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公爵令息
しおりを挟む学園に着くとその足で図書館に向かう。
授業開始まで約一時間と少しばかり。
教室でじっとしているよりもここで読書や自習に励む方が有意義だった。
また、ここには高確率で、数少ない友人の一人が私と同じように時間を潰している。
「おはようございます、セイラ嬢」
やはり今日も彼は早朝から図書館で暇を持て余していたようだ。
「おはようございます、キース様」
キース・バーナード公爵令息とは、学園に入学してすぐに図書館で出会った。
二つ上の彼は兄の友人であり何度かお顔を拝見することはあったが、話をしたのは初めてだった。
まだ三ヶ月程の付き合いではあるが、落ち着いた彼の隣にいるのは何故だかとても居心地が良い。
「どこか疲れているように見えますが、ちゃんと食事と睡眠はとっているのですか?」
「どちらもしっかりとっています。キース様はお医者様のようなことをおっしゃいますね」
なんだか面白くなってクスリと笑いを漏らす私に、彼は少し照れたように口を開いた。
「…セイラ嬢はいつもあまり元気が無いようなので」
「元気が無いわけではないのですが…申し訳ございません、朝から陰気な姿をお見せしてしまって」
平然としているつもりだったがキース様には通用しなかったらしい。
見透かされるのは少し恥ずかしい。
「別に謝ることではありません。ただ、一人で抱え込むのは効率が悪いと思って。僕はセイラ嬢より二つも上ですから、少しは頼ってくれても構わないのですよ」
手元の本に視線を移してそんなことを言うキース様。
ちっとも捲られないページが、彼が本になんて集中していないことを教えてくれる。
「…なら、お言葉に甘えて」
こうやって手を差し伸べてくれる存在が心底有難かった。
私を思いやってくれる人は確かにここにいるのだ。
「家族と、あまりうまくいってないのです」
「家族と、ですか。確かセイラ嬢はサイラスやご両親、そして従姉妹のご令嬢と同居しているとか」
その辺の事情は兄から聞いているのかもしれない。
「ミレイユをご存知なのですね」
「ええ、サイラスがたまに僕らの元にも連れてきますから。彼女に対してはやけに過保護なので気になっていました」
「そうですか」
兄様は自分の友人達にもミレイユを紹介していたらしい。
私に対してそんなことをしてくれたことは一度もないのに、やはり彼にとってミレイユは誰よりも大切で守るべき存在であるということだろうか。
「ミレイユはあまり恵まれた子ではありません。兄や両親がそんなミレイユを気にかけ慈しむ気持ちはわかるのです」
「だからと言ってセイラ嬢が蔑ろにされるいわれはありませんよ」
「別に、何か酷いことをされたわけではないのです。家族だって私のことが嫌いなわけではないと思います」
だけど、やっぱり私は寂しかった。
そして、隣で目いっぱいの愛を与えられる彼女が妬ましかった。
「負の感情ばかり溢れて止まらないのです。ミレイユは何も悪くないのに、彼女を恨んでしまう私は、最低な人間でしょうか」
握りこんだ拳がふるふると震える。
なんだか鼻の奥がツンとして、きゅっと唇を噛み締めた。
「自然な感情でしょう。ぽっと出の女に家族の愛情を独り占めされたら当然そうなります。僕だって同じ立場ならきっとその人間に良い気持ちは覚えませんね」
「…そう、でしょうか」
優しいキース様に限ってそんなことがあるとは思えなかった。
「僕にとってその人は邪魔者以外の何物でもありませんからね。さっさと消えて欲しいのが本心です」
「…キース様は、案外口が悪いのですね」
「失礼、少し素が出てしまいました」
意外な一面を知れたようで悪い気はしなかった。
キース様は私の気持ちを代弁してくれたようでなんだかスッキリしてしまった。
やはり私は性格が悪いのかもしれない。
「大丈夫ですよ、セイラ嬢。嫌な気持ちになるのは自然な反応です。サイラスには僕からも話してみます」
「え、あの、話を聞いて頂けただけでも気持ちが楽になりました。これ以上迷惑をかけるわけには…」
「友人と少し話をするだけです。セイラ嬢が気にすることではありません」
深い藍色の住んだ瞳が真っ直ぐに私を捉える。
烏の濡れ羽色の様な珍しい黒髪は、神秘的なほどその綺麗な容姿を強調していた。
「…ありがとう、ございます」
その誠実さや優しさに驚くほどすんなりと私は彼を頼ってしまうのだった。
短い時間の中で、思いの外キース様を信頼している自分がいた。
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