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祥、お曄
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黒羽左衛門の脳裏を、このおかしな館に足を踏み入れる前に聞いた律の言葉がよぎった。
『あなたッ。早くお風呂入ってくださいよッ』
確かあの時、律はそう叫んでいた。声がしたのは台所の方だった。
律はちょうど風呂の支度が終わって、飯炊きをしていたのに違いない。
ところが今、律が着ているのは他所行きの着物。先日、丹本橋へ買い物に行くのだと、鼻息を荒くしていた時の装いだった。普段は律の服装など気にしたことのない黒羽左衛門だが、この時は律がやけに着飾っていたので記憶に残っていた。
律の服装は、先ほどまで家事をしていた恰好とは思えなかった。
「よーく見てみろ新吉」
黒羽左衛門が顎で指し示す先、そこには異形の影があった。
佇む千と律の足元から、吊り下げ燭台の灯に照らされて、玄関の扉の方へ影が伸びている。
その影が、不気味にゆらゆらと揺らめいているのである。加えて影は人ならぬ形を取っていた、それはまるでくねる蜥蜴か無数の大蛇のようだった。
「ひぃッ」
揺らめく影を確認して、新吉は思わず声を上げた。
そんな新吉を尻目に、黒羽左衛門は律の姿をしたモノに素早く斬りつけた。
ガキィン
玄関広間に金属音が鳴り響く。
千の手――いや本性を現したモノの手から伸びる巨大な爪が、脇差を受け止めていた。
千と律だったモノの顔は、今や人のそれではない。のっぺりした白い顔に黒い眼玉。口は大きく裂けて、小さくはあるが鋭い歯が並んでいる。
化け物は細長い体と四本の腕をよじらせ、せわしなく蠢かしている。
「うーん」
その異形を見て、新吉はまた腰を抜かし、失神してしまった。
脇差を片手に、化け物たちが振り回す腕をひらりひらりと躱す黒羽左衛門。隙を見て、脇差を化け物の一匹の頭に打ち込む。
しかし、化け物もさる者。脇差を握る黒羽左衛門の右手を巻き込もうと、裂けた口から舌を伸ばして来た。
黒羽左衛門は慌てなかった。手首を軽く回して打ち先を変え、伸びた舌を斬り落とす。
「倶阿阿阿阿ァァァァァ」
化け物は叫声を上げると体をのけぞらせた。
この機会を逃さずと、さらに大きく一歩踏み込む黒羽左衛門。
脇差を振り上げた黒羽左衛門だが、その脳裏に嫌な想像がよぎった。
――これは本物の千と律ではないか。
幻が消えたらそこはいつもの我が家で、血にまみれた千と律が畳の上に転がっているのではないか。
――いや、そんなはずはない。
化け物から漂う、鼻に付く臭気は本物だ。
黒羽左衛門は脇差を握り直すと、舌を歯の間に挟み、歯を食いしばった。どろりと舌から血がながれ、鉄の味が味蕾を刺激する。
――これは現実だ。
真っ向に脇差を振り下ろした。
化け物の頭は真っ二つに割れ、その身体が仰向けにどうと倒れた。
――あと一匹
一体は始末したものの、律の姿を模していた化け物の方が残っている。
四本の腕が、爪が黒羽左衛門を四方八方から攻め続けた。
ハァハァ
対峙する敵が一体となったものの、黒羽左衛門の息は荒い。
なんとか脇差で爪を受け止め凌いでいたが、ついに。
ガチン、キィン
鈍い音と共に、中ほどで折れた脇差の刃が地面に落ちた。
その時だった。
「これをお使いよ」
不意に黒羽左衛門の背後、通って来た通路の方から女の声が響いた。
カラン
同時に黒羽左衛門の足元に松明が投げ込まれた。
声の主は、玄関広間の両脇から伸びる階段の先、吹き抜けになっている二階の回廊の手すりに腰掛けていた。足先には草履が引っかかっており、白い脚が動くたびにぶらぶらと揺れている。
そんな声の主の姿を確認する暇もなく、黒羽左衛門は松明を拾い上げると化け物の眼前にかざした。
「欺ィ欺欺欺欺」
化け物は身体をのけぞらせた。
――火を恐れている。
左手に松明を、右手に折れた脇差を持って戦う黒羽左衛門に対して、今度は化け物の方が守勢に回る形になった。
しかし、隙を見て長い手で攻撃を仕掛けてくる化け物の動きは止むことはなかった。
息が上がる黒羽左衛門の頬を化け物の爪が掠める。
「さすがに中折れしたお刀じゃあ、逝かすのはつらそうざんすね」
悪戦苦闘する黒羽左衛門の姿を愉しそうに見ている女の顔には、妖しげな笑みが広がっている。
女の言葉を無視し、黒羽左衛門は時に攻めに、守りに転じながらじりじりとある一点を目指していた。
――今だ。
黒羽左衛門は後方に大きく跳ねると、折れた脇差を天井へ向かって投げた。
脇差の刃が吊り下げ燭台の根元に突き刺さると、無数の蝋燭と共に燭台が地面に落ちて来る。
異常に気づき、上を見上げた化け物の上から降り注ぐ火の雨。
「欺ィ阿阿阿阿ァァ」
身体の数か所に火がついた化け物は床の上を転がり回った挙句、玄関の扉を開けて外に逃げて行った。
扉の向こうへ消えていく化け物を見送り、黒羽左衛門は息を吐いた。
「おい、起きろ」
言いながら、黒羽左衛門は倒れている新吉の下に屈みこんで、ペチペチとその顔をはたいた。
「新吉ッ」
「はッ」
名を呼ばれ、慌てて跳び起きた新吉の目の前に、黒羽左衛門は松明を近づけた。
「新吉。まさかお前も」
「ぃややややややや、めめ滅相もない」
新吉は慌てて頭を振った。
「冗談だよ。化け物に腰抜かして、失神する化け物がいるもんか」
「脅かさないでくださいよ、旦那ぁ」
黒羽左衛門は、天井から落ちて転がっている脇差に眼をやった。
「悪いな。折れちまった」
「代わりの買ってくだせえよ」
「おっと。この頃、懐が寒くってな……まずはこっから抜け出すぞ、新吉」
「そりゃないですぜ、旦那。ま、旦那はご自分のお刀もままならないぐらいでやんすからね」
そこへ、ひらりと二階の回廊から跳び下りた女が歩み寄って来た。
「わっちは曄ってんだ。お侍さん強いね」
齢は十四、五だろうか。しかし、年の割には妖艶な色香を漂わせている。
その妖艶な雰囲気とは不釣り合いに、着ている着物はぼろぼろで四肢が露わになっていた。それがまた彼女の色気を増している。
「俺は黒羽左衛門。飯岡黒羽左衛門だ。こいつは新吉」
黒羽左衛門は、後ろに控えている新吉にちらりと目をやった後、続ける。
「誰だか知らんが助かった。あいつが炎に弱いと知ってたのか」
「ここの奴らはたいがいそうざんすよ。あいつらは式神みたいなもんさね。あいつの……」
曄は値踏みするような目つきで見ながら、二人の周りをぐるりと回った。
「あんたら新顔かい」
「ここに来たのはついさっきだが」
「わっちはここに来てかれこれ十年さ。その様子じゃ、お前様方も閉じ込められた口だね」
「十年……ったって、まだ子供じゃねえか。親御さんはどうしたんだ」
「さあね」
そう言うと曄はハハと哄笑した。そして真顔になってこう言った。
「親の顔なんざ、とんと覚えちゃいないね。わっちにも産んだ親はいたんだろうね。……でも昔の事さ。忘れちまったよ」
曄は踊るようにその場で一回転半すると、玄関広間脇の階段を駆け上がった。
「お侍さんたち。お国に戻りたいんでやんしょ。袖振り合うも多生の縁だ。わっちが戸口のある所まで案内してあげる」
二階から張り出した回廊の端に足を掛けた所で、振り返って曄は言った。
だが新吉は、まるで何もなかったように階段に背を向け、玄関へと歩き始めた。
「おい新吉、やめとけ」
両開きの扉に近づく新吉を肩越しに見ながら黒羽左衛門は言った。
玄関の扉は、化け物が飛び出して行った時のまま、開きっぱなしになっている。
「でも旦那。こっちが出口にきまってやすよ」
言いながら玄関から出ようとした新吉だったが、外を見て震え上がった。
バタン
叩きつける様に扉を閉めた新吉は、一目散に黒羽左衛門の元に戻ると、その袂にしがみついた。
「やっぱり駄目でやんした」
「何を見たんだ」
「そ、それはもう、なんと言いやすか……見たこともない風景でやんして、植物が動いてるんでやんすよ」
「風が吹きゃ草だって動くだろうよ」
「それがそんな代物じゃないんで」
「まあ、なんだっていい」
黒羽左衛門が新吉に顎で示した階段の上では、曄が待っている。
「そっちもいけませんや旦那」
新吉は声を潜めた。
「あいつの尻から尾っぽがにょっきり伸びてやす」
先ほどまではなかったはずの二本の尻尾が今、曄の服の下から露わになっている。
「そんなことは、ここじゃ大したことじゃねえだろう」
「化け物の仲間ですよ」
「それよりもよ……」
今、黒羽左衛門が気にかけているのは別のものだった。それは、曄の背後で羽ばたいている光り輝く金色の鴉だった。
「おめぇには見えねえか」
黒羽左衛門は呟いた。
「へ、なんのことでやす」
それには答えず黒羽左衛門は階段を上がっていった。
嫌も応もなく、新吉もしぶしぶついて行く。
二人が階段を上がり始めると、曄は待ちきれないように身を翻して二階の中央通路へと向かい、角を曲がって消えていった。
鴉の姿をした何かも、曄の消えた方へと飛んでいく。
その金色の鴉に黒羽左衛門は心当たりがあった。
――あんまり良い気はしねえが……。
それでもきっと、そこに何がしかの答えがある。そんな気がした。
松明を片手に黒羽左衛門も走り出した。
「ちょぉ、ちょっと待ってくださいよ旦那」
光る鴉と共に、三人はうねるように続く長い廊下を進んで行く。
新吉が途中で振り向くと、もう先ほどの廊下は消えていて、そこには違う扉があった。
「だ、旦那。道が消えてやすぜ」
「この館はね。生きてんのさ」
横から応えた曄に、黒羽左衛門はここへ来てずっと抱えている疑問をぶつける。
「ここはいったいなんなんだ」
「化け物の腹ン中さね」
小一時間ほど後、一行は一つの扉の前に辿り着いた。
「この先だよ」
曄が開けた扉の中には、分厚い絨毯が引かれた部屋が広がっていた。
曄は身軽にぴょんぴょんと跳ねて、あっという間に部屋の中ほどまで進んで行った。
金色の鴉はさらに部屋の向こう端まで進み、皆を待っているかのようだ。鴉のいる戸口は開いており、先には金属板らしきものが上下に並んでいた。
「足元に気をつけておくんな」
曄は振り返ると、部屋の前で立ちすくむ黒羽左衛門たちに妖しく微笑んだ。
うながされて黒羽左衛門が足を踏み入れた途端、鱗粉が舞った。
『あなたッ。早くお風呂入ってくださいよッ』
確かあの時、律はそう叫んでいた。声がしたのは台所の方だった。
律はちょうど風呂の支度が終わって、飯炊きをしていたのに違いない。
ところが今、律が着ているのは他所行きの着物。先日、丹本橋へ買い物に行くのだと、鼻息を荒くしていた時の装いだった。普段は律の服装など気にしたことのない黒羽左衛門だが、この時は律がやけに着飾っていたので記憶に残っていた。
律の服装は、先ほどまで家事をしていた恰好とは思えなかった。
「よーく見てみろ新吉」
黒羽左衛門が顎で指し示す先、そこには異形の影があった。
佇む千と律の足元から、吊り下げ燭台の灯に照らされて、玄関の扉の方へ影が伸びている。
その影が、不気味にゆらゆらと揺らめいているのである。加えて影は人ならぬ形を取っていた、それはまるでくねる蜥蜴か無数の大蛇のようだった。
「ひぃッ」
揺らめく影を確認して、新吉は思わず声を上げた。
そんな新吉を尻目に、黒羽左衛門は律の姿をしたモノに素早く斬りつけた。
ガキィン
玄関広間に金属音が鳴り響く。
千の手――いや本性を現したモノの手から伸びる巨大な爪が、脇差を受け止めていた。
千と律だったモノの顔は、今や人のそれではない。のっぺりした白い顔に黒い眼玉。口は大きく裂けて、小さくはあるが鋭い歯が並んでいる。
化け物は細長い体と四本の腕をよじらせ、せわしなく蠢かしている。
「うーん」
その異形を見て、新吉はまた腰を抜かし、失神してしまった。
脇差を片手に、化け物たちが振り回す腕をひらりひらりと躱す黒羽左衛門。隙を見て、脇差を化け物の一匹の頭に打ち込む。
しかし、化け物もさる者。脇差を握る黒羽左衛門の右手を巻き込もうと、裂けた口から舌を伸ばして来た。
黒羽左衛門は慌てなかった。手首を軽く回して打ち先を変え、伸びた舌を斬り落とす。
「倶阿阿阿阿ァァァァァ」
化け物は叫声を上げると体をのけぞらせた。
この機会を逃さずと、さらに大きく一歩踏み込む黒羽左衛門。
脇差を振り上げた黒羽左衛門だが、その脳裏に嫌な想像がよぎった。
――これは本物の千と律ではないか。
幻が消えたらそこはいつもの我が家で、血にまみれた千と律が畳の上に転がっているのではないか。
――いや、そんなはずはない。
化け物から漂う、鼻に付く臭気は本物だ。
黒羽左衛門は脇差を握り直すと、舌を歯の間に挟み、歯を食いしばった。どろりと舌から血がながれ、鉄の味が味蕾を刺激する。
――これは現実だ。
真っ向に脇差を振り下ろした。
化け物の頭は真っ二つに割れ、その身体が仰向けにどうと倒れた。
――あと一匹
一体は始末したものの、律の姿を模していた化け物の方が残っている。
四本の腕が、爪が黒羽左衛門を四方八方から攻め続けた。
ハァハァ
対峙する敵が一体となったものの、黒羽左衛門の息は荒い。
なんとか脇差で爪を受け止め凌いでいたが、ついに。
ガチン、キィン
鈍い音と共に、中ほどで折れた脇差の刃が地面に落ちた。
その時だった。
「これをお使いよ」
不意に黒羽左衛門の背後、通って来た通路の方から女の声が響いた。
カラン
同時に黒羽左衛門の足元に松明が投げ込まれた。
声の主は、玄関広間の両脇から伸びる階段の先、吹き抜けになっている二階の回廊の手すりに腰掛けていた。足先には草履が引っかかっており、白い脚が動くたびにぶらぶらと揺れている。
そんな声の主の姿を確認する暇もなく、黒羽左衛門は松明を拾い上げると化け物の眼前にかざした。
「欺ィ欺欺欺欺」
化け物は身体をのけぞらせた。
――火を恐れている。
左手に松明を、右手に折れた脇差を持って戦う黒羽左衛門に対して、今度は化け物の方が守勢に回る形になった。
しかし、隙を見て長い手で攻撃を仕掛けてくる化け物の動きは止むことはなかった。
息が上がる黒羽左衛門の頬を化け物の爪が掠める。
「さすがに中折れしたお刀じゃあ、逝かすのはつらそうざんすね」
悪戦苦闘する黒羽左衛門の姿を愉しそうに見ている女の顔には、妖しげな笑みが広がっている。
女の言葉を無視し、黒羽左衛門は時に攻めに、守りに転じながらじりじりとある一点を目指していた。
――今だ。
黒羽左衛門は後方に大きく跳ねると、折れた脇差を天井へ向かって投げた。
脇差の刃が吊り下げ燭台の根元に突き刺さると、無数の蝋燭と共に燭台が地面に落ちて来る。
異常に気づき、上を見上げた化け物の上から降り注ぐ火の雨。
「欺ィ阿阿阿阿ァァ」
身体の数か所に火がついた化け物は床の上を転がり回った挙句、玄関の扉を開けて外に逃げて行った。
扉の向こうへ消えていく化け物を見送り、黒羽左衛門は息を吐いた。
「おい、起きろ」
言いながら、黒羽左衛門は倒れている新吉の下に屈みこんで、ペチペチとその顔をはたいた。
「新吉ッ」
「はッ」
名を呼ばれ、慌てて跳び起きた新吉の目の前に、黒羽左衛門は松明を近づけた。
「新吉。まさかお前も」
「ぃややややややや、めめ滅相もない」
新吉は慌てて頭を振った。
「冗談だよ。化け物に腰抜かして、失神する化け物がいるもんか」
「脅かさないでくださいよ、旦那ぁ」
黒羽左衛門は、天井から落ちて転がっている脇差に眼をやった。
「悪いな。折れちまった」
「代わりの買ってくだせえよ」
「おっと。この頃、懐が寒くってな……まずはこっから抜け出すぞ、新吉」
「そりゃないですぜ、旦那。ま、旦那はご自分のお刀もままならないぐらいでやんすからね」
そこへ、ひらりと二階の回廊から跳び下りた女が歩み寄って来た。
「わっちは曄ってんだ。お侍さん強いね」
齢は十四、五だろうか。しかし、年の割には妖艶な色香を漂わせている。
その妖艶な雰囲気とは不釣り合いに、着ている着物はぼろぼろで四肢が露わになっていた。それがまた彼女の色気を増している。
「俺は黒羽左衛門。飯岡黒羽左衛門だ。こいつは新吉」
黒羽左衛門は、後ろに控えている新吉にちらりと目をやった後、続ける。
「誰だか知らんが助かった。あいつが炎に弱いと知ってたのか」
「ここの奴らはたいがいそうざんすよ。あいつらは式神みたいなもんさね。あいつの……」
曄は値踏みするような目つきで見ながら、二人の周りをぐるりと回った。
「あんたら新顔かい」
「ここに来たのはついさっきだが」
「わっちはここに来てかれこれ十年さ。その様子じゃ、お前様方も閉じ込められた口だね」
「十年……ったって、まだ子供じゃねえか。親御さんはどうしたんだ」
「さあね」
そう言うと曄はハハと哄笑した。そして真顔になってこう言った。
「親の顔なんざ、とんと覚えちゃいないね。わっちにも産んだ親はいたんだろうね。……でも昔の事さ。忘れちまったよ」
曄は踊るようにその場で一回転半すると、玄関広間脇の階段を駆け上がった。
「お侍さんたち。お国に戻りたいんでやんしょ。袖振り合うも多生の縁だ。わっちが戸口のある所まで案内してあげる」
二階から張り出した回廊の端に足を掛けた所で、振り返って曄は言った。
だが新吉は、まるで何もなかったように階段に背を向け、玄関へと歩き始めた。
「おい新吉、やめとけ」
両開きの扉に近づく新吉を肩越しに見ながら黒羽左衛門は言った。
玄関の扉は、化け物が飛び出して行った時のまま、開きっぱなしになっている。
「でも旦那。こっちが出口にきまってやすよ」
言いながら玄関から出ようとした新吉だったが、外を見て震え上がった。
バタン
叩きつける様に扉を閉めた新吉は、一目散に黒羽左衛門の元に戻ると、その袂にしがみついた。
「やっぱり駄目でやんした」
「何を見たんだ」
「そ、それはもう、なんと言いやすか……見たこともない風景でやんして、植物が動いてるんでやんすよ」
「風が吹きゃ草だって動くだろうよ」
「それがそんな代物じゃないんで」
「まあ、なんだっていい」
黒羽左衛門が新吉に顎で示した階段の上では、曄が待っている。
「そっちもいけませんや旦那」
新吉は声を潜めた。
「あいつの尻から尾っぽがにょっきり伸びてやす」
先ほどまではなかったはずの二本の尻尾が今、曄の服の下から露わになっている。
「そんなことは、ここじゃ大したことじゃねえだろう」
「化け物の仲間ですよ」
「それよりもよ……」
今、黒羽左衛門が気にかけているのは別のものだった。それは、曄の背後で羽ばたいている光り輝く金色の鴉だった。
「おめぇには見えねえか」
黒羽左衛門は呟いた。
「へ、なんのことでやす」
それには答えず黒羽左衛門は階段を上がっていった。
嫌も応もなく、新吉もしぶしぶついて行く。
二人が階段を上がり始めると、曄は待ちきれないように身を翻して二階の中央通路へと向かい、角を曲がって消えていった。
鴉の姿をした何かも、曄の消えた方へと飛んでいく。
その金色の鴉に黒羽左衛門は心当たりがあった。
――あんまり良い気はしねえが……。
それでもきっと、そこに何がしかの答えがある。そんな気がした。
松明を片手に黒羽左衛門も走り出した。
「ちょぉ、ちょっと待ってくださいよ旦那」
光る鴉と共に、三人はうねるように続く長い廊下を進んで行く。
新吉が途中で振り向くと、もう先ほどの廊下は消えていて、そこには違う扉があった。
「だ、旦那。道が消えてやすぜ」
「この館はね。生きてんのさ」
横から応えた曄に、黒羽左衛門はここへ来てずっと抱えている疑問をぶつける。
「ここはいったいなんなんだ」
「化け物の腹ン中さね」
小一時間ほど後、一行は一つの扉の前に辿り着いた。
「この先だよ」
曄が開けた扉の中には、分厚い絨毯が引かれた部屋が広がっていた。
曄は身軽にぴょんぴょんと跳ねて、あっという間に部屋の中ほどまで進んで行った。
金色の鴉はさらに部屋の向こう端まで進み、皆を待っているかのようだ。鴉のいる戸口は開いており、先には金属板らしきものが上下に並んでいた。
「足元に気をつけておくんな」
曄は振り返ると、部屋の前で立ちすくむ黒羽左衛門たちに妖しく微笑んだ。
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