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生涯忘れないだろう。

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やって来たのは、王都から少し離れた港町だった。

活気があって賑やかな場所。



馬車を降りて近くの浜辺を歩くと、沈み始めた夕日に照らされる世界が眩しかった。

私もイアン様も、赤。


髪も瞳も全く違う色なのに、今だけはおそろいのようで嬉しくなる。




「イアン様…?どうしてこんなところに?」


じっと彼を見つめて問うと、そっぽを向いたまま口を開いた。


「デートなんでしょ」

「…はい?」



「アンタさぁ、口では親睦を深めましょうなんて尤もらしいこと言ったくせに、結局はアンタが俺と有力貴族の仲介をしただけだよねぇ?」


イアン様の言葉に間違いはないけれど、それの何が気に食わないのかはさっぱり理解できなかった。



「貴方の喜ぶことをしたら、私はもっとイアン様と親しくなれると思ったのですが…余計なお世話でしたか?」

「それに関しては、素直に喜んでるよ。楽なんてできるに越したことはないからねぇ」


私の行いが彼の迷惑になっていなかったことに、一先ずほっとする。



「でもさぁ、アンタは今日楽しかったわけ?」


「へ?」


イアン様は、その綺麗なアメジストの瞳で、じっとこちらを見つめて言葉を続ける。



「俺はさ、結婚なんて一種の契約に過ぎないと思ってるんだよね」

「契約、ですか?」


「特に貴族間の結婚なんて顕著でしょ。双方にメリットがあるかどうか。つまりはウィンウィンじゃないと、そんなクソみたいな契約すぐに破綻しちゃうでしょ?」


一理も二理もある話だと思った。



だけど、


「私はメリットなんていらないと、そう常々伝えてきたじゃないですか!他の誰でもない、イアン様と結婚したいから、貴方にプロポーズしたんだと!」




「はいはい、アンタが俺の肩書きに興味ないことなんて知ってるよ。それでも、俺は自分ばかり得するこんな状況気持ち悪くって仕方ないの。わかる?」



「そんなこと言われても…」


思っていた以上に面倒な人だ。

得しかないんだから受け入れたらいいのに。





「イアン様が気持ち悪くたって、仕方ないでしょう…私には惚れた弱みがありますから」


イアン様に喜んでもらいたい。

イアン様の笑顔が見たい。



イアン様に、誰よりも幸せになって欲しい。

できることなら、私の傍で。





「自分のことなんてどうでも良くなってしまうくらい、貴方のことが好きなんです。メリットなんて、そんなの知りません。私は、イアン様の傍にいられたら、きっとそれだけで幸せです」


____今がめいっぱい幸せなのに、これ以上何を望めと言うの?




ぐっと唇を噛み締めて彼を見つめていると、額に手のひらをあてながらため息を零す。

夕日の赤より、もっともっと深い色に染まっているように見えるのは気のせいだろうか。



「だからぁ、俺が言いたいのはさ」


「…?」



「アンタにとって俺自身がメリットだって言うなら、普通の婚約者として、普通の脳天気なカップルみたいに…俺と馬鹿みたいに楽しく過ごしたらいいでしょ?」




唇を尖らせながらそう言うイアン様に、ひどく胸が高鳴った。



_____この人は、ずるい。

これ以上私を夢中にさせてどうしたいのだろう。




「ああもうっ、突然デートなんて言われてそわそわしてた俺が馬鹿みたいじゃん!」


「ええ、そわそわしてたんですか?!」




「うるさい!俺だって一応は婚約者として、寝る前のほんの数分程度だけど…アンタが楽しめるようなプランだって考えてたわけ」


ああ、神様、イアン様の目の下にできたクマさえ愛おしくてたまりません。

こんなサプライズは流石に予想していなかった。




「…それが、ここですか?」


「まあね」



人気の無い浜辺は、活気のある港町から隔離された私と彼だけの特別な世界のようだった。

波の音、潮風の香りが心地よい。



きらきらと輝く水面は今まで見たどんな風景よりも素晴らしかった。




「素敵ですね」


「…でしょ。ここは俺が初めて投資して、完成させた町なんだ。こじんまりとしてるけど、これで結構貿易だって盛んなんだよ」


港に停まった船の多くは、大きな積荷をいくつも乗せていた。



「…俺の大事な箱庭」

「そんな大切な場所に連れてきてくれて、ありがとうございます」



なんだか彼の特別になれたようで幸せだった。




「海も、素敵」


遠目で海を見つめることはあっても、こんなに近くまでやってきたことは初めてだ。

砂浜に入ると、さらさらとした砂粒が靴の中に入ってくる。




「…お嬢様がそう簡単に靴なんて脱がない方がいいんしゃないの~?」


呆れたようなイアン様に構わず、履いていた靴を脱ぎ捨てる。



波打ち際は少し湿っていて、ひんやりとして気持ちが良かった。



「そんなに近づいたら濡れちゃうってば」

「平気です。ハンカチもありますし」



「ほら、飛沫が服にもとんでる!」


「ふふ、冷たいです」



なんだか楽しくって仕方がなくなってしまった私に、そわそわと落ち着かない様子のイアン様。

ドレスなんて洗えばいいのだから、そんなに心配しなくたっていいのに。



ぴちゃぴちゃと足の裏を濡らしてみる。




「そろそろ上がりなよ。三歳の子どもじゃないんだから」


「子どもだなんて失礼な。少し新鮮だったんです。もう上がりますよ……わっ」




砂に足を取られて尻もちをついてしまった。




「だから…言わんこっちゃない」

「ふふ、びしょびしょですね」



「笑い事じゃないからっ!ほら、手ぇ貸しなよ」


ぐいっと手を引かれて立ち上がると、なんだか下着の中まで水が染み込んでいるようだった。

これは、帰りが少し気持ち悪いだろうなぁ。



尻もちをついた勢いで跳ね上がった水が身体を濡らしてほんのりと肌寒い。

暖かい季節で良かった。




「ねえ、イアン様」


掴まれた手はそのままに、じっと彼を見つめて言葉を紡ぐ。



「イアン様は私に、楽しかったのかと問われましたが…私は、ちゃんと楽しかったんですよ」

「…仲介人に徹してたくせに」



「それでも、私、嬉しかったんです」


くすくすと笑いを零す私を胡散臭げに見つめる彼。




「だって、誰よりも素敵で、大好きで堪らない貴方を、未来の旦那様だってたくさんの人に自慢できたんですから」

「っ…」



「私との婚約に味をしめて欲しかったと言うのも勿論事実ですが、本当は私が…こんなにも素敵な婚約者をいろんな人に見せびらかしたかったんです」


白状したようにそう告げるとイアン様はぐっと唇を噛み締めて眉を寄せる。



「怒りましたよね。ごめんなさい。浅はかだったと、反省しています」


「…アンタそれ素で言ってるなら相当タチ悪いよ」


「はい?」

「計算だったら俺は人間不信になる」



言っている言葉の意味がわからず首を傾げると、彼はもういいとばかりに息を吐いた。



「とりあえず、濡れたところこれで拭いて。もう帰るよ」

「…そうですね」



あっという間の時間だったけれど、私はきっと今日のことを生涯忘れないだろう。





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