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100.コーヒーを習いたい人

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先日、佳子さんが言っていた、カフェバイト志望のお友達が面接に来てくれた。
一人だと思っていたのに、二人。
そのオマケでついてきた人は、見慣れた顔だった。

「こんにちは。乃木坂さん。」
朝市の責任者の乃木坂さんには、カフェをオープンする前からお世話になりっぱなしだ。
「こんにちはマキノちゃん。」
「最近、こっちにもときどき顔を出してくださってますねぇ。まさか乃木坂さんもうちに来てくれるんですか?」
「うふふっ。それも楽しそうねぇ。できたらやってみたいもんだわ。」
「是非どうぞ。乃木坂さんが来てくれたら、戦力・集客力共に百人力ですよ。」
「何言ってんのよマキノちゃん。おだてたって何も出ないわよ。」

「今日は、どうかしましたか?」
「うん、小百合さんの面接についてきちゃったのはね、ちょっとしたお話があるの。」
「あら、なんでしょう。」

今回の訪問は、その小百合さんの面接が目的だと思っていたが、突然の割り込みにしては乃木坂さんが主導権を握って話を始めてしまった。
小百合さんもニコニコと聞いているから共通認識なんだろうか。

「おいしいコーヒーを淹れる話がね。いまちょっと朝市工房周辺で盛り上がっててね。」
「飲む・・じゃなくて、淹れる、ですか?」
「そう。そうよね?小百合ちゃん。」
小百合さんはおとなしい方のようで、控えめにうなずいただけで、やっぱり乃木坂さんにお任せしている。

「ここのコーヒーに興味持ってる人が、うちの工房内では結構多くってね、もともとみたらし売りをしようってぐらいだから、歳のわりにアクティブな性質の人が多いわけよ。工房に来てくれてたヒロト君がお引っ越しすると、一緒に楽しくやる機会ってもうなくなっちゃうんじゃないかなって話も出て・・。」
「あっ、工房の事は、ホントすみませんでした。いろいろお世話になったのに急にまた出て行くことになっちゃって、大家さんにも申し訳なかったんですが・・。」

「ほんとよ。突然来たかと思ったら、半年足らずで出て行くって言うんだもの。」
「すみません・・。」
乃木坂さんは口で言うほど咎める様子ではなく、サバサバした様子でつづけた。
「ううん、謝らないでね。だってどんどん仕事が増えてたでしょ。あの場所じゃ対応できないとわかってたのよ。」
「ありがたいことに、そうなんですよね。」
「その点は、全然怒ってないよ。多少は寂しがってるけどね。いっぱい手伝ってもらったり、何かおいしいものをおすそわけしてもらったりね。うちのメンバーはみんな喜んでたし。」
「そうですか?ありがとうございます。」

「それでね、本題にうつるんだけど・・、そのコーヒーの淹れ方とかね・・ほらあれ、なんていうの?ラテ?コーヒーの上に泡があって、絵を描いたりするの、あるでしょ。」
「ラテアートですか・・うちでは凝ったのはやってないけど・・。」
「このお座敷じゃなくても工房でもいいんだけどね、あれ、教えて欲しいなあって言ってたの。いっそ、教室にしてくれればいいのにねって。」
「教室・・・ワークショップみたいなことですか?」
「そうそう。集まった人から会費もらって、ケーキ焼いたり、コーヒー淹れたりのワークショップするの。マキノちゃんのパウンドケーキおいしいしねぇ。」
「いえいえ、それほどでも・・・。」
「コーヒー代や、ケーキ代をいただいて、教える講習費を少し上乗せしてもいいしね。」
「あー・・・そうですね。」
突然の話だったが、面白そうだったのでマキノも少し考え始めた。
「まぁでも、うちはサイフォンで淹れてるけど、その体験も入れつつ、ハンドドリップをした方がいいんじゃないのかな。家に帰って気軽にできるほうがハードルが下がるでしょうし。」
「ああそれ、いいね。体験してみてそれで終わりよりも、せっかく習ったんだから活かせた方がいいものね。」
「・・・そうですそうです。」
「じゃあね、その活かす話のつづきがあるんだけど。」
「・・?」
「コーヒーの淹れ方を教えてもらったら、ここのお店でお運びとかのお仕事もできるんじゃないのかなって、一部の人たちで話が飛躍しちゃってね。・・・ここってバイトさんとかパートさん、足りなくない?」
「パートさんですか?そうですねー工房もあるから、忙しい時はもっといればなぁ・・って思うけど・・でもまだ、そんなにたくさん雇えないですよ。」
「いやいや。無理になんて言ってないのよ。そのお店が忙しい時に打診してもらったらお手伝いするよってことだけね。おばあちゃんも多いし、役に立たない可能性が高いしね。もちろん一人前の時給なんてもらうつもりもないよ。」

「なるほど。よくわかりました。前向きに検討します。ところで、乃木阪さん、小百合さん。コーヒーいかがですか?」
「あら、ありがとう。」
「いつも面接に来てくれた方には、コーヒーの淹れ方を覚えてもらうんですけど、せっかくだから、お二人ともやってみます?」
「おもしろそう。でも私は今はいいわ。小百合ちゃんが教えてもらいなさいよ。」
「いいのかしら。じゃあ・・・」

カウンターの中に小百合さんがおずおずと入ってきた。乃木阪さんは興味深げにその様子を見ている。
「これこれ、サイフォンね。どういう原理になってるのか不思議だったのよね~。」
「やってみるとわかりますよ。小百合さんどうぞ。」

「ええとぉ・・・。」
マキノがいつもの面接と同じように、やり方を小百合さんに指示しながら、小百合さんにロートを持たせて、コーヒー豆の粉を入れる。
「このフラスコの中でお水が沸騰するから・・・きゅっと差し込んでください。そうそう。すぐにお湯が上がってくるから見ててね。ほら、フラスコの中の水蒸気がこの中のお湯を押し下げて、この真ん中の管・・ロートを伝って上がっていくわけですよ。」
「あー。なるほどなるほど。」
「全部あがったら、このヘラでくるりと撹拌。1回目は馴染ませるだけです。」
マキノは座敷にかかっている時計の秒針をじっと見る。

「蒸らして待つ時間は40秒・・って、みんなには言ってるんですけど、本当はこの時間の見極めって、もっと繊細なのかもしれないです。豆の状態や曳き方とかね・・・ほら、上の方で粉が蒸れていくでしょ?泡と液体が層になって下のお湯のところではぐるぐると対流してる感じ。」
時間になると、火を離して、少し力強く2度目の撹拌をする。

「沸騰がおさまると、フラスコの中が真空になるでしょう?それで上から下のコーヒーを吸い込むわけですよ。」
フラスコにコーヒーが戻り、ロートのフィルター部分にドーム型の豆が残った。
「よくわかったわー。じわじわとドリップするんじゃなくて、このじゅーっと吸い込まれるスピード感がおもしろいわね。」


小百合さんが、温めたカップにコーヒーを注いでみんなに出した。
「いいわねぇ。こう言う優雅な仕事。」
「いやいや・・・仕事である限り優雅ってわけじゃないですよ。」

マキノは、みんながコーヒーを味わっている間しばらく考え込んていた。
「乃木阪さん。お手伝いの件も考えさせていただきますね。これは、敏ちゃん案件ですから一人でお返事できないので・・。」
「ああ、メガネをかけた、あの敏子ちゃんね?」
「そうそう。人事や会計とか、計算がすごく得意で、すべての調整をお任せしちゃってるんです。乃木坂さん。また一緒に考えてくださいますか?」
「うん。そんなに前向きに考えてもらえると思ってなかったわ。」
「うちにとっても、ありがたいことなんじゃないかなって・・・小百合さん、自分でいれたコーヒーは、どうですか?」
「うん。とても満足。」
「小百合ちゃん、おいしいわよ。」

2人は満足げにコーヒーを飲み干した。





― ― ― ― ―



その日の夕方、春樹の帰宅に合わせて、ヒロトと美緒に声をかけ、もともとのスタッフのイズミさん仁美さん敏ちゃんを招いて、スタッフ会議が行われた。いろいろと意見は出たけれども、基本的にはみな前向きだった。
カフェコーヒーだけを淹れるような仕事だけしかでしないと言われると困るが、今後ヒロトの工房でどれぐらいの仕事量があるのかわからない今、手伝ってくれる人員を確保しておくのはいいかもしれない。
懸案事項は先送りされたが、多少のことは敏ちゃんが何とかするでしょうという意見に、敏ちゃん以外の全員が一致し、解散となった。




マキノと春樹は、自宅に戻ってからもそれぞれの今日の用事を済ませながら、さっきの話し合いの続きをしていた。

「マキノさん。いろいろ抱え込んで大丈夫?」
「うーん。朝市軍団の扱いの答えが出ないんだなぁ。どれぐらいの人が積極的なんだろう。」
「報酬もむずかしいね。」
「うん・・。」
「やっぱ・・一人前の仕事してもらってちゃんと時給出すべきじゃない?」
「んー・・そうだよね。」

その時、マキノのスマホが鳴った。
「あれ?ヒロトだよ?何か忘れものかしら?・・はーい、どうしたの?」

『あの、急で申し訳ないんですけど、明日のスーパー出しお願いできませんか?』
「えっ?何かあったの?」
『今、じいちゃんが死んだって連絡が入ったから・・。』
「あっあの、お母さんが介護してたおじいちゃん?」
『そうなんっすよ・・。マキノさんが無理だったら断ってもいいんですけど、もう仕込みほぼ終わってて・・材料ももったいない気がするし、美緒はやるって言ってるんだけど、こいつにはまだちょっと無理だと思うんで・・。』
「ヒロトは、今すぐ家に帰らないといけないの?」
『いや・・スーパー出ししないなら片付けますし、するなら引き継いでちゃんと仕込みも終えてからと思ってて・・。』
「じゃあ、すぐ行く。私も聞いとく。」

スマホの電話を切って、春樹に向き直った。
「ヒロトのおじいちゃんが亡くなっちゃったんだって。工房に行ってくるね。車借りるけど、大事なS4ぶつけたりしないから信用してね。」
「・・・。」
苦笑いをする春樹をおいて、マキノはS4で工房へと向かった。
マキノの軽自動車は、配達用にいつも店に置いてあるのだ。

「・・なんか申し訳ありません。」
「何言ってるのよ。すぐにおうちに帰ってあげなくても大丈夫なのかしら?」
「もう死んじゃってるんで、慌てたってどうにもならないっすよ。様子がおかしいから医者を呼んだけど、そのまま眠るように逝ったらしいっす。オヤジの兄弟に連絡して、葬儀屋頼んで、坊主呼んでって・・段取りは言ってましたよ。おやじはともかく、母親は結構図太いから何とかやってるんじゃないかな。」
「あっあの、明日のごはんにお寿司持って帰ったら?」
「えー・・。」
「親戚集まると、ごはんの事がきっと大変なんじゃない?」
「そんなに親戚いませんよ・・。」
「私の実家も親戚は少ないけど、家の人以外の人が集まるのって大層だったよ。」
「あ・・はぁ。」

ヒロトとマキノと美緒の3人は酢飯と野菜やたまご焼きなど手早く仕込みを終えて、明日の予定の数や時間を確認した。
その酢飯がまだ温かかったので、差し入れの分を無理やりケースに入れて、材料を持ち帰ることになった。



「お通夜と告別式には、私も行こうと思うんだけど迷惑じゃない?」
「おやじの職場の人も参りに来るって言ってるらしいし家族葬というわけじゃないんで、迷惑じゃないですよ。こじんまりとするとは言ってるんですけど・・ただ、個人的にはわざわざ来てもらうのが申し訳ないっす。」
「・・じゃあ、美緒ちゃんは?」
美緒は自分の身の振り方をどうするか少し前から考えていたようだった。
「一般参列者としてお参りするよ・・。私はおじさんも、おばさんも、おじいちゃんとも会ったことあるもの。」
「・・・うん。悪いな。」

「明日の配達は?」
「千尋さんです。明日は悦子さんがパートで7時に来ます。」
「わかった。タイムカードは?・・ええと、うん、これね。手書きだ。」

「いけそうっすか?」
「うん。大丈夫。終わったら、美緒ちゃんとお参りに伺うね。」
「すみません。じゃあ・・・オレそろそろ・・。」
「あ、来週の引っ越しはいけそうなの?」
「いけます。オレ真っ先にそれ計算しましたよ。」

マキノが肩をすくめた。
「仕事熱心はいいけど・・おじいちゃんとのお別れ、大事にしてね。」
「はい。ガキの頃は一緒に遊んでもらったし。寝たきりになってからは本人も辛かったろうから、よく頑張って生きたな、お疲れって、笑って送り出してやりますよ。」

ヒロトは、エプロンをはずして美緒に渡した。
「じゃあ、オレ、このまま帰ります。いろいろ任せてしまってすみません。」
「気をつけてね。」「慌てないでね。」
美緒とマキノが同時に声をかけた。
ヒロトが振り返って笑った。
「うん。ありがとう。」


今のヒロトの返事は、美緒にしたんだな。と思った。


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