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番外編
元お貴族様が畑仕事に精を出す話⑤
しおりを挟む「私は、サイラス・フォージャー。かつてこの領地を治めていた者だ」
告げられた言葉は、淡々として感情のこもらない声だった。
フォージャー
それは、ブルックから本当の名前を知らされた時、初めに過ぎった一族の家名。
「ははっ、サイも冗談なんて言うんだね…」
そう言った自身の表情は、見なくてもわかる。
きっとひどい顔をしているのだろう。
「…冗談ではない」
生真面目な彼は、ご丁寧に私の言葉に返事を返した。
「シーナ、この方は本当に、」
「やめて」
こんな、嘘のような散々な話が真実であることを説得しようとするブルックを制止する。
「サイラス・フォージャー、落ちぶれた元お帰属様が、いったいこの村になんの御用だったんです?」
口にした言葉は、ひどく冷たくて棘のあるものだった。
それが目の前の男を傷つけるものだと十分理解した上での物言い。
「何のために、この村に訪れたんですか?」
「それは…」
視線を逸らしたサイラス・フォージャーは、言葉を言い淀んでいるようだった。
「私やブルックは、あなた達に親を殺された」
じっと彼を見つめて言葉を続ける。
「散々苦しめた相手が、のんきに自分を受け入れる姿をみるのは、愉快でしたか?」
頭に血が上って、今にも涙が零れ落ちそうになる。
握りしめた拳は爪が食いこんで少し切れていた。
「すまない」
昂った私に、彼が零したのはたった一言。
感情の読めない瞳の奥には、一瞬の諦めのような悲しい色が滲んでいるように見えた。
「言い訳もしないんだ…あんたとなんて、出会わなきゃよかった」
捨て台詞のようにそう吐いて、私は家を飛び出すのだった。
■□▪▫■□▫
Side サイラス
「すみません、サイラス様…あいつちっさい頃からきかん坊で一人で突っ走るところがあって…」
「いや、シーナは悪くない。あれが普通の反応だ」
シーナの両親が若くして亡くなったというのは知っていたが、理由を聞いたことはなかった。
彼女の言う通りなら、フォージャー家が課した重税などの負担が原因になったのだろう。
それは即ち、彼女の言葉通り私たちのせいだ。
父や、父の仕事に関与していたにも関わらず彼を止められなかった自分。
彼女の大切な家族を奪った罪は決して許されない。
ブルックがシーナの後を追ってこの家を後にすると、私と彼女の祖父の二人だけになる。
しんと静まり返る中、彼、トロイじいさんが口を開いた。
「茶が冷めてしもうたな。淹れなおしてやるからちょいと待っとれ…サイラス」
「っ…?!」
トロイじいさんの変わらない態度に驚いて目を見開く。
しばらくして戻ってきた彼は私に熱いお茶を差し出すと、もう一度席に着いた。
「どうして…」
「ん?」
「私は、あなたの家族を殺した。もっと怒って、糾弾して当然だろう」
わけがわからず表情を歪める私に、トロイじいさんが穏やかに声をかける。
「若者が、親の罪まで背負おうとするのはやめなさい」
「私は、正式に侯爵位を受け継ぐ前から、領地の経営を任されていた」
「随分と、住みやすい村にしてもらった」
「っ、なんで」
親の跡を継いで、この村に重税を課し続けてきたのが私かもしれないと疑わないのだろうか。
「お前さんが外道でないことは、もうずっと前から、それこそお前さんがこの村に居着く前から知っておるよ」
そう言った彼の言葉はやはりよくわからなかった。
「昔話をしよう」
■□▪▫■□▫
Side トロイ
一人目の息子は重税に苦しみ、王都で奴隷まがいの労働を課せられた後、呆気なく過労で命を落とした。
その訃報が届いてすぐ、嫁いできた嫁は心労からくる病に伏せ、すぐに息子の後を追った。
まだ幼い一人息子を残して。
二人目の息子は、なんとか税を納めようと自身の限界以上の働きを見せ、その日暮らしは変わらずともなんとか許容量の作物を育てていた。
嫁いできた嫁も、旦那を支え死に物狂いで働いていた。
二人が儚くなったのも、無理が祟った結果だった。
一人娘は、人の死を理解できないほど、まだ幼い。
残ったのは、ひからびた老人と子どもが二人。
どうしてこの老いぼれが生き残り、子ども達から必要とされる彼らが死ななければならなかったのか。
悲しむ暇もないほど、重すぎる税は容赦なく自分たちに降りかかる。
「領主様が、視察に来られるらしい。これは、チャンスかもしれん。しっかり働いているところを見せ、今の状況で精一杯だと言うことをちゃんとわかってもらうんじゃ」
村の集まりで村長がそんなことを言った。
「おお!実際に見ていただければ、村の現状を理解してくれるはず!」
「これで、これでもう家族を失わずに済む…」
歓喜に震える村人たちの期待は、裏切られることになる。
「ふん、満足に税も納められんとは…いいか、サイラス、これ以上価値なんて見出せないような村だ。こういう時はまとめて労働力として王都に売り払ってしまえばいい」
村長に案内をさせ、畑の傍を顔を顰めながら通り過ぎるその男に、村人たちは自分たちの願いがどんなに無謀であったかを悟ったに違いない。
最早無駄だと諦めの気持ちで、農業用の水を汲みに向かった。
「ほう、老いぼれだが、なかなか体力はあるらしい」
いっぱになった桶を二つ抱えてその場を去ろうとした時、先程聞いた嫌な声が聞こえた。
「…これは、領主様。こんなところまで御足労を」
「全くだ。そんなことよりも、お前、まともに食っていけない農夫なんかより、王都で金持ちの奴隷になるといい。よし、決めた。やはり農夫なだけあってお前たちは力がありあまっているようだ。良い奴を見繕って売り払おう」
目の前の男が、何を言っているのか理解できなかった。
売り払うなど、到底人に用いる言葉ではないだろう。
「まず一人目は、お前だ」
「っ、わしには、親を亡くした孫が二人もおります…一人はまだ親を亡くしたことすら理解できない幼子…わしが出ていけば子どもらは生きていけますまい、どうかご慈悲をっ」
「子どもなど知るか。ふん、哀れな子らを死んだ親の元へ送ってやるのも情ではないか」
本当にこの男は人間なのか。
どうしてこうも冷酷になれるのだろうか。
人を人とも思えないこんな者が領主だったなんて、信じたくもない事実だった。
だが、心の中でいくら罵ろうと、この男が自分の村を治めている人間であることは変わらない。
…逆らえない相手だった。
あの子らは、二人で生きていけるだろうか…
自分と同じように苦しむ村人たちが子ども二人の面倒なんてみる余裕がないことはわかりきっていた。
絶望に打ちひしがれていると
「父上」
傍らについていた幼子が、小さく口を開いた。
「時期尚早だと思います。今は日照り続きで、満足に作物が育たないだけです。ここで村人を王都へ連行し労働力に変えてしまえば、もう二度とこの村が栄えることはありません。領内の他の村だって同じ状況です。一時の富より、継続的な利益を優先するべきでは?」
「ほう、父である私に意見するのか。相変わらず生意気なやつだ」
領主様は、根っからの冷酷な人間らしい。
自身の所有物のように扱う村人と同じような態度で実の息子に接する姿は、狂っているとしか言い様がなかった。
「申し訳ありません。ですが、父上の、並びにフォージャー家の益々の繁栄を願ってのことです」
「ふん、思ってもないことをつらつらと。小賢しいところは誰に似たのか。あの女のように頭の軽い愚か者であればもっと扱いやすかったものを」
領主様の令息、サイラス様は無表情で父親を見つめていた。
「まあいい。お前の言うことも一理ある。どうせ領地のことは、そのうちお前に任せるつもりだ」
「…ありがとうございます」
どうやら、彼のおかげで、自身は難を逃れたらしい。
重税は勿論その後も続いたが、納められないせいで誰かが犠牲になることはなくなった。
それが誰のおかげかは、なんとなくわかるような気がした。
そうして、正式にサイラス様が父親の跡を継ぐ少し前から、税は緩やかになって払えないなんて状況もすっかりなくなってしまった。
過ごしやすい村で、すくすくと育っていく孫たち。
この幸せがあるのは、あの日小さな子どもが、勇気をだして声をあげてくれたから。
サイラス様は、私たちの命の恩人だ。
そうして、年月が経ち、あの冷酷な男の罪が白日のもとに晒され、恩人のあの方も責任を取るように領地を手放した。
自ら爵位を返上し、行方知れずになってしまわれたと聞いた時は、ひどく胸が痛んだ。
いつか恩返しをしたい。
すっかり青年になった彼が、再びこの村に姿を見せた時は、その願いが神に聞き入れられたのだと心の中で深く感謝したものだ。
成長しても、あのエメラルド色の瞳の輝きは、決して変わることなく今も自身の心を照らしている。
「あの日、助けてくれて、本当にありがとうございました。サイラス様」
「…覚えてもいないことを、感謝されるのは変な気分だから、やめてくれ。敬語も、やめてほしい」
やはり、覚えていないか。
きっと、たくさんの村でそういう小さな善行を働いてきたのだろう。
願わくば、この不器用な恩人に、安寧を。
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