいとも簡単にその座を奪われてしまったのよ?
…悔しいじゃない。
考えを改めたのは、学園の図書室で初めて彼と対面してから。
分厚い歴史書に、貴族名鑑、領地経営の専門書まで抱えて、随分と勉強熱心な方がいると思えば、そんの人はアメジスト色の瞳とミルクをたっぷり入れた甘い紅茶のようなベージュの髪の毛。
噂で耳にしたクルス男爵令息の特徴そのものだった。
「あら、もしかして貴方は、クルス男爵令息ではありませんか?」
声をかけてしまったのは、無意識のこと。
気にかけていた存在が目の前に現れてつい、と言ったところか。
突然声をかけられて驚いたのか訝しげにこちらを見つめるその人。
「人違いでしたか?」
「…いえ、人違いではありませんが」
もう一度尋ねるとようやく返事を返してくれた。
さてさて、何を話せばいいのだろうか。
声をかけたものの、当たり前だけれど用事があるわけでもない。
「初めまして、私はジゼル・アゼルシュタインと申します。以後お見知り置きを」
当たり障りのない自己紹介をしながら話を続けてみることにする。
私の言葉に驚いたのか、クルス男爵令息は小さく目を見開いていた。
彼の手元の貴族名鑑にだって随分と早いページに明記してあるのだから聞き覚えがあったのだろう。
「編入して間もなく、試験では常に主席をキープ、クルス男爵が早々と領地に移り住んでしまってからというもの、男爵家の運営も貴方が行っていると聞きました」
「…おかしいですか」
問い返す彼の表情が険しくて、もしかすると何か誤解されているのかもしれないと焦ってしまう。
何もおかしいことなんてない。
ただ、自分には到底できないことを、同い歳の彼がやってのけているという事実に驚嘆したのだ。
「いえ、おかしいだなんてとんでもありません。それは決して容易なことではなかったはずです。むしろ、心からの敬意を表します」
「…それはどうも」
抱えている本の数は膨大で、端正な顔立ちには薄くないクマが広がっていた。
こんなものを見せられては、首席を奪われたなんていうちんけな嫉妬心なんてすっかりなりを潜めてしまって…後に残ったのは、ただただ彼への尊敬の念だけだった。
ひたむきな努力の、なんてかっこいいこと。
数言言葉を交わして、私は静かに図書室を出た。
それからは、会う度に話しかけると、彼も返事を返してくれて、穏やかな交流はしばらく続くのだった。
その時点で、既に十分な好感を抱き始めていたのだけれど、彼への想いが私の中で明確になった出来事がある。
あれは、私がまた彼のいる図書室に足を運んだ時のことだった。
人気なんてほとんどない図書室に、珍しく数人の声が響いていた。
「いい加減にしろよ、あの方の手を煩わせるのはやめろ!」
「貴族社会に足を踏み入れても、卑しい生まれの厚かましさは変わらないようだ」
険悪な雰囲気に眉を顰める。
物陰から様子を窺うと、イアン様が数名の令息たちに囲まれているのがわかった。
止めなければ、なんて体が動く前に、彼の凛とした声が耳に届く。
「ノクス家にアーロン家、侯爵令息が二人と、そっちはバーナム伯爵令息か」
どこか才能すら感じさせるほど、蔑みをたっぷり含んだような嫌な声音だった。
「揃いも揃って古臭い家柄だけが取り柄で、今は大した功績も挙げられていない旧時代の遺物ってところかなぁ」
「なっ!?男爵家如きが何様だ!!」
「元平民のくせに!!」
「ま、それでも、お前たちが言うように…家格なら間違いなくうちよりも上なんだから、礼儀は尽くさないとねぇ」
にんまりと蠱惑的な笑みを浮かべて、イアン様は言葉を続けた。
「ありがとうございます、ぼんくらの皆さん。俺が成り上がる足がかりになってくれて。無能な人間が多いってことは、それだけ俺がつけるポストも増えるってことだからねぇ」
彼は、煽りの天才なのだろうか。
物怖じしない態度はどこまでも潔くて、何を考えているのかと最早正気を疑ってしまう。
勇敢なんてかっこいいものではなく、ただの無謀。
侯爵、はくしゃの家の令息たちを相手取って、随分な振る舞いだった。
実力で言えば、努力の甲斐あって首席をキープし、経営だって軌道に乗っているイアン様の圧勝なのだろう。
それでも、やはり現時点では、目の前の愚か者たちに分があるのは確かである。
ひどく残酷なことを言えば、どれだけ彼が力を尽くして家を守ろうと、駆け出しの男爵家よりも、旧くから続く貴族家の彼らの方が総合的な力は大きいのだ。
「このっ、言わせておけば…!」
侯爵令息の一人が腕を振り上げる。
イアン様は、じっと目の前の令息を見つめるだけで動こうとしない。
「殴りなよ」
「あぁ?」
「考えることを放棄して、ご自慢の権力を行使することすら忘れて、こんな取るに足らない人間の言葉に憤慨して、最初に出るのがただの暴力なんだから呆れちゃうよねぇ」
ひどく、嘲笑混じりの言葉だった。
「人間、己の力量以上に持て囃されるとバカになることの証明だ。勘違いしてるみたいだから教えてあげる」
ぺらぺらとよく回る口は止まることがない。
「貴族だから偉い、なんてことは有り得なくてさぁ、貴族として領民を庇護し、国のために人事を尽くすことで、俺たちはそれなりの特権を得ることができる」
「っ、偉そうに!」
「この間まで、平民だったくせに!!」
言っていることは至極真っ当であるからこそ、言い返す術もなく幼稚な物言いを繰り返す令息たち。
「なんだか今日は随分と賑やかですね」
思考することを放棄した愚かな貴族令息相手では、研ぎ澄まされた彼の言葉でもただの鈍ら刀だろう。
口を挟んでしまったのも無理もない話だった。
「アゼルシュタイン公爵令嬢っ」
「、これはその…」
焦ったように言葉詰まらせる彼ら。
それでも、意を決したように中の一人が口を開く。
「私たちは、その、貴女が困っていると思って…だってこんな、卑しい生まれの成り上がりなんかに付きまとわれて…」
「そ、そうですよ!このままでは貴女の評判まで落としてしまいますっ」
聞くに絶えない言葉を吐く彼ら。
貴族らしいと言えばそうなのだろうけれど、目の前のこの人たちが自らの何を誇って、こうもイアン様を貶めるのだろうか。
「イアン様と交友を深めることで私を非難される方がいたなら、それまでの関係だったということです。貴方方のように、よく知りもしないどなたかに何と言われようと構いませんもの」
小さくため息をついて言葉を続ける。
「それに、身の丈に合わない権力を傘にして気に入らない者を貶めるように卑しい方々をふるいにかけられるなら本望です」
「っ、そんな」
「僕達は貴女のために」
もごもごと口を動かす彼ら。
私のためだなんて耳障りのいい言葉で自らの鬱憤を晴らそうとしていることにすら気がついていないのだろう。
「私は私のために、イアン様のそばに居るのです」
「どうして…っ」
どうして、か。
____そんなの一択ではないの?
「イアン様が好きだからでしょう?」
「はぁ?」
愕然とする二人の横で、耳に届いたのは心底訳が分からないと言ったイアン様の声。
「私、貴方が好きになってしまいました」
「意味、わかんないんだけど」
随分と嫌そうな顔だ。
「今回のように私のせいで貴方に面倒をおかけするのは本意じゃありません。そうですね、余計な憶測でまたこのようなことが起こらないよう、手始めに…私と婚約していただけませんか?」
「バカなの?」
関わっていくに連れて少しずつ辛辣になっていく彼に、心を開いてくれているでは、なんてバカみたいにポジティブなことを思ってしまう。
脳内が可愛いお花畑になってしまったようだ。
「大好きなんです、イアン様が」
「…っ、」
強くあろうと努力する貴方も、
牙を尖らせて弱さを隠そうとするいじらしい貴方も、
全部全部愛おしくて堪らなくなってしまった。
「私と結婚してください」
「……ぜっっったい嫌」
精一杯の不服顔を浮かべる彼はなかなか頑固で、強い意志を感じる。
彼にとって魅力的な女性、魅力的な人間であるために、これからどうするべきか。
商売上手で合理的であろうとする彼にとっての私の価値を見出せるだろうか。
だけど、どうしたって諦められないのだ。
一筋縄ではいかない彼のことを。
「…ほんと、貴族って」
「身分がどうの、家格がああだこうだって、こんな窮屈な世界でよく暮らしていけるよねぇ?反吐が出る」
ぶつくさと鬱憤を零す彼にとって、いかにこの世界が億劫で息苦しいものであるかは嫌という程理解できた。
自由なイアン様が、今にもどこか遠くに飛び立ってしまいそうでゾッとする。
心底性根の悪い私は思うのだ。
_____彼を縛る枷になりたい。
私という存在が彼をこの場所に留めてしまうほど、イアン様にとって大きくて重たいものになってしまえばいいのに。
あるいは、私も彼と一緒に…
どちらがより実現可能であるか、下手な算段を立ててしまう程には、彼のことが愛おしくてたまらなくて、手放せなくなっていた。
10
お気に入りに追加
178
あなたにおすすめの小説
理想の『女の子』を演じ尽くしましたが、不倫した子は育てられないのでさようなら
赤羽夕夜
恋愛
親友と不倫した挙句に、黙って不倫相手の子供を生ませて育てさせようとした夫、サイレーンにほとほとあきれ果てたリリエル。
問い詰めるも、開き直り復縁を迫り、同情を誘おうとした夫には千年の恋も冷めてしまった。ショックを通りこして吹っ切れたリリエルはサイレーンと親友のユエルを追い出した。
もう男には懲り懲りだと夫に黙っていたホテル事業に没頭し、好きな物を我慢しない生活を送ろうと決めた。しかし、その矢先に距離を取っていた学生時代の友人たちが急にアピールし始めて……?
人生を共にしてほしい、そう言った最愛の人は不倫をしました。
松茸
恋愛
どうか僕と人生を共にしてほしい。
そう言われてのぼせ上った私は、侯爵令息の彼との結婚に踏み切る。
しかし結婚して一年、彼は私を愛さず、別の女性と不倫をした。
【完結】貴方の望み通りに・・・
kana
恋愛
どんなに貴方を望んでも
どんなに貴方を見つめても
どんなに貴方を思っても
だから、
もう貴方を望まない
もう貴方を見つめない
もう貴方のことは忘れる
さようなら
【完結】お父様。私、悪役令嬢なんですって。何ですかそれって。
紅月
恋愛
小説家になろうで書いていたものを加筆、訂正したリメイク版です。
「何故、私の娘が処刑されなければならないんだ」
最愛の娘が冤罪で処刑された。
時を巻き戻し、復讐を誓う家族。
娘は前と違う人生を歩み、家族は元凶へ復讐の手を伸ばすが、巻き戻す前と違う展開のため様々な事が見えてきた。
〖完結〗王女殿下の最愛の人は、私の婚約者のようです。
藍川みいな
恋愛
エリック様とは、五年間婚約をしていた。
学園に入学してから、彼は他の女性に付きっきりで、一緒に過ごす時間が全くなかった。その女性の名は、オリビア様。この国の、王女殿下だ。
入学式の日、目眩を起こして倒れそうになったオリビア様を、エリック様が支えたことが始まりだった。
その日からずっと、エリック様は病弱なオリビア様の側を離れない。まるで恋人同士のような二人を見ながら、学園生活を送っていた。
ある日、オリビア様が私にいじめられていると言い出した。エリック様はそんな話を信じないと、思っていたのだけれど、彼が信じたのはオリビア様だった。
設定ゆるゆるの、架空の世界のお話です。
なにひとつ、まちがっていない。
いぬい たすく
恋愛
若くして王となるレジナルドは従妹でもある公爵令嬢エレノーラとの婚約を解消した。
それにかわる恋人との結婚に胸を躍らせる彼には見えなかった。
――なにもかもを間違えた。
そう後悔する自分の将来の姿が。
Q この世界の、この国の技術レベルってどのくらい?政治体制はどんな感じなの?
A 作者もそこまで考えていません。
どうぞ頭のネジを二三本緩めてからお読みください。
なんで私だけ我慢しなくちゃならないわけ?
ワールド
恋愛
私、フォン・クラインハートは、由緒正しき家柄に生まれ、常に家族の期待に応えるべく振る舞ってまいりましたわ。恋愛、趣味、さらには私の将来に至るまで、すべては家名と伝統のため。しかし、これ以上、我慢するのは終わりにしようと決意いたしましたわ。
だってなんで私だけ我慢しなくちゃいけないと思ったんですもの。
これからは好き勝手やらせてもらいますわ。
捨てた私をもう一度拾うおつもりですか?
ミィタソ
恋愛
「みんな聞いてくれ! 今日をもって、エルザ・ローグアシュタルとの婚約を破棄する! そして、その妹——アイリス・ローグアシュタルと正式に婚約することを決めた! 今日という祝いの日に、みんなに伝えることができ、嬉しく思う……」
ローグアシュタル公爵家の長女――エルザは、マクーン・ザルカンド王子の誕生日記念パーティーで婚約破棄を言い渡される。
それどころか、王子の横には舌を出して笑うエルザの妹――アイリスの姿が。
傷心を癒すため、父親の勧めで隣国へ行くのだが……
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる