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番外編
幸福なルシア①
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____幸せだと、心の底から思う。
優しい夫と、豊かというわけではないけれど、衣食住に不自由はない穏やかな暮らし。
こんな私にはもったいないほど、幸福な日々だった。
「ルシア」
窓際の椅子に座って、暖かい日差しの中でまどろんでいた私に、夫が声をかける。
「どうしたの?メイ」
「大きな仕事が入ったんだ」
薬屋を営んでいるメイが、優しい笑みを浮かべてそんなことを言った。
普段は山を下った小さな町の住人が主な顧客だけれど、今回の仕事はそうではないらしい。
「王都から、注文が入ったんだ」
「え?」
思ってもみなかった言葉に、思わず目を見開く。
いつもと変わらない穏やかな表情のメイは、どうしてこうも落ち着いていられるのだろうか。
言っては悪いがこんな辺鄙な山の中の薬屋にわざわざ王都から注文だなんて少し不自然だった。
メイの薬師としての腕は間違いないし、遠い町から訪ねてくるお客さんだってそこそこいるけれど、さすがに王都からの注文は初めて。
「受けるの?」
「勿論そのつもりだけど、あんまり気が進まない?」
メイが仕事の依頼を断ったことなんてないのに、尋ねてしまったのはどうしてだろう。
自分にも理由がわからなかった。
「そういうわけじゃないわ。気合い入れて調合しないとね」
「そうだね。相手は高貴な方みたいだから、頑張らないと」
「へ?高貴って、まさか貴族の方なの?」
王都とは言っても、そこに住む市民位のお客様だとばかり思っていたから驚いてしまう。
「うん、侯爵家みたい。なんでもご友人が脳筋で身体の傷も癒えないまま働き詰めだから、疲労や怪我に効く薬と…強めの睡眠薬が必要なんだって」
「…なんか、大変そうだね」
どうやら依頼人は、とても友人思いの方らしい。
「だけど、どうしてこんな山奥の薬屋にわざわざ?」
「お抱えの薬師が店を畳んでしまって、なかなか良い薬が手に入らなくなっちゃったんだって」
「そっか。期待に応えられたらいいね」
私の言葉に、メイはこくりと頷いた。
気合いは十分なようだ。
それからメイはせっせと薬の調合に努め、丸一日かけて注文の薬を作り終えるのだった。
「ルシア、僕と一緒に王都に行こう」
「…私も?」
配達までひとりでこなす彼が、どうして今回は私に声をかけたのか、真意なんてわからない。
だけど、断る理由もなかった。
「うん、わかった」
二つ返事で了承し、私は夫ともに王都へと足を運んだ。
■□▪▫■□▫
荷車に揺られて、王都を目指す。
荷台は、頼まれた薬の他に王都で売るための余分な薬も積み込んで少し手狭だった。
「もうすぐ、僕らが出会った場所だよ」
「そうなんだ」
やけに他人事のようになってしまったのは、あの時の記憶なんてほとんど残っていなかったからだ。
「見慣れない女の子がいたから迷子なのかもって声をかけようとしたら…君ってばジルに驚いて気を失っちゃったんだよ」
ジルというのは、うちで飼っている大きくてふわふわな犬のことだ。
「…森の中なんだから、あんなに大きな犬が突然現れたら誰だって驚くでしょ?」
「ふふ、あの時は僕の方が驚いたよ」
気絶した私をメイが家まで運んでくれたらしい。
起きたら知らない場所にいてすごく焦ったことを覚えている。
「それに、目覚めた君は記憶まで失っていて…驚かされることばかりだった」
くすくすと笑い声を漏らすメイになんだか面白くなくてそっぽを向いた。
「…それは、迷惑かけてごめんなさい」
「拗ねないで。あの日ルシアに出会えて、僕はすごく幸せなんだよ?」
記憶を失った私を、メイはすごくすごく大切にしてくれた。
初めの頃は不安で気がおかしくなりそうだったけれど、優しい彼は文句も言わずに私を傍において何かと世話を焼いてくれたのだ。
ルシアという名前も彼からもらった。
光だなんて私にはもったいない綺麗な名前。
励まして、勇気づけてくれた彼を好きになるのに、そう時間はかからなかった。
そうして二年ほどの月日が経ち、彼は今、かけがえのない私の夫だ。
自分の素性を疑問に思わないわけではないけれど、それでも、過去よりも未来に目を向けることができたのは、メイのおかげだろう。
「私も、メイに出会えて良かった」
口元に笑みをのせてそう言った私を、彼は相変わらず優しい瞳で見つめていた。
とある寂れた屋敷を通った時、なんだかとてつもない嫌悪感と共に、得体の知れない恐怖が湧き上がってくるのを感じた。
「…メイ、あの御屋敷は、?」
「ああ、以前この地域の領主だった人が、晩年に建てた屋敷だよ。大罪を犯した彼がようやく捕えられた場所でもあるんだけど」
どくんと、心臓が嫌な音をたてる。
「…なんだか、嫌な雰囲気」
「そう?ぼろぼろだけど、普通の御屋敷に見えるけど…」
屋敷を通り過ぎるまで、何かを訴えるような心臓の鼓動が落ち着くことはなかった。
荷車に揺られること数時間。
舗装されていない山道を来たせいか、少しだけお尻が痛かった。
ようやく辿り着いた王都は、以前とは変わらずひどく活気に満ち溢れている。
以前とは、変わらず…?
思わず、自分の思考につっこんでしまう。
私は、王都に訪れたことがあるのだろうか。
「どうしたの?ルシア」
「…なんでもない」
その日の宿をとり、荷車を停めさせてもらってから、私たちは依頼人の侯爵家へと足を運んだ。
貴族家への訪問に、さすがのメイも緊張しているのかぎこちない笑みを浮かべている。
マクベル侯爵家に着くと、執事に中へと出迎えられた。
どうやら当主の侯爵様から薬の説明を聞きたいと申し出があったらしい。
使用人に任せそうなものなのに、少し不思議だ。
通された部屋で侯爵の到着を待つ。
「…僕、貴族と会うの初めてだ」
「ふふ、そんなに緊張しなくても平気だよ」
珍しいメイの姿が面白くって少しだけ笑ってしまった。
「やあ、待たせたかな?」
そう言ってやって来たその人は、やけに蠱惑的な笑みを浮かべていた。
■□▪▫■□▫▪■□▪▫■□▫
ミレイユ編開始です。
名前も変わり違和感ばかりだと思いますが、しばらく御付き合いください。
過去をまるっと忘れて幸せになったミレイユの話です(笑)
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