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第三章 夜会にて
12.義兄の抱擁
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リオネルがクリスタを放した。
クリスタはリオネルの言葉を反芻していた。婚儀までの期間は受諾した皇太子妃としての役割、妻としての義務から逃れられる猶予だ。
婚儀を早められれば、逃げていたものが目前に迫る。
「いつ」と尋ね、具体的にしてしまうのには堪えられそうもない。今までも、そうだった。ぼんやりと、次の社交のシーズンだろうかと深く考えず、明確な時期を確認せずにいた。
背中のすぐ近くにリオネルの息づかいを感じながら、クリスタはその顔が見られず、何かを言われるのが怖かった。
「わたくしはこれで、失礼いたします。」
振り返りざまに礼をし、リオネルの顔を見ないまま、早足で宮殿へ去った。
リオネルはクリスタの髪に飾られたイリアの青い国花が足元に落ちているのをしゃがんで手に取った。
自分の婚約者として役目を果たすために、クリスタが飾った花。ふたりでの最初の公務は華々しく成功した。
しかし、クリスタの心は遠いままだ。
潔癖な穢れなき淑女故にひかれたが、貞淑を捧げる自分にさえ触れることを許さないクリスタにもどかしい思いをするとは。
リオネルは青い花を胸に挿し、クリスタの後を追った。
クリスタは宮殿内を急いだ。
妃教育に出入りしている令嬢が通るたび、使用人や官僚達が立ち止まって頭を下げ、咎める者はいないが、いつも微笑みを湛え、ゆっくり歩くクリスタが、ドレスの裾をあげて走るのを見て一様に驚いていた。
父、外務大臣の執務室に飛び込む。
「兄さま!」
「お嬢!どうされました?」
クリスタはビルヘルムにしがみついた。
「良かった、いらして」
「わたしにご用でしたか?義父上は内務大臣と会談中で…」
クリスタがビルヘルムの身体に回した腕に力をこめ、ビルヘルムの胸に自分の頬をぎゅっと押し付けた。
「お嬢、今日はあんなにご立派でしたのに。」
ビルヘルムは指先でクリスタの乱れた髪を鋤いた。
クリスタはその優しい指先の感覚に、甘えた。
ビルヘルムは、クリスタの尋常ではない様子に、義兄妹でダンスをしてはしゃいでいたのを見咎めた皇太子を思い出していた。
「お嬢、殿下と何かありましたか?」
クリスタは首を振った。
「いいえ!皇太子殿下とは何もないわ!」
誰よりもビルヘルムに会いたかった。皇太子から逃げ、一目瞭然にビルヘルムを探していた。
父がいれば、こんな風に兄の胸に飛び込むことができなかった。父の留守は幸いであった。
しかし、ビルヘルムに、皇太子に抱き締められたこと、皇太子の唇が額に触れ、首筋を這ったことを知られたくなかった。
「兄さまも、ぎゅっとして?」
皇太子の腕の感触をビルヘルムに消して欲しかった。
ビルヘルムは片手をクリスタの背にまわし、片手で頭を撫でた。
「お嬢、大丈夫です。私はいつも、お嬢のためにいますから。」
兄は自分に何も求めない。自分から何も奪わない。ただずっと、クリスタが求めるまま側にいる。
ビルヘルムが、クリスタの頭に頬擦りし、額に口づけた。家庭教師に厳しくされ落ち込んだとき、長兄ギルバートが領地へ帰り、離れ離れになった夜。クリスタがビルヘルムにねだるキスだ。
ー兄さまのキスは私に安心をくれるのに…
「兄さま、まだ戻って来れない?」
「今日の夜会で一段落で、明日はアラン皇太子ご夫妻は離宮で休養されますから、義父上、義兄上と書類を片付けて今日は戻ります。」
「よかった!」
「遅くなりますから、義母上と帰って、早く休んでください。おつかれでしょう?私たちは遅くなりますから。明日はそろって食事できますね。」
「嫌よ!起きて待ってるわ。ジェンと一緒に。」
ビルヘルムを見上げるクリスタの表情は明るくなり、家族に見せるいつもの顔に戻っていた。ビルヘルムは安堵した。
「やれやれ、これは早く帰らないと、付き合わされるジェンに恨まれそうです。」
「早く帰る」という兄の言葉にクリスタは満足した。
「義母上はどちらです?義母上のところにお送りしましょう。」
クリスタはリオネルの言葉を反芻していた。婚儀までの期間は受諾した皇太子妃としての役割、妻としての義務から逃れられる猶予だ。
婚儀を早められれば、逃げていたものが目前に迫る。
「いつ」と尋ね、具体的にしてしまうのには堪えられそうもない。今までも、そうだった。ぼんやりと、次の社交のシーズンだろうかと深く考えず、明確な時期を確認せずにいた。
背中のすぐ近くにリオネルの息づかいを感じながら、クリスタはその顔が見られず、何かを言われるのが怖かった。
「わたくしはこれで、失礼いたします。」
振り返りざまに礼をし、リオネルの顔を見ないまま、早足で宮殿へ去った。
リオネルはクリスタの髪に飾られたイリアの青い国花が足元に落ちているのをしゃがんで手に取った。
自分の婚約者として役目を果たすために、クリスタが飾った花。ふたりでの最初の公務は華々しく成功した。
しかし、クリスタの心は遠いままだ。
潔癖な穢れなき淑女故にひかれたが、貞淑を捧げる自分にさえ触れることを許さないクリスタにもどかしい思いをするとは。
リオネルは青い花を胸に挿し、クリスタの後を追った。
クリスタは宮殿内を急いだ。
妃教育に出入りしている令嬢が通るたび、使用人や官僚達が立ち止まって頭を下げ、咎める者はいないが、いつも微笑みを湛え、ゆっくり歩くクリスタが、ドレスの裾をあげて走るのを見て一様に驚いていた。
父、外務大臣の執務室に飛び込む。
「兄さま!」
「お嬢!どうされました?」
クリスタはビルヘルムにしがみついた。
「良かった、いらして」
「わたしにご用でしたか?義父上は内務大臣と会談中で…」
クリスタがビルヘルムの身体に回した腕に力をこめ、ビルヘルムの胸に自分の頬をぎゅっと押し付けた。
「お嬢、今日はあんなにご立派でしたのに。」
ビルヘルムは指先でクリスタの乱れた髪を鋤いた。
クリスタはその優しい指先の感覚に、甘えた。
ビルヘルムは、クリスタの尋常ではない様子に、義兄妹でダンスをしてはしゃいでいたのを見咎めた皇太子を思い出していた。
「お嬢、殿下と何かありましたか?」
クリスタは首を振った。
「いいえ!皇太子殿下とは何もないわ!」
誰よりもビルヘルムに会いたかった。皇太子から逃げ、一目瞭然にビルヘルムを探していた。
父がいれば、こんな風に兄の胸に飛び込むことができなかった。父の留守は幸いであった。
しかし、ビルヘルムに、皇太子に抱き締められたこと、皇太子の唇が額に触れ、首筋を這ったことを知られたくなかった。
「兄さまも、ぎゅっとして?」
皇太子の腕の感触をビルヘルムに消して欲しかった。
ビルヘルムは片手をクリスタの背にまわし、片手で頭を撫でた。
「お嬢、大丈夫です。私はいつも、お嬢のためにいますから。」
兄は自分に何も求めない。自分から何も奪わない。ただずっと、クリスタが求めるまま側にいる。
ビルヘルムが、クリスタの頭に頬擦りし、額に口づけた。家庭教師に厳しくされ落ち込んだとき、長兄ギルバートが領地へ帰り、離れ離れになった夜。クリスタがビルヘルムにねだるキスだ。
ー兄さまのキスは私に安心をくれるのに…
「兄さま、まだ戻って来れない?」
「今日の夜会で一段落で、明日はアラン皇太子ご夫妻は離宮で休養されますから、義父上、義兄上と書類を片付けて今日は戻ります。」
「よかった!」
「遅くなりますから、義母上と帰って、早く休んでください。おつかれでしょう?私たちは遅くなりますから。明日はそろって食事できますね。」
「嫌よ!起きて待ってるわ。ジェンと一緒に。」
ビルヘルムを見上げるクリスタの表情は明るくなり、家族に見せるいつもの顔に戻っていた。ビルヘルムは安堵した。
「やれやれ、これは早く帰らないと、付き合わされるジェンに恨まれそうです。」
「早く帰る」という兄の言葉にクリスタは満足した。
「義母上はどちらです?義母上のところにお送りしましょう。」
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