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第二章 皇太子の焦燥と義兄の寂寥
8.初の公務
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リオネルは、宮廷内の外務大臣の執務室にクリスタの父、ウィストリア侯爵を訪ねた。
「皇太子殿下、ご用がありましたら、伺いましたのに」
「いえ、義父上、そんなに気を遣わないでください。」
養子に迎えたビルヘルムが、父と呼ぶのに遠慮勝ちであるのに、皇太子が早くも親しく父と呼びんでくれることが侯爵には勿体無く思える。
「イリア王国からの皇太子夫妻の来訪の件で外務大臣としてご尽力をいただきお忙しいでしょう。歓迎の夜会の招待客のリストを確認してお持ちしたのです。」
「殿下自ら、恐れ入ります」
「今の時点では極秘事項ですし、その夜会の件で義父上にお伝えしたいことが」
受け取ったリストに目を落としていた侯爵が顔を上げた。
「今回の夜会では、私の婚約者をエスコートしたいのです。」
「クリスタを、でございますか?」
リオネルは笑った。
「当然です。クリスタ嬢です。」
侯爵は少し困った顔をした。
皇太子がエスコートするとなれば、クリスタは皇帝一家の一員として、皇太子妃と変わらぬ役割を追うだろう。
未だ皇太子の婚約者という自身の立ち位置になれず、緊張した面持ちで、妃教育に臨んでいるクリスタの気持ちを思った。
「まだ荷が重いかと」
「元よりクリスタ嬢はどんな場にも相応しい立ち振る舞いを身につけていらっしゃる。むしろあとは経験が必要なだけです。イリアの皇太子は寛大な方だし、招待客も厳選されていますから、クリスタ嬢を困らせるようなことは起きないでしょう。」
侯爵は、確かにクリスタには慣れも必要だろうと考えた。いつまでも逃げているわけにも行くまい。
「皇太子殿下にここまでご配慮いただき、恐縮でございます。おっしゃる通り、社交の場にも、公式な立場にも、慣れるのがよいでしょう。」
「ご理解いただき感謝します。尊敬する侯爵の令嬢を婚約者としてエスコートできるのは光栄の至りです。」
「いや、畏れ多い…」
侯爵は、この誠実な皇太子であれば、慣れぬ場でもクリスタを守ってくれるものと安堵して承諾した。
*
翌日、リオネルはダンスレッスンに準備された部屋でクリスタを待った。また彼女の体を支え、近い距離でその息づかいを感じ、汗ばむ彼女を近くに見られると思うと、落ち着かなかった。
到着したクリスタはどことなく元気がなく、前回のダンスレッスンで打ち解けたのが、硬い表情に戻ってしまった。
リオネルは侯爵から国賓の歓迎の夜会に自分のエスコートで参加すると聞いたのだろうと気づきながら、何食わぬ顔で練習相手を務めた。
荷が重いと思って、不安に感じているのだろう。似た親子だ。
緊張の戻ったクリスタはダンスまでぎこちなく、リオネルもフォローするのに苦労する。何度も躓き、目線が下がり、リズムが取れていない。リオネルは最後には楽しそうに踊っていた前回を思い、近づいたと思えばまた遠のくクリスタとの距離に寂しさといら立ちを覚えた。
レッスンを終え、茶で渇きを癒しているときに、クリスタは行事への不安を口にした。
「皇太子殿下、今度の夜会の件ですが…」
―いよいよ来たか
と思いながら、リオネルは何食わぬ顔で
「ええ、侯爵に聞きましたか。婚約者との初めての公式な場です。楽しみにしています。揃えの衣装を作りましょう。」
と、明るく言って、クリスタからの否定の言葉を封じようとした。
「あの…私ではとても…」
「何を言っているのです。近く皇太子妃になるのですよ。慣れていただかないと。」
「ダンスもまだこんなですし…」
―クリスタ、お前は俺のものなのに、俺がエスコートするというのを拒んでまたあの義兄の手を取って会場に入るつもりか。
リオネルは怒りを必死で抑えた。
「クリスタ嬢、私がこうしてあなたのダンスレッスンのために時間をつくっているのは、なぜだと思っているのですか。」
本当はクリスタの手を取り踊るのが自分以外ではならないという思いであるのに、何を差し置いてもクリスタの手を取れるこの時間を優先させたいのは自分であるのに。リオネルは自分の本心に蓋をした。
「はい…申し訳ありません。」
うつむいてしまったクリスタとの間の壁が再び厚く閉ざされた。
「皇太子殿下、ご用がありましたら、伺いましたのに」
「いえ、義父上、そんなに気を遣わないでください。」
養子に迎えたビルヘルムが、父と呼ぶのに遠慮勝ちであるのに、皇太子が早くも親しく父と呼びんでくれることが侯爵には勿体無く思える。
「イリア王国からの皇太子夫妻の来訪の件で外務大臣としてご尽力をいただきお忙しいでしょう。歓迎の夜会の招待客のリストを確認してお持ちしたのです。」
「殿下自ら、恐れ入ります」
「今の時点では極秘事項ですし、その夜会の件で義父上にお伝えしたいことが」
受け取ったリストに目を落としていた侯爵が顔を上げた。
「今回の夜会では、私の婚約者をエスコートしたいのです。」
「クリスタを、でございますか?」
リオネルは笑った。
「当然です。クリスタ嬢です。」
侯爵は少し困った顔をした。
皇太子がエスコートするとなれば、クリスタは皇帝一家の一員として、皇太子妃と変わらぬ役割を追うだろう。
未だ皇太子の婚約者という自身の立ち位置になれず、緊張した面持ちで、妃教育に臨んでいるクリスタの気持ちを思った。
「まだ荷が重いかと」
「元よりクリスタ嬢はどんな場にも相応しい立ち振る舞いを身につけていらっしゃる。むしろあとは経験が必要なだけです。イリアの皇太子は寛大な方だし、招待客も厳選されていますから、クリスタ嬢を困らせるようなことは起きないでしょう。」
侯爵は、確かにクリスタには慣れも必要だろうと考えた。いつまでも逃げているわけにも行くまい。
「皇太子殿下にここまでご配慮いただき、恐縮でございます。おっしゃる通り、社交の場にも、公式な立場にも、慣れるのがよいでしょう。」
「ご理解いただき感謝します。尊敬する侯爵の令嬢を婚約者としてエスコートできるのは光栄の至りです。」
「いや、畏れ多い…」
侯爵は、この誠実な皇太子であれば、慣れぬ場でもクリスタを守ってくれるものと安堵して承諾した。
*
翌日、リオネルはダンスレッスンに準備された部屋でクリスタを待った。また彼女の体を支え、近い距離でその息づかいを感じ、汗ばむ彼女を近くに見られると思うと、落ち着かなかった。
到着したクリスタはどことなく元気がなく、前回のダンスレッスンで打ち解けたのが、硬い表情に戻ってしまった。
リオネルは侯爵から国賓の歓迎の夜会に自分のエスコートで参加すると聞いたのだろうと気づきながら、何食わぬ顔で練習相手を務めた。
荷が重いと思って、不安に感じているのだろう。似た親子だ。
緊張の戻ったクリスタはダンスまでぎこちなく、リオネルもフォローするのに苦労する。何度も躓き、目線が下がり、リズムが取れていない。リオネルは最後には楽しそうに踊っていた前回を思い、近づいたと思えばまた遠のくクリスタとの距離に寂しさといら立ちを覚えた。
レッスンを終え、茶で渇きを癒しているときに、クリスタは行事への不安を口にした。
「皇太子殿下、今度の夜会の件ですが…」
―いよいよ来たか
と思いながら、リオネルは何食わぬ顔で
「ええ、侯爵に聞きましたか。婚約者との初めての公式な場です。楽しみにしています。揃えの衣装を作りましょう。」
と、明るく言って、クリスタからの否定の言葉を封じようとした。
「あの…私ではとても…」
「何を言っているのです。近く皇太子妃になるのですよ。慣れていただかないと。」
「ダンスもまだこんなですし…」
―クリスタ、お前は俺のものなのに、俺がエスコートするというのを拒んでまたあの義兄の手を取って会場に入るつもりか。
リオネルは怒りを必死で抑えた。
「クリスタ嬢、私がこうしてあなたのダンスレッスンのために時間をつくっているのは、なぜだと思っているのですか。」
本当はクリスタの手を取り踊るのが自分以外ではならないという思いであるのに、何を差し置いてもクリスタの手を取れるこの時間を優先させたいのは自分であるのに。リオネルは自分の本心に蓋をした。
「はい…申し訳ありません。」
うつむいてしまったクリスタとの間の壁が再び厚く閉ざされた。
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