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第五章 破綻
6.皇后
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皇帝、皇后共に、婚儀を急ぐリオネルをなだめてウィストリア侯爵家にもクリスタにも猶予を与え、国の慶事に時間を掛けて準備を進めようとしていた。
しかし、皇室の事情が変わった。
クリスタが領地から戻るとの知らせが届いた頃、皇帝が体調を崩した。
帝国で最も尊く、権威ある存在はその御身の安全、健康に、万全の体制を敷かれながら、一方で、その死についても万全に備えられている。
葬儀の計画が常に準備され、代理となり得る存在が用意されている。
熱と怠さが続き、起き上がる事もままならなくなった皇帝に代わり、摂政として皇太子が政務にあたった。
各所への訪問の予定は、夫妻でのものは皇后ひとりで、他は皇太子や皇帝の弟である公爵が代行した。
このまま皇帝が崩御し、リオネルが皇帝となる場合の準備も、公然と進められる。闘病中の皇帝に対し不謹慎だと唱えている場合ではなかった。
その中で、皇太子妃を早く迎えるべきだという声が挙がった。既に国賓の歓迎の場で皇太子の婚約者として、見事に公務を果たして見せたウィストリア侯爵令嬢を早急に皇室へ迎える事に異論は出なかった。皇太子の公務を支えてもらうと共に、次世代の皇室も安泰であることを内外に示す為に、婚儀を早める事が決まった。
皇帝が崩御してしまえば、1年は喪に服し、婚儀はさきのばしで、次の皇后のいないまま、リオネルが戴冠することになる。それもあって、婚儀が急がれた。
婚儀は急ぎ国教の大神殿での祭事のみを行い、クリスタを皇太子妃として皇室に迎え、祝賀の催しは皇帝の健康状態を見ての事とされた。
クリスタのリオネルへの謁見から2日後、ウィストリア侯爵の執務室で、伝令から1か月後の婚儀が正式に伝えられ、慌ただしく準備が進められた。
ウィストリア侯爵夫人は屋敷に複数の仕立て屋を呼び寄せ、衣服や下着、靴や帽子等を急ぎ作らせ、生活用品を扱う商会にも次々購入品のリストを渡した。
また、クリスタは宮廷に呼ばれ、仮縫いされた婚儀の衣装を合わせに行った。皇后の衣装部屋に呼ばれ、白い衣装を身につけた。祭事の為の衣装は首元を覆い、装飾も少ないものであったが、清楚な印象がクリスタに似合っており、この衣装を身につけて神殿に立つクリスタは神々しい美しさであろうと皇后は誉めた。
皇后は衣装合わせの後、茶を用意させて人払いし、クリスタとふたりで向き合った。
「クリスタ、皇室に入ってもらうのが早まってしまって、ごめんなさいね。」
「皇后陛下、どうか謝らないでください。」
「あなたのデビュタントにリオネルから私の名で贈ったエメラルドね、随分強引なやり方だったわ」
それについてはクリスタも、皇后の優しさや気遣いを受けながら、ずっと心に蟠っていた事実であった。
「リオネルに良いエメラルドが手に入ったからあなたに贈りたいけど、自分の名前では辞退されるかも知れないから私の名で贈って欲しいと言われてね、まさかあの子が揃いのものを身に付けて来るとは思っていなくて…。それに妃の候補にあなたを勧めたのも私よ。それには間違いはなかったと思うのだけど、あなたの気持ちは整っていないのじゃなくて?」
クリスタはうつむいた。今更自分の気持ちを示したところで国の決定を覆せるものでもない。
皇太子に妃に望まれてしまった。それを断って思いを遂げたい相手がいたわけでもなかった。こうなるしかなかった。
ただ、皇太子本人がクリスタの気持ちが自分に向かない事に苛立ちを見せる一方で、クリスタの気持ちが追い付かないのを義母が気付いてくれているのは少しありがたいようにも思えた。
しかし、それで何かが変わるものではない。皇后が目前に迫った輿入れから、自分を逃がしてくれるわけでもない。
リオネルがビルヘルムと自分を引き離そうとしなければ…婚儀を待たず自分を求めることがなければ…、ここまでリオネルとの婚姻に気持ちが沈むことはなかっただろう。
自分から離れようとするビルヘルムに、自分からビルヘルムを引き離そうとしたリオネルに激しく思いをぶつけたことでクリスタは疲れてしまった。あんな風に怒りを覚えたのは初めてだった。これ以上自分の思いをぶつけたい相手もいない。
ただ、笑顔を貼りつかせて日々を過ごしている。
「皇后陛下は嫁がれる時には、心の準備ができていらっしゃったのですか?」
クリスタは思わず口にしてはっとした。
「申し訳ございません!」
「いいのよ。私はね、物心付く前から、未来の皇后なのが当然として育ったの。それ以外の道は考えたことがないの。」
当時、他の公爵家は血縁が近すぎるか、ちょうど良い年頃の女児がいないか、家門と皇室の関係が良くないかで、妃候補と成り得る令嬢はいなかった。
幼い頃から互いに将来の伴侶として認識していた夫婦なのだ。
「リオネルの相手となり得る公爵令嬢は複数いたし、ウィストリア侯爵は娘を売り込んで権力を手に入れようという方ではないしね、あなたは考えてもいなかったのね。」
「ええ、全く想像もしておりませんでした。同世代の公爵令嬢もいらっしゃる中、なぜ私が?」
「そうねえ、複数候補がいるのに…決め手に欠けてね…、リオネルも関心を持たなくて…。でも、デビュタント前ににあなたに会って、私が勧めたら前のめりになって…。貴方への想いが強いのは、間違いないのよ。」
相手が自分を求める気持ちが強ければ、幸せな結婚になるのだろうか…。
今の自分には皇太子から向けられる強い想いが、皇太子に求められているのが、怖い。
しかし、皇室の事情が変わった。
クリスタが領地から戻るとの知らせが届いた頃、皇帝が体調を崩した。
帝国で最も尊く、権威ある存在はその御身の安全、健康に、万全の体制を敷かれながら、一方で、その死についても万全に備えられている。
葬儀の計画が常に準備され、代理となり得る存在が用意されている。
熱と怠さが続き、起き上がる事もままならなくなった皇帝に代わり、摂政として皇太子が政務にあたった。
各所への訪問の予定は、夫妻でのものは皇后ひとりで、他は皇太子や皇帝の弟である公爵が代行した。
このまま皇帝が崩御し、リオネルが皇帝となる場合の準備も、公然と進められる。闘病中の皇帝に対し不謹慎だと唱えている場合ではなかった。
その中で、皇太子妃を早く迎えるべきだという声が挙がった。既に国賓の歓迎の場で皇太子の婚約者として、見事に公務を果たして見せたウィストリア侯爵令嬢を早急に皇室へ迎える事に異論は出なかった。皇太子の公務を支えてもらうと共に、次世代の皇室も安泰であることを内外に示す為に、婚儀を早める事が決まった。
皇帝が崩御してしまえば、1年は喪に服し、婚儀はさきのばしで、次の皇后のいないまま、リオネルが戴冠することになる。それもあって、婚儀が急がれた。
婚儀は急ぎ国教の大神殿での祭事のみを行い、クリスタを皇太子妃として皇室に迎え、祝賀の催しは皇帝の健康状態を見ての事とされた。
クリスタのリオネルへの謁見から2日後、ウィストリア侯爵の執務室で、伝令から1か月後の婚儀が正式に伝えられ、慌ただしく準備が進められた。
ウィストリア侯爵夫人は屋敷に複数の仕立て屋を呼び寄せ、衣服や下着、靴や帽子等を急ぎ作らせ、生活用品を扱う商会にも次々購入品のリストを渡した。
また、クリスタは宮廷に呼ばれ、仮縫いされた婚儀の衣装を合わせに行った。皇后の衣装部屋に呼ばれ、白い衣装を身につけた。祭事の為の衣装は首元を覆い、装飾も少ないものであったが、清楚な印象がクリスタに似合っており、この衣装を身につけて神殿に立つクリスタは神々しい美しさであろうと皇后は誉めた。
皇后は衣装合わせの後、茶を用意させて人払いし、クリスタとふたりで向き合った。
「クリスタ、皇室に入ってもらうのが早まってしまって、ごめんなさいね。」
「皇后陛下、どうか謝らないでください。」
「あなたのデビュタントにリオネルから私の名で贈ったエメラルドね、随分強引なやり方だったわ」
それについてはクリスタも、皇后の優しさや気遣いを受けながら、ずっと心に蟠っていた事実であった。
「リオネルに良いエメラルドが手に入ったからあなたに贈りたいけど、自分の名前では辞退されるかも知れないから私の名で贈って欲しいと言われてね、まさかあの子が揃いのものを身に付けて来るとは思っていなくて…。それに妃の候補にあなたを勧めたのも私よ。それには間違いはなかったと思うのだけど、あなたの気持ちは整っていないのじゃなくて?」
クリスタはうつむいた。今更自分の気持ちを示したところで国の決定を覆せるものでもない。
皇太子に妃に望まれてしまった。それを断って思いを遂げたい相手がいたわけでもなかった。こうなるしかなかった。
ただ、皇太子本人がクリスタの気持ちが自分に向かない事に苛立ちを見せる一方で、クリスタの気持ちが追い付かないのを義母が気付いてくれているのは少しありがたいようにも思えた。
しかし、それで何かが変わるものではない。皇后が目前に迫った輿入れから、自分を逃がしてくれるわけでもない。
リオネルがビルヘルムと自分を引き離そうとしなければ…婚儀を待たず自分を求めることがなければ…、ここまでリオネルとの婚姻に気持ちが沈むことはなかっただろう。
自分から離れようとするビルヘルムに、自分からビルヘルムを引き離そうとしたリオネルに激しく思いをぶつけたことでクリスタは疲れてしまった。あんな風に怒りを覚えたのは初めてだった。これ以上自分の思いをぶつけたい相手もいない。
ただ、笑顔を貼りつかせて日々を過ごしている。
「皇后陛下は嫁がれる時には、心の準備ができていらっしゃったのですか?」
クリスタは思わず口にしてはっとした。
「申し訳ございません!」
「いいのよ。私はね、物心付く前から、未来の皇后なのが当然として育ったの。それ以外の道は考えたことがないの。」
当時、他の公爵家は血縁が近すぎるか、ちょうど良い年頃の女児がいないか、家門と皇室の関係が良くないかで、妃候補と成り得る令嬢はいなかった。
幼い頃から互いに将来の伴侶として認識していた夫婦なのだ。
「リオネルの相手となり得る公爵令嬢は複数いたし、ウィストリア侯爵は娘を売り込んで権力を手に入れようという方ではないしね、あなたは考えてもいなかったのね。」
「ええ、全く想像もしておりませんでした。同世代の公爵令嬢もいらっしゃる中、なぜ私が?」
「そうねえ、複数候補がいるのに…決め手に欠けてね…、リオネルも関心を持たなくて…。でも、デビュタント前ににあなたに会って、私が勧めたら前のめりになって…。貴方への想いが強いのは、間違いないのよ。」
相手が自分を求める気持ちが強ければ、幸せな結婚になるのだろうか…。
今の自分には皇太子から向けられる強い想いが、皇太子に求められているのが、怖い。
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