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縁は異なもの
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境内に建ち並ぶ屋台。その人ごみを抜け参道に差し掛かると、やっと見つけた。鈴乃屋小蔵。
先刻寄せ場で見た藍染の着物。後ろ姿はまるで長身であることを隠すように、ちょいと背筋を丸めていた。
胸が、何故か弾むように高鳴ってしまう。
「あ、あのもし!」
人違いでは敵わぬと、側に駆け寄り恐る恐る声を掛ける。すると振り返ったのは間違いなく、鈴乃屋小蔵その人であった。
「へえ、何でございやしょう?」
落ち着いた声色に、籠った……あいや、籠っているのは飴玉を口に含んでいるせいだ。境内の屋台で買ったのだろう。飴玉を口内でコロコロと鳴らしながら、掛襟に片手を突っ込んで。本当に先刻高座に上がっていたあの鈴乃屋小蔵だとは、信じ難くなるような風貌をしていた。
「もしやあの人違いでなければ、鈴乃屋小蔵様ではございませぬか?」
「……あぁ、俺だよ」
何ともぶっきら棒な返答。無の表情でコロコロと、飴玉の音だけがやけに大きく聞こえた。見下ろす瞳に己の姿が写っている。そう思うだけで、心の臓が徐々に早鐘を打ち始めた。
「何でぃ、何用かあったんじゃねぇのかい?」
「……あっ! あああります! 先刻寄せ場で聴かせて頂きました噺に惹き込まれまして私はどうにも居ても立っても居られずこうして貴方様と話がしてみたく追い掛けて参りました所存でございまして」
「おうおうおう! でぇじょぶか、一先ず息をしろ」
息を吸い込み一言放てば、言葉は一気に溢れ出た。思いの丈を一息にペラペラと、回る口が止まらない。彼に二の腕をグッと掴まれようやっと、再び息を吸い込む事が出来た。
「……っはぁ、はあ……すみません」
「おう……」
嗚呼、しまったな……引いておられるやもしれぬ……
俯き胸を押さえて乱れる呼吸を整えながら、気色の悪い己を悔いた。何せこのような心持ちになった事が初であった故、上手くお伝えする術を身に着けては来なかったのだ。
はぁ……今すぐ消え去りたい……出来ればお声掛けする直前まで時を戻してほしい……
漸く呼吸も整いそうっと顔を上げてみると、無の表情であった鈴乃屋小蔵様の口角が、薄く上がっていることに気が付いた。
「え、あ……」
「ふはっ、何でぃお前、おっかしれぇ奴だな!」
笑っ……た。口元を拳で隠しながら、私を見て笑ってくれている。何だ、この如何ともし難い幸福感は。柔らかな声色と変声途中の裏返りがまた、胸に熱い何かを注いでくるようだ。トクトクと鼓動が弾み、上手く息が吸えない。
「そんなにあの噺、気に入っつくれたのかい」
「っ、は! はい!」
「そうかい、嬉しいねぇ」
口調は妙に大人びているが、喜ぶ様は子のようだ。落ち着き払っている様に見えるが、照れ笑いをするその奥で耳が赤く染まっているのが見えた。
「寄せ場に初めて出掛けたもので……あの、あの噺は、人情噺というものですか?」
「そうだ、人情噺だよ。知ってんじゃねぇか」
「いえ、二番目の兄上が寄せ場通いをしておりまして、時折聞かされていたものですから。人情噺に滑稽噺、怪談噺とそれから……」
「おう、それだけ知ってりゃてえしたもんだ」
誇らしげに腕を組み、得意気な顔をして口角を上げた。まるで己自身を褒められでもしたかのように、鈴乃屋小蔵様は頬を緩ませ、実に嬉しそうな顔をされていた。
「それであの、兄上が申しておりました。この噺は聴いたことがないと」
「あぁ、俺が作ったもんだからな」
「え! 小蔵様が?!」
「ちょちょちょっ、小蔵様っつうのヤメつくれよ、こっぱずかしいからよ!」
慌てた様子で言いながら、私の口は彼の手によって覆い隠されてしまった。
ムスッとした表情。またも新たな一面を見せられて、私の心はむず痒さに沸き立つような感覚に襲われた。
「おめぇさん、歳は幾つでぃ」
何故か、小声である。
「数えで、十五になります」
「お? なんだ、そしたら俺と同しじゃねぇか。だったら尚更“様”なんて付けねぇでくれよ」
「え、しかし……」
「いいんだって! な? “弥平”、これが俺の名だ」
「やへい、さん……」
「さん、いらねぇ」
「……じゃあ、弥平」
「おう!」
二ッと満足げに笑う様は、誠に子のまま、ありのままの『弥平』を見せられたようで、私の方が妙に照れ臭くなってしまった。
「あ……えと、それであの噺、今一度どこかで聴くことは叶いますか?」
「おぉ、何でいそんなに気に入っつくれたのかい」
「はい! ただ……一点解らない場面がございまして、そこをどうしても私は理解に及びたいのです」
その瞬間、弥平の表情が曇ったような気がした。
「それは、あれかい? 二人の男が同じ女に惚れていたのかと思っていたが、って場面かい」
「そうです」
「あれは、……そうだな。箱入りの坊には理解しがてぇかもわかんねえな」
「……え?」
つまりは家に守られ世間をまだ知らない私には、理解できない噺だとでも言いたいのだろうか。弥平の表情には少しの苛立ちと、小馬鹿にしたような嘲笑が含まれているように見える。
嗚呼、情けない。だったら益々、理解してやろうじゃないかという気になってきた。
私の一目惚れを甘く見ないで頂きたい。私があの高座でどれだけ心を奪われたか。落語を知らなかった私を惹き付けたあの声、表情、そして噺の巧みさ。ただ追い掛けてきたと思うなよ。絶対に理解してやるんだからな。鈴乃屋小蔵の魅力を。生み出す世界を。
「理解できるまで追い掛けますよ。だから次の寄せ場を教えてください」
「……ははっ、まじか! いいぜ、来いよ。次は今戸の八幡様だ」
そう言い残して弥平は、踵を返し背を向けたまま、私に向かって手を上げ振った。
参道を歩く後ろ姿が、妙に様になっている。
「必ず参りまーーーす!!」
「馬っ鹿野郎! 声がでけえ!!」
鳥居の前で慌てて振り返り制止する身振り手振りは、やはりまだ前髪のある子のままだ。
そんな可愛らしい一面に、私は思わず声を上げて笑った。
同じ歳にて言葉巧みな噺家、『鈴乃屋小蔵』。
彼の魅力の引き出しは、まだまだ沢山有りそうである。
先刻寄せ場で見た藍染の着物。後ろ姿はまるで長身であることを隠すように、ちょいと背筋を丸めていた。
胸が、何故か弾むように高鳴ってしまう。
「あ、あのもし!」
人違いでは敵わぬと、側に駆け寄り恐る恐る声を掛ける。すると振り返ったのは間違いなく、鈴乃屋小蔵その人であった。
「へえ、何でございやしょう?」
落ち着いた声色に、籠った……あいや、籠っているのは飴玉を口に含んでいるせいだ。境内の屋台で買ったのだろう。飴玉を口内でコロコロと鳴らしながら、掛襟に片手を突っ込んで。本当に先刻高座に上がっていたあの鈴乃屋小蔵だとは、信じ難くなるような風貌をしていた。
「もしやあの人違いでなければ、鈴乃屋小蔵様ではございませぬか?」
「……あぁ、俺だよ」
何ともぶっきら棒な返答。無の表情でコロコロと、飴玉の音だけがやけに大きく聞こえた。見下ろす瞳に己の姿が写っている。そう思うだけで、心の臓が徐々に早鐘を打ち始めた。
「何でぃ、何用かあったんじゃねぇのかい?」
「……あっ! あああります! 先刻寄せ場で聴かせて頂きました噺に惹き込まれまして私はどうにも居ても立っても居られずこうして貴方様と話がしてみたく追い掛けて参りました所存でございまして」
「おうおうおう! でぇじょぶか、一先ず息をしろ」
息を吸い込み一言放てば、言葉は一気に溢れ出た。思いの丈を一息にペラペラと、回る口が止まらない。彼に二の腕をグッと掴まれようやっと、再び息を吸い込む事が出来た。
「……っはぁ、はあ……すみません」
「おう……」
嗚呼、しまったな……引いておられるやもしれぬ……
俯き胸を押さえて乱れる呼吸を整えながら、気色の悪い己を悔いた。何せこのような心持ちになった事が初であった故、上手くお伝えする術を身に着けては来なかったのだ。
はぁ……今すぐ消え去りたい……出来ればお声掛けする直前まで時を戻してほしい……
漸く呼吸も整いそうっと顔を上げてみると、無の表情であった鈴乃屋小蔵様の口角が、薄く上がっていることに気が付いた。
「え、あ……」
「ふはっ、何でぃお前、おっかしれぇ奴だな!」
笑っ……た。口元を拳で隠しながら、私を見て笑ってくれている。何だ、この如何ともし難い幸福感は。柔らかな声色と変声途中の裏返りがまた、胸に熱い何かを注いでくるようだ。トクトクと鼓動が弾み、上手く息が吸えない。
「そんなにあの噺、気に入っつくれたのかい」
「っ、は! はい!」
「そうかい、嬉しいねぇ」
口調は妙に大人びているが、喜ぶ様は子のようだ。落ち着き払っている様に見えるが、照れ笑いをするその奥で耳が赤く染まっているのが見えた。
「寄せ場に初めて出掛けたもので……あの、あの噺は、人情噺というものですか?」
「そうだ、人情噺だよ。知ってんじゃねぇか」
「いえ、二番目の兄上が寄せ場通いをしておりまして、時折聞かされていたものですから。人情噺に滑稽噺、怪談噺とそれから……」
「おう、それだけ知ってりゃてえしたもんだ」
誇らしげに腕を組み、得意気な顔をして口角を上げた。まるで己自身を褒められでもしたかのように、鈴乃屋小蔵様は頬を緩ませ、実に嬉しそうな顔をされていた。
「それであの、兄上が申しておりました。この噺は聴いたことがないと」
「あぁ、俺が作ったもんだからな」
「え! 小蔵様が?!」
「ちょちょちょっ、小蔵様っつうのヤメつくれよ、こっぱずかしいからよ!」
慌てた様子で言いながら、私の口は彼の手によって覆い隠されてしまった。
ムスッとした表情。またも新たな一面を見せられて、私の心はむず痒さに沸き立つような感覚に襲われた。
「おめぇさん、歳は幾つでぃ」
何故か、小声である。
「数えで、十五になります」
「お? なんだ、そしたら俺と同しじゃねぇか。だったら尚更“様”なんて付けねぇでくれよ」
「え、しかし……」
「いいんだって! な? “弥平”、これが俺の名だ」
「やへい、さん……」
「さん、いらねぇ」
「……じゃあ、弥平」
「おう!」
二ッと満足げに笑う様は、誠に子のまま、ありのままの『弥平』を見せられたようで、私の方が妙に照れ臭くなってしまった。
「あ……えと、それであの噺、今一度どこかで聴くことは叶いますか?」
「おぉ、何でいそんなに気に入っつくれたのかい」
「はい! ただ……一点解らない場面がございまして、そこをどうしても私は理解に及びたいのです」
その瞬間、弥平の表情が曇ったような気がした。
「それは、あれかい? 二人の男が同じ女に惚れていたのかと思っていたが、って場面かい」
「そうです」
「あれは、……そうだな。箱入りの坊には理解しがてぇかもわかんねえな」
「……え?」
つまりは家に守られ世間をまだ知らない私には、理解できない噺だとでも言いたいのだろうか。弥平の表情には少しの苛立ちと、小馬鹿にしたような嘲笑が含まれているように見える。
嗚呼、情けない。だったら益々、理解してやろうじゃないかという気になってきた。
私の一目惚れを甘く見ないで頂きたい。私があの高座でどれだけ心を奪われたか。落語を知らなかった私を惹き付けたあの声、表情、そして噺の巧みさ。ただ追い掛けてきたと思うなよ。絶対に理解してやるんだからな。鈴乃屋小蔵の魅力を。生み出す世界を。
「理解できるまで追い掛けますよ。だから次の寄せ場を教えてください」
「……ははっ、まじか! いいぜ、来いよ。次は今戸の八幡様だ」
そう言い残して弥平は、踵を返し背を向けたまま、私に向かって手を上げ振った。
参道を歩く後ろ姿が、妙に様になっている。
「必ず参りまーーーす!!」
「馬っ鹿野郎! 声がでけえ!!」
鳥居の前で慌てて振り返り制止する身振り手振りは、やはりまだ前髪のある子のままだ。
そんな可愛らしい一面に、私は思わず声を上げて笑った。
同じ歳にて言葉巧みな噺家、『鈴乃屋小蔵』。
彼の魅力の引き出しは、まだまだ沢山有りそうである。
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