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10.別離

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 夜会の会場から大公がひとり馬車に戻ってきたのを見てギルフォードは動揺した。大公は瞳に力なく、上の空であり、事情を聞くのも憚られた。馬車から一頭馬を外し、鞍のないまま騎乗して伴した。

 邸宅で出迎えたに執事に妃は実家の公爵邸にしばらく滞在すると告げた大公は、伴を断り、執務室へ入った。
 上着を脱ぎ、サイドテーブルに置かれた蒸留酒をなみなみとグラスに注ぐ。
 何も考える気にならない。液体を胃に流し込む。グラスを手に部屋の中をうろうろと歩きまわる。アルコールには強く、酔ってはいないが、考えはまとまらない。

 途中執事が夜会後にいつも用意する夜食を持ってきた。どのようなやり取りをしたかも覚えていないがいつの間にか部屋の中に置かれていた。口にする気にもならない。
 ぼんやりと目の前に並んだ料理を目にする。ここに一緒に戻るはずだったローズの好む、デザートやフルーツの盛られた皿もあった。
 愛らしい大公妃を迎えることは大公邸の使用人誰もが楽しみに待ちわびたことだった。婚約者として茶会にローズが訪れる日も、邸宅は花で飾られ、料理人は華やかな茶菓子を用意した。執事に華やかな茶器の購入を勧められ、大公はいくつかのセットをそろえた。
 料理人がローズのために美しく彩ったデザートを見て「ローズが喜んだだろう。いないのが惜しいな」とのんきな考えが浮かんだ。

 婚約者として茶会に訪れる際も、淑女として完璧にふるまうローズが、茶菓子や茶器が華やかに並ぶのをみて嬉しそうに顔をほころばせる瞬間が、大公は好きだった。自分から茶菓子に手を伸ばすのを躊躇しているのを、大公がとりわけてやると、恥ずかしそうにしながら、口に運ぶのが愛らしかった。

 大切な宝物を待ち続けてやっと手にしたのに、自ら遠ざけてしまった。激しく求められずとも、愛らしいローズが邸宅にいるだけでどんなにか幸せであったか。
「くそっ!」

 大公は長椅子に体を打ち付けるように腰を落とし、がっくりと頭を落とした。
 初夜、ローズが淫らに自分を求めてくれた時、長い孤独が癒えた気はした。お互いを一つにしたいという同じ欲求。長くその欲求に飢えていた自分と同じところにローズを無理やり引っ張り込んだ。

 焦ってローズの苦しみから顔を背けていた自分への罰だ。なんて愚かな。
 左手の甲の傷が目に入った。あの時ローズに握らせたとき、爪が食い込んでできた傷が残っている。ローズが残した傷が愛おしかった。傷を唇で触れる。
 その夜、大公は一睡もせず、その部屋で過ごした。ローズを抱いた寝室に戻れなかった。

 公爵邸にローズを連れ帰った家族は、まだ片づけていなかったローズの部屋へそのままローズを通した。慣れ親しんだ調度や侍女に囲まれ心が穏やかになるのを感じた。
 しかし、夫以外の男に弄ばれたばかりの体、そして下着を外されているのを人に見せられず、人払いして一人で入浴し、楽な衣服に着替えた。
 陰部には、まだ馬車の中で護衛騎士に受けた行為の感触が残っていた。湯舟の中で何度も洗ったが汚れてしまった自分はもう以前には戻らないのだと思った。

 慣れたベッドに横になる。もうここで眠ることもないとほんの数日前、婚儀の前夜に眺めた天井。家族と同じ場所にいる安心感と、カーライルとの幸せに届かなかった悲しみに、涙があふれた。

 その後、大公から公爵邸に花や宝飾品などのプレゼントが届いた。父親からその報告を受けるがローズはそれらを目にしようとしなかった。
 大公はローズに合って謝罪したい気持ちがありながら、傷つけたローズに拒まれるのも怖く、ただつながりを断たないためにプレゼントを贈り続けた。
 あのように護衛騎士を初夜に引き込んだ理由を話すことなどできない。自分だけがローズへの淫らな欲望を向けてしまった劣等感、罪悪感、ローズに求められない焦燥。ローズに話すことなどできない、話したところで理解も許しも得られまい。大公に為すすべはなかった。
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