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天、阿琉那葡羅
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咳き込む黒羽左衛門を、白い絨毯から飛び上がった蛾が襲った。
黒羽左衛門は松明を使って追い払おうとするが、蛾はひらひらと舞いながら黒羽左衛門にまとわりつく。
蛾が鱗粉を撒くたびに黒羽左衛門は激しく咳き込んだ。
「気をつけなって言うたざんしょ」
曄は笑った。
同時に、黒羽左衛門の目の前で蛾が燃え上がった。
曄が持っている小さな箱から放出された電撃が、蛾に直撃したようだった。
「なんだそりゃあ。妖術か」
黒羽左衛門は怪訝そうに聞いた。
「エレキテルさね。ここに住んでる連中から教わったんざんす」
「へぇ。まだ他にも誰かいんのか」
黒羽左衛門の興味は、謎の術よりもここの住人の方へと移っていた。
「ああ、いるさ。わっちにこれを教えてくれた人はもうやられちまったけど。でも新顔が来たって、持って一年。長く持つ生存者なんぞほとんどいないね」
黒羽左衛門の後ろで新吉が身震いした。
「迷い込んで来るやつぁ、みーんなこの館の餌なんだ」
そう言いながら、曄は左右にぴょんぴょんと跳ね、部屋の向こう側へ辿り着いた。
――妙な歩き方をするな。
曄の飛び跳ねる様子を見て、黒羽左衛門は気づいた。そっとしゃがみこんで、床に引かれている絨毯を透かすように眺めて見る。
絨毯の中に所々、蛾が潜んでいるのが見えた。
「どうやら蛾の住処みたいだな」
「えええ、まだあんなのがいっぱいいるんでやすか」
新吉も黒羽左衛門の真似をして、腰をかがめると絨毯を見る。
「急がば回れだ。新吉、踏むんじゃねえぞ」
「へ、へぇ」
二人が蛾を避けながら、なんとか部屋の端に辿り着いた時、曄と金色の鴉は、もうその先にある螺旋階段を降りていくところだった。
黒羽左衛門と新吉も遅れまいと階段を降り始めた。
それは奇妙な階段だった。
端々に白い糸がまとわりつき、金属板がその絡み合った糸で階段状に下へ向かって吊り下げられているのだった。
『あなた。何していらっしゃるの』
――律か。
黒羽左衛門が一歩段を降りた時、妻、律の声が脳内に響いた。
左脚を動かし、さらにもう一段を降りる。
『まあ。これしきのことで情けない。それでも飯岡家の大黒柱ですか』
――義母上。
『そう言いますがね。お二人共、買い過ぎでしょう』
一歩、踏み出すごとにどこからともなく声が聞こえる。
――これは確か丹本橋に行った時の。
気付けば、黒羽左衛門は丹本橋にいた。
朱色の橋の欄干に寄り掛かる黒羽左衛門。その眼前には、律と千が仁王立ちしている。
『あら。あなたが、日頃の感謝のためになんでも買ってくださるっておっしゃたんじゃないの。ねえ、お義母様』
『そうですとも。なんですか今さら。そんなところで座ってないで、早く運んでくださいよ。次に行くんですから』
黒羽左衛門の頬を汗が伝った。
『……こんな事なら新吉でも呼んでおくんだったな』
――新吉……新吉か。
記憶の世界に呑まれかけて、黒羽左衛門は我に帰った。
――いや俺は、今の今まで新吉と一緒にいたはずだ。
我に返ると同時に、異常な疲労が黒羽左衛門を襲った。
『ほらほら、早くなさってあなた』
また律の声が響いた。
律と千の声が脳に響く度に精力を奪われている。黒羽左衛門はそう感じた。
――違う。俺は新吉とおかしな館にいた。何が起きている。新吉はどうした。
その新吉も黒羽左衛門と同様、悪夢にうなされていた。
曄は足を止め、そんな二人を見て嗤っていた。
「やっぱり無理ざんすねぇ。この人らも」
「無理でやんす。これ以上はもう……もう食べられないでやんす」
新吉から応えが返ってきたので、一瞬きょとんとした曄だったが、最後の言葉を聞くと今度は腹を抱えて笑い出した。
「あはは。おかしい。なんてしょうもない夢を見てるんだい、こいつは」
その二人のやり取りは、黒羽左衛門の耳にも届いていた。
――やはり。これは夢の中か。だがどうする。
試しに夢の中で自分の頬っぺたを引っぱたいて見るが、痛いだけで何も変わらない。
『クソッ、おい新吉、目を覚ませッ。おめぇ、一体どんな夢を見てるんだ。言ってみろ』
無理を承知で黒羽左衛門は、夢の中に存在しない新吉に声を掛けた。
『あなた何をおっしゃってるんです。新吉なんかいないじゃありませんか』
『そうですよ婿殿。今日は自分がいるから大丈夫と、そう大見得を切ったのをお忘れになったんですか』
また黒羽左衛門の頬を汗が伝う。
『ええい黙れ』「新吉、聞こえるか。おめぇはどんな夢を見ている。そうだおめぇは夢を見てるんだ」
『んまッ。義理とは言え母に対して、なんという口の利き方でしょう』
『黙れ黙れッ』「新吉、おめぇは、どんな夢を見てるんだ」
新吉への問いは、自分への暗示でもあった。
「へ、へぇ。饅頭を食べてやす。腹いっぱいだと言うのに次から次へと押し込まれて怖いの恐ろしいのって……」
新吉の声を聴いて、黒羽左衛門は歓喜した。
「しめた。通じたな。よし新吉。よく考えてみろ。饅頭を頬張ってるのに喋れるもんか。おめぇ今、喋ってるぞ」
「……そういや、そうでやんすね」
「それに饅頭っておめぇ、何が怖いもんか。笑い話か」
「へへッ。そしたらお茶が怖いって言えばいいでやすかね」
言うや否や、新吉は眼を覚ました。
目の先では黒羽左衛門が脂汗を垂らしたまま固まっている。その身体には、階段に絡みついているのと同じ白い糸がまとわりついていた。
「だ、旦那。起きてくだせぇ」
黒羽左衛門の下へ駆け寄ろうとして、新吉は自分の身体にも糸が絡んでいることに気がついた。粘つく糸を払いながら、新吉は黒羽左衛門の方へと降りて行った。
「新吉。目を覚ましたのか」
口を動かす黒羽左衛門の目はしかし、まだ閉じられたままだった。
「へぇ、これがほんとの下げってやつで」
「洒落てる場合か。こっちはまだ夢ン中みたいだ。俺はどうすりゃいいんだ」
「さ、さぁ。何か目を覚まさせるようなことを思い浮かべたらどうでやすかね」
――目を覚ますようなもんか……。律との夜の営みでも。
かえって脂汗が流れて来た。
――いかんいかん。
『婿殿、こんな所で何を考えているんですか』
さらに、千の声が追い打ちをかける。
――悪夢とは反対のことを考えてみるか。
黒羽左衛門は混濁した頭で、千と律との良い思い出を探そうとした。
だが何一つ思い浮かばない。
――何もねぇ……な。む、……そうだ、あれならどうだ。
黒羽左衛門はいつも、律の作った朝餉の匂いで目を覚ましていることを思い出した。
――どれもこれも薄味で旨味のない料理だが……。だが卵巻きはうまかったな。
表面にほんのり焼き色がついた卵巻き。箸を入れた瞬間にふわっと香ばしい香りが立ち上る。口に入れると舌の上でとろけるような柔らかな食感。優しく煮含めた卵の甘みが口いっぱいに広がる。
卵巻きの味を思い浮かべた途端に、どこからともなく朝餉の匂いが漂ってきたような気がした。
そして黒羽左衛門は眼を覚ました。
「良かった。旦那」
「おぅ新吉。戻ったようだな。あんまり変わっちゃいねえようだが」
黒羽左衛門は辺りを見渡し、あいかわらず館の中にいることを確認すると、口をへの字に曲げた。
それから螺旋階段の下でニヤついている曄に目をとめると、睨みつけた。
「おめぇ、知ってやがったな」
曄は真顔になって、ぷいと顔を背けた。
「だったらどうだってんだい。教えたって何も変わりゃしないだろ。せいぜい後は気をつけるんだね」
言い捨てて、曄はまたさっさと螺旋階段を降り始めた。
黒羽左衛門は、階段を降りる間はずっと卵巻きのことを考えることにした。
断続的に耳の奥に響く、得体の知れぬ囁きと闘いながら、黒羽左衛門たちはついに階段の下へとたどり着いた。
そこは周囲に壁があるのかないのか。それすらも分からないくらい、暗く広漠とした空間だった。
金色の鴉はいつの間にか姿を消していた。
曄が一方を指差した。
「あれが阿琉那葡羅。この館の主……いや、この館そのもの」
曄が指差す先は、ぼんやりとした青白い光に包まれていた。
光によって何か無数の白い紡錘が浮き上がって見える。
「あるなぶらって奴が俺たちを帰してくれんのか」
「さあ」
曄は肩をすくめた。
「行けば分かることざんしょ」
一行が光の方へ近づこうと足を踏み出した途端。
カラカラと骨が鳴るような音がして、降りて来た螺旋階段が巻き上がるように消えていった。
「ひゃっ、逃げ道が」
「しゃっきりしろ新吉。どのみち進むしかねぇんだ」
青白い光に近づくと、中空のあちらこちらに、上からの階段が伸びているのが見える。階段はまるで梯子のように不安定に揺れ、その周囲には無数の扉がふわふわと浮いている。
一方で地面はと言えば、段々と白い絹のような糸で覆われ始めていた。
「わっちが戸口を見つけるまで、せいぜい時を稼いでおくんな」
言い置くと、二本の尻尾をくねらせながら、曄は光の中心へと駆け寄った。
「連れて来たよ。二人合わせて、これで百人目だ。契約通り、家に帰しておくんなよ」
言い放った途端、曄の足元から扉の一つへと階段が伸びた。
取っ手のついた扉が障子に変わる。
障子へ向かって不安定に蛇行する階段を、曄はとんとんと軽い足取りで登っていく。
「しめた旦那。あれみたいですぜ」
新吉は、曄が上って行った階段へ向かって駆けだした。
「待て、新吉」
黒羽左衛門が制止すると同時に、新吉の脚が床から伸びた白い糸に絡めとられた。新吉はもんどりうって顔面を床――白い糸の束に打ち付けてしまった。
先ほどから黒羽左衛門は、その床から微妙な振動を感じ取っていた。
「何かおかしいぞ。気をつけろ」
「あ痛たたた。遅いでやんすよ」
立ち上がった新吉が鼻血を出しながら応えた。
そこへ、大きな揺れが二人を襲った。
黒羽左衛門は松明を使って追い払おうとするが、蛾はひらひらと舞いながら黒羽左衛門にまとわりつく。
蛾が鱗粉を撒くたびに黒羽左衛門は激しく咳き込んだ。
「気をつけなって言うたざんしょ」
曄は笑った。
同時に、黒羽左衛門の目の前で蛾が燃え上がった。
曄が持っている小さな箱から放出された電撃が、蛾に直撃したようだった。
「なんだそりゃあ。妖術か」
黒羽左衛門は怪訝そうに聞いた。
「エレキテルさね。ここに住んでる連中から教わったんざんす」
「へぇ。まだ他にも誰かいんのか」
黒羽左衛門の興味は、謎の術よりもここの住人の方へと移っていた。
「ああ、いるさ。わっちにこれを教えてくれた人はもうやられちまったけど。でも新顔が来たって、持って一年。長く持つ生存者なんぞほとんどいないね」
黒羽左衛門の後ろで新吉が身震いした。
「迷い込んで来るやつぁ、みーんなこの館の餌なんだ」
そう言いながら、曄は左右にぴょんぴょんと跳ね、部屋の向こう側へ辿り着いた。
――妙な歩き方をするな。
曄の飛び跳ねる様子を見て、黒羽左衛門は気づいた。そっとしゃがみこんで、床に引かれている絨毯を透かすように眺めて見る。
絨毯の中に所々、蛾が潜んでいるのが見えた。
「どうやら蛾の住処みたいだな」
「えええ、まだあんなのがいっぱいいるんでやすか」
新吉も黒羽左衛門の真似をして、腰をかがめると絨毯を見る。
「急がば回れだ。新吉、踏むんじゃねえぞ」
「へ、へぇ」
二人が蛾を避けながら、なんとか部屋の端に辿り着いた時、曄と金色の鴉は、もうその先にある螺旋階段を降りていくところだった。
黒羽左衛門と新吉も遅れまいと階段を降り始めた。
それは奇妙な階段だった。
端々に白い糸がまとわりつき、金属板がその絡み合った糸で階段状に下へ向かって吊り下げられているのだった。
『あなた。何していらっしゃるの』
――律か。
黒羽左衛門が一歩段を降りた時、妻、律の声が脳内に響いた。
左脚を動かし、さらにもう一段を降りる。
『まあ。これしきのことで情けない。それでも飯岡家の大黒柱ですか』
――義母上。
『そう言いますがね。お二人共、買い過ぎでしょう』
一歩、踏み出すごとにどこからともなく声が聞こえる。
――これは確か丹本橋に行った時の。
気付けば、黒羽左衛門は丹本橋にいた。
朱色の橋の欄干に寄り掛かる黒羽左衛門。その眼前には、律と千が仁王立ちしている。
『あら。あなたが、日頃の感謝のためになんでも買ってくださるっておっしゃたんじゃないの。ねえ、お義母様』
『そうですとも。なんですか今さら。そんなところで座ってないで、早く運んでくださいよ。次に行くんですから』
黒羽左衛門の頬を汗が伝った。
『……こんな事なら新吉でも呼んでおくんだったな』
――新吉……新吉か。
記憶の世界に呑まれかけて、黒羽左衛門は我に帰った。
――いや俺は、今の今まで新吉と一緒にいたはずだ。
我に返ると同時に、異常な疲労が黒羽左衛門を襲った。
『ほらほら、早くなさってあなた』
また律の声が響いた。
律と千の声が脳に響く度に精力を奪われている。黒羽左衛門はそう感じた。
――違う。俺は新吉とおかしな館にいた。何が起きている。新吉はどうした。
その新吉も黒羽左衛門と同様、悪夢にうなされていた。
曄は足を止め、そんな二人を見て嗤っていた。
「やっぱり無理ざんすねぇ。この人らも」
「無理でやんす。これ以上はもう……もう食べられないでやんす」
新吉から応えが返ってきたので、一瞬きょとんとした曄だったが、最後の言葉を聞くと今度は腹を抱えて笑い出した。
「あはは。おかしい。なんてしょうもない夢を見てるんだい、こいつは」
その二人のやり取りは、黒羽左衛門の耳にも届いていた。
――やはり。これは夢の中か。だがどうする。
試しに夢の中で自分の頬っぺたを引っぱたいて見るが、痛いだけで何も変わらない。
『クソッ、おい新吉、目を覚ませッ。おめぇ、一体どんな夢を見てるんだ。言ってみろ』
無理を承知で黒羽左衛門は、夢の中に存在しない新吉に声を掛けた。
『あなた何をおっしゃってるんです。新吉なんかいないじゃありませんか』
『そうですよ婿殿。今日は自分がいるから大丈夫と、そう大見得を切ったのをお忘れになったんですか』
また黒羽左衛門の頬を汗が伝う。
『ええい黙れ』「新吉、聞こえるか。おめぇはどんな夢を見ている。そうだおめぇは夢を見てるんだ」
『んまッ。義理とは言え母に対して、なんという口の利き方でしょう』
『黙れ黙れッ』「新吉、おめぇは、どんな夢を見てるんだ」
新吉への問いは、自分への暗示でもあった。
「へ、へぇ。饅頭を食べてやす。腹いっぱいだと言うのに次から次へと押し込まれて怖いの恐ろしいのって……」
新吉の声を聴いて、黒羽左衛門は歓喜した。
「しめた。通じたな。よし新吉。よく考えてみろ。饅頭を頬張ってるのに喋れるもんか。おめぇ今、喋ってるぞ」
「……そういや、そうでやんすね」
「それに饅頭っておめぇ、何が怖いもんか。笑い話か」
「へへッ。そしたらお茶が怖いって言えばいいでやすかね」
言うや否や、新吉は眼を覚ました。
目の先では黒羽左衛門が脂汗を垂らしたまま固まっている。その身体には、階段に絡みついているのと同じ白い糸がまとわりついていた。
「だ、旦那。起きてくだせぇ」
黒羽左衛門の下へ駆け寄ろうとして、新吉は自分の身体にも糸が絡んでいることに気がついた。粘つく糸を払いながら、新吉は黒羽左衛門の方へと降りて行った。
「新吉。目を覚ましたのか」
口を動かす黒羽左衛門の目はしかし、まだ閉じられたままだった。
「へぇ、これがほんとの下げってやつで」
「洒落てる場合か。こっちはまだ夢ン中みたいだ。俺はどうすりゃいいんだ」
「さ、さぁ。何か目を覚まさせるようなことを思い浮かべたらどうでやすかね」
――目を覚ますようなもんか……。律との夜の営みでも。
かえって脂汗が流れて来た。
――いかんいかん。
『婿殿、こんな所で何を考えているんですか』
さらに、千の声が追い打ちをかける。
――悪夢とは反対のことを考えてみるか。
黒羽左衛門は混濁した頭で、千と律との良い思い出を探そうとした。
だが何一つ思い浮かばない。
――何もねぇ……な。む、……そうだ、あれならどうだ。
黒羽左衛門はいつも、律の作った朝餉の匂いで目を覚ましていることを思い出した。
――どれもこれも薄味で旨味のない料理だが……。だが卵巻きはうまかったな。
表面にほんのり焼き色がついた卵巻き。箸を入れた瞬間にふわっと香ばしい香りが立ち上る。口に入れると舌の上でとろけるような柔らかな食感。優しく煮含めた卵の甘みが口いっぱいに広がる。
卵巻きの味を思い浮かべた途端に、どこからともなく朝餉の匂いが漂ってきたような気がした。
そして黒羽左衛門は眼を覚ました。
「良かった。旦那」
「おぅ新吉。戻ったようだな。あんまり変わっちゃいねえようだが」
黒羽左衛門は辺りを見渡し、あいかわらず館の中にいることを確認すると、口をへの字に曲げた。
それから螺旋階段の下でニヤついている曄に目をとめると、睨みつけた。
「おめぇ、知ってやがったな」
曄は真顔になって、ぷいと顔を背けた。
「だったらどうだってんだい。教えたって何も変わりゃしないだろ。せいぜい後は気をつけるんだね」
言い捨てて、曄はまたさっさと螺旋階段を降り始めた。
黒羽左衛門は、階段を降りる間はずっと卵巻きのことを考えることにした。
断続的に耳の奥に響く、得体の知れぬ囁きと闘いながら、黒羽左衛門たちはついに階段の下へとたどり着いた。
そこは周囲に壁があるのかないのか。それすらも分からないくらい、暗く広漠とした空間だった。
金色の鴉はいつの間にか姿を消していた。
曄が一方を指差した。
「あれが阿琉那葡羅。この館の主……いや、この館そのもの」
曄が指差す先は、ぼんやりとした青白い光に包まれていた。
光によって何か無数の白い紡錘が浮き上がって見える。
「あるなぶらって奴が俺たちを帰してくれんのか」
「さあ」
曄は肩をすくめた。
「行けば分かることざんしょ」
一行が光の方へ近づこうと足を踏み出した途端。
カラカラと骨が鳴るような音がして、降りて来た螺旋階段が巻き上がるように消えていった。
「ひゃっ、逃げ道が」
「しゃっきりしろ新吉。どのみち進むしかねぇんだ」
青白い光に近づくと、中空のあちらこちらに、上からの階段が伸びているのが見える。階段はまるで梯子のように不安定に揺れ、その周囲には無数の扉がふわふわと浮いている。
一方で地面はと言えば、段々と白い絹のような糸で覆われ始めていた。
「わっちが戸口を見つけるまで、せいぜい時を稼いでおくんな」
言い置くと、二本の尻尾をくねらせながら、曄は光の中心へと駆け寄った。
「連れて来たよ。二人合わせて、これで百人目だ。契約通り、家に帰しておくんなよ」
言い放った途端、曄の足元から扉の一つへと階段が伸びた。
取っ手のついた扉が障子に変わる。
障子へ向かって不安定に蛇行する階段を、曄はとんとんと軽い足取りで登っていく。
「しめた旦那。あれみたいですぜ」
新吉は、曄が上って行った階段へ向かって駆けだした。
「待て、新吉」
黒羽左衛門が制止すると同時に、新吉の脚が床から伸びた白い糸に絡めとられた。新吉はもんどりうって顔面を床――白い糸の束に打ち付けてしまった。
先ほどから黒羽左衛門は、その床から微妙な振動を感じ取っていた。
「何かおかしいぞ。気をつけろ」
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