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第五章 破綻

13.義兄妹の夜

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「兄さまも掛けて。」
 ビルヘルムはクリスタに向かい合って座った。

「ごめんなさい、もう眠っていらした?」
「いえ、明日の、侯爵が会議出席される会議の準備をしていましたから。」
「こんな時間までお仕事なんて…、体に障るわ。
 …と言いながら、お邪魔して、ごめんなさい。」
「いいのです。そろそろ終わりにしようと思っていたところでしたから。」

 どのみち、クリスタが優先される。
 ふたりともそれは承知している。

 ただ、こんな時間に私室を、髪を下ろし、ナイトドレス姿で訪ねてきたことはなかった。
 ビルヘルムもそのまま眠れるようなくつろいだ服にナイトガウンを肩にかけただけで
 こんな気軽な姿でクリスタの前に立ったことはないと思い返した。

「婚儀が近づいて、緊張を?」
「…ん…そうね…。」
 クリスタは自分のナイトガウンのベルトの先を弄びながら答えた。
「…婚儀なんて、一時のことだけど…、皇太子殿下の元では
 ビル兄さまやお父様、お母様と暮らしているより幸せになんて、なれそうもないわ…。」

 ビルヘルムは否定できなかった。
 当初はクリスタが皇太子妃に選ばれたことが誇らしかった。
 皇太子は、地位も人格も理想的な夫だと思えた。
 しかし、わざわざ領地から呼びつけたギルバートにありもしない自分とクリスタとの噂について話し
 強引に何かを企んでいた。

「兄さま、隣に来て」
 クリスタの表情は思いつめて見えた。
 ビルヘルムはクリスタの座る長椅子に並んだ。

「お嬢、大丈夫ですか?」
 クリスタはビルヘルムに体を向けビルヘルムの手を握った。
「兄さま、わかるでしょ、皇太子殿下が兄さまより私を大事になんてしてくださらないわ」
「そんなことはありません。
 皇太子殿下が、お嬢を強く思っていらっしゃるのは間違いないでしょう。」
 クリスタがビルヘルムに抱きつき、胸に頬を付けた。
「それが怖いの!」
「お嬢は愛されておいでです。だからこそ、殿下は余裕がなかったのです。
 お嬢が皇室に入られれば落ち着かれますよ。」
 ビルヘルムは優しくクリスタの頭を撫でた。
「男は、好きな女性を、どうしても追いかけてしまうものですよ。」
「狐に追われるウサギには、狐が怖くてたまらないものよ。」
 ビルヘルムは何も言えず、ただクリスタの洗ったままの結わない髪を撫でていた。

「ビル兄さまは、いつもただ、ずっと、側にいてくださったの。
 だから私はいつも安心していられたの。
 何も求めず、追わず、ただ、いてくださったの。」
「ええ、姫様のお側にいられて、幸せでした。」

 クリスタはビルヘルムの顔を見上げた。
「最後まで、私は、ビル兄さまの妹には、なれなかったわね。
 そう、姫様だったのよね…。
 だから、兄さまは私のわがままを聞いてくれて、私を優先させてくださった。」
 クリスタは少し寂しそうに見えた。
「…申し訳ありません。侯爵にも、息子として目をかけていただきましたが
 私には本家の公爵家の皆様の家族としてふるまうことはできませんでした。
 養子として迎えていただき、感謝しかありませんが。」

「私たちは…兄でも妹でもなく、主人でも従者でもなく…私たちだけの間柄だったわ。」
 ビルヘルムもクリスタもここまでの一緒に過ごした日々を思った。
「…そうですね…。『お嬢』と『ビル兄さま』…私たちだけの…。
 『兄さま』と呼んでいただけたことは、私には勿体なく思いながら、本当に嬉しかったのですよ。」
 ビルヘルムの優しい笑顔に、クリスタは我儘な姫に戻りたくなる。

「そんなことを言いながら、遠くへ行こうとするなんて!」
「…申し訳ありません。お嬢には、傷一つなく、皇室へお入りいただきたかったのです。」
「馬鹿ね、兄さまが側にいることが私の傷になるなんて!」
「…少なくとも、皇太子殿下には…邪魔者でした。」
「どうして?あの人が、私に邪な気持ちを抱いて、それで兄さまを邪魔者扱いするなんて!」
 クリスタにもビルヘルムの選択は自分を思うが故だと理解している。
 ありがたい気持ちもありまながら、そこまで自分を犠牲にしてしまうビルヘルムが恨めしかった。

「愛する人を独り占めしたいと思うものなのです。」
「そんなの愛じゃないでしょう?お父様たちだって私のことを愛してくださるけど、
 ビル兄さまや、ジェンや私を大切に思う人が増えるのをいつも喜んでくださるわ。
 取り上げたりなさらないわ。」
 相手を独り占めしたいと思うような恋も知らず、輿入れの決まったクリスタを不憫に思う気持ちはずっとある。
 しかし、高位貴族令嬢として生まれ、まして皇太子に妃に望まれてしまった以上、どうにもならない。

「お嬢も、皇太子殿下と夫婦になって、愛情が生まれれば、
 ほかの女性が近づくのが嫌だと思うようになられます。」
「ならないわ!いっそ私ばっかり追いかけないで、ほかの方を見ていて欲しいわ!」
「お嬢…。」
 ビルヘルムは困ったような笑顔でクリスタの手を取った。
 
 クリスタは少し考え込んだ。
「…でも…、私も、兄さまが、ほかの令嬢に優しくして、我儘を聞いていたら嫌だわ。」
「…えっ?」
「たとえば、お父様の補佐官をやめて、どこかの貴族のお屋敷に仕えて、
 その家の令嬢のお世話を、私にしたみたいにしていたら、嫌だわ!」
 ビルヘルムはかわいい義妹のやきもちが幸せで声を上げて笑った。

「兄さま!」
「すみません。はは。やあ、やはりお嬢は私のかわいい義妹ですよ。」
 クリスタも眉尻を下げて笑った。
 化粧をしない笑顔は幼く見えた。

「ずっとこうしていたいわ。皇室になんて行きたくないし、兄さまにもどこにも行って欲しくない。」
「…お嬢…。それは…。」
 どうしても叶えられない。
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