人情落語家いろは節

朝賀 悠月

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泣きっ面に蜂

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 家族には、多大なる心配をお掛けしてしまった。
 弥平と喧嘩別れをして、泣き腫らした目をそのままに帰宅すると、私を見た母上が飛び上がって悲鳴を上げた。
 たまたますぐ後に遊びから帰って来た次兄は、「取り敢えず目を冷やせと」土間へ走っていき、奉行所の務めから帰った長兄は何事かと慌てふためいた。
 ただ唯一無二の友と喧嘩別れをしたのだと話せば、弥平を知っている次兄は怒り、玄関先で私と長兄に腕を掴まれながら「止めてくれるな!」と大暴れ。
 なんだ、私は思いの外家族に愛されていたのかと、こんな事があって思い知らされてしまった。


 それから数日経ったある日、ふらりと散歩に出かけ、団子の入った包みを抱えながら呑気に屋敷へ戻ると、珍しく応接間から、父上ともう一人男の笑う声が聞こえてきた。

「あら惣右衛門、丁度良い所に。このお茶とお茶菓子を応接間に持って行ってくれないかしら」
「承知しました。……あの、父上のご友人ですか?」
「いいえ、上役の方が今いらしているのですよ。さあ、お持ちして」
「はい」

 言われるがままに、私は応接間へと向かった。
 襖の前に座り、一度お盆を置いてから、「失礼致します」と声を掛けた。
 中からは「入れ」と父上の声。
 襖に並行で座り直り、そっと開けた。部屋に向き直り三つ指をついて頭を下げると、再びお盆を持って立ち上がり、応接間の中へと失礼した。

「ほう、なかなかに器量良しではないか」

 その一連を見届けた父上の上役の方が、感心した声を漏らす。

「恐れ入ります」

 私は小さく言いながら上役の方の側へ行き、お盆の上のお茶とお茶菓子を静かに取り換えた。

「この子はうちの三男坊でして、昔から大病もせずに健康で、ここまで育ってくれました」
「そうか、それは何よりであった。して名はなんと申される」
「惣右衛門にございます」
「惣右衛門か。実に聡明な名であるな」
「痛み入ります」

 これは……一体何の儀式なのだろうか。
 突如として始まった品定めに、私は二人の間で動けなくなっていた。

「年の頃は」
「十七でして」
「そうか、では息子よりも四つ、五つは下といったところだな」
「左様でございますな」
「若さも申し分ない。ふむ、……気に入った!」

 なにが?!

「この惣右衛門を、我が養子に頂こう」
「はい?!」

 無意識に驚きが口から漏れ出てしまった。
 慌てて押えてももう遅い。父上は顔面蒼白の表情で私を見つめている。
 恐る恐る上役の方に顔を向けると、この御仁は豪快に笑って私の肩をその大きな手でバシバシと叩いた。

「元気があって良いではないか! 益々気に入った!」

 気に入られてしまった……

「良かったではないか惣右衛門! 今後は城勤めになるぞ、大出世ではないか!」
「し、城勤め?!」
「まずは中奥小姓という役職についてもらい、そこで……」

 何だかすごい話になってしまっている。この上役の方の話も全く耳に入って来ない。寧ろ突き抜けて行ってしまっている。
 もしもこの話が成立してしまったら、どうなってしまうんだ?

「あ、あの! あのもし私が養子として迎えて頂いたとして、その場合、町へ出ることは……」
「住み込みとなる故、難しくなるだろうな」
「そ……んな……」
「こら、惣右衛門」

 そうなると、もう暫く……否、もしやこのまま一生、私は弥平に会うことが叶わなくなってしまうということか。鈴乃屋小蔵の噺を、聴けなくなってしまうということなのではないか。

「気乗りせぬか?」
「いえそんな事は! おい惣右衛門!」
「……あの、我が儘を申しても宜しいでしょうか」
「ん、構わぬぞ」
「どうしても、会わねばならぬ友がいるのです」



 無理を承知でお伺いを立てて良かったと、強く思った。
 でなければ、私には後悔だけが残り、一生あの男を胸に抱いたまま生きていく事になっていただろう。
 もしやもう会ってはもらえぬやも知れぬという思いが、なかったと言えば噓になるが、このまま何も告げずに消えることだけはどうしても、したくはなかったのだ。

 翌日から、私はあの男が佐野屋に立つのを待ち続けた。
 来る日も来る日も、明け六つから暮れ六つまで。
 そして数日経ったある日、漸く佐野屋さんへ入っていくあの男を、捉える事が出来たのだ。

「弥平!」
「……は?」

 何とも素っ気ない態度である。まあそれはそうか。あんな風に別れたのだから、互いに合わせる顔などない。

「何しに来たんだよ」
「話をしに来た! 弥平と!」
「お前、馬鹿だろ」
「あぁ馬鹿だ。貴方に関して私は馬鹿になる。だから会いに来た!」
「……わけわかんねぇ」

 目も合わせてくれず、苛立ちを隠さず、私を小馬鹿にしながら調理場へと入っていく。
 聞く耳持たずといったところだが、それも想定済みだ。
 そんな事にめげてしまうよりも、もっと大事な話が私にはあるのだ。

「そのままでいいから、話だけ聞いてくれ、弥平」
「……」
「先日は、大変申し訳ないことをした。取り乱して、貴方の信念を曲げようとした。出過ぎた真似をして、心から詫びたいと思っている」
「……」
「しかし、面目ない。それでも私は、鈴乃屋小蔵の人情噺が好きなんだ。聴きたいんだ」

 弥平からの反応はない。代わりに調理場の陰から、伝七さんが申し訳ないといった様子でヘコヘコ頭を下げていた。

「聴かせて、くれないか。あの日私が惚れた、人情噺」
「イヤだ」
「頼むよ! 後生だから!」
「なんだよ後生って、そんな死ぬわけでもあるめぇ……は?」

 その時の私は、一体どんな顔をしていたのだろう。
 この男が眉間に皺を寄せて、目を剥くくらいだ。相当死にゆく顔をしていたのかもしれない。

「……は?」

 弥平は、もう一度私に聞き返した。

「もうすぐ、会えなくなる。もしかしたら一生」
「何言ってんだ」
「養子に入ることになった。それで私は、お城の中奥という場所で暮らすことになる」
「……嘘か。冗談だろ?」

 少しばかりか、声が震えていたような気もする。

「だから、最後かもしれないから今一度、私に鈴乃屋小蔵の噺を聴かせて欲しいんだ」

 私は深々と頭を下げた。誠意が伝わるように。この願いがどうか、叶うようにと。

 苦しいほどの沈黙。これほどまでに刻というものを長く感じたことは無い。
 しかしこれだけの刻をかけて返ってきた言葉は……

「……無理だ」

 無理だった。
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