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第五章 破綻

3.クリスタの懇願

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「皇太子殿下…なのね?殿下が何かおっしゃったのね?」
 クリスタはアラン皇太子夫妻歓迎の夜会の後、庭で皇太子が「兄たちに会わせずにいられたら」と口にしたのをふと思い出したのだ。
 ビルヘルムがはっとした。

 クリスタと皇太子の間の暗い感情を排除するために、自分はクリスタの側を離れるのだ。クリスタの心に皇太子への疑念やわだかまりが出来ては意味がない。

「お嬢、それは違う!皇太子殿下は何も…。」
 クリスタは確信していた。動揺する兄の姿を見て、なおさらに。

「兄さま、どうしてモリー男爵家にいらっしゃるの?私の側にいてくださらないの?こんなこと、初めてでしょう?」
 自分から反らされた兄の目線の先に入り込んで詰め寄る。
「遠くへ行かれる前に、兄さまが一緒に過ごしたいのは、モリー男爵家ではないはずよ。ここで私と過ごしたいはずよ。そうでしょ?だって、私は宮廷に捕らわれるのよ?」
 クリスタの目からほろほろと涙が溢れた。
「兄さまが来月皇都を離れて、私が皇室に入れば、もう、会えないんだから…」

 その事実に、クリスタは気付かない振りをしていた。ビルヘルムも、ギルバートも、妹がそのことに気付いていないと思い込もうとしていた。
 家族の前で、無邪気で素直な少女であっても、賢く思慮深いクリスタが、自身が置かれる皇太子妃の不自由な身の上を理解していないはずはないのだ。

「兄さまが、それほど望まれるお相手ならば、私は我が儘言わずに送り出さなくとはいけないと思っていたわ。でも、違うのね?」
「いえ、私はエリザベス嬢を…」
「嘘よ!ずっと一緒にいたのよ?兄さまにずっと慈しんで大切にされてきたのよ。兄さまがあの女性にそんな感情を持っていないのはわかるわ。」

 ジェンはクリスタが声を荒げて人を責める姿を初めて見てはらはらしていた。
「お嬢を大事に想う気持ちと、女性として求める相手に向ける感情は違います。」
「そうね。でも、女性として相手を求める男の方の姿も、私は知っているわ。リオネル殿下が私に向けるものが兄さまの中にあるとは思えなかったわ。」

 ジェンがハンカチでクリスタの涙を拭った。
「兄さまは、今だって、あの女性を宿屋へ置いて、私のところへ戻っていらした。宮廷に入る私と会えなくなっても一緒にいたいと思うほどの女性なら、どうして私を優先するの?何日もかけていらした婚約者でしょう?」
「お嬢が、動揺していると…」
「ええ、動揺しているわ。気分が悪くなって横になっていたほどよ。私が少し話しただけでこんなになる女性を兄さまは愛しているの?会えば私が動揺してしまうような女性だと、わかっていて、愛していると信じろと?」

「お嬢様、掛けてください。そんなに興奮されてはお体に障ります。」
 ジェンがクリスタの背に手を添えて座らせた。
「兄さま、私のために、不幸になんてならないで。兄さまの幸せのためなら、会えなくなっても仕方ないと思ったわ。耐えなきゃと。でも、こんなの、嫌よ。」
 クリスタは顔を歪めて泣いた。ジェンからハンカチを受け取って顔を覆い、肩を震わせて泣いた。
 ジェンが背中を撫で、手を握った。

「私だけでいいのよ。皇太子殿下の気持ちひとつで皇室に繋がれるのは。その為に兄さまが不幸になるなんてどうかしてるわ!」

 ずっと守っているのだと、ビルヘルムは思っていた。
 幼かったクリスタを、危険から、穢れから、人の悪意から、男の欲情から。
 汚いものから遠ざけて、自分がクリスタを守っていると。

 クリスタもまた、家族の幸せのために、覚悟をしていたのだ。
 とんだ自惚れだった。

「お嬢…。そんなに泣かないでください…。」
 ビルヘルムはクリスタの隣、ジェンの反対側に座った。

「兄さまは、平気なの?このまま、兄さまはあの人と結婚して、遠くへ行って、宮廷に入る私とは、会えなくなるのよ。」
「平気なんかじゃありません。私も、お嬢の幸せのためなら、耐えられると…いえ、耐えなければと…。」
「嫌。兄さまの幸せのためでないのなら、会えなくなるなんて嫌。この家に戻って兄さま。皇太子殿下のことは何とかするから…、私のために。」

 ビルヘルムはすでにエリザベスと体を重ねた。縁談を取りやめるという話をして、あの家族がそれを盾に何を言ってくるかはわからない。
 ただ今は、侯爵邸で再びクリスタとの元にいると決めた。この先いつまで一緒にいられるかはわからない。だからこそ。
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