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第四章 別離の足音~義兄の献身
3.皇太子の命
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ギルバートが執務室に入ると、皇太子リオネルは親しみを込めた笑顔で迎えた。
しかし、握手で迎え、ティーテーブルをはさんで向かい合って座ることはしなかった。扉に向かって置かれた重厚な執務机の向こうから出てこず、窓の向こうを向いて立ったまま、入ってきたギルバートに顔だけ向けた。
「バルモン子爵、遠くから、ご苦労でした。」
皇太子はギルバートをすでに父から継いだ爵位で呼んだ。
いつもの笑顔だが、口調は固い。
このような皇太子をギルバートは見たことがなかった。
ギルバートは覚悟して片手を胸に当て
「勿体ないお言葉です。皇太子殿下のお呼びであれば、どこにいようともはせ参じます。」
と敬礼した。
ギルバートが侯爵となったときに仕える皇帝はリオネルであろう。そして妃となる妹のためにも、侯爵家のためにも、ギルバートはこの皇太子への忠義を疑われるわけにはいかなかった。
ギルバートは頭を下げたまま、皇太子の言葉を待った。
「義兄上」
皇太子は態度を替えないまま、呼び方を替えた。
「私は、クリスタ嬢を、ただ皇太子妃にふさわしい立場の令嬢、信頼し尊敬するウィストリア侯爵の令嬢というだけではなく、クリスタ嬢本人の淑女のふるまい、そして人柄から、真に夫婦として人生を分かち合える相手として望みました。」
「勿体なくも、妹にはありがたいお話と心得ております。父も私も、その責の重さも承知した上で、妹の幸せな未来を皇太子殿下に託せることを心強く思っております。」
皇太子は黙ってうなづいた。
しばらく、沈黙があった。
ギルバートは待った。
これまで皇室一家の側に仕え、このような緊張を伴う場面はなかった。
皇帝夫婦も、王女も皇太子も、おおらかで寛大な人たちだ。
これが、あの、リオネル皇太子であろうか。
妹を、優しく温かく包んで幸せにしてくれると信じ、託すことに何ら心配のない相手と思っていた皇太子であろうか。
「殿下」
ギルバートが溜まらず言葉を紡いだ。
「妹が、何か…」
皇太子が、ちらりとギルバートを見た。
「うん。クリスタ…そうだね、クリスタというより…」
窓の外に体を向けていた皇太子が、執務机に向かった革張りの重厚な椅子に腰かけた。
肘をデスクの上に置き、顔の前で指を組み、その向こうからギルバートを見据えた。
「そなたの義兄のビルヘルム卿は、クリスタ嬢を義妹とは思っていないようだね?」
「ビルヘルム…でございますか。あれを侯爵家へ養子縁組しましたのは9歳になってからで、しばらくは実家の男爵家で暮らしたままでしたので、生まれつきの兄妹とは異なるとは存じます。ただ妹は、ビルヘルムが義兄となる前の記憶もない幼い頃のことでしたので生来の兄と変わらず、いえ、歳の離れた私よりもビルヘルムに懐いております。」
「うん。そのようだね。」
「あれが何か…」
ギルバートは全身の毛穴が冷たく凍るように感じながら、じっとりと汗をかいていた。7つ年下の妹の婚約者に威圧されていた。
「ビルヘルム卿にとっては、クリスタ嬢は…妹ではなく、なんであろう?」
「我がウィストリア侯爵家の分家のモリー男爵家の三男ですので、ビルヘルムは義父である侯爵にも、義兄の私にも…忠義を感じているようで、よく仕えております。クリスタに対しては、護衛役といいましょうか…」
ギルバートは頭を下げたままで皇太子の表情を見ることができずにいた。
「義兄上。私は、クリスタ嬢を、私の婚約者を守りたいだけなのです。」
ギルバートは皇太子の真意が測れず、何も言えなかった。ビルヘルムと男女の仲と疑われているのだろうか。それは断じてない。クリスタはビルヘルムを兄として慕っており、クリスタを穢れなき本家の令嬢として守っているブルヘルムがクリスタに手を出すはずはない。
「わたしは、潔癖なウィストリア侯爵の家庭でやましいことなど起きようはずもないと信じています。ただ、人々は下賤な噂ほど好んで広めたがるのです。」
ギルバートは理解した。皇太子の婚約者であるクリスタが義兄とやましい関係にあるのではないかと噂するものがいる。それに対処せよと。
領地にいたギルバートをわざわざ皇都に呼び寄せ、しかも皇太子の執務室に呼びつけた。
これは単に世間話として聞かされたのではなく、皇太子からの、次期皇帝からの命として受け取る必要がある。
「二人の父たるビルヘルム侯爵にお聞かせするには、あまりに酷な話でね。義兄上にお聞きいただいたのです。」
「ご配慮、感謝いたします。」
「それと、クリスタ嬢は今回のアラン皇太子夫妻の往訪で、ずいぶんお疲れに思えます。兄上と、領地で少し、静養してはいかがでしょう。婚儀の後は、なかなか自由に旅行もできませんからね。」
皇太子の表情はにこやかに変わっていた。
「重ね重ね、妹にお気遣いをいただき、ありがとうございます。しばし、妹を皇都から下がらせていただきます。」
「うん、離れるのは寂しいが、この先長く共にいられるのだからね」
しかし、握手で迎え、ティーテーブルをはさんで向かい合って座ることはしなかった。扉に向かって置かれた重厚な執務机の向こうから出てこず、窓の向こうを向いて立ったまま、入ってきたギルバートに顔だけ向けた。
「バルモン子爵、遠くから、ご苦労でした。」
皇太子はギルバートをすでに父から継いだ爵位で呼んだ。
いつもの笑顔だが、口調は固い。
このような皇太子をギルバートは見たことがなかった。
ギルバートは覚悟して片手を胸に当て
「勿体ないお言葉です。皇太子殿下のお呼びであれば、どこにいようともはせ参じます。」
と敬礼した。
ギルバートが侯爵となったときに仕える皇帝はリオネルであろう。そして妃となる妹のためにも、侯爵家のためにも、ギルバートはこの皇太子への忠義を疑われるわけにはいかなかった。
ギルバートは頭を下げたまま、皇太子の言葉を待った。
「義兄上」
皇太子は態度を替えないまま、呼び方を替えた。
「私は、クリスタ嬢を、ただ皇太子妃にふさわしい立場の令嬢、信頼し尊敬するウィストリア侯爵の令嬢というだけではなく、クリスタ嬢本人の淑女のふるまい、そして人柄から、真に夫婦として人生を分かち合える相手として望みました。」
「勿体なくも、妹にはありがたいお話と心得ております。父も私も、その責の重さも承知した上で、妹の幸せな未来を皇太子殿下に託せることを心強く思っております。」
皇太子は黙ってうなづいた。
しばらく、沈黙があった。
ギルバートは待った。
これまで皇室一家の側に仕え、このような緊張を伴う場面はなかった。
皇帝夫婦も、王女も皇太子も、おおらかで寛大な人たちだ。
これが、あの、リオネル皇太子であろうか。
妹を、優しく温かく包んで幸せにしてくれると信じ、託すことに何ら心配のない相手と思っていた皇太子であろうか。
「殿下」
ギルバートが溜まらず言葉を紡いだ。
「妹が、何か…」
皇太子が、ちらりとギルバートを見た。
「うん。クリスタ…そうだね、クリスタというより…」
窓の外に体を向けていた皇太子が、執務机に向かった革張りの重厚な椅子に腰かけた。
肘をデスクの上に置き、顔の前で指を組み、その向こうからギルバートを見据えた。
「そなたの義兄のビルヘルム卿は、クリスタ嬢を義妹とは思っていないようだね?」
「ビルヘルム…でございますか。あれを侯爵家へ養子縁組しましたのは9歳になってからで、しばらくは実家の男爵家で暮らしたままでしたので、生まれつきの兄妹とは異なるとは存じます。ただ妹は、ビルヘルムが義兄となる前の記憶もない幼い頃のことでしたので生来の兄と変わらず、いえ、歳の離れた私よりもビルヘルムに懐いております。」
「うん。そのようだね。」
「あれが何か…」
ギルバートは全身の毛穴が冷たく凍るように感じながら、じっとりと汗をかいていた。7つ年下の妹の婚約者に威圧されていた。
「ビルヘルム卿にとっては、クリスタ嬢は…妹ではなく、なんであろう?」
「我がウィストリア侯爵家の分家のモリー男爵家の三男ですので、ビルヘルムは義父である侯爵にも、義兄の私にも…忠義を感じているようで、よく仕えております。クリスタに対しては、護衛役といいましょうか…」
ギルバートは頭を下げたままで皇太子の表情を見ることができずにいた。
「義兄上。私は、クリスタ嬢を、私の婚約者を守りたいだけなのです。」
ギルバートは皇太子の真意が測れず、何も言えなかった。ビルヘルムと男女の仲と疑われているのだろうか。それは断じてない。クリスタはビルヘルムを兄として慕っており、クリスタを穢れなき本家の令嬢として守っているブルヘルムがクリスタに手を出すはずはない。
「わたしは、潔癖なウィストリア侯爵の家庭でやましいことなど起きようはずもないと信じています。ただ、人々は下賤な噂ほど好んで広めたがるのです。」
ギルバートは理解した。皇太子の婚約者であるクリスタが義兄とやましい関係にあるのではないかと噂するものがいる。それに対処せよと。
領地にいたギルバートをわざわざ皇都に呼び寄せ、しかも皇太子の執務室に呼びつけた。
これは単に世間話として聞かされたのではなく、皇太子からの、次期皇帝からの命として受け取る必要がある。
「二人の父たるビルヘルム侯爵にお聞かせするには、あまりに酷な話でね。義兄上にお聞きいただいたのです。」
「ご配慮、感謝いたします。」
「それと、クリスタ嬢は今回のアラン皇太子夫妻の往訪で、ずいぶんお疲れに思えます。兄上と、領地で少し、静養してはいかがでしょう。婚儀の後は、なかなか自由に旅行もできませんからね。」
皇太子の表情はにこやかに変わっていた。
「重ね重ね、妹にお気遣いをいただき、ありがとうございます。しばし、妹を皇都から下がらせていただきます。」
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