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2話 辺境伯

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「勘違いをするな、俺はお前の味方という訳ではない」

 ミドガルド領行きの馬車に揺られながら、リーンの向かいの席に座ったミドガルド辺境伯、ギィ・ミドガルドは苦々しげに言い捨てた。

「アイビーに頼まれたからお前の身柄を引き受けただけだ」

 その真っ直ぐな眉は眉間に寄せられ深い皺を作り、その下の金色の瞳にはリーンへの警戒と侮蔑の色がありありと浮かんでいた。

 ー 兄上、ギィは心から信頼できる、とても良い方です。兄上ともきっと
気が合う友人になれるはず。安心してください。

 あの後、このミドガルド伯へリーンの身柄の保護の約束を取り付けたアイビーは、リーンにホッとしたように微笑みを向けた。

 物心ついたころからミドガルド領で育ったアイビーは、義父が働いていたミドガルド伯爵邸で昨年まで働いていたという。そしてミドガルド辺境伯とアイビーは、アイビーの言葉を借りると「幼なじみのようなもの」なのだそうだ。

 (心から信頼できる、とても”良い人”ね……)

 リーンは”クラウン”の性を奪われ、士爵の地位まで落とされた。『士爵』は爵位の中では最下級であり、爵位を世襲出来ず領土も与えられない。そして客人としてミドガルド領主であるギィ・ミドガルドに迎えられることになった。

 しかし”客人”とは名ばかりで、リーンが不穏な動きを見せないよう監視・監禁する意味合いが強い。と、リーンは感じていた。伯爵と士爵、身分が違うのだから馬車を分けても良いだろうにギィと同じ馬車に乗せられたのも、リーンが逃げないよう見張るためだろう。リーンは目の前の座席に腕を組んで座るミドガルド伯に視線を向けた。

 ミドガルド伯は客観的な視点から言うと異国の雰囲気が漂う美丈夫であった。体格に優れ背もリーンより頭一つほど高く、彫りの深い異国風の顔立ちと褐色の肌、その中で強い印象を与える金色の瞳に、ゆるくウェーブがかった黒髪を後ろで一つに束ねている。眉は太く真っ直ぐで、彼の実直な性格を表しているようだった。唇は厚く、リーンの良く回る口と違って見るからに重く堅そうだった。端整な顔立ちの中の金の瞳に時々暗い影を落とすところすら、謎めいた彼の魅力を引き立てていた。

 王都の平均的な身長であるリーンと比較してもミドガルド伯は大分大柄な方だった。華奢なアイビーと比べると、骨格すらも別種の生き物のようにすら見えた。そのためか、同い年であるはずにも関わらずリーンより幾つか年上に見えた。 

 リーンやアイビーとは系統は違うものの美形には違いないのだが、ミドガルド伯の顔に浮かんだ嫌悪の表情が、リーンに彼を素直に美形だと感じさせるのを邪魔していた。

 暗くて辛気くさいだけじゃなくて、態度まで偉そうでふてぶてしいやつだな。

 胸の内でミドガルド伯をこき下ろしながらも、表面上はそんな様子を一切出さず微笑みを浮かべて見せた。

 「そんなこと言わないでくれよ、これから長い付き合いになるんだから。仲良くしよう」

 ギィは答えず、馬車の中に永遠とも思えるような沈黙が流れた。

 無視って訳か、たとえ嫌いな奴だったとしても表面上は愛想よく振る舞うのが社交界の礼儀ってもんじゃないのかね。感じの悪い奴だ。 

 ミドガルド領はクラウン王国の国境に位置し、王都から北西に進み一つ山を越えた場所に位置する。馬車だとおおよそ2週間と数日ほどの距離である。四方を山に囲まれている領土は広く、王都で広く燃料代わりに使用されている魔鉱石の採掘量が国随一と言われている。

 魔鉱石は生産量が少なく価値が高い。今では失われた”魔力”がこめられた魔鉱石を使用するとどんな人間でも魔法を使用でき、その用途は多岐に渡っていた。

 そのためミドガルド領は国内でも有数の財力と発言権を持ち、王の力が及びにくい治外法権のような場所だ。王の影響力を強めるため、正式に王都からの視察が一年に一度送られるようになったのもほんの数年前からのことである。だからこそ13年もの間その地で暮らすアイビーが発見されることもなかったのだ。

 王都の社交界で冗談半分、真面目半分で語られていた噂話によると、遙か昔に滅んだとされる魔物の類いもミドガルド領では密かに生き延びているという。

 魔物がどうのという噂は正直なところ眉唾物だが、ミドガルド領が”魔物がひそんでいてもおかしくはない”という印象を与えるくらいの未開の地……、つまり随分な田舎であることは間違いなさそうだった。

 もしかしたら、ミドガルド伯には悪気はなく、とんでもない田舎者だから王都の礼儀作法も当然のように知らないだけ……という可能性もあるのだろうか?

 ギィは黙していたが、リーンから視線は離さなかった。見透かすような不躾な強い視線をリーンへと送り続ける。そしてリーンにとっては永遠のように感じられるほど間をおいてから、苦々しげに呟いた。

 「……お前は嘘と虚飾だらけだ。何一つ本当のことを語らない相手と仲良くなど出来ない」

 弟よ、これのどこが”良い人”で俺と”気が合う友人”になれそうだと思ったんだ?

 天使のように善良な弟に対しては、あのハゲタカ王でさえ”良い人”に様変わりだ。つまりはそういうことだろう。

 ただ、ある一点においてリーンはミドガルド伯に感心していた。

 ギィはあの抜け目ないクラウン王から、ミドガルド領でリーンを暗殺するよう密かに命を受けているに違いない。しかしそれを一切口にしない。ギィと共に過ごした時間は王都から同じ馬車に乗せられてから今までまだ数時間しか経っていないが、今までの話しぶりからギィは嘘偽りを心から嫌い自他共に”嘘”を厳しく律しているようだ。その上で、王からの密命について一切口に出さない。

 決して嘘はつかない。真実のみを話す。話す話さないを慎重に取捨選択することで頑なに”真実”のみを口にしている。

 自らの主義に反することなく、王の命にも背かない意志の強さと逞しさ。

 リーン個人としては、ギィのような権力や利益になびかない種類の人間は懐柔しにくく面倒くさく、率直に言って苦手である。そしてリーンの内面を見透かすような物言いをするところにもギィの傲慢さと頑なさを感じた

 けれど、今まで王宮に出入りする貴族達の、入り組んだ思惑や陰謀の渦中にいたためか、ギィが自分に向けてくる清々しいまでに率直な嫌悪はそれほど不快でもなかった。

 仲良くなれそうにはないけれど、とりあえず表面上は友好的な関係の構築を試みつつ、暗殺される前に隙を見てこの偏屈辺境伯から逃げ出すとするか……。俺の美貌と剣技と今まで培ってきた手腕をもってすれば、どんな場所でも死なない程度には生きていける自信がある。常に暗殺の危険にさらされていた王宮に比べれば野山であろうとド田舎のミドガルド領であろうと、どこだって暮らしやすい安息の地だ……

 
 微笑みを顔に貼り付け、馬車に揺られながらリーンは今後の逃亡計画を立て続けた。

 辺境伯ギィ・ミドガルドはそれ以降リーンに目をくれることもなく、腕を組んだまま黙って馬車の小窓から外を眺めていた。
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