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偽り
しおりを挟むうそつき、そう言ったアスリーさんの、今にも泣き出してしまいそうな悲痛な表情が頭から離れない。
彼女は、どうしてあんなにも頑なに、カイルに対する私の想いを否定したのだろう。
他人の想いさえ無かったことにしてしまいたくなる程、カイルに惚れているのだろうか。
翌日からも、彼女は当然のように私たちと過ごしていた。
にこにこと笑顔を浮かべいつもと変わらない様子だけど、ふとした時に見るアスリーさんの顔はなんだか思い詰めているようにも見えた。
「…あっ」
ぼうっとしていたのか、持っていたティーカップを手から滑らせてしまった彼女。
入っていた紅茶が無惨にも彼女の制服に大きな染みをつくる。
「アスリー!何やってるんだよ」
「ごめん、滑っちゃって。熱くないから平気だよ」
「あの、これどうぞ」
ハンカチを差し出すと彼女はゆっくりと首を横に振った。
「汚れちゃうからいいよ。このまま保健室で着替えるから。悪いけどレイラさん、教室から私の着替えを取ってきてくれない?」
「ええ、すぐに取ってきます。身体が冷えて風邪をひいてしまうから急ぎましょう」
季節は秋。
すっかりと冷え込んできたところだ。
「おい、着替えなら俺が」
「カイルはこの後生徒会の仕事があるって言ってたでしょう?レイラさんに頼むから大丈夫」
「お前、何考えて…」
「変なことは考えてないから、心配しないで。疑り深いなぁ」
二人のやり取りに首を傾げながらも、足早に彼女の教室に向かった。
アスリーさんのクラスメイトに彼女のロッカーを尋ね、中から着替えが入っていそうな巾着を取り出す。
巾着を持って保健室を尋ねると、扉には使用中を示すカードがかかっていた。
とんとん、
ノックをすると、アスリーさんの声が返ってくる。
「入って。着替えるから鍵を閉めてくれる?」
保険医の声ではない辺り、中には彼女だけなのかもしれない。
保険医は男性だから当然と言えば当然だ。
中に入るとカーテンで仕切られた一角に、アスリーさんのシルエットが見える。
女性にしては背の高い彼女のしなやかな影に少しだけドキッとした。
「着替え、持ってきましたよ」
「もう服脱いじゃったから、こっちまで来てくれる?」
カーテンのすぐ側で歩みを止める。
「開けても、いいですか?」
「…レイラなら、いいよ」
「え?」
「レイラになら、見られてもいい」
どこか含みをもつ言葉に首を傾げてしまうが、着替えを渡さなければアスリーさんも困ってしまうだろう。
「開けますね」
そう一言声をかけて、カーテンに手をかける。
彼女は、いや、
その人は、真っ直ぐにこちらを見つめて立っていた。
雪のように真っ白な身体には、女性特有の膨らみや腰のくびれなんて微塵も存在せず、しなやかではあるが割れた腹筋、少し厚い胸板があり、それはまるで…
どこからどう見ても、それは
「…っ、男の、人?」
呟いた言葉に、彼はこくりと頷く。
「あーあ、バレちゃった」
「……っ、え、あ」
舌を出して笑うその人は、言葉とは裏腹にどこかすっきりとした表情を浮かべていた。
バレたなんて、確信犯だろうに。
「驚かせてごめんね。僕、男なんだ」
「………そん、な」
「ちょっとやむを得ない事情があって。だけど、レイラのこと騙し続けるのが心苦しくなっちゃったんだよね」
穏やかに話し続ける目の前の彼に、私の心には嵐が吹き荒れる。
意味がわからない。
たしかにアスリーさんは女の子だったはず。
彼女の顔で、声で、私を見つめる彼は、一体誰…?
「レイラは、僕が女の子の方が良かった?」
「…そんなこと言われても」
良いとか悪いとか、考える余裕なんてない。
頭の中はパニックだ。
「どうして、女装なんてっ」
「本当の僕はもういないから」
「は?」
彼はきっぱりとした口調でそんなことを口にする。
「レイラ、よく聞いて」
___オーロラの瞳が、私を捉えた。
「十歳になったばかりの春、僕は一度死んだんだ」
「っ…」
そんな言葉に、ガツンと衝撃を受けたように、頭がぐらぐらと回る。
心臓がバクバクして破裂しそうだった。
アスリーさんじゃない彼。
目を奪われるようなプラチナブロンド、オーロラを詰め込んだような輝く瞳。
_____消えていく、全部全部奪われて、失ってしまった。
私にとって、かけがえのないモノ。
消えたから、消した。
いなくなったのは、一体誰だった…?
「レイラ?顔色が悪いけど…」
「はっ、あ」
「ねえ、ちゃんと息しないと、レイラ!しっかり」
「…やっ、いやだ…どうして、」
______どうして、私を置いていなくなってしまったの?
まるで水の中にいるような息苦しさを抱えたまま、私は意識を手放すのだった。
■□▪▫
side ◇◇◇
「で?」
目の前のカイルは、随分と冷ややかな雰囲気を纏って問いただすように口を開いた。
「……」
「今なら言い訳の一つくらい聞いてやるってのに、そんなに俺に殴り飛ばされたいか?」
「………ごめんなさい」
気絶してしまった彼女が脳裏に過ぎり、ぽつりと謝罪の言葉を零す。
パニックを起こして倒れたレイラは、保険医の判断で呼ばれた侯爵家の使いによって家に帰された。
「そろそろ限界だろうとは思ってたけど、こんな強硬手段に出るとは流石に予想してなかったよ。お前は昔からレイラに関しては余裕が無さすぎる」
「だって、レイラはアスリーを嫌っちゃうし、おまけにカイルのこと好きとか言うし」
せっかく傍にいられるようになったのに、こんなのあまんまりだ。
なんて甘えた考えをもってしまうけれど、今回自分が起こした行動が間違っていたことは身に染みて理解している。
レイラを苦しめた。
それだけが、事実なのだ。
「なあ、お前の気持ちもわかるよ」
「十歳で殺されかけて、その後は素性を偽り大切な人とも離れ離れになって、ようやく戻ってきたと思えば最愛の人は自分のことを忘れてる、こんな僕の気持ちが?」
思わず睨みつけるようにカイルを見つめた。
「…俺にあたっても仕方ないだろ」
「うん、ごめん」
レイラとカイル、そして僕。
物心ついた頃からの大切な幼馴染で、この世で一番信頼できる人たち。
中でもレイラは特別で、幼心に甘酸っぱくて泣きたくなるほど幸せな、そんな淡い恋心を抱いていた相手だった。
会ったその日に恋に落ち、一緒に過ごす時を重ねるごとに鮮烈に燃え上がっていったこの気持ちは、未だとどまることを知らない。
ずっと傍にいられると思っていた。
傍にいられたら、どんなに幸せだっただろう。
僕たちの幸福な世界が壊されたのは、十歳になったばかりのある日。
その日、王太子、アスラン・マグナ・エーテルニタスは、何者かによって毒殺された。
と、いうことになっている。
正確には、毒を盛られ生死をさ迷った末、無事生還したものの、死だものとして公表し、正体不明の敵から身を隠すために身分に名前、性別すら偽って隣国に渡った。
絶望の縁で死んだように心を閉ざした僕を不憫に思った父が、宰相の子であるカイルを召喚してくれて、なんとかこうやって生きている。
留学生としてこちらにやって来たのには勿論理由があるけれど、今はそんなことはどうでもいい。
「レイラ、大丈夫かな」
「医者には無理に思い出させるなと散々言われてる。次に会っても、下手なことするなよ」
「わかってる。わかってたんだけどさ…」
「…記憶がなくたって、俺たちが過ごした過去は変わらない。いつかきっと、レイラだって」
言葉を切ったカイルは切なげに視線を逸らす。
いつかって、いつだ。
そんなことを考えてしまうけれど、レイラを苦しめるのは本意じゃなかった。
「…今はアスリーとして、レイラの傍にいることにする」
「ああ」
ぎゅっと噛んだ唇には血が滲み、鉄の味が口の中に広がる。
今の自分は、彼女にとってなんなのだろう。
幼馴染?いや、違う。
親しい友だち?いいや、彼女は自分を嫌ってる。
だったら、知り合い?
それとも赤の他人?
______ひどく、心が寂しい。
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